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冒険者の万華鏡  作者: 佐々木尽左
第30章 貴族と商人と異教徒

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貧民街の今

 再び戸籍調査の護衛兼仕事の補助の依頼を引き受けたユウとトリスタンは、前と同じく朝一番に冒険者ギルド城外支所の裏口で代行役人から道具の入った鞄を受け取った。このとき、その代行役人から忠告を受ける。


「ユウはある程度知っているだろうが、貧民の住宅街は安全ではない。特に獣の森に近い東側は元戦争避難民がここ数年で住みついた一帯はまだ完全に把握していない」


「ということは、調査は西側だけで良いんですか?」


「基本的にはそうだ。しかし、できれば東側も調査してもらいたい」


「アーチボルト様は新人なんですよね。しかも町の中のお役人様じゃないですか。どうして代行役人でさえも苦労している場所でいきなりそんなことをさせるんですか?」


「オレも知らんよ。こっちも危険だからと反対したんだが、見回るだけでもいいから行かせろと強く言われたんだ」


「何かおかしいですね」


「こっちはただでさえ忙しいというのに、余計なことを持ち込んでもらいたくないものだ」


 昨日レセップから聞いた通り、代行役人も今回の依頼には疑問を感じていることをユウは知った。


 話を聞いていたトリスタンがここで口を開く。


「ということは、東側はぐるっと巡るだけでもいいんですね。特に調査しなくても」


「そうだな。見回るだけでも構わないと向こうは言っていたからな。中に入って適当に回って帰って来い」


 代行役人がため息をついたのを機に話は終わった。ユウとトリスタンは町の南門から中へと入り、貴人居住区へと向かう。途中、検問所があったが、見知った番兵だったので素通りできた。


 男爵家の邸宅が集まる路地へと入ってしばらく歩くと、2人はワージントン男爵邸にたどり着く。そこでアーチボルトを呼んでもらった。


 当人はすっかり準備できていたらしく、すぐに玄関へと姿を表す。


「また引き受けてくれて嬉しいよ」


「おはようございます、アーチボルト様。それでは行きましょうか」


「ユウ、待ってくれ。先にトリスタンの件を済ませておきたいんだ」


 歩き出そうとしたユウを引き止めたアーチボルトが手にしていた筒をトリスタンに手渡した。受け取ったトリスタンは許可を得て筒の中身を取り出すと、中から自分の身分証明書と鑑定結果という用紙が1枚出てくる。


「先日借りた君の身分証明書を私の部署で鑑定してもらったんだが、結果は『偽造とは思えない』というものだった」


「また微妙な結果ですね」


「羊皮紙は上質で使われているインクも良いものだった。しかし、いかんせん大陸東部の南側にあるというマグニファ王国の公式書類は持ち合わせていないから、確認のしようがなかったんだ」


