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冒険者の万華鏡  作者: 佐々木尽左
第30章 貴族と商人と異教徒

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貧民街での襲撃

 貧民の住宅街の戸籍調査を始めて5日目、ユウとトリスタンはアーチボルトと共に最後の地域に取りかかった。ここまで結構な苦労を強いられた3人だが、それも今日で終わるとやる気を奮い立たせる。


 未調査の地域は従来の住民が住む西側の端、元戦争難民が住みついた東側との境界に接する場所だ。そして、ここは紛争地帯でもある。東西の違法な者たちが勢力を争う最前線でもあった。


 こういうところには近づかないのが一番である。だが、1度も足を踏み入れないというのはさすがに支配権に関わるということで、アーチボルトが成果にかかわらずとりあえず踏み込むと決めたのだ。


 初っ端から戸籍票と異なる状況が連続することにユウがため息をつく。


「アーチボルト様、これ、やる意味ないんじゃないですか?」


「そう言われるとそうかもしれんが、他の場所はしっかり調査しておいて、ここだけしないというのはな」


「この調査結果、明日には無意味になっている可能性があるんですよ? 一番最初に調査した家なんて、さっき見たら空き家じゃなくなっていましたし」


「ユウ、お前の言いたいことはわかるが、役所勤めとはこういうものなのだ」


「まだ新人なのに」


「何か言ったか?」


「いえ、次はどこですか?」


 虚無感に襲われるのをこらえながらユウはトリスタンと共に調査を進めた。変化すること自体はもう諦めて、調査した時点の状況さえ記録できれば良いと考えを改める。そうすると、精神的にいくらか楽になった。


 たまに争う声が聞こえる場所で調査を繰り返す3人は昼になると保存食を口にする。ただし、今までのように座ってゆっくりというわけにはいかない。立って周囲を警戒しながらだ。これについてトリスタンがぼやく。


「盗賊が出る街道を歩いていたときよりもひどいな」


「そんなに違うものなのか?」


「あのときは周囲の見晴らしがいいので敵を遠くで発見できたからのんびりできたっていうのはありますが、そういうのを差し引いてもこれは」


「ユウ、この辺りは昔からこうなのか?」


「いいえ、内戦前は東側は原っぱでしたよ。僕は体を鍛えるためにいつも走り回っていましたからよく覚えています」


「思い出の場所がなくなるというのは残念だな」


「せめてもっとましななくなり方をしてほしかったですね」


 疲れた笑みを顔に浮かべたユウがアーチボルトに言葉を返した。ただ、ああは言ったものの、結局貧民街が広がる形で知っている場所が消える以上は大した違いはないとも考えているのは確かだ。


 昼食が終わると3人は戸籍調査を再開する。残りは半分、夕方になる前には終わらせたいと意気込んだ。


 そうして最初の1区画が終わったときのことである。とある家が空き家であることが判明した直後、9人程度の青年や少年に囲まれた。いずれも武器を持っている。ただし、刃こぼれしたナイフ、木の棒、石といったものだ。


 その姿を見た瞬間、ユウは下敷き板を、トリスタンは鞄を地面に置いた。そしてそれぞれ、槌矛(メイス)とダガーを抜く。それを目にした9人の青年や少年が緊張するのを目にした。


 アーチボルトを背後に退けさせたトリスタンが相手に声をかける。


「物盗りにしたら物騒だな。俺たちはこの辺りのギャング団じゃないぞ?」


「うるせぇ! オレたちゃテメェの後ろにいるオッサンに用があんだよ!」


「私はまだそこまで歳を取って」


「テメェを殺せば大金が手に入んだ。死ね!」


 集団のリーダーらしき青年が声を上げたとき、最初に動いたのはユウだった。自分の最寄りにいる2人の右手を槌矛(メイス)で軽く叩く。すると、その少年たちは悲鳴を上げて木の棒と石を取り落としてうずくまった。更に2人の少年の利き腕を叩いて武器を手放させてゆく。


 あっという間に4人が動けなくなったのを見た残り4人は目を剥いて固まった。何もできずに立ち尽くす。


「このまま続けるんだったらこれで本当に殴るよ? 大人でもこれで殴ったら一発で死ぬからね。そうじゃなく、僕たちと話をする気はないかな。僕たちが気に入った話をしてくれたら少しばかりお金を上げても良い」


