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第十七話 未来への第一歩

冬季中旬。昔でいう仲冬というやつである。白く弾む息もそろそろ見納めかと錯覚させる温暖な気候が幾日か続き、そのぶり返しか、再び寒波が三嘉ヶ崎に訪れ五度以下の気温が平均となったここ数日。

ゲーム会社アポクリフォスの件は、三嘉ヶ崎市民に深い悲しみと衝撃を与え、一時は新聞の一面や報道、特集番組が組まれるなど大々的に、そして一部では以前から密かに囁かれていた神隠しとゲーム会社アポクリフォスの関係といった信憑性の希薄なゴシップ記事をここぞとばかりに売り出していた。

後に、警察の会見で今回の件は神宮寺司の犯行によるもの、尚且つその犯人も焼死体として発見されているということを発表し、事件は呆気なく幕を下ろした。犯人が死亡していることが要因となったのか、三日ばかりでほとぼりが冷め、今はゴシップ記事だけが取り扱う事件となっている。


「―全く…、三嘉ヶ崎を支配したも同然と宣言していた男の天下も三日で終わりとは…。あれだけビジネスがどうとかほざいておきながら、カリスマのカの字もありませんねぇ…。今や、薄汚いカラスに啄められる生ゴミと大差ない…。寧ろ、啄む相手がまだいるだけマシですかね…」


空中にふわふわと浮きながらフレディは嘲笑混じりの口調で雑誌をめくる。その周りには新聞やテレビのリモコンなどありとあらゆる情報の端末が太陽の周りの小惑星のように辺りに漂っている。

勿論、僕の家は宇宙空間などではないし、そうした覚えもないからフレディが魔術で浮かせているのだろう。

リンクシステムを断ち切ったことで向こうから魔力が漏れて来ることはないが、だからといって漏れてきた魔力が無くなるではない。フレディ曰く、健康に特に影響はないそうので一先ず安心だ。

やがてフレディは読み終わったのか記事の内容に飽きたのか知らないが、持っていた雑誌を無造作に放り投げると近くを漂っていた新聞を手に取り、一面を眺めている。


「というか、フレディは何でまだ居るんだよ」

「還ってもヴァルベル様が煩いだけですし、これと言ってすることもないので…」

「いや、することは沢山あると思うけど…。まぁ、別に居るのは構わないけどさ、主人が働いてるんだから少しは手伝おうとか思わないわけ?」

「折角、魔力が満ちているのですから魔術を使えばいいじゃありませんか…」

「そういう訳にもいかないんだよ。魔術に頼ってばかりじゃ筋力が低下して武器が扱えなくなるからね」


何を言われようと手伝う気はさらさらないようで、フレディは素知らぬ顔で新聞をめくっている。

ふぅ…と溜め息混じりの息を吐きながら、抱えていた段ボールを床に置いて額に浮かぶ汗を拭う。長い髪は邪魔なので後ろに束ねている。成人用のスーツを着、窓ガラスに映る自分の姿は何とも曖昧なものだ。子供ではないのだが、かといって大人と言えるほどしっかりした顔立ちにはなっていない。それでも何だかんだ言って二十代後半に差し掛かろうとしているのだから、まぁ見た目が若い分には問題ないか。


―例の事件以来、僕の家には『勇者撲滅』の熱狂的な支持者ファンが犯人の親族であることを当てつけに僕の家へと押しかけては恨みつらみを吐き捨てていく。あまりの勢いにいつか扉を壊して中へ入ってくるのではと思うこともしばしばだ。

つい先日も、そんな過激なファンに庭を焼かれたばかり。このままでは家が炎上するのも最早時間の問題。まぁ、どうせもう住まないつもりなので焼かれても問題ないのだが、数少ない思い出の品まで炭と化させるのはやや抵抗がある。

家が時代錯誤の焼き打ちの愁いなき目に遭う前に、必要な物を選別し、岸辺とかが好きそうな家具家電の類はそのままあげて、要らない物はリサイクルショップにでも売るつもりだ。


「おーい、田中ー!そろそろ行かねぇと遅刻すんぞー」


外から岸辺の声が聞こえてくる。時計を見ると八時丁度。開式は九時からで、此処から高校まで三十以上時間を要する。確かにそろそろ行かないと遅刻は免れない。聞こえているか知らないが返事をし、急かせかと靴を履きはじめる。


「…よしっ」


勢いよくドアを開けた。途端に冷たい風が頬を撫でる。凍てつくような気温も、身ぐるみを剥がされた木々の姿も相変わらずだ。この様子だと、桜が咲くのはまだまだ先になるだろう。

朝の日差しは弱いが、空は青く澄み渡っている。そんな青空を見て、ほんの少し泣きたくなった。


「どうした?卒業することに思わず感極まったとか?」


ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべ、持っていた携帯をポケットにしまうと肘で小突く動作をしながら岸辺は茶化しにかかる。


