塩の大地で生きる森
今年も残すところあと数日という日の朝、ユウはトリスタンと共にソルターの町の南側にある郊外に向かった。三の刻に近いにもかかわらずまだ日の出前なので周囲は暗い。
今回はルインナルの基地へと向かう行商人6人の集団を護衛する。街道を往来する行商人が冒険者を雇うことは普通ないが、魔物の生息地である冬の森の中を行くとなると話は違った。往復で護衛をする冒険者2人とも挨拶を交わす。
後は出発を待つばかりだが、行商人の代表者が他の集団へと挨拶をして回っていた。街道のときと同じように基地を一緒に目指す人々である。同じ行商人の集団もいれば商売人が人足を雇っている集団もいた。
と、そこでユウは顔を止める。その商売人たちに見覚えがあったからだ。思わず近寄って声をかける。
「アルビンさん!」
「ユウじゃないか。お前も今からルインナルの基地へと行くのか」
「はい、あっちに集まっている行商人たちを護衛しながら向かうんですよ」
「あの集団か。さっき代表が挨拶に来ていたな」
「アルビンさんは向こうで何か商売をするんですか?」
「そのつもりだ。とりあえず運んだ品物を売って、良さそうな物を買えたらとは考えているがね。ともかく、向こうまで頼むよ」
白い息を吐きながらの会話が一段落するとユウはアルビンから離れた。
次いで近づいて来たバートがトリスタンに話しかける。
「まさかここで会うとはな。でも、あの遺跡に行くって言っていたから意外でもないか」
「アルビンさんも最初から向こうに行くつもりだったら再会するのは当然だろう。ところで、そっちは新しい冒険者を雇ったんだな」
「オレが雇ったんじゃないけどな。それでも3人来てくれたのは助かったぜ」
「全員専属護衛か? それとも片道だけ護衛するのか?」
「1人は専属護衛で、他の2人は冬の間だけって聞いてる」
「2人の方は遺跡に行かないのか」
「最近あそこから町に戻ってきたんだそうだ。秋頃までは稼げたが今はさっぱりなんだと」
「嫌な話を聞いたな」
「そいつぁ悪かった。でも、お前らだったら稼げるんじゃないか?」
隣で話を聞いていたユウがちらりと奥で固まっている冒険者3人へと目を向けた。目が合ったので会釈すると相手も手を上げて返してくる。その直後、行商人から呼ばれた。
慌てて行商人の集団の所へと2人が戻ると出発となる。しばらくすると地平線から太陽が姿を現した。
広大な遺跡に隣接するルインナルの基地に向かうには冬の森の中を歩くことになる。しかし、森に入ってすぐの場所には行く手をさえぎるかのように海水の川が横たわっていた。
この川は海水並に塩分濃度が高い川である。川の中にいる生き物は大体が海洋生物と似通っているが、その危険性で知られる採掘魚のように川固有の生物も多数存在していた。
そんな危険な川には現在急造の船場がある。この秋に作られたばかりだそうでまだ真新しい。周囲が簡単な堀と柵で囲われているのは魔物に襲われやすい冬の森の中にあるからだ。内側には数人の船頭と冒険者の姿があった。
集団の代表者が防柵の内側にいる冒険者に声をかけて簡易の門を開けてもらう。そこから集団は次々と中へと入った。船に乗るのに雪靴は邪魔なのでここで一旦脱ぐ。
全員を1回で対岸には送れないため、船は何往復もしないといけない。そのため、川を渡る人々は全員が渡りきるまで川の両岸で待つ必要があった。
その間、人々は暇潰しのためにしゃべる。ユウもそうだった。トリスタンがアルビンの雇った3人の冒険者と話をしている脇でバートと話す。
「こんな所でも船賃が取られるんだよね。徹底しているなぁ」
「オレもそう思うぜ。けどよ、その船賃がいくらか知ってるか?」
「え? 銀貨1枚じゃないの?」
「冒険者が素直にそんな金額を払うわけないだろう。この川だと船賃は銅貨5枚なんだぜ」
「ええ!? 安すぎない?」
「結構なことだろう? これも冒険者が散々抗議したからさ。何しろ以前は冒険者が自分で作った船や筏で渡ってたのに、儲かるとわかった途端にソルターの町主導で結成された船渡しギルドが銀貨1枚を要求し始めたんだ。納得できるはずもないだろ?」
「よく町が認めたね」
