表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
136/137

 無き勇者の代理人 前編

田中優真に代わりまして新主人公がミケガサキのその後を長々とお送りします。

海の匂い。カモメの鳴き声。声を張り手を叩いて客寄せする、市場特有の賑わい。


「眼鏡、眼鏡…」

「うわっ、海くせぇっ」

「人沢山〜」


三者三様、全く見知らぬ場所にいるというのに、僕を含め、この異様に危機感の欠落したコメントは何なのだろう。まぁいいや。今は眼鏡を見付けるのが先決だ。


「あっ、あった。僕の…めが」


バリンッ!


ね。


「あああああっ!」

「…ん?」


厄日だ。今日は厄日に違いない。知らぬ間に見知らぬ場所にいるし、眼鏡は踏まれて割れるし。

というか、そもそも何でこんな所にいるのだろうか?僕等は普通に部活動を終えて、久しぶりに三人で帰っている途中だったはずだ。


****


―数十分前。三嘉ヶ崎高校情報教室にて。


茜色に染まる空を窓越しに見つめながら、パソコンの電源を落とす。

フェイドアウトした真っ黒な画面にぼんやりと映るのは、これまたぼんやりとした華のない平々凡々な自分の顔。

一宮肇いちみや はじめ。三嘉ヶ崎高校二年、パソコン部所属、部長。自他共に認める、クラスに一人はいる根暗眼鏡である。

自分で言うのも何だが、成績は割と良い。反面、運動はかなり苦手だ。

根暗眼鏡で成績が良くて、パソコン部部長。これらを総合し、貼られるレッテルは決まって優等生かキモオタのどちらかである。まぁゲームは割と好きだから、キモオタという単語も遠からず無縁でなくなるかもしれない。

それだけで既に嫌悪されているのに、更に人見知りによる無口が相まって友達は少ない。

そんな僕にも、何の偏見もなく、分け隔てなく接してくれるかけがえのない友人がいる。


時刻は午後六時。文系部活動終了時間だ。せかせかとPC用ゲームソフト『勇者撲滅』を鞄に詰め込み、部室に鍵をかけると鍵をポケットに突っ込む。部活動用の鍵だし、パソコン部部員は僕と、幽霊部員の一年が一人いるだけだから僕が鍵を持っていても問題ない。

早足に部室を後にし、向かった先は調理室である。


「あっ、いっくん。ちょっと待ってて。すぐ片付けるから」


彼女が先程説明したかけがえのない友人の一人であり、僕が昔から密かに恋心を抱いている幼なじみの桜森鈴音さくらもり すずね

料理部副部長で、小柄で童顔。身長も低いことからよく中学生に間違われる。

超がつく程の天然ガールだが、そんなところもまた可愛い。


調理室にはほのかに甘い香りが漂っている。ホワイトボードに目をやると、マドレーヌの作り方が書いてあったから、この甘い香りはマドレーヌの焼けた匂いなのだろう。


「マドレーヌ作ったの?」

「うん。でも、ちょっと目を離した隙にまた綺麗さっぱり無くなってたよ!」


無邪気に笑う鈴音をよそに僕は溜め息を吐き、窓の外を見た。外ではテニス部が試合をしている。

調理室は一階。テニスコートのすぐ側にある東棟の一番奥の教室だ。そして、調理室の窓は換気の為常に開いている。また例の如く、テニス部の奴らが盗んで行ったに違いない。


「…で、もう一度焼いたんだけどね、それはたまたま調理室に顔を出してくれた他の生徒にあげちゃったからまた作ったら、こんな時間になっちゃった」

「たまたま、ね…」


昇降口にて靴に履き変えながら、鈴音は言う。この鈍感ぶりには苦笑せざるおえない。

鈴音は自分が如何にモテているかに気付いていない。才色兼備、成績優秀、眉目秀麗。男女問わず誰にでも優しく、鈴音見守り隊というファンクラブさえあるほどの学校中の人気者だ。

