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冒険者の万華鏡  作者: 佐々木尽左
第31章 行商人の悲喜こもごも

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忙しい冒険者たちの横で

 アドヴェントの町では毎年恒例の魔物の間引き期間も終わりに近づいてきた。初日から稼ぎ続けていた冒険者たちは最後の追い込みのために森の奥へと向かい、負傷で途中退場していた者たちは遅れを取り戻すべく果敢に魔物を探し回る。連日そんな光景が繰り広げられる冒険者ギルド城外支所は大いに賑わっていた。


 かつてはその中の1人だったユウは今、町の外に広がる貧民街でのんびりと過ごしている。先日まで関わっていた町関連の仕事が一段落ついたからであり、現時点では夜明けの森に入るのは危険だからだ。幸い、今のところ懐具合で困ったことにはなっていないが、よく知っている森に入れないというのは不満のひとつであった。


 ゆったりと過ごしているのは相棒のトリスタンも同じである。ユウとは違い町の中にも足を運んでいた。場所は内外を問わず大抵は酒場、賭場、娼館だ。金はかかるがそれ以上に稼いでいるため今のところ心配はない。


 そんな2人は安酒場『泥酔亭』で夕食を一緒に食べることが多かった。休暇の使い方がまったく異なるため、せめて夕食くらいは一緒にというのが主な理由だ。このとき、その日何をしたのかを酒の肴にすることが習慣だった。


 この日は食事の最初はトリスタンの博打の結果報告で始まり、次いでユウの1日に話が移る。


「俺の方はこれくらいだな。最近は調子が良くて今日も勝ったわけだが、ユウ、お前はまた自分のことを書いていたのか?」


「そうだよ。最近は慣れてきたみたいで、前よりも速く書けるようになったんだ」


「へぇ、それは良かったな。どのくらい速くなったんだ?」


「前は羊皮紙1枚書くのに2日ほどかかっていたんだけれど、最近は1日で書けるようになったんだよ」


「すごいじゃないか。何が変わったんだよ?」


「何て言うのかな。頭の中で考えがまとまるようになってきたんだ。前は文章をひとつ考えるのも大変だったけれど、今は大まかに書くことを決めたら文章が湧いて出てくるようになった感じかなぁ」


「わかったようなわからないような言い方だが、何かができるようになったっていうのは理解できた。ということは、これからも書いていれば更に速くなるというわけか?」


「たぶんそうだと思う。でも、いつどのくらい速くなるかはわからないよ」


「そうだろうな。剣術の上達だってそんな感じだったし」


 感想を口にしたトリスタンは木製のジョッキに口を付けた。何事も簡単には上達はしないし、いつどのくらいなどとは更にわかったものではない。それをよく知っているのでユウの言ったことをそのまま受け入れた様子だ。


 エールを飲んだトリスタンはふと思い出したかのようにユウへと疑問をぶつける。


「あれってあとどのくらい書くことがあるんだよ?」


「う~ん、おおよそだけれど、まだ4割くらいしか書けていないような気がする」


「あれだけ書いておいてまだそれだけなのか。最終的にどのくらい書くつもりなんだ?」


「どのくらいって、自分が見聞きしたことを全部だけれど」


「そこまでして書く理由が俺にはわからんな」


 心底不思議だと言わんばかりにトリスタンは腕を組んで首を傾げた。文字の読み書きはできるものの、自分のことを記録する習慣がないので理解の範疇外のようだ。


 ユウとしても始めた理由はもうぼんやりとして思い出せないが、それでも何かに突き動かされてここまで書いている。これからも書けるだけ書こうと改めて自分に誓った。




 翌日、ユウは常宿にしている『乙女の微睡み亭』の相部屋にこもって自伝を書いていた。そろそろ終わりなき魔窟(エンドレスダンジョン)関連の記述も終わりに近づいてきている。やっとという思いが強かった。


 五の刻の鐘が鳴るのを耳にしたユウは執筆に一区切りを付ける。そうして何気なく口を開けっぱなしの背嚢(はいのう)へ目を向けると巾着袋が見えた。何が入っているのかとっさに思い浮かばなかったので取り上げてみると瓶のこすれる音が聞こえてくる。


「そうだ、これ薬を入れていたんだ。えっと、最後に入れ替えたのは、あれ?」


 はっきりと思い出せないことにユウは焦った。何年か前の出来事を思い出す。あのときは久しぶりに開けた薬瓶からどんな臭いがしたのか、それを飲んだ船員がどんな目に遭ったのか。急いで適当な薬瓶の蓋をいくつか開けて鼻へと近づけた。幸い、まだどれもおかしな臭いはしない。