「それはそうでしょうね。俺も故郷で大陸西部の書類は見たことなかったですから」


「ただ、商人が持ち込んできた書類の中に大陸東部のものがあるのを思い出して、それと付き合わせてみた。すると、少なくともインクは一致したらしい」


「だから本物かわからないけれど偽造とも思えない、ですか」


「そうだ。ということで、身分証明書としてそのまま使うのは正直難しい。ただ、この鑑定結果と一緒に出せば、参考程度にはなるだろう」


「本当に微妙ですね」


「すまないな。町の居住権を得る審査のときに一応使えるだろうが、正直怪しいと思う」


「でも、この鑑定結果の書類があれば、少なくとも偽物だとは思われないんですよね。それで充分ですよ」


 鑑定結果の説明を受けたトリスタンは嬉しそうに身分証明書を筒に戻した。そうして鞄の中に一時的に入れておく。


 仕事外の用件が終わったところで3人は出発した。大通りを歩きながらユウとアーチボルトがこれからについて話をする。


「今日から貧民の住宅街だったな」


「アーチボルト様は今回調査する地域についてどの程度話を聞いていますか?」


「貧民の住む場所で治安が悪いということは聞いている。代行役人からも一応説明を受けたが」


「一通りは知っているんですね。西側と東側で大きく違うことも」


「らしいな。特に東側が危ないのだろう?」


「何がどうなっているのかよくわからないという危険性です」


「ユウは確か、あの貧民街の出身だったはずだな。それでもか?」


「僕が育ったのは西側です。ですから、西側なら案内できますが、東側は僕が旅に出る前後にできた地域ですので案内できないです」


「そこの話は聞いていたのと少し違うな。ユウなら案内できるのではないかと説明された」


「代行役人も僕のことを完全に知っているわけではないのでそこは仕方ありません。ただ、今回調査するのは西側中心ですから、まだ何とかなると思います」


「東側はどうするのだ?」


「そちらはぐるっと巡ってお終いですね。そもそも戸籍票が揃っていないので確認できないんです」


「そうなると、巡る意味がわからないな」


「僕もそう思います。ただ、依頼ではそう命じられているので」


「ああ、私もそうするように言われているから気にしなくてもいい」


 話をしているうちに町を出た。西端の街道を少し南下してから貧者の道へと移り東へと進む。やがて、貧者の道が北へと曲がる辺りで貧民の住宅街へと入った。


 そこは町の中以上に密集して不衛生だ。糞尿、吐瀉物、ごみなどが狭い道に散乱し、臭いが強烈である。店舗の集まる場所では何とか我慢していたらしいアーチボルトも、ここではさすがに耐えられなかったようだ。ハンカチを取り出して鼻を押さえていた。


 そんな中をユウが先頭、トリスタンが最後尾で進む。狭い道の両脇には詰め込まれたかのような家屋が密集していて隣家との間に隙間はほぼない。似ているがどれも違うそれらの家屋が延々と連なっていて、たまに枝道や裏路地が分かれている。喧噪がひどく、子供の声がやたらと多かった。


 顔をしかめたアーチボルトがユウに声をかける。


「前の調査のときに外からは眺めていたが、中に入ると強烈だな」


「そうでしょう。ここを新人に、しかも町の中の方に調査させようとするなんて間違っているんですよ」


「返す言葉がないな」


「アーチボルト様、地図を見せてください。この辺りを西側として、大体3つに分けます。そこを1日ごとに調査していきましょう」


「東側はどうするのだ?」


「どこか適当なところでぐるっと巡ろうかと思います。西側の方も本当に3日間でできるか怪しいので、4日目に西側の余った場所と東側の巡回をまとめてやりましょう」


「地元民のユウがそう言うのなら、そうしよう」


 許可を得たユウは早速トリスタンと共に調査を始めた。しかし、その作業は大変なものとなる。住民の態度が非協力的なのはまだしも、戸籍票とまったく違う現状によく遭遇するのだ。もぬけの殻だったり住民がまったく違ったりなどである。


 ユウとしてはこんなものだと思っていた。この貧民が住む街で正確な戸籍など土台無理なのだ。夜逃げや追い出しなどが珍しくないのだから、いくら作ってもすぐに無意味となる。こうなるとつい戸籍票の作成もいい加減にしてしまいそうになるが、今回は背後にアーチボルトが控えているのでそうもいかない。真面目にやっていくしかなかった。


 こうして3日間貧民の住宅街の西側を調査していた3人だが、さすがに3日間だけでは終わらなかった。


 4日目の朝、ユウはアーチボルトに相談する。


「4日間でも終わりそうにないですね。これはもう1日必要です」


「これだけ丹念にやっていればそうもなろう。それにしても、知るほどにこの辺りは強烈だな」


「そうでしょうね。ところで、今日はこの部分の調査を終えたら、東側を巡回してみませんか?」


「それは構わないが、西側を先に全部終わらせてからではないのか?」


「別の西側の地区は東側に少し突き出た感じですので、東側を通り抜けた方が近道なんですよ。どうせどこかで巡回しないといけないですし、これで巡ったということにしませんか?」


「なるほどな、良いと思う」


 提案を受け入れられたユウは早速行動に移った。最初に戸籍票のある場所を調査してから東側の地域へと入る。


 そこは一見すると西側とそう変わらないように見えるが、住民の雰囲気が明らかに違った。全体的に暗く緊張している。中にはモノラ教徒らしき者が炊き出しをしていたり説法をしていたりもしていた。


 何とも異質な空間に迷い込んだような気がしたユウはふと振りかえる。アーチボルトもトリスタンも緊張している様子だ。それはそうだろうと思う。


 更にそれとは別に、ユウは東側に入ってから誰かの視線を感じるようになった。貧民から受ける嫌悪や好奇の視線ではなく、探るような視線だ。周囲の住民との違いがわからないので視線の元を追い切れない。


 ここは早く抜け出すべきだと判断したユウは歩く速度を速くして西側の地区へと向かった。

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