正直、そんな鈴音と一緒に帰るなどファンクラブの人間に闇討ちされかねないが幼なじみという間柄、鈴音から帰ろうと誘われた時のみ容認されている。


「だいちゃん待ってるかな?」

「えっ、あぁ…大紀?流石にもう帰ってるんじゃ…」


大紀とは、僕の大親友である信川大紀のぶかわ だいきのこと。

僕とは対極で、彼はルックスが良くスポーツ万能。欠点を挙げるとするなら、頭がすこぶる悪いことと短気の二つに限る。しかし、リーダーシップにおいては彼の右に出るものはなく先生、先輩、クラスメートから絶大な人気を誇る。


「ったく、おせーよ!五分遅刻だっつーの」

「ごめん。というか大紀、いつもならとっくに帰ってる時間だろう?」

「今日はテスト赤点者の補習だったんだよ。よりによって、キー先の化学」


そう言って補習風景を思い出したのか、大紀は途端にげんなりとする。


「紀伊野先輩の化学のテストはあれでも選択肢多い方なんだから、ちゃんと復習すれば点取れる問題ばかりのはずだけど?」

「いーんだよ、別に。いくら勉強したところで化学は絶対に解けねぇから」


そんな大紀をよそに、鈴音は鞄から何かを取り出し、大紀の口に躊躇なく突っ込んだ。甘い焼き菓子の匂いが鼻孔をくすぐる。


「ぐふっ!」

「マドレーヌだよ。勉強に疲れた時には甘いものが一番なんだって。はい、いっくんもどうぞ」

「う、うん。ありが…」

「あっ、吉田センパイっ!」


……フリーダムだ。負けるな、頑張れ、僕。あれ、何だかマドレーヌがしょっぱく感じるぞ。

校門を出てすぐの葉桜になりつつある桜並木の坂を下った先の交差点のところで誰かが信号待ちしている。

両方2.0という恐るべき視力を誇る鈴音は誰だか分かったらしく、坂を猛ダッシュで駆け降りて行った。信号待ちしていた人物は、猛ダッシュで坂を駆け降りていく鈴音に気付いたようで小さく手を振っている。


「鈴音ちゃん。今、帰り?」


艶やかな黒髪にふっくらしたショートヘアがよく似合う。三嘉ヶ崎高校三年、吉田雪先輩だ。確か、鈴音と同じ調理部の部長だったか。かつ、剣道部にも所属しているらしい。

鈴音が可愛い系の女子なら吉田先輩は品格ある洗練された美しさとでもいうのか、とにかく美女である。


「はい。吉田センパイもですか?良かったら一緒に…」

「ごめんね。ちょっと待ち合わせしてて。…まだ補習してるのかな?」

「悪ぃ、雪。待たせたっ」


肩で息しながら吉田詫びをいれるこの人は、岸部太郎先輩。本人曰く地毛だと主張する白髪を背中まで伸ばし、学ランを着崩す姿は昭和の少年暴走族、またはヤンキーに等しいが、見た目ほど悪い人ではない。寧ろ全くの逆で、捨て猫を拾う、困っているお年寄りに手を差し延べるなど地元では結構有名な好青年だ。

