夜明けの森の奥へ(後)
「1匹そっちに行ったぞ!」
真っ黒な体に暗く光る赤い瞳が特徴の黒妖犬を1頭引きつけたフレッドが叫んだ。
その脇をすり抜けるようにもう1頭の黒妖犬がユウに向かって突っ込んでくる。野犬とは比較にならないしなやかな動きだ。
急速に近づいてくる犬の魔物に対して、ユウは左手で悪臭玉を目の前に放り出す。次いで横に避けた。悪手玉が地面ではじけてハラシュ草の粉末が飛び散る。
黒妖犬はユウの動きに対応して進路を変更したが、それは悪臭玉の効果範囲内だった。薄い煙の中に顔を突っ込むと悲鳴を上げる。
「ギャオン!?」
「あああ!」
突撃の勢いそのままで地面を転がり進んだ黒妖犬は身もだえた。人間を気にするどころではない。
その犬の魔物の頭にユウが棍棒を叩きつけた。容赦なく何度も殴りつけ、弱ってからダガーでとどめを刺す。
動かないことを確認してからダガーを引き抜くとユウは立ち上がった。周りを見るとフレッドも黒妖犬を仕留め終わっていた。
構えを解いたアーロンにユウが声をかける。
「これってどこをそげばいいんですか?」
「耳だ。両方とも取っておけ。でないと半額になっちまうからな」
再びしゃがんでユウは黒妖犬の耳を左右両方そぎ落とした。その討伐証明の部位をジェイクのところに持っていく。口の開いた麻袋の中にそれらを入れた。
事後処理を終えたユウは大きく息を吐き出す。
「はぁ、やっと終わった。これで何頭目だったかな」
「巨大蟻に遭ってからは立て続けだったからな。岩熊、巨大芋虫、巨大蛇、そして今の黒妖犬か」
「数こそ1頭か2頭でしたけど、この短時間でっていうのはさすがにきついですよ。それに、まさか熊と戦うはめになるなんて思わなかったです」
「獣の森だとどうしてたんだ?」
「熊を見つけたら悪臭玉をぶつけて逃げていました。僕らじゃ絶対勝てっこありませんでしたから」
岩熊との戦いを思い出したユウは体を震わせた。悪臭玉を使えと指示されたとき、てっきり怯ませたところで逃げると思っていたら違ったのだ。逆に仲間4人が突撃したことに目を剥いたくらいである。
そんな話をユウがジェイクとしていると、アーロンから全員に声がかけられた。4人の顔がリーダーへと向く。
「そろそろ暗くなってきやがったから野営の準備をするぞ。ジェイク、手近にいいところはありそうか?」
「ここからちょっと戻ったところにいい感じに開けた場所があったろう? あそこにしよう。こんな草むらのど真ん中はユウにはまだきつい」
「そうだな。よし、それじゃ戻るか!」
ジェイクの提案を受け入れたアーロンが宣言した。
戻って来た場所は周囲よりいくらか木々が少ない場所である。下草もあまり生えていないので森の中では見晴らしが良い方だ。
周りを見ながらユウがつぶやく。
「よくこんな所を覚えていましたね。ほとんど記憶にないや」
「ある程度周りのことは覚えておいた方がいいぜ。こういうときに役立つからな。みんな、今日はここで野営する!」
そのつぶやきを拾ったアーロンがユウに助言した。次いで仲間に指示していく。ユウは薪拾いを命じられた。
指定された木の根に背嚢を置いたユウは仲間の見える範囲で枝を拾っていく。できるだけ乾いているものが良いが、そう簡単には見つからない。もう少し範囲を広げて薪になる枝を探す。結局、生木を含めないと必要な量は拾えなかった。
ユウが集めてきてた枝を見たアーロンが少し渋い顔をする。
「枝の量はともかく、これじゃ火が点きにくくねぇか?」
「はい。ですから、松明用の油を持っているんで、それを使います」
「よくそんなもの持ってたな! それだったら何の問題もねぇや!」
早朝の走り込みのために持っていた道具がこんなところで役立つとはユウも予想外だった。何が役に立つかはわからないが、それを直に体験すると笑顔になる。
境界の川の川原で焚き火をしたときと同じ要領でユウは火を熾す場所を作った。そこへ拾って来た枝を重ね合わせて火を点ける場所に松明用の油を垂らす。最後に火口箱を使って火を点けた。
一連の様子を眺めていたフレッドが感心する。
「手慣れてんな」
「去年まで境界の川で服を洗濯して乾かすのによく焚き火をしていたんですよ。冬だとなかなか乾いてくれないんで、火を熾さないと風邪をひいちゃいますから」
