川を越える前に
サルート島の春は日の出が早い。6月も半ばになると一の刻過ぎには夜が明ける。ゆっくりと眠るにはやや落ち着かないが、起きて行動する分には都合が良い。
日の出と共に目覚めたユウとトリスタンは出発の準備を整えた。今日はついにルインナルの基地を旅立つ日だ。荷物に関しては前日までにほぼ用意できているので慌てることはない。
旅支度を終えると2人は安宿を出た。そのまま冒険者ギルド派出所へと向かう。今日の集合場所だ。
受付係からは二の刻までに集合するように指示されていた。これは冒険者ギルド側の都合というよりも、ソルターの町まで旅をする者たちの都合による。というのも、今回共に旅をする者の中には負傷により冒険者を引退した者も含まれるからだ。中には歩行困難者も一部混じっているので移動に時間がかかるのである。そのため、通常よりも歩く時間を長めに見積もる必要があるのだ。
冒険者ギルド派出所の掘っ立て小屋の前には既に何人かの冒険者と元冒険者が待っていた。2人は挨拶をしてその中に混じる。声をかけてくる者、手を上げる者、顔だけ向けてくる者など様々だ。
今回は全員が歩ける者ばかりだということなので集まった者たちの顔に不満の色はなかった。しかし、1人だけ足を引きずっている者がいる。今回の道中ではこの元冒険者に歩く速さを合せる必要があった。
全員が揃うと待機していた職員が1人ずつに水と食料を配る。ユウとトリスタンも自分たちの番が回ってきたときに受け取った。そうして背嚢へとしまう。
旅立つ準備が整うと職員の号令で全員が歩き始めた。いくつかの小集団が固まって基地の東門へと向かう。そこを抜けると冬の森だ。
春になって雪を見かけなくなった森の中を目にしたユウは初めてここにやって来たときのことを思い出す。あのときは歩くだけでも本当に大変だった。あれから半年以上が過ぎている。その間にいろんなことがあった。しかし、終わってみればいつも以上に稼げたのでこの遺跡に悪い印象はない。
体力勝負の冒険者ばかりということもあって森の中の移動は難しくなかった。町までの経路は既に商売人によって確立されている。木の幹に多数の傷が付けられているからだ。これを追っていけば迷うこともない。ただ、障害持ちの引退者がいるので歩く速度は遅かった。
今の状態で最も警戒することは魔物の襲撃だ。冒険者に関してはともかく、元冒険者は厳しい。まだ武具を売り払っていないので装備は一応あるが、体に問題があるため戦力としては当てにならないのだ。希望があるとすれば去年に比べて襲撃頻度が低くなっている点である。この森の中の経路近辺は既に多数の魔物が討ち取られているのだ。その効果に期待するしかない。
冒険者と元冒険者の集団は塩の結晶と遺跡の残骸が点在する森を1日、また1日と歩いてゆく。そうして3日目、魔物に遭遇することなくその日も移動を終えられそうだった。
森の中は枝葉によって日の光がさえぎられるために真昼でも薄暗い。そのため、日が傾き始めると急速に暗くなってゆく。そのため、周囲の明るさに陰りが差した時点で野営地を決める必要があった。
全員が冒険者か元冒険者なのでその辺りはよく心得ている。気付けば中心人物となっていた冒険者の声でこの日の移動は終えることになった。
そうして動ける者が野営するのに都合が良い場所を探し始める。そのうちの1人が移動先から人の声がかすかに聞こえてきたのに気付いた。その人物が様子を見に行って戻って来ると明るい調子で全員に声をかける。
「向こうに基地へ行く隊商の集団がいるんだ。一緒に野営しようって誘われたぜ」
森の中に人がいるということを知ったユウたちは喜んだ。町と基地を往復する人々がいるのでこのように出会うことは珍しくない。全員が隊商の野営地に向かった。
その隊商は20人近い徒歩の集団だ。商隊長である商売人に4人の護衛の冒険者、そして残りが荷物を運ぶ人足たちである。どちらもお互いを歓迎している。
当然ユウとトリスタンも喜んだわけだが、商隊長がアルビンだと知って驚いた。バートの姿も見える。
「アルビンさん、お久しぶりですね」
「ユウじゃないか。こんな所でどうしたんだ?」
「僕たち、遺跡を離れることにしたんです。なので、今はソルターの町を目指しているところなんですよ」