岸部先輩の白髪はまさに蜘蛛の糸だと有り難がられるらしく、元より学校側も服装・頭髪に関しては厳しくないので問題視されていない。

破天荒…いや、ダークヒーロー的な外見と内面のギャップに女子は色めき立つし僕には理解できないが、男子の間では憧れの的だ。

大紀も捻くれた性格故、本人を前にすると憎まれ口ばかり叩くが、結構尊敬している。


「ううん。私もさっき着いたばかりだよ」

「センパイ方はこれからデートですか?」

「おいっ、すずっ」


いくら周囲も既知のカップルだからといって、内情に踏み込むのは流石に野暮というものではないか。

大紀が鈴音のあまりにダイレクトな発言に口を塞いで阻止するが既に手遅れ。

先輩方は後輩の不躾な質問に怒るわけでもなく平然と頷いた。


「おう。図書館で勉強して夕飯食いに行く。んで雪ん家まで送って帰る」

「吉田先輩、お父さんがよく許しましたね。もしかして親公認の付き合いですか?」

「お前も何さりげなく探り入れてんだよっ!」

「公認云々以前に、私に彼氏がいること自体知らないよ。此処最近は、宅配の仕事が終わったら直ぐに自室に篭ってパソコンしてるもの」


どうフォローして良いか分からず、気まずい沈黙が流れる中、場の空気を取り繕うように大紀が口を開く。


「しっかし、雪先輩の彼氏が岸部先輩とは…。本当に良いんすか?」

「…心配すんな、俺は雪の本命じゃねーよ」

「えっ、雪先輩。まさかのふたま…」


大紀が言い切るまえに鈴音がさりげなく、しかし思いっ切り足を踏んで阻止する。


「ん〜、何て言えば良いんだろう?よく覚えてないけどね、昔は君達みたいにもう一人誰かがいて、ずっと三人一緒にいた気がする。私は今でもその人が好き。だから岸部君は二番目。でも、岸部君のことも好きだよ?二番目だけど」


"二番目"をやんわりと笑顔で強調する吉田先輩の発言を気にする風なく岸部先輩は普通にしている。


「岸部先輩、男のプライド的にそれはアリなんですか?」

「別に、俺もそいつのこと嫌いじゃねーし、雪とそいつが幸せになるんなら祝うに決まってんだろ。お前、仮に親友が自分の想い人と幸せになったら祝わないのか?」

「正直、微妙です…」

「まぁ、それが当然の反応なんだろうよ。多分、そいつがあまりに自分の幸福というかチャンスを犠牲にしてまで誰かの為に頑張るから、俺としてはそいつに幸せになってもらいたいのかもな。心境としては、四十過ぎにもなって結婚しない息子を持つ親の気持ちに近い」

「は、はぁ…。そうですか」


いまいちピンと来ない心境に、僕は曖昧な返事で茶を濁す。


「それに、故人をいくら想ったところで報われないでしょう?第一、相手の顔も名前も覚えていない。でも好きだからって我が儘で、私のことを想ってくれる人の気持ちを無下にするのは駄目なの、分かってるから。

あぁ、勿論、いくら私のことを想ってくれているからといって誰でもオーケーってわけじゃないよ?だから今のところ、岸部君は暫定一位の二番目想い人」

「まっ、今は二番でも、何れ一番を勝ち取って絶対惚れさせてやるから覚悟しとけよ?」


岸部先輩はにやりと意地の悪い笑みを浮かべ、真っ直ぐに吉田先輩を見ながら、そんな照れ臭い台詞をさも当然のように宣言して、彼女の手を引き、去って行った。


「いいな〜。青春〜」

「…ありゃ、落ちるのも時間の問題だな」

「だね…」


岸部先輩は気付いていただろうか。吉田先輩が夕日に負けないくらい赤面していたことに。

…そしてこの二人は気付いているだろうか?先程から僕等の足元に円の中に描かれた五芒星を中心とした何やら複雑な図形、俗にいう魔法陣というやつが展開されていることを。

最初は大きさ的にマンホールかと思っていたが、今では居間に敷く絨毯並に範囲が拡大している。これは…そろそろヤバいのではないか?誰が標的かは知らないが、巻き込まれるのだけはごめんだ。


「あのさ、」

「なぁ…」


どうやら大紀も気付いていたらしく、互いに顔を見合わせた。鈴音はそんな僕等を不思議そうに見て、ふと視線を地面に落とす。


「あっ、二人とも!足元にミステリーサークルっ!」


その言葉を合図に、魔法陣はまばゆく輝き出す。あまりの輝きに目を閉じた瞬間、ゆるやかな浮遊感が僕等を襲った。

気付いた時には、三人揃って見知らぬ場所で、カモメの嗤い声を聞きながら呆然と尻餅をついていたのだ。


―…そして今に至るのである。


「成程。一文の得にもならない情報だと言うことは理解出来た」


眼鏡を割った女性はマルチェと名乗り、僕等をカフェと酒場を足して割ったような不思議な店へと連れて行ってくれた。かと言って何かを奢るわけでもなく、自分だけいつの間にか頼んだコーヒーを啜りながら僕等の話を聞いていた。そして聞き終わっての第一声がこれである。