「あー…、何ていうか…。花粉、マジハンパないよ、今日」


口から出まかせ、というわけではないのだが、ニュースで言っていたようななかったようなことを苦し紛れに言いつつ、さも花粉が舞っているようにわざとらしく鼻を啜ってみる。


「嘘だろ?くっそー、布団干しちまったじゃねーか。俺、ちょっくら家帰って取り込んでくる」

「過ぎた過去を悔やんでも仕方ないだろう。布団のことは諦めろ。もう手遅れだ」

「バカヤロー。まだ応急処置を施せば何とかなるレベルなんだよ、見捨てる気か」

「たかが布団だ」

「されど布団だ」


クソ真面目にクソどうでもいいことを論議していると僕も思うのだが、残念なことに家事を任され二十年の岸辺にとっては大変由々しき問題らしい。目がマジだ。こんなことになるのなら頷いておくべきだったと激しく後悔するが、もう遅い。


「知るか。とにかく、僕は先に行くからな」

「…お前、布団だけでなく親友まで見捨てる気か。はいはい、一緒に卒業するっていう俺との約束を破ってまで留年したもんなー。いいよ、行けよ。所詮はその程度の友情だからなー」


めんどくせっ!こいつ、超めんどくせっ!お前はデートで待ち合わせ時間過ぎても中々来ない彼氏を待つ彼女かなにかか!?不機嫌の時の態度がシンクロしてんぞ!

…此処は一つ、岸辺の乙女心に便乗して「べっ、別に岸辺の為じゃないからねっ!ただ布団が心配なだけっ」という意味不明かつ吐き気・頭痛・目眩、発言により引き起こる羞恥の高熱を伴うツンデレ発言をかますべきなのだろうか?


「どーした、田中」


突然、電柱の影に身を潜めた僕に驚く風もなく、淡々と岸辺は尋ねる。


「…いや、気にしないでくれ。時たま自分の馬鹿考えに死にたくなることがあるんだ」

「そーかよ。ほら、早く行くぞ。早くしないと手遅れになる」

「イエッサー」


こうなった以上、というかこうしてしまった以上責任を負うべきなのだろう。乗り掛かった船というやつだ。


「―そういえば、瞬間移動ワープみたいな一瞬で任意の場所に着ける魔術ってねーのかよ」

「あるけど、こちらの物理法則的なもののせいで使えないんだよ。あの魔術は肉体を分子レベルに細かくして任意の場所に肉体を再構築する。その間掛かる時間は光くらい速い。

いくら魔力の助けがあろうと、いきなり人が分子レベルまで崩壊するなんて、こっちでは有り得ない現象だろう?」

「他に何かないのか?駿足の陣とか、そんな感じの」

「う〜ん、流石にそれはなぁ…。『召喚』ならギリってところかな。試したことないから分からないけど。多分大丈夫じゃないの。そしてそういう感じのがいなくもなくもないけど…マジで?」


言いよどむ僕をよそに、岸辺は大層あっさりと決断した。


「んじゃ、それに決定だな」


****


―午前九時十五分。三嘉ヶ崎高校体育館。


「んもぅっ!田中くん遅いわねぇ。とっくに九時過ぎちゃってるわよ」


校長、藤原菫は足を組み替えると腕時計で時刻を確認する。九時になってから一分経過するごとにこの動作を繰り返しているので、これでちょうど十五回になるだろうか。校長の右隣では雪がちらちらと入り口を見ては隣の空席に視線を向けていた。そして頬を朱色に染めながら着物の襟を確認したり、姿勢に気をつけたりと何やら落ち着かない様子である。

空席を挟んでさらにその隣に座る俺こと紀伊野義鷹、人呼んでキー先は一分に一度携帯に連絡が入ってないか確認しているわけだが、依然として音信不通だ。


館内はガスバーナーのような音をたてて燃え盛る業務用の大型ヒーターのお陰で蒸し風呂と化している。

先生陣は比較的このヒーターの側に配置されているので人一倍熱い。更に冬用の厚地のスーツが裏目に出て体内の熱を発散するどころか保温機能の役割を果たしているのだ。苛立ちも一入ひとしおである。


「全く、こんな大事な日に…。あの悪ガキ共、一体どこで道草食ってやがるんだ」


堪忍袋の緒もそろそろ限界だ。こっそり携帯を見たものの連絡は入っていない。事故に遭った可能性もなくはないし、何せ例の事件があった後だ。何らかのトラブルに巻き込まれていてもおかしくはないが、あの二人ならその手の事の対処に長けているので問題ない。多少の暴力行為には目を瞑ろう。残る可能性は優真の方向音痴だが、今日はタローが付いているので今回に限ってそれはないはずだ。