「はー、なんでもやってるんだな、お前は。大したもんだ」
「鍋なんかがあったら料理ができるんですけどね。ここだと干し肉を炙るだけかなぁ」
「それでも上等な方だろう。温かい飯が食えるんだからな。にしても、ユウは料理もできるのか?」
「水を張った鍋に具材を入れるだけですよ。前にいたグループでちょっとやってたんです」
「うーん、鍋かぁ。さすがに持ってねぇなぁ」
「大体水がたくさん必要になりますから、鍋料理なんて外で簡単にはできませんよ」
「だよなぁ」
期待していたフレッドが肩を落とした。
そうしている間にも周囲は急速に暗くなっていく。ユウの熾した焚き火の届く範囲以外は暗闇だ。その焚き火の周りに5人が集まった。
仲間の顔を見たアーロンが口を開く。
「これから野営を始めるが、見張り番の順番を先に決めておこう。冬だから夏の倍も見張らなきゃいけねぇのは嫌だがしょーがねぇ。ユウ、俺たちの見張りは鐘の音単位でやってる。砂時計で時間を計ってるんだ。見張りは1度に2人、交代は1人ずつにしてる」
「1人鐘2つ分ですか、長いですね」
「その代わり、夜中に襲われなけりゃたっぷり眠れるって寸法なんだぜ。少人数で見張りをこなしながらぐっすり眠るにはいい方法なんだよ。でだ、今回はユウもいるから5人でやる。お前はどの時間帯がやりやすい?」
「去年まではいつもは七の刻くらいで寝て、一の刻に起きていました」
「一の刻に起きてた? ああ、例の走り込みのためか。なるほどな。となると、最初は俺とユウで見張る。時間が来たらユウはフレッドと交代、次は俺がジェイクと交代、その次はフレッドがレックスと交代、、最後はジェイクがユウと交代だ」
「実は一番いいところを任せてもらえました?」
「まぁな。けど、次回からはユウにも夜中にやってもらうぜ」
「はい!」
うなずいたユウは背嚢から干し肉を取り出して焚き火で炙った。
簡単な夕食を済ませると、ユウとアーロン以外の3人はすぐに目をつむった。ジェイクは横になり、フレッドとレックスは木の根にもたれる。
静かな寝息が聞こえる中、ユウが焚き火に枝をくべた。たまに爆ぜては火の粉を散らす。
「ユウ、ちゃんと周りも見とけよ。見張り番なんだからな」
「それはわかっているんですけど、何にも見えなくて。これでどうやって見張るんです?」
「耳で音を拾ったり肌で異変を感じ取ったりするんだよ。最初は難しいがやっていると慣れてくる」
「慣れたらできるものなんですか」
「慣れるまで生き残れたらな」
理不尽な回答だがユウはうなずいた。つまり、できない者は辞めるか死ぬかなのだ。大半が後者なのは容易に想像できる。
忠告されたとおりユウは暗闇に顔を向けた。焚き火のそばということもあって本当に何も見えない。そして、思った以上に羽虫が寄ってくる。ユウにもまとわりつこうとする羽虫もいた。
眉を寄せたユウがアーロンに話しかける。
「これ、虫が鬱陶しいですね」
「だったら虫除けの水薬を塗ったらいい。汗なんかで流れ落ちる分だけ効果切れが早くなるんだ。寝る前にはしっかり塗っとけよ。朝起きたら大変なことにならねぇためにもな」
嫌そうな顔をしたユウが腰から虫除けの水薬の瓶を取り出して顔や手に塗り始めた。日帰りの日々では知らなかったことである。
塗り終わると見張り番の仕事に戻った。火の爆ぜる音、仲間の寝息、動物の鳴き声、羽虫の羽音など、思った以上に音がする。快か不快かは別にして。
しばらくじっとしていて、ユウは突然なるほどと納得した。周囲の視界はほぼなきに等しいが思ったよりも音はする。ならば、この音に変化があれば異変が起きたと認識できるのではないか。そんな仮説を思い浮かべる。
そうなると、肌で感じ取ることも不可能ではない。風の強弱、臭いの有無など、気付くことができれば事前に異変を感知できる。
早速ユウは周囲に気を配った。目では何も見えなくても、耳や肌で感じ取れるものを知ろうとする。しかし、もちろんそんなすぐには感じ取りたいものを感じ取れない。様々な音や風などが雑多に押し寄せてくるばかりで頭の中で整理できないのだ。それでも何とか手がかりを掴もうとする。
結局、ユウは交代するときまで気を張ることはできたものの、思い付いたことを体得はできなかった。それでも、次こそはと意気込んで眠る。
この日、5人には最後まで何も起きなかった。