「とは言え、召喚された向こうの住民に出くわした場合、こちらの世界を説明するのが義務付けられているからな。仕方ない…」


マルチェさんはそう言って渋々説明し始めた。

この世界は僕等がいた三嘉ヶ崎市とは全く違う世界、異世界であり、五つの国が存在すること。その内の一つが此処、ミケガサキ王国であり、今いる場所はミケガサキ第三十二区で、この不思議な店は『バーチェ商会』という商人達が互いに情報交換する店であることなど…。


「で、俺達は何で此処に来ちゃったんすか?」


それをこの人に聞いたところで解答が得られるはずがないと思ったが、彼女は殊の外物知りのようだ。


「銀貨三枚」


情報料を要求してきた。


「い゛っ…!?金取るんすか?」

「当たり前だ。情報を提供してやるんだ、然るべき対価を払うのは当たり前のことだろう?」


「この世界に親切、思いやりの言葉は存在しないと今確信した」

「…で、大紀。どうする?」


マルチェさんは無言でコーヒーを啜っている。特に異論はないようなので、近くにいた体格のよい男性達に声をかけてみる。


「あの、大体の事情をお聞きになられていたと思うのですが、タダで…」

「銀貨五枚」

「俺だったら銀貨四枚だな」

「金貨一枚!」

「おいおいっ!お前、流石にそれは取りすぎだろ?」

「バレたか。なら、銀貨三枚と銅貨五枚な」


などと青ざめる僕等そっちのけで、仲間同士で金額を話し合っていた。

後で知ったことだが、こちらの世界では金や銀などの金属類から宝石までが豊富にあり、毎年、数多く出回っているため、貨幣である金貨や銀貨の価値が下がり、物価が高騰しているらしい。


「だいちゃん、百円は?」


半ば諦めかけて戻ってきたその時、鈴音がぽんっと柏手を打ち提案する。


「その手があったか!…一人百円ずつな」


そんなこんなで無事(?)マルチェさんの前に百円玉を提出した僕等だったが、彼女の顔付きは更に険しくなった。


「何だこれは…。純銀ではないな。何か他の金属で嵩増しした貨幣か…」

「だ、駄目ですか?」

「まぁいい。今回はこれで妥協してやる。お前等の話から導き出される答えとしては、女神の仕業の可能性が濃厚だろう。恐らく、お前等の内の誰かが『勇者』なんだろうな。…城に行け。事情を説明すれば取り合ってもらえるはずだ」

「あの、僕の眼鏡は…」

「あぁ、そうだった。此処を出て真っ直ぐ進めば、闇市のあるミケガサキ第三十一区に着く。闇市があるからと言って治安が悪いわけでもないから安心しろ。表は領土争いでも勃発しない限り、さして身に危険が迫ることはない。そこに二軒、古びた煉瓦の建物があり、その隙間の路地が入口だ。恐らくそこに売っているだろう。この紙を渡せば譲ってもらえるはずだ」


幸運を祈ると絶対に思っていないであろう言葉を送り、マルチェさんは商談相手を待たせているからと僕等の前から去って行った。


「ったく、何が『バーチェ商会』だ!ぼったくり紹介の間違いだろ」

「右同じく大紀に同意。人間、ああはなりたくないものだね」憤慨やる方ない思いで商会を後にした僕等が向かった先は勿論ミケガサキ第三十一区であり、潮騒の音に耳を傾けたり、軽く市場を見回るなどプチ観光気分で辺りを右往左往しながら彼女の言う建物を何とか発見することが出来た。

路地というよりは隣接する建物の隙間といった方がしっくりくる。そして、その路地は昼間とは思えないくらいの濃い闇に包まれていた。

壁を頼りに先へ進むと徐々に道幅が広がり、ついには三人で横に広がって歩くことが可能なまでになり、道の端々に浮浪者ホームレスらしき人々が壁にもたれ掛かるように横たわっているのが目に留まるようになる。


