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 生家はたくさんの使用人がいたが、ルアルが部屋から出て一人で廊下や庭を歩くと、そこにいたはずの使用人たちはどこかへ隠れてしまう。

 身の回りの手伝いをしてくれる使用人は決まっていて、怖々と接してくる者、まるで汚いものを見るような目で見てくる者のどちらかだった。

 怖々と接してくる使用人はまだいい。何もされないから。

 一部の使用人からは、見えないところで酷い扱いをされていた。


 それでも、母親だけはルアルの味方だった。

 母親もあの屋敷の中で肩身の狭い思いをしていたのだと、今のルアルには分かる。

 だけど、いつも守ってくれていた母親が亡くなり、寂しくて寂しくて、孤独に耐えられなくなった。


 屋敷の敷地の外に出たのは、母親と内緒で出掛けた一度だけ。

 それでもどうしようもなく母親に会いたくて、お墓に行きたくて、父親の言いつけを破って外に出た。使用人の心の声でお墓が墓地のどこかにあることは聞いて知っていたから。


 ルアルは母親の眠るお墓に行きたかったが、墓地の場所は知らない。

街を彷徨った挙句、人混みの中で転んでしまう。

 その拍子に、ローブのフードが脱げてしまった。


 一瞬にして周りにいた人が距離を置き、一人一人の声も心の声も聞き取れないくらいに否定的な言葉で頭の中が塗りつぶされていく感覚になった。

 転んだまま顔だけ上げて呆然としていると、誰も手を差し伸べてくれないどころか、石を投げられた。

一人が石を投げると、追随する人がどんどん増えていく。

石やゴミ、罵声を浴びせられる恐怖。

 痛みと恐怖でうずくまるしかなかった。


ピッピが気を引いてくれたようで、一瞬人々の気が逸れた。

 その隙にルアルはその場から逃げ出した。


 探しに来ていた使用人によって、攫うように馬車に押し込められた。

 屋敷に戻ったルアルを待っていたのは、怒り狂った父親と小さな馬車。


『あの女の言葉を信じて生かしておくのではなかった……。仮にも領主の娘が忌み子だと知れ渡ったら。死産だったと思われていた子供が生きて、しかも忌み子だと知られたら、私は終わりなんだ!このままでは私の人生もこの家も終わってしまう!我が家との関係を疑われる前に、お前は消えろ!今ならまだなかったことにできる――――』




 ……ルアルが小屋に閉じ篭もり、どれくらい経っただろうか。

 目を閉じても耳を塞いでも、捨てられたあの日とこの町の人々の視線や声が重なり、身体が震えてくる。


〈ルアル!そろそろクッキーを作ってくれ。もう何日も食べてないぞ〉

「……ピッピ…………」

〈ルアルも何か食べないと倒れるぞ!人は簡単に死ぬんだからな!分かってるのか!?〉

「……わかってるけど…………」

〈ほら!とりあえずこれを食べろ!早く!俺が取ってきたんだから、食べてみろ〉


 ピッピが山葡萄を咥えて差し出す。

 ルアルは促されるまま一粒口に入れた。


「……っ……すっっっぱい……!」

〈山葡萄がすっぱいのは当たり前だ!少しは刺激になっていいだろ!?今のルアルにはな!〉

「…………」


 それから毎日、ピッピはルアルのところに山葡萄をはじめとした木の実や果実など山の恵みを届けた。時折、とてもすっぱい果実を混ぜて。

 そして、毎日ルアルを叱咤し続けた。

 ピッピの〈クッキーが食べたい〉という催促がうるさすぎて、気づけばクッキーも毎日作るようになった――――


「……今日もすっぱいよぉ…………」

〈良かったな!すっぱさを感じるってことは、今日もちゃんと生きてるってことだ!〉

(……生きている。確かに生きている)


