■■に帰すべきもの(2)
冒険者内での序列を決めたその夜、ユウは船長室へと足を運んだ。目の前の扉を軽く叩いて入室の許可を得ると中に入る。
「こんばんは。朝の件でやってきました」
「よく来てくれた。随分と後になっちまったもんだな」
「船長が冒険者と喧嘩なんてさせるからですよ」
「だが、やった甲斐はあっただろう。あれで上下関係がはっきりとしたんだからな。今後文句を言うヤツは出てこなくなるさ」
「でないと割に合いません」
わずかに口を尖らせたユウが椅子に座ったままの船長に反論した。すべて笑いながら受け流されたが気にはしない。必要なことであったことは認めているからだ。勝負をつけた後の冒険者たちはとりあえず従順である。
「それよりも、僕を呼んだ用っていうのは何ですか? 朝食のときにわざわざ呼んだんですから何かあるんですよね」
「さすがに気付くか。その通りだ。そこに木箱があるだろう。用件はそれだ」
船長室の隅の床に1辺50イテック程度の木箱が置いてあった。特徴もない木箱で、ビスケットや商品を収めたものと同じ材質だ。周辺におがくずが散らばっている。
「今朝、出港前に町の中から運ばれた木箱だ。ちょうど船乗りたちが朝メシを受け取りに行っていた頃だな。だから、これがここに運ばれたこと自体知っているヤツはほぼいない」
「随分と慎重ですね。何が入っているんですか?」
「魔法の箱だ。あの赤い蠍が難破船から持ち帰った例のあれさ」
木箱の中身を聞いたユウは再びそれを見た。重要な物なのだろうということはすぐに気付いたが、まさか魔法の箱だとは思わなかったのだ。しかし、そもそもそれを海に投棄するための任務なのだから運び込まれて当然だと思い直す。
「でも、どうしてその話を僕にするんですか?」
「そのときが来たら、お前にこれを海に捨ててもらうためだ。恐らくそのときのオレは船乗りたちに指示を飛ばすので忙しいだろうからな。代わりにやってもらいたいんだ」
「そのときは僕も海の魔物との戦いで忙しそうですよね」
「確かに。しかし、護衛のための冒険者は他にもいるから任せられるだろうが、船長は1人だけで代わりはおらん。だからさ」
曖昧な笑みを浮かべるダレル船長をユウはじっと見つめた。大役を仰せつかったのか厄介事を押しつけられたのか微妙なところである。ただ、なぜ自分たちを1人でも良いからと大金をはたいてまで雇おうとしたのか、その理由がわかった。恐らくこのためなのだろう。信頼という点ではフレディの方が上だが、危険が迫ったときの行動力を加味すると総合的にユウかトリスタンが必要だったのだ。
小さくため息をついたユウが口を開く。
「この木箱ごと海に捨てれば良いわけですか?」
「さすがに少し大きすぎるだろうから、中身を取り出してくれてもいいぞ」
「え、木箱を開けても良いんですか」
「構わん。そのときのことを考えたら、今見せておいた方がいいな。よし、開けてやろう」
椅子から立ち上がったダレル船長が木箱に近づいた。腰にぶら下げていたナイフを鞘から取り出すと、木箱の上部の角に差し込んで持ち上げようとする。その行為を何度か繰り返すと木箱の上部の板が浮き上がった。その隙間に手を差し込んで一気に開ける。
中は一面おがくずが敷き詰められていた。一見すると中に何が入っているのかわからない。ダレル船長がその中に手を突っ込むと、1辺約30イテック程度の金属製の箱を取り出した。表面には何も描かれていないつるつるの箱だ。
ユウはその箱をダレル船長から手渡される。大きさの割に重くないことに目を見張ったが、それ以上にこれと似たような箱を前に見た記憶があることに気付いた。見た目通りその機能も同じならば、これは半久の箱である。かつては古代人に開けてもらった代物だ。
手にした魔法の箱を見つめるユウに対してダレル船長が話しかける。
「これが魔法の箱だと言われるのは、どうやっても開ける方法がわからない上に、どんなに衝撃を与えてもまったくの無傷だったからだそうだ」
「そんな無茶苦茶なことをしたんですか、これに?」
「オレがやったんじゃないぞ。都市の中の連中だ。ともかく、普通の箱じゃないということがわかったからとりあえず魔法の箱だと呼んでいるんだ。ユウ、お前はこれがどんな箱かわかるか?」