「何か、お化け屋敷みたいだね!」

「いや、これはちょっと…なぁ?」

「雰囲気出過ぎっていうか…。ぱっと行って、さっさと城に向かおう。こんなことなら何か明かりを…」

「それなら、携帯の明かりを使えば良いんじゃないかな?」


鈴音がポケットから携帯を取り出た瞬間、がしりと大きな手が鈴音の華奢な腕を掴んだ。途端、腐敗臭にも似た悪臭が鼻につく。


「兄ちゃん達、それは野暮ってもンだぜ」

「ひっ…」


小さく悲鳴を上げる鈴音に大紀が一歩前に出て拳を握る。


「闇市に明かりを灯すなんざぁ…俺達に死ねと言っているようなもンだぁ。アンタら、郷に入らば郷に従えって言葉知ってるか?

此処には此処のルールがある。明かりなンざ、灯すンじゃねぇ」訛り言葉で男は言い、鈴音を掴んでいた手を離すと黄ばんだ歯を見せて笑う。


「情報料、キン一枚な」


大紀は握り拳を解き、困ったようにボリボリと頭を掻く。


「いやぁ〜…、俺ら、玉はあるけど金は…ねぇな」

「ガハハハッ!それは困った。じゃ、死ぬか」

「ぐぁっ!」


鈍い銀色の光が闇を横切る。同時に大紀が痛みに呻く声が不気味に響く。


「大紀!?」

「だいちゃんっ!」


僕の叫び声と鈴音の悲鳴が重なる。大紀のすぐ側にいた鈴音は駆け寄ることが出来るだろうが、この暗闇で、尚且つ視力の悪い僕なんかは全く見えない。迂闊に動く訳にもいかないが、かと言って相手は凶器を持っているのだ。


「死ねぇぇぇぇっ!」


怒声がすぐ近くから聞こえてくる。逃げようにも足は地面に根を張ったかのようにぴくりとも動かない。


もう駄目だっ…!僕は死を覚悟した。しかし、いつまで経っても痛みはやって来ない。


「全く…。怪我はありませんか?」


ドタッと何かが倒れる音。さっきの男とは別の声が上から降ってくる。


「た、助かった…?」

「助けない方が良かったですか?」


誰だか知らないが、助けてくれたようだ。

安堵の息きを吐いているとまた別の声が聞こえてきた。今度は女性…というより品のある喋り方の女の子の声である。


「こら、ノーイ。皆様、お怪我はありませんか?」

「大紀…友人が、切られたみたいで」

「こちらの方ですわね。良かった、深い傷ではないようで安心しましたわ。手元に治療用の『魔具』がないのが悔やまれますけど、幸い此処は闇市ですし、"仲立ちブローカー"が譲ってくれることを期待しましょう。今手当てしますわね。此処では少し見づらいので、少し移動しましょう」


この暗闇の中でも、二人はしっかりと見えているようで何の迷いのないしっかりとした足取りで僕等を誘導してくれた。


「アンタら、一体…」

「あぁ、いけない。私としたことが申し遅れましたわ、私はノワール。こちらは従者の…」

「ノーイ・ヌル・フランクリンです」


ノワールの声は僕よりやや低い位置から、ノーイさんの声は僕より遥かに身長が高いようで上から降ってくるように聞こえる。


「僕は一宮肇です」

「桜森鈴音です。こっちは幼なじみのだ…信川大紀。助けていただき、本当にありがとうございます」

「それでですね…、あの、その申し訳ないんですが…」

「?」

「―…僕達、お金持ってません」


しばらくの沈黙。それは、この二人が僕の発言の意味することを理解しあぐねていたからである。


「で?」

「助けてくれたお礼とか、治療費を支払えないのですが…」

「お代は要りませんわ。私達が好きでしたことですから」

「しかし、解せませんね。何故あなた達のような一般市民、しかも異世界の者がこんな所をうろついているのです?