 しばらくの間、あまり食欲がなく料理も作る気になれなかったルアルは、少し痩せてしまった。

しかし、ピッピが毎日せっせと食べ物を運んでくるおかげで、ルアルは生きながらえている。

最近ではピッピ用のクッキーを焼くついでにパンも焼き始めた。


「……あれ?そういえば、ピッピってどうやって小屋の中に入ってきたの?」


 今まで、ルアルが小屋のドアを開けないと室内に入ってくることはなかった。

 普段、ピッピは外で自由にしている。

 今まで一度も自分で小屋の中に入ってきたことなどなかったのに。

今は――実際には少し前から、当たり前のようにテーブルの上にいる。


〈今頃気づいたのか!?この数カ月ずっと小屋の中まで来ていたぞ〉

「……そう言われてみれば」


 そんなことにも気づかないくらい、ルアルは自分の殻に閉じこもって余裕がなくなっていた。


〈小屋のドア位、嘴や足で開けられるぞ〉

「そうなんだ……知らなかった」

〈まぁ、わざわざドアを開けなくとも、壁をすりぬけることも容易いけどな!〉

「えっ!?壁をすり抜けられるの!?」

〈俺は高位の精霊だからな〉

(精霊……)


 ピッピが自分のことを精霊と言うのを、ルアルはこの時初めて聞いた。


(当たり前だけど、自分が精霊だと分かっていたんだ。分かっていたなら、もっと早く教えてくれても良かったのに)


 リシャールから精霊だと聞かされた時は驚いた――と記憶が蘇ってきて、首を振る。

 思い出したくないと思ってしまったのだ。

 彼との出会いを忘れたいわけではない。

 だけど、知らなければ良かったと思う。知らないままなら、こんなに寂しい気持ちや虚しい気持ちになることはなかった。


「精霊……って、いつから自分でも分かっていたの?」

〈何言ってるんだ?初めからに決まってるだろ〉

「だよね……そもそも、精霊の初めって何?生まれたてってこと?」 

〈うん。俺はルアルの母親についていた精霊から生まれた〉

「えっ!?お母様?お母様にも守護精霊がいたの!?」

〈うん。だから、ルアルが生まれたんだぞ〉

「だから、って何?」

〈ルアルは一度、母親の腹の中で死んでる。あの父親に突き飛ばされてな〉

「え?」

〈だけど、腹の中の子の命が尽きたことを悟った母親が嘆き悲しんだ。それを見ていた守護精霊が力を使ってルアルの命を蘇らせた。結果、守護精霊は力の多くを失って長い眠りについた〉

「…………」

〈微かに残った力を受け継いで生まれたのが、俺だ!〉

「…………」

〈分かったら、強く生きろ!!ほら、立て!〉


 ピッピがツンツンと嘴でつついて小屋の外へと誘導する。


「痛いよ、やめて」

〈アンヌが森の中を彷徨ってるぞ!〉

「……えっ!?」

〈ルアルの家を訪ねてこようと森の中に入ったんだ〉

「拒絶の魔法陣を仕掛けてあるし、森の入口に戻るんじゃ……」

〈アンヌはルアルの作った魔法陣を持って森に入ったようだ〉

「何か関係あるの?よく分からないんだけど」

〈ルアルの魔力を感じられるものを持っているから、拒絶の魔法陣が中途半端に作動して、アンヌは昨日から森の中を彷徨っている〉

「っ!?そ、そういうことは早く言って!!アンヌさんは、今どこにいるか分かる?」

〈うん。分かるぞ〉

「案内して!今すぐに!」


 ◇


 ピッピに案内された先には本当にアンヌがいた。

 それも、普通なら迷うはずのない森の入口に程近い場所で。木の根元に蹲っていた。


「アンヌさん!大丈夫ですか?」

「……あ、ルアルちゃん。良かった……心配したのよ。急に来なくなっちゃうから(……良かった、ルアルちゃん生きてた)」

「……ごめんなさい」

「やだ、謝らないで(痩せたわね……)」

「あの、とりあえずこれ。飲んでください」

「ありがとう」


 まだ使える材料で作った栄養剤をアンヌに渡して飲んでもらうと、青白かった顔色が良くなってきた。




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