 その辺りでいくらか記憶が蘇ってきた。確か去年に1度総入れ替えをしていたはずだ。春頃までは海で遭難していて、夏以降は取り替えた記憶がない。特にアドヴェントの町に着いてからは確実である。ということは、去年の春に中身を取り替えているはずだった。


 たぐり寄せた記憶を元に考えたユウは今日入れ替えようと決心する。先送りにすると絶対に忘れる類いの雑事なので今しておく必要があった。


 薬の入った巾着袋を手にユウは立ち上がる。財布に充分な金銭が入って入ることを確認すると宿を出た。


 路地を歩いて貧者の道へと出たユウは東へと進む。市場を通り過ぎてそのまま北へと向きを変えようとしたとき、工房街が視界の隅に入った。そこで足を止める。ダガーとナイフの手入れについて思い出したのだ。


 考えをまとめたユウは方向転換をして工房街へと足を向けた。路地に入ると市場に近い所にある木造の掘っ立て小屋の工房にたどり着く。中は手前の簡素な棚に武器が並べられていて奥は鍛冶場になっていた。ちょうど武器を並べていたホレスに声をかける。


「ホレスさん、こんにちは」


「ユウか。久しぶりだな。どうした?」


「ダガーとナイフの手入れをお願いしたいんです」


「貸してみろ」


 腰から2振りの刃物を取り出したユウはその柄をホレスに向けた。2本とも受け取って真剣な眼差しを向けるホレスから、奥で作業している親方のデリックへと目を移す。今は鍛冶の仕事をしているようだ。声をかけようかと思ったがやめておく。


「ナイフの先がわずかに欠けてるな。投げたのか?」


「前に引き受けた仕事で護衛をしていたことがあるんですが、そのときに」


「なるほど。それで硬い物に当てちまったわけだ。こいつは研がなきゃダメだな」


「僕も一応研いだんですけれど」


「素人ならこんなもんだろうが、職人がやったんだったらそいつを殴らなくちゃならん」


「それじゃ、ダガー共々お願いできますか?」


「いいぞ。両方合わせて銅貨10枚だ」


「どのくらいで仕上がりますか?」


「そんなにはかからないな。六の刻までには仕上げとく。飯時にこいつはいるだろう?」


 ホレスは預かっていたナイフをユウの前で軽く動かしてみせた。その通りなのでユウは黙って銅貨10枚を差し出す。


「それじゃ、六の刻までにまたここへ来ます」


「ただし、あんまり早く来すぎるなよ」


「今から用事がありますからそれはないと思いますよ。ちょっと時間がかかりますし」


「いいことだ。ゆっくりと片付けてきてくれ」


 知り合いの職人に仕事を頼んだユウは武器工房『炎と鉄』を後にした。後は受け取りに行くだけである。


 思い付いた雑用を済ませたユウは北へと足を向けた。工房街から貧者の道に出て更に原っぱを突っ切る。しばらくして境界の川にたどり着いた。西側には城壁の端と遠く対岸に船の渡し場が見える。


 土手を降りて河原に出たユウはそのまま川へと近づいた。巾着袋から薬瓶を取り出すと1本ずつ蓋を開けては中身を川に捨てる。せっかく買ったのにという思いは心の片隅にあるが、傷んだ薬を飲んだときのことを考えると手は止められない。


 すべての薬瓶を空にしたユウは次いでその瓶を洗った。そうして手拭いで拭く。乾かすとなると鐘2回分程度の時間が必要になるので今回は間に合わないからだ。


 時間をかけてゆっくりと作業したユウは空の瓶を巾着袋へとしまった。そうして工房街へと戻る。次いで向かうのは製薬工房だ。ここで必要な薬を一式揃えた。合計で銅貨14枚と鉄貨50枚だ。幼い頃は高くて手が届かなかった金額も、今や一括で支払っても何とも思わなくなった。


 その後は市場に移って時間を潰し、再び工房街へと戻って武器工房『炎と鉄』に入る。


「ホレスさん、できました?」


「今拭いているところだ。これで終わる」


「ありがとうございます」


「そういえばお前さん、防具は買い替えたりするのか?」


「しますよ。去年海水で傷んだからベルトやブーツも一緒に買い替えたんです」


「なるほど。稼げているならもうひとつ上のはどうだと言おうとしたんだが」


「もう少し今のを使い込んでからですね」


 苦笑いしながらユウは返答した。さすがに新しく買い替えて1年では踏ん切りは付かない。そもそも大して傷んでいないのだ。


 手入れを頼んだダガーとナイフをホレスから受け取ったユウはそれを鞘に納めると店を出た。

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― 新着の感想 ―
お金があるならもっといい装備を買えばいいのにね。 魔法のエンチャント付きの切れ味のいい剣とか
薬のことすっかり忘れてました! まあ使う機会がなかったのは良いことですけどね。
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