たまたま我々が通り掛かったからこそ大事には至りませんでしたが、あと少しでも遅れていれば確実に死んでいたでしょうに」

「ノーイっ!」

「此処なら眼鏡が手に入ると言われて…」

「はっ?眼鏡?先程、金を持っていないと言っていたではありませんか」

「これを渡せば譲ってもらえるはずだと言われて来たんですが…」


マルチェさんから預かった手紙とおぼしき紙を前に差し出すと、二人のどちらかが手紙を受け取る。


「あら、私達が今から行こうとしているブローカーの名前ですわね」

「ふむ…。どうやら脅迫文のようですよ。可哀相に」

「人の良い、優しい殿方ですからこんな手紙を渡さずとも事情を説明すれば譲ってもらえるでしょうけど」

「姫様、私は?」

「論外」


闇の中でも、ノワールが微笑んでいる姿が何となく分かる。


「あ、あんな男の何処が良いのです!?おめかしして毎日のようにこんな不衛生な場所に通って、高価な魔具を買うなんぞ、何れお父様にバレたら…あぁ、恐ろしい。

姫様や私と目を合わせようともしないし、あんなのより私の方が良いに決まって…」

「さて、皆様ついて来て下さいませ。私がご案内しますわ」

「ノーイは一生貴女様についてっ…ぐふぅっ!」


暗闇の中を鈍い音が響き、やがては静寂が訪れる。


「あの、良いんですか?あの人を置いて行ってしまって」

「大丈夫、日常茶飯事ですわ」


あまりの静寂に心配そうに鈴音がノワールに尋ねるがどこ吹く風だ。


「なんで、闇市には明かりをつけてはいけないんだ?」

「…闇市ですから。入口は見て通り真っ暗ですが、此処ら辺はそうでもないでしょう?場所によっては時に太陽だって顔を覗かせますし、彼等は特に明かりを必要としないのです。

…此処には色々な人がいましてよ。犯罪者、孤児、奴隷売り…。皆、表では生きられない様々な事情を持っています。だからといって此処で何をしてもいいと言う訳ではありませんわよ。自分の欲を満たしたいがだけの犯罪者や金を儲けたいがための奴隷売りは当然、裁かれるべき存在ですわ。しかし、孤児達は違います。お金も親もない、虐げられて逃げ出した子、捨てられた子、そういった行き場をなくした子達の拠り所が闇市。中には光を嫌う子供もいますし、光に当たってはいけない病気の子供も存在しましてよ。

それに、都市伝説とでもいうのかしら。闇市で特定の場所以外で不用意に明かりを点けたら闇市が消えるって噂があって、皆結構信じてますの。…此処ですわ」


案内された店は、貨物用の木箱を二つ並べ、上に目の粗い布を敷いただけの簡素な出店だが闇市ではどうやらこれが主流のようだ。

店主とおぼしき黒いマントのような衣装で全身を包んだ男がノワールに気付き顔を上げた。目深に被っているフードのせいで顔は見えないが、顔を上げた拍子に銀ともとれる白髪が一房垂れる。


