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冒険者の万華鏡  作者: 佐々木尽左
第30章 貴族と商人と異教徒

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貧民街を回る日々(前)

 貧民街で戸籍調査をする官吏のアーチボルトを護衛する依頼をユウとトリスタンは引き受けた。しかし、この依頼には戸籍調査の仕事を補助することも含まれているので、そのための作業もしなければならない。


 2人は日の出過ぎになると宿を出て冒険者ギルド城外支所に向かった。そうして裏口で待っていた例の代行役人から仕事に必要な道具の入った鞄を受け取る。


「この中に戸籍調査に必要な羊皮紙が入っている。中身を確認して見ろ」


「結構大きいですね。地図、戸籍一覧、この紐が端に付いている板は?」


「下敷きだ。その紐を首からかけて板の端を腹で固定し、その上へ羊皮紙を置いて書くんだ。ペンとインクもあるだろう」


「これは使いづらいですね」


「そうは言ってもそれしかないんだ。諦めろ」


 鞄から取り出した大きな下敷き板をその場で使って見たユウは残念な表情を浮かべた。一瞬自分が持っている折り畳み式の下敷きを使おうかと考えたが、この羊皮紙に対して小さすぎるので諦める。


 自分で一通り大きな下敷き板を使ってみたユウは次いでトリスタンにも扱わせた。鞄持ちと交互で役割を交代するつもりだからだ。すると、トリスタンも困った表情を浮かべた。特にペンとインクが使いづらい。少し考えた末に、鞄持ちがインクの瓶を持つことになった。代行役人によると慣れたら1人でもできるらしいが、一時的な雇われ仕事でそこまでやりたいとは2人とも思わない。


 また、鞄に入っている羊皮紙も確認した。代行役人によると正式な戸籍票なので絶対に紛失したり破損させないようにと注意される。そんなものを寄越すなとユウは愚痴を言ったが、高い報酬を支払うからには高い倫理観も求められると返されてしまった。


 一通りやるべきことと言うべきことを済ませたユウはトリスタンと共に道具を鞄にしまう。


「これからは、アーチボルト様を出迎える前にここでこの鞄を受け取り、帰りにここでこの鞄をオレたちの誰かに渡せ」


「この道具は冒険者ギルドのものなんですか」


「そうだ。町の外は我々の管轄だからな。もっとも、求められれば戸籍の記録は官庁へと渡すことになっているが、そこは気にしなくてもいい」


 代行役人の説明を聞いたユウとトリスタンはうなずいた。これで用意は終わった。2人は町の南門へと向かう。検問所には既に町の中へと入るための列ができあがっていた。


 西端の街道には入らずに堀の手前の原っぱで2人は立つ。約束では三の刻の鐘が鳴る頃に官吏のアーチボルトは出てくるはずだった。


 検問所の様子をぼんやりと眺めながらトリスタンがつぶやく。


「暇だな。それに寒い」


「今度からはもっとゆっくり宿を出よう」


「あの代行役人に文句を言われるんじゃないのか?」


「最終的にここでアーチボルト様と時間通りに合流できれば良いんだよ。それに、何もぎりぎりを狙うわけじゃないから、そこまで大事に考えなくても大丈夫」


「この暇と寒さが何とかなるんだったら、何でもいいぞ」


 話がまとまった2人はにっこりとうなずき合った。初日の今日はまだ待つ必要がある。


 目の前の行列を眺めながら2人は雑談で暇を潰した。




 三の刻の鐘が鳴ってしばらくすると、城壁の奥へと続く通りから見たことのある顔が現われた。穏やかそうな顔つきのアーチボルトだ。跳ね橋の手前当たりを歩いているところでユウが声をかける。


「アーチボルト様!」


「おはよう。今日も寒いね。危うく寝過ごすところだったよ」


「仕事が後ろ倒しになるほど僕たちの報酬が増えるんで大歓迎ですよ」


「そういえば日払いだったな。これは毎日気が抜けなさそうだ」


 ユウの返事にアーチボルトが苦笑いを返した。仕事が1日増えるごとに日当が増える契約なので、依頼者側は予定の日数で作業を終えなければ余計な出費が増えてしまう。しかも、この2人には予定の倍の報酬を支払うのだ。尚のことである。


