町の中のお役人
非常に冷たく寒い思いをした翌朝、ユウとトリスタンは日の出と共に起きた。準備を済ませるとどちらも自然と自分の服を鼻に近づける。
「たぶん、これで臭っていないよな?」
「自分じゃわからないなぁ。昔これでギルドホールの交流会へ行ってひどい目に遭ったから不安だよ」
「なんだその話は?」
「あれ、言っていなかったっけ? 貧民街で1年間働いてお金を貯めてから、町で仕事を探すために人材斡旋の交流会っていうの参加したんだ。そこで貧民だって避けられたんだけれど、その原因のひとつが臭いだったんだよ。前日に川で体と服を洗ったんだけれど、完全には消えていなかったらしくてね」
「その話は聞いていないな。でも、そうなると、そもそも体と服を洗った意味がなくならないか?」
「洗わなかったもっとひどい臭いがするじゃない。会った途端に逃げられちゃうよ」
「だったら町の外に出た時点で駄目だろう。城外支所なんてとても入れないぞ」
反論されたユウは苦笑いした。確かに冒険者の多くは大抵何かしら臭う。自分の汗だけでなく、魔物の返り血、草木の汁、使い込まれた鎧の革が混じったものだ。
しかし、だからといって開き直って何もしないというのはさすがにどうかとユウは考えた。できるだけ身ぎれいにして、それでも尚嫌がられるのであればもう仕方ないと諦める。今はそう考えて行動していた。
少しの間黙っていたユウはトリスタンに話しかける。
「まぁいいじゃない。きれいになったんだし。これでしばらくは何もしなくても良いよ」
「そう願いたいね。昨日、川から帰ってきてから灰汁入りの水を宿からもらって鎧も磨いたんだ。相手には評価してもらいたいぜ」
「その意見には僕も賛成だよ。それじゃ、行こうか」
町の中から聞こえてきた三の刻の鐘を耳にしたユウが部屋を出た。トリスタンもそれに続き、冒険者ギルド城外支所へと向かう。
城外支所の建物の扉は既に開け放たれており、多くの人々が出入りしていた。その中に混じって2人が室内へと入る。レセップのいる場所はそこだけ誰も並んでいないのでよく目立っていた。
受付カウンターの前に立ったユウがレセップに声をかける。
「おはようございます、レセップさん」
「おお、来たな。よし、打合せ室を押さえてあるんだ。行くぞ」
返事を待たずに立ち上がったレセップが受付カウンターの裏側に沿って歩き始めた。ユウとトリスタンは行列を避けるために大回りして建物の南側へと向かう。
壁際から再び受付カウンターへと近づいた2人は、そこでレセップと合流した。そうして部屋の並ぶ通路へと入る。その中の部屋のひとつに案内された。中央にテーブル、その左右に丸椅子が3つずつ置かれた部屋は広くない。
「ここで向こうが来るまで待つぞ」
「それは良いですけれど、相手の人はこの打合せ室まで来ることができるんですか?」
「代行役人と合流してこっちに来るらしいから気にするな」
そう言うとレセップは奥の端の椅子に座ってテーブルに肘を突いた。どこまでもその姿勢を貫くらしい。
案内人がそんな態度なのでユウとトリスタンも黙って座るしかなかった。そうして相手がやって来るのを待つ。
しかし、そこでユウははたと気付いたことがあった。隣に座るレセップに声をかける。
「レセップさん、僕たち相手の人の名前をまだ聞いていませんよ」
「あー、そういえばまだ言っていなかったな。アーチボルト様だ。ワージントン男爵家の次期当主殿だぞ」
「貴族様なんですか!?」
「とはいっても法服貴族であって土地持ち貴族じゃないぞ。官吏だからな」
「いやそれでも貴族様に違いないんですよね。大丈夫かなぁ」
「おとなしい青年だって聞いてるから大丈夫なんじゃねぇの? 駄目なら断ればいいしな」
「いいんですか?」
「こっちは良さそうなのを紹介しただけだから構わんよ。そりゃ引き受けてくれるのが一番だが、馬が合わねぇのに引き受けて後で問題を起こされるよりかはずっとましだ」
「強制じゃないんですね」
「そういうこった」
意外な話を連続して聞いたユウは目を丸くした。てっきり平民の官吏だと想像していたのが外れてしまったが、依頼を判断する自由がいつも通りあるというのは思わぬ話だ。
黙って話を聞いていたトリスタンがつぶやく。
「貴族ねぇ。果たしてどんな奴が来るのやら」