「おや、今日も買いに来ましたか…。残念ながら、店主はお休みですよ…」

「あら、それは本当に残念ですわ。大丈夫でして?」

「さぁ…?駄目な時はそれまでって感じです…」


それは大分瀬戸際なのではないだろうか。


「それで、今日は何をお求めですか…?店主曰く、今日は質が悪いから安くするとのことですよ…」

「では、治癒の魔具をいただこうかしら。あと移動用の魔具も」


男は頷きもせず、布の上にいくつかの銀のネックレスや指輪を並べた。

一見、質素とも言えるシンプルな装飾品であるが結構精緻な造りで、素人の目では材質も悪くない気がする。


「装飾品?」

「えぇ。これが魔具ですわ」


鈴音が目を輝かせながらノワールが手に取った指輪をまじまじと見つめる。


「…そのなりは、あちらの世界の…。何か買われます…?」

「あ、あの、此処では眼鏡って、売っていますか?これで譲って欲しいのですが」


恐る恐る手紙を差し出すと男はゆっくりと手を伸ばし、病人のような白く細い指でつまみ上げる。


「ほぅ…。脅迫文ですか…」

「ひぃぃっ!!!」

「まぁ、良いでしょう…。ほれ、さっさと受け取りなさい…。

影の王曰く、会心の出来だそうで…。買い手がいなければ自分が使うとまで言って中々売り場に出さなかったのですが、手に入って良かったですね…」


遠回しによくも買ってくれたなと言われているのだろうか、これは。


「影の王って?」

「……店主のニックネームですよ…。何せ、影のように暗くじめじめした男ですからね…」

「"魔導師"、"仲立ち人"、"影の王"…。一体、いつになったら本当の名前を教えて下さるのかしらね」

「今はもう、あの人に本当の名前なんて存在しませんよ…。なんなら適当に命名してみては…?人案外喜ぶと思いますけど…」


馬鹿、塵、カス…指を折り数えながら男はフードの下で気味悪く微笑みながら、そう言ったら泣いて喜んでくれましたよ…と呟く。

見も知らぬ店主が、何だかとても哀れに思えてきた。


店を後にし、闇市を抜けるとノワールは買ったばかりの銀のネックレスを大紀の前にかざす。すると、銀がまばゆいばかりの輝きを放ち、傷はまるでその光に退くように癒えた。


「な、治った…。ありがとな、えーっと、」

「ノワールですわ。どういたしまして。そうそう。皆様、異世界から来たのでしたら、もう城には行かれたのですか?」

「眼鏡を手に入れた後、行こうと…」

「まぁ!よろしければ城までご一緒しませんこと?私達もミケガサキ城に行くつもりでしたの。大丈夫、勿論、お金は取りませんわ」


「あの男の人…ノーイさんがノワールを姫様って呼んでいたのは、もしかして貴女がミケガサキ王国の」


僕が言い切る前にノワールはやんわりと否定した。


「いいえ、姫は姫でも、私はミリュニス王国の姫君。今日はミケガサキ王国で勇者召喚の儀があるから一目見ようと思って」


多分、目の前にいるのがそれによって喚び出された勇者なんですけどとは口が裂けても言えそうにない。


ノワールの好意に甘えることにして、移動用の魔具とやらの効力で僕等はあっという間に城の前に到着した。


「タクシーなら七百円は軽いな。これが向こうにもあれば絶対遅刻しねぇのに」


などと呟く大紀をよそに、ノワールとノーイさんは門の前をうろうろと忙しなく歩き回っている赤毛の騎士に声をかけた。


「お久しぶりですわね」

「ノワール…王女とノーイ殿。欠席のはずでは?」

「ノーイでいいと言ってるでしょうに」

「私もノワールでよろしくてよ、カイン・ベリアル騎士隊長。敬語も結構。今、此処に貴方がいるなんて珍しいですわね。アンナさんはお元気でして?」

「こちらこそ、カインで結構。ちょっと、色々あってな…。アンナ…教官の方も相も変わらず。今日も訓練所の方にいると思うが」

「まぁ。まさかとは思いますが、あの身体でまだ剣を振るってはいませんわよね?」

「……アンナがどんな性格かはノワールもよく知ってるだろ。恐らく…」

「………確か、訓練所の方でしたわよね。予定変更。ノーイ、今すぐ訓練所に向かいますわよ」

「了解しました」

「悪いな、助かる。今度城に来た際には勇者と談話出来るよう手配しておく」


ノワール達を見送ったあと、はぁっ…と深い溜め息を吐いて赤毛の騎士は僕等の方を向いた。


「その、アンナさんって人がどうかしたんすか?お体が弱かったり?」

「いや、妊婦だから無理は禁物なだけでって…お前達は誰だ」


どう説明するべきか躊躇していると、すっと大紀が一歩前に出る。


「えぇいっ!頭が高い、控えおろう!何を隠そう、この俺がゆう…」

「斬り殺すぞ、ガキ」

「さ、さーせん…」

「あの、僕等は今日三十分前くらいに突然此処に飛ばされてきてしまったんですけど…。マルチェって女の方に城を訪ねろと言われて来たんですが」


僕の言葉に赤毛の騎士は怪訝な顔をして顎に手を当てて少し視線をそらす。


「何か、違う…」

「え?」

「…いや、こっちの話だ。とりあえず、そうだな…。ようこそ、ミケガサキへ」

最終回で出せなかった面子を出す為のお話です

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