「い、いくらだ?」


「まずはその手に持っている武器を捨ててからだよ」


 槌矛(メイス)を突き付けられたリーダー格の青年は刃こぼれしたナイフをしまった。それに続いて少年たちも手にしていた武器を地面に捨てる。


 それを見たユウも自分の武器を腰に収めた。トリスタンもそれに続く。アーチボルトは大きく息を吐き出した。


 相棒に道具と鞄を回収するよう頼むと、ユウはリーダー格である青年に向き直る。


「君がこの子供たちのリーダーで良いのかな」


「そうだ」


「名前は?」


「バージル」


「それじゃ、これから話をしようか」


「いくらくれるんだ?」


「面白い話をしてくれたら、バージル、君には銅貨2枚、他の子には銅貨1枚をあげよう」


 金銭の話をするとバージル以下の少年たちは目の色を変えた。貧民街で流通しているのは鉄貨なので銅貨は大金だ。ユウの興味を引けたらその分だけ手に入るのだから、貧民が強く引きつけられるのは当然だろう。


「バージルはさっき、このアーチボルト様を殺せば大金が手に入ると叫んでいたけれど、いくらくれると言われたの?」


「銅貨20枚だ」


 なるほど、貧民には大金だとユウは思った。かつて銀貨1枚を貯めるのに何ヵ月もかかったことを思い出す。そして、ちらりとアーチボルトへ目を向けた。こめかみを押さえて沈痛な面持ちだ。貴族にとって銀貨1枚などはした金である。それがお前の命の値段だと言われたのだからその態度にも納得だった。


 そこでユウは懐から銅貨2枚を取り出してバージルに差し出す。


「そういう感じで話をしてくれたらいいんだ。ほら」


「お、おお! マジか!」


「次なんだけれども、誰に頼まれたのかな?」


「行商人のおっちゃん! シリルって言ってた!」


 バージルが口を開くよりも速く少年の1人が叫んだ。そうして手を差し出してくる。ユウは苦笑いしながら銅貨を1枚渡してやった。


 ここから先はもう競争である。ユウが何か言う度に9人が我先にとしゃべるのだ。金ほしさに嘘をつくことも承知の上で色々と聞き出す。


 その結果を要約するとこのようになった。


 1週間ほど前、バージルがとある安酒場で酒を飲んでいるとシリルと名乗る行商人に声をかけられたという。最初はとりとめもない話から始まり、酒も奢ってくれることで気分が良くなったそうだ。そうして3日ほど毎日会っては酒を奢ってもらっているうちに、とある人物を殺してほしいと頼まれる。その人物がアーチボルトだった。


 しかし、バージルたちはアーチボルトの顔を知らない。そこで、シリルの先導で貧民の住宅街にやって来たアーチボルトの顔を確認させてもらった後、ここで待ち伏せをしていたということだった。


 尚、成功した暁には銅貨20枚をもらうということだったが、そのためには事の成否をシリルに伝える必要がある。そのため、今日の夕方にいつもの酒場で落ち合うことになっているらしい。


 思った以上に有用な話を聞けたユウは内心で驚きつつも、なぜアーチボルトが命を狙われているのかわからなかった。そこで、トリスタンにバージルたちの相手を任せ、アーチボルトと共に目の前の空き家に入る。


「アーチボルト様、命を狙われる理由に心当たりはありますか?」


「特には何も。いや、まさか」


「心当たりがあるのなら何でも良いですから話してください」


「私はワージントン男爵家の長男だが、実は弟が1人いる。しかもその弟は後妻の子なんだ」


「だから狙われた?」


「確かに継母(はは)は弟をかわいがっているが、そこまで?」


「一旦その線で考えましょう。ただ、ここから先は戸籍調査の依頼とは異なる件です。もしあのバージルたちに接触した行商人シリルについて調べるのなら、アーチボルト様から依頼していただくことになりますが」


「契約しろということか」


「そうです。本来ならば冒険者ギルドで手続きをしていただくのが一番ですが、今は緊急時なので口頭での契約になります」


「そうだな。疑惑は晴らしておくべきだろう。行商人シリルを調べてもらいたい」


「ありがとうございます」


 口頭での契約を結んだユウはうなずいた。そうして空き家から出るとバージルに話しかける。


「バージル、夕方酒場で行商人と会うことについて、ちょっと相談したいことがあるんだ」


「なんだ? またカネになることだったら大歓迎だ」


 そう切り出したユウは、バージルが行商人シリルと会う場面を密かに見張らせてほしいと要求した。もちろんそのための報酬も提示する。その額に満足したバージルは承知した。


 こうして戸籍調査どころではなくなった一同は、ユウの指示で以後動くことになる。手短い話が終わると全員がその場を離れた。

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