ユウたちの事情を知ったアルビンは残念がった。知り合いがまた1人減って寂しいと言ってくれる。一方、トリスタンはバートと話をしていた。こちらの表情はどちらも明るい。
「お前らもとうとう行っちまうんだなぁ」
「また旅立つときが来たんだ。あの遺跡でしっかり稼げたからな」
「今は石人形っていう厄介なヤツが出てくるんだってな。こりゃぁ、もっと早くに決断しとくべきだったか」
「なら、今からでも考えておいたらどうだ?」
「はは、まぁ考えておくさ。安定して稼げる仕事ってのは捨てがたいもんなんだよ」
最後まで考えておくというバートの態度にトリスタンは微妙な表情を浮かべた。しかし、それ以上は何も言わない。
都合30人近くが集まった野営地は賑やかになった。これだけ集まっていると非常に心強い。特に半分近くが冒険者なので尚更だ。夜の見張り番の負担も軽くなるので冒険者の誰もが喜ぶ。
いくつかの焚き火が燃える中、冒険者と元冒険者は夕食を楽しんだ。冒険者たちが干し肉と黒パンを提供することでアルビン側が温かい食事を用意してくれたのである。
その中で、ユウはアルビンから雑談を持ちかけられた。軽い話から始まって発掘品の話に移ってゆく。
「前にユウから発掘品を売ってもらったが、あれから何か見つけたのか?」
「一応見つけたことは見つけたんですけれども、探検隊の貴族様に見つかって売らざるを得なくなっちゃったんですよね」
「なんと。そんなことがあったのか」
そこから探検隊救出の話を始め、発掘品を売るよう迫られた経緯をユウは話した。聞き終えたアルビンは深く同情してくれる。
「それは災難だったな。もし見つからなければ、こっちに売ってもらえたかもしれないのに。でも、まだ献上するよう求められなかっただけましなんだろうな。ところで、一体いくらで売ったんだ?」
「金貨100枚です。アルビンさんに売った半久の箱の値段を参考にしました」
「なるほど。ワシとの取り引きが役に立ったか。それは良かった」
「それで、ものは相談なんですけれど」
声を潜めたユウがアルビンに再び砂金を要求した。金貨の数がさすがに多すぎるのだ。事情を理解したアルビンは苦笑いする。
「ユウはワシから財貨を根こそぎ持っていってしまう気か?」
「人聞きが悪いですよ。ちゃんと対価は支払っているじゃないですか。差し引きはないはずですよ。それに、アルビンさんでしたらあの金貨はいつでも使えるでしょう」
「確かにな。わかった。用意しよう。トリスタンはどうするんだ?」
「たぶん同じです。呼んできますよ」
夕食が終わるとユウはトリスタンと共にアルビンの元を訪ねた。大金を扱うので人目に付かないようにこっそりとやり取りする。隊商側の者たちはまだしも、同行している冒険者や元冒険者に見られるのはあまり良くない。手早く事を終えると3人は集団の中に戻った。
翌朝、ユウたちとアルビンたちはお互いの安全を祈りながら別れる。冒険者と元冒険者は北に、隊商は南へと向かった。
ルインナルの基地を出てから4日目、ユウたちは昼頃に海水の川にたどり着いた。見た目は相変わらず普通の川である。その川のほとりに簡単な堀と柵で囲われた船場があった。
警護する冒険者が防壁の門を開けると中へと入る。
「あーやっとここまで来たなぁ」
「ソルターの町まであと少しだね」
荷物を地面に置いて背伸びをするトリスタンにユウは笑顔で答えた。やって来た船頭に渡し賃である銅貨5枚を支払う。安いのは良いことだ。
1度の船には乗りきれないので2回に分けて対岸へと渡る。先に元冒険者、次いで冒険者が船に乗った。
川の北岸で再び集まると船場を出て北に向かう。ここから先はほとんどが白っぽい地面が続く平原だ。
ここまでやって来ると集団の雰囲気は弛緩してきた。周囲は地平線の彼方まで視界をさえぎる物はなく、魔物の姿もまったく見えない。万が一現れたとしても奇襲されることはないので森よりも安心できる。それに、ソルターの町に近いというのが何よりの理由だ。
それはユウとトリスタンも例外ではなかった。目に見えない何かが近づいて来るというのなら話は変わってくるが、この辺りでそんな魔物の話は聞いたことがない。
地平線上に町の姿が見えると全員の表情が更に明るくなる。久しぶりの町まであと一息歩くだけだった。