「ったく…。こうなったら、雪だけで先始めますか?」

「えぇっ!?」

「でも皆、田中くん来るの待ってるわよ。かねてより温めておいた計画が、待ちに待って今日こそ実行に移せるんですもの」


校長は額に浮かぶ汗をハンカチで拭いながら小さく溜め息を吐いた。俺は二階の窓側で外の様子を見ている二人に声をかける。


「安田ー、伊藤ー!それらしき人影、無いかー?」

「人影はないっす!けど、変なのが向かっ…」

「いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!!」

「ぎゃあああああああああああああああああああああー!!」


伊藤の声を遮って、例の変なのが発していると思わしき絶叫が体育館に響き渡る。


「ははは…。ついに俺の頭も熱でイカレたか。あの叫び声がタローと優真の声に聞こえるぜ」

「大丈夫よ。元々イカレてるから安心しなさい。…紛うことなき、あの二人の声ね」


何処か嬉しそうな校長の表情にちょっと照れながらも咳ばらいを一つし、そっぽを向く。


「キー先生、顔赤いですよ?」

「…バカヤロー、大人をからかうんじゃない。熱のせいだ。おい、山田、佐藤、大至急入り口開けろ」

「は、はいっ」


後方列、ドアの近くに座っていた二人は敬礼でもしそうな勢いで立ち上がり、急いでドアを開けた。直後、弾丸のように田中達が転がり込んでくる。


「何か…、すげーデジャヴュ…」

「おえっ…。き、気持ち悪りぃ…。おい、田中…、ははっ、すげぇぞ…。一分しか経ってない…」

「二人共、遅ーいっ!もう少しで先に始めちゃうところだったわよ」

「だって岸辺が…」

「悪いのはこの時期に舞う花粉です。俺は悪くありません」

「はいはい、分かったからさっさと席に着いてちょーだい」


高校は二人の言い訳を聞き流しながら席に着くよう促す。そして自身は教壇へと向かった。


「―えー…、開式の言葉。これより、三嘉ヶ崎高校臨時卒業式を始めまーす」

「えっ、臨時扱い?しかもノリ軽っ」


面食らったように優真は目をぱちくりさせる。


「そりゃそうだろ。留年卒業者はお前ら二人、しかもこの時期に卒業って…。本来なら教室で卒業証書渡して終わりだよ。後ろに座っている奴ら皆、お前の過去五年間の学友達だよ」

「えっ、てっきり校長が雇ったエキストラの人かと…。というか、臨時以外に言葉があったんじゃ…まぁいいか」

「―続いて、卒業証書授与。…田中優真!」

「はっ、はいっ!」


緊張で裏返った声色で素早く立ち上がり、ギクシャクとロボットのような動作で優真は教壇へ向かって行く。どこか吹っ切れたような、大人びた表情で。


三嘉ヶ崎高校屈指の問題児が、今、卒業する。


「―卒業証書、田中優真。あなたは本校所定の全課程を修了したことを此処に証する。…おめでとう」

「あ、ありがとう…、ございます…」


涙を袖でごしごしと拭い、急いで優真は卒業証書を受け取った。周りから暖かい拍手と歓声が送られる。

優真は照れたように微笑んで一礼すると、ゆっくりと席に戻っていった。


「……吉田雪」

「はいっ」


―向こうの世界が彼にどのような影響を与えたのか、悔しいことに俺等には皆目見当もつかない。三嘉ヶ崎高校教師全員が五年かけてもなお、子供のままでいたがったあの子が卒業した。なんだか寂しいような、誇らしいような微妙な気持ちだ。いや、強いて言うなら悔しいか。こちらの世界の住民は誰ひとりとしてあの子を変えてやることは出来なかった。それが結論だ。


「それでは、閉式の言葉。卒業生代表田中優真くん!…その場で言いから。彼にマイク渡して」

「短かっ!つか、僕っ!?うそ、聞いてない!あー…うー…えー…、どうもお久しぶりです。知ってると思うけど、田中優真です。…私事になりますが、この際めでたく卒業することが出来ました。これも、僕の我が儘を受け入れ、温かく見守り、支えて下さった先生方、学友あってのことだと思います。色々あったけど、今は何とか前に進めそうな気がします。今までありがとうどざいました。三年卒業者代表田中優真」


だからせめて、あの子の行く末を見守る。…それも叶いそうにないから、やっぱり何も出来ないのだが。

拍手喝采が沸き起こる中、静かに目を閉じる。


―…進路、決まりました。


手渡された進路希望の紙。ざっと目を通し、本人の表情を窺う。紙には就職に丸が付いていた。そのしたには本人が希望する職業が書かれるのだが、そこに書かれていた文字は『勇者』だった。


―一応念押しとくけど、本当にこれで行くつもりなんだな?タローが知ったら殴られんぞ。


―岸辺じゃなくとも常識ある人なら殴ると思いますけど…。僕は、『勇者』になって皆を幸せにしたい。

僕があの世界を救うって決めたんです。ま、まぁ、良い年した大人が言う台詞じゃないのは重々承知してるんですけどね…。


―馬鹿に世界が救えんのか?


それに対し、優真は朗らかに微笑んで即答した。


―…馬鹿だから救えるんですよ、きっと。



更新遅くなりまして誠に申し訳ありません!日数かかった割には大したボケもないというオチ。次回からは更新頑張るつもりなんでよろしくお願いします。

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