難しい顔をしたままユウは黙った。説明はできるが、果たして話しても構わないのか判断に迷う。世間一般からすると知識の出所が怪しいからだ。古代人絡みはこれだから厄介である。
「ま、無理に答えなくてもいい。どうせ海に捨てるものだからな。それよりも、そのときが来たらこれをここから持ち出して、船縁から放り投げてくれ。できるだけ遠くにな」
「わかりました。この箱は木箱に戻せば良いですか」
「ああそうしてくれ。それとできれば蓋もしっかり閉めておいてもらいたい」
言われたとおりユウは魔法の箱を木箱に入れ直した。おがくずをきれいにならしてから蓋を閉める。
ダレル船長からの用事はこれで終わったのでユウは船長室から退室した。大変な役目を背負うことになってしまったが、見方を変えれば単に箱を海に捨てるだけだ。しかもあまり重くもない。
どうにかなるだろうと自分に言い聞かせながらユウは船内を歩いた。
穏やかに出港できた3隻の船は初日を順調に航海できた。後はどれだけ穏便に目的の海域まで進めるかである。
航海2日目は昼頃に護衛兼陽動の船2隻と別れることになっていた。『大鷲二世』号は針路をそのままなのに対し、北西へと舵を切るのだ。これから海洋の魔物がいる場所に突っ込むことになるわけだが、赤い蠍が派手に暴れて引きつけてくれることが期待されている。
炊事室でちょうど昼食を配り終えた頃だった。ユウがフレディと片付けをしていると天井から慌ただしい足音が耳に入る。
「どうしたのかな?」
「なんかあったんだろ。ユウ、ちょっと見て来てくれ」
頼まれたユウは炊事室から出た。そろそろ他の2隻と別れる頃なのでそれをみんなで見物でもしているのかと想像する。
ところが、船内で血相を変えてすれ違う船員を見たユウは認識を改めた。急いで甲板に出ると冒険者たちが武器を手に周囲を警戒している。
近くに立っていたダレル船長にユウは近づいた。指示を飛ばす合間を縫って声をかける。
「海の魔物が出てきたんですか?」
「こっちにはまだだが、あっちの2隻には現れたらしい。さっき手信号で連絡が来た」
「それじゃこっちも時間の問題じゃないですか」
「ふん、初日に出くわさなかっただけ順調さ。今は船足を上げようとしてるところだ。あの2隻もすぐに進路を変えてこちらから離れて行く。これからが本番だぞ」
しゃべり終えたダレル船長が別の船乗りに指示を与えるのを見たユウはその場を離れた。護衛としてダレル船長個人に雇われているが、他の冒険者とは命令系統が違うユウは冒険者ギルド側の指示に従う必要はない。なので、一旦炊事室に戻った。
昼食の片付けを続けていたフレディにユウが事情を伝える。
「他の2隻が海の魔物に襲われたらしいよ。この船はまだだけれど、急ぐんだって」
「ついにか。これから忙しくなりそうだな。ユウ、お前はさっさと上に行ってこい。こっちで仕事をしてる場合じゃねぇ」
不敵に笑ったフレディの言葉にユウはうなずくと再び甲板へと戻った。そうして、ダレル船長の側に控える。
西側へと目を向けたユウは水平線上に小さな点を2つ見つけた。それが船だとかろうじてわかるが、海洋の魔物に襲われているのかまでは確認できない。ただ、たまに大きな水しぶきのようなものが点のような船の周りに発生しているのが見えた。ダレル船長によると赤い蠍による魔法攻撃と剣での攻撃らしい。船体以上の大きさの水しぶきをそんなのでどうやって起こせるのかまったく想像できない。あれが難破船に突入できた秘密かと思うと感心するより恐ろしかった。しかし、今はその圧倒的な力が頼もしい。
その後、『大鷲二世』号は船足を上げて北北東の進路を進んだ。風向きも風速もおあつらえ向きなので順調である。しかし、それで海洋の魔物を振り切れるとは誰も思っていない。2日と経たずにこちら側に気付いてあの2隻に追いついたのだ。海での足の速さは悔しいがあちら側の方が圧倒的に速い。
その認識は正しかった。出港して4日後の昼にとうとう海洋の魔物に襲われたのだ。何体かの半漁人が船体に張り付いてよじ登ってきたのである。
この海洋の魔物たちはある程度登ってきたところを冒険者たちが刺し殺して撃退したが、皆の表情は一様に暗い。今後は頻繁に襲われることが想像できたからだ。
迎撃の様子を見ていたユウは本当に役目を果たせるのか不安に思った。