「今回の戸籍調査で使う道具と調査表は冒険者ギルドから受け取ることになっていると聞いているけれど、トリスタンが抱えているその鞄がそうかな?」


「そうですよ。中の確認はさっき代行役人の前でしましたから、いつでも使えます。それで、これが渡された貧民街の地図です」


「ふむ。宿屋街、市場、工房街、安酒場街、安宿街。それぞれの集まり単位か。ユウは確かこの貧民街の出身だったな。一応5日間で回る予定だが、いけると思うか?」


「慣れた代行役人ならいけるでしょうね。ただ、市場はちょっとややこしいので、ここは1日で終わるか怪しいです。でも逆に工房街は1日もかからないでしょう。ですから、市場と工房街を合わせて2日でやるつもりの方が良いと思います」


「なるほどな。ならそのつもりでやろう。最初は宿屋街から始める」


 どのように調査を進めるのかという方針が決まると、アーチボルトが地図を片手に歩き始めた。それに下敷き板を受け取ったユウと鞄を抱えたトリスタンが後に続く。


 最初に向かった宿屋街は三の刻が過ぎた頃から商売は一旦落ち着いていた。仕事に出かける冒険者と旅に出る旅人はそれまでに出払うからだ。しかし、だからといって暇になるわけではない。後始末や新しい客を迎え入れるための準備があるのだ。


 そんなところへ官吏のアーチボルトがやって来た。声をかけられた宿屋の主人の表情が固まる。


「失礼、私は官庁に勤めるアーチボルト・ワージントンという者だ。宿の主人はあなたか」


「え、き、貴族様!? え、どうして?」


「現在の私は戸籍調査というものをやっている。それで、貧民街の店舗を1軒ずつ回っているのだ」


「貴族様が!?」


「戸籍調査とは言っても、別に新たにすべてを確認するわけではない。現在の戸籍票と一致しているか確認するだけだ」


 目を白黒させている宿屋の主人を見ていたユウはまずいと思った。代行役人のようなことを町の中の貴族がやっているということで相手が完全に混乱している。アーチボルトは丁寧に説明しているが、宿屋の主人側の精神的な受け入れ態勢がまったくなっていない。


 これは間に自分たちが入った方が良いとユウは判断した。そこで、あえて途中で割って入る。


「アーチボルト様、宿屋の主人は萎縮してしまっているようなので、ここは僕が話をしようかと思いますが」


「どうもそのようだな。威嚇しているつもりはないのだが」


「身分差があるとこんなものですよ」


「では、任せようか」


「はい。僕は冒険者のユウです。今回、この戸籍調査のために雇われているんですけれど、この戸籍票に書かれた内容と今の状況が一致しているか確認させてください。あ、徴税しに来たわけじゃないですからご安心を」


「本当に、ただ確認しに来ただけなのか?」


「今の時期に徴税は普通しないでしょう?」


「そりゃそうだ。ああ良かった。毎回ちゃんと払ってるのに、これ以上毟り、ああいえ、納めるってなるときつくてねぇ」


「そうでしょうね。僕が住んでいた家でも結構容赦なかったですし」


「ああやっぱりそうだよなぁ。あいつら賄賂、じゃなくて心付けまで求めてくるから本当に」


「で、家族の構成なんですけれども」


 どうにも口が軽そうな宿屋の主人の話を途中で切断したユウは本題に入った。知りたいことは簡単なことなので確認はすぐに終わる。


 1軒目が終わると次にその隣だが、以後は鞄を持っているトリスタンが話しかけ、ユウが戸籍票の内容を確認するというやり方で回っていった。どうにも貴族式の態度で接してしまうアーチボルトに誰もが萎縮してしまうからだ。


 何軒か回ったところでアーチボルトがユウに話しかける。


「ユウ、このやり方だと私はただ2人について行っているだけになるんだが」


「結果的にはそうなりますね。でも、アーチボルト様が話しかけられると、話が進まなくなってしまいますから」


「貴族と貧民という身分差があることは承知していたが、ここまでとは」


「畏敬の念を抱かれての貴族様ですからね。こういうときは話しかけづらいと思いますよ」


「だから代行役人に普段は仕事を任せているのか」


「その通りです。ただ、同じ官吏でも平民出身の方ですとまた接し方が違いますけれどね」


 ある意味世間知らずともいえるアーチボルトに対して、ユウとトリスタンは仕事の合間を縫ってその辺りの身分差について色々と説明をした。また、貧民の悲喜こもごもについても語り、徴税方法の荒さから代行役人のような存在は総じて嫌われていることも話す。更にはちょっとした悪事を働く者もいると伝えるとアーチボルトは衝撃を受けていた。町の中でも似たようなことはあるはずなのだが、それを知らないところ見ると本当に働き始めて間もないということを強く感じる。


 そんなアーチボルトをユウはとても好ましいと感じた。

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