興味ありという様子でトリスタンは座っていた。同じ貴族なので気になることは想像に難くない。
そうしてしばらく待っていると廊下から足音が聞こえてきた。音からして2人分だ。
打合せ室に最初に姿を現したのは代行役人である。胸元には首縄と錫杖の紋様があった。続いて穏やかな顔つきの線が細い青年が姿を現す。確かにレセップの言う通りおとなしそうな雰囲気だ。
新たな入室者を見た時点でレセップ以下3人が立ち上がった。ユウとトリスタンは青年に会釈する。
「そっちのにーさんが依頼主様ってわけか」
「お前いい加減その口をどうにかしろ。そのうち首を切り落とされるぞ」
「そりゃ怖いな」
「チッ、だからお前に頼みたくなかったんだ。はぁ、まぁいい。お前が選んだにしてはまともそうだな」
「そりゃもうガチガチのマジメッ子だぜ」
「本当にそうであることを期待しているぞ」
小さくため息をついた代行役人がユウとトリスタンへと顔を向けた。そうしてやや威圧的に紹介を始める。
「こちらは、ワージントン男爵家のアーチボルト様だ。今回同行して護衛してほしいお方だ。それと、この方の仕事も補助してもらいたい」
「僕はユウ、古鉄槌のリーダーです。隣がメンバーのトリスタンです。貧民街の店舗を戸籍調査するということで、その護衛兼仕事の補助だとレセップさんから聞いています。護衛はともかく、仕事の補助とは具体的に何をするものでしょうか?」
「仕事熱心なのはいいですけれど、とりあえず座りませんか?」
ユウと代行役人が紹介と仕事の話を同時に進めようとしたところで、官吏のワージントンが全員に声をかけた。それで慌てて代行役人が着席を全員に勧める。
そこから話は改めて依頼の内容についてのものとなった。概要に関しては昨日レセップが説明してくれたこととほぼ同じだ。そして、仕事の具体的な内容がこのときワージントンからユウとトリスタンへと伝えられる。
「君たち2人にお願いしたいのは、貧民街を回るときの護衛が基本で、仕事の補助というのは戸籍確認の資料の運搬と記入も含むと言うことなんだ」
「資料の運搬、つまり、訪問して確認できた戸籍に確認済みの印を入れて行くんですか」
「そうです。私が住民の方に問いかけますので、2人は後ろで一戸ずつお願いします」
その他にも色々と話をしたが、官吏のワージントンの対応は貴族にしては珍しく穏当なものだった。ここから自分たちだけになると豹変する可能性が残っているが、考えすぎても始まらないのでそのときまで保留とする。
仕事の内容は貧民街の店舗を1軒ずつ回る面倒さはあるものの、基本的にはそれだけだ。中には乱暴な相手もいるかもしれないが、そのときはワージントンが一時的に与えられた代行役人としての権限を行使すれば良い。
説明を聞いている限り、ユウは仕事内容がそれほど悪いようには思えなかった。代行役人関連の仕事なので貧民に良い顔をされないという点はあるが、徴税でもないので当たりはそこまできつくないと考える。
ただ、ひとつだけ交渉しなければならないことがあった。ユウはその点を口にする。
「話はわかりました。仕事の内容に関してはいうことはありません。ただ、この内容ですと護衛で銀貨1枚、仕事の補助で銀貨1枚は必要です。つまり、1人当たり1日銀貨2枚です」
「そんなにかかるんですか?」
「そもそも冒険者で文字の読み書きができる人というのが滅多にいません。町の中ですと文字の読み書きができる人が多いのでしょうが、外ですと探すだけで一苦労ですよ」
ユウの説明を聞いたワージントンが隣に座る代行役人に目を向けた。すると、渋い表情をしつつも小さくうなずく。それを見てワージントンは目を見開いた。
そんなやり取りを目にしつつユウは更にしゃべる。
「それと、別の町になりますが、僕はかつて代行役人の元で働いていたことがあります。そのときは1日銀貨5枚をもらっていました。もちろん今回の依頼内容とはまったく違いますが、その僕からすると1日銀貨2枚は決して高い金額だとは思いません」
その後も官吏のワージントンと話し合った結果、ユウの要望が通って1人銀貨2枚を毎日支払ってもらうことで交渉がまとまった。そして、仕事は明日の朝から始まり、南門の外側で合流することに決まる。
その話し合いを脇で見ていたレセップは終始にやにやとしていた。