「最初の頃は川の向こう岸に行くのは冒険者だけだったからな。そいつらが船場を無視して相変わらず自作の船や筏で渡り続けたからだよ。普通なら町側は力ずくで排除しようとするが、オレたちゃ武器を持って戦える人間だからな。それに、冬の森の中は危険だから船場を作ったら護衛がいる。その護衛を誰が引き受けるって話もあったんだ」
「それで町が譲歩したんだね」
「そうさ。冬の森は冒険者の領域だからな。町の連中は簡単に手が出せないってわけさ」
「話はわかったけれど、バートはアルビンさんの専属護衛でしょ。冬の森は今まで関係なかったはずなのに、どうしてそんな我が事のように話すの?」
「まぁそういうなよ。同じ冒険者なんだからいいじゃねぇか。町の連中に思うところがあるのはお前も同じだろ」
苦笑いをするバートに問われたユウは曖昧にうなずいた。確かに思うところはあるのでそれ以上は何も言わない。
やがて全員が対岸へと渡りきると、再び雪靴を履いて歩き始めた。
冬期の冬の森は雪が深い。植生は針葉樹林なので雪が直接地面に降り積もるからだ。空は見えるものの、1日中曇っているととなると大した慰めにはならない。
川を渡り終えたユウたちは一列縦隊で進む。雪が積もっているので雪靴がないと埋もれてしまうが、その雪靴が木の幹や背丈の低い木の枝に当たって動きにくい。
そして、何人もの人々が森の中を歩いていると当然魔物に気付かれる。
「狂奔鹿だ!」
複数の集団の後方を歩くユウは前から聞こえてきたかすかな声を耳にした。すぐに自分の周囲を窺う。しかし、魔物が現れたのは前方だけのようだ。
前方から伝わってくる怒声や戦闘音を聞きながら後方のユウたちはその場で待つ。雪深いためにすぐには移動できないのと、後方にも護衛は必要だからだ。しかし、いつも待っているばかりとは限らない。どこにいても冬の森の中では魔物に襲われる可能性はある。
物音に気付いたユウはそちらへと顔を向けた。すると、突撃猪がやって来る。雪に動きが阻まれるのは魔物も同じなので動きづらそうだが、強引に雪をかき分けられる巨体をもつ個体はそれだけで厄介だ。トリスタンをはじめとした周囲の冒険者と協力して戦う。
集団の前も後ろも混乱に陥りつつも現れる魔物を撃退していった。途中で逃げてくれるのならばそれでも良いのだが、大抵の魔物は死ぬまで戦うので苦労する。
ようやく戦いが終わると隊列を整えて再び出発だ。先頭から順番に歩いて行く。処理できない巨体の魔物の死体はそのままにするしかない。少なくとも春先までは凍り付いてそのままだろう。
空が朱くなると野営だ。平地ほどではないが森の中でも風は吹くので冷え込みは厳しい。そのため、雪を掘って風よけの場所を確保し、掘り出した雪で風よけの壁を作った。
焚き火をするための枝木集めは意外に苦労する。何しろ何もかもが雪に埋もれているからだ。しかも掘り出せても湿っていて使い物にならない。まだ伐採した枝木の方が使えるというくらいの湿り方をしている。森の中であっても薪を集めるのは大変なのだ。
それでも何とか使える枝木を確保して火を熾し、温かい夕食を取る。森の中に入ってから最も幸せを感じる瞬間だ。
食事が終わると1日が終わる。商売人や行商人、それに人足は明日に備えて眠った。冒険者は順番に夜の見張り番をこなしながら横になる。
1度眠りについたユウはトリスタンに起こされた。寒さに震えながら起き上がる。
「うぅ寒い。トリスタン、異常はあった?」
「寒いだけで何もなかった。それじゃ、後は頼むぞ」
交代で夜の見張り番に就いたユウは周囲を眺めた。近くにある焚き火が弱々しく燃えているので薪をくべる。近づけばぼんやりと温かいが体の芯を温めるまでには至らない。
腰から巾着袋を取り出したユウはその中に手を入れて指先の物を舐める。魔塩だ。甘く感じる。体を温かくするよう願うと内側から温かくなった。
ある程度寒さから解放されたユウは大きなため息を吐く。白い息が盛大に焚き火へとぶつかった。その端から消えてなくなる。これで見張り番を務めている間は大丈夫だ。
しばらくじっとしていると、別の場所から魔物の襲撃を知らせる声が上がった。眠っていた冒険者は一斉に起き上がり、商売人や人足は不安そうにそちらを眺める。
見張り番を担当しているユウはその場を動かない。一方、起き上がったトリスタンは戦っている場所へと向かってゆく。
明日は寝不足になりそうだとユウは何となく思った。




