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第十話 ある男の野望後編


「…その悪意の結晶こそが、ゲーム会社アポクリフォス、並びに『勇者撲滅』なのです」


鈍色の空から霰が散弾のように降り注ぐ。もし日が差していたなら、スパンコールのようにキラキラと輝くに違いない。

時折、風が唸り声を上げて吹き付ける。霰は煽られ向きを変えながらも地面に着弾した。遠くで生徒の悲鳴が聞こえてくる。恐らくは運動部の生徒達だろう。


―僕等のいる回廊だけが、時が止まったかのようだった。


カルマの長い黒髪が風に煽られ、頬に張り付く。リボンやスカートがバタバタと乱暴にはためいた。

壁境に浮かび上がる電子映像は霰や風が当たるたびに雑音を響かせて不安げに揺れている。


「彼の提案…というより存在自体、半信半疑でしたが、主は後にゲーム会社を立ち上げました。最終的に報復に傾きこそすれ、最初はただ子供達が喜ぶゲームを作りたいという思いからで、本当に熱心に取り組んでいたんですよ?…でも、本当は孤独を紛らわせたい一心だったのかもしれませんね」

「……………。」


―祝い遅れたが、おめでとう、優真。


―何処の世界に三歳の子にゲーム贈る奴がいるんだよ、馬鹿。


―はははっ!良いじゃねぇか、将来の楽しみということで。酒と一緒だ。


快活に笑う、太陽のように無駄に明るい父の顔が浮かぶ。神崎氏も同じ気持ちだったのだろうか。例え渡すことが不可能だとしても、息子に何か入学祝いなる物を贈りたかったのかもしれない。


「一つ疑問なんだけど、わざわざゲーム会社を創る必要があったのか?『リンク』で繋がって向こうの世界は一命を取り留めたんだ、神崎氏の望みだって叶った訳だろう?」

「…そうですね。タマさんの言う通りです。ゲーム会社創設の根底理由は息子の直樹様がゲーム好きだったことに由来するのだと思いますよ」

「随分と、インドアなお子様だな」

「タマさんのような引きこもりとは違い、直樹様は俗に言う天才児でした。将棋や囲碁のジュニア大会優勝は勿論、最弱の地域野球やサッカーのチームを優勝へ導いた程に、頭脳もさることながら運動能力も並外れて良かったのです。勝負事がとにかく好きでして…。というより、勝者の余韻に浸るのが、自分は誰よりも勝っているという愉悦感の虜になっていたのでしょう。そんな直樹様でも、アクションゲームなどの類は思うがままにいかない唯一の遊びでしたから」

「友達いないだろう?その子」

「知りませんよ、そんなこと。大会記録などは情報として残っていますから分かりますが、何せ私が生まれる前の出来事ですし」


歯切れ悪くカルマは答える。まぁ、無理もない話だ。明真さんが子供の頃にあのゲームが発売し、ブレイクしたのだから、もう何十年も前の…。


「…ん?」

「どうかしましたか?」


―僕等が中学の頃に、あるゲームが流行った。

確か、陽一郎さんはそう言っていたはずだ。それ以前に明真さんが子供の頃にあのゲームは発売され、同じように流行している。そしてその数十年後、僕の世代でも流行した。

明真さんが陽一郎さんより若いわけがない。といっても、そんなに年齢は開いていないだろうが、とにかく明真さんが最初の勇者なのだ。つまり、彼が子供の頃流行した時、『勇者撲滅』はまだ唯のゲームだった…?


「…カルマ、最初に『勇者撲滅』が販売され流行した数年間、三嘉ヶ崎で行方不明者は出た?」

「いいえ」


ということは、陽一郎さんが中学時代に発売した『勇者撲滅』で初めて行方不明が出たことになる。だが、陽一郎さんが中学の時、明真さんは高卒くらいの歳だったはず。当然、由香子さんと結婚しているはずもなく、あの忌まわしき事件もまだ起こっていない。しかし、陽一郎さんは二番目の勇者として喚ばれたのだ。


「どういうことだ…?」

「貴方は馬鹿だから混乱されるのも当然ですし、普通にややこしい事柄ですので仕方がありません。説明しましょう」


喜ぶべきか、悲しむべきか。日頃罵倒の限りを受けてきたせいか、この程度の嘲りなど痛くも痒くない。寧ろ物足りなささえ感じる程だ。…色々と末期だな。


「どうかしました?」

「いや、何でも…。色々と自覚したら無性に虚しくなってね」

「そうですか。どうでもいいので話を進めますよ。―確かに向こうでは松下明真は初代勇者、そして田中陽一郎は二番目の勇者となっています。

しかし、タマさんも疑問にお思いの通り、その順序は逆なのです。当初のシナリオとしては初代勇者Xの犠牲によりミケガサキは他国の襲撃を退けることに成功し、一時的にも平穏を取り戻すものの魔王が現れ、再び窮地に立たされるというものでした。そして、田中陽一郎はその頃のミケガサキに召喚されたのです」

「その頃のミケガサキに召喚されたって…。じゃあ、明真さんは過去のミケガサキに召喚されたのか?無茶苦茶なシステムだな」

「私もそう思いますよ。貴方の一族はシステム狂わせのプロですね」


カルマの思いもよらぬ台詞に、動悸が早くなるのを感じる。握った拳にじんわりと汗が滲むのを感じなから無言で先を促した。


「…とは言っても、貴方の叔父に当たる方ですが。彼のせいでシステムが目茶苦茶になり、一時的に『勇者撲滅』のプレイヤーが過去のミケガサキに行く羽目になったのですよ?

当然、『リンク』で繋がっていますから、彼が過去にもたらした影響はどちらのミケガサキにも反映される訳なんですが…。何故、彼がそんなことをしたのかは依然として不明のままですね」

「そう…」

「あぁ、大分話が逸れましたね。あまり時間もありませんし、本題に戻りましょう。私が貴方に伝えたいことは主様のこと、そして貴方のことです」

「僕のこと?」


オウム返しに尋ねるとカルマは無言で頷く。


「経緯はともかく、貴方があの話を知っていて助かりました。…主に、ミケガサキに召喚される『魔王』。その多くは更正の見込みがない青年達が選ばれます。主に引きこもりや暴走族とかですね。要するに親でも手に負えない問題児というべきでしょうか。歴代魔王の殆どがこれに該当します」

「…例え、親でも手に負えないほどでも自分の子供だろう?いなくなって、何とも思わないのか?」

「…………。私は人の感情が分かりませんから」


先程までの人気臭さは何処に行ったのか。書類を読み上げるように淡々と、素っ気なくカルマは答える。

僕はそんな彼女から目を背け、何かに打ちのめされたように足元を見つめて淡い感傷に浸っていた。彼女は僕が話の核心に触れるのを待っていた。僕が二の句を継ぐまで黙ってそこに佇んでいた。

霰は相変わらずその勢いを少しも衰えさせることなく辺りを白一色に塗り潰している。


「例外が、」


白い吐息が辺りに拡散する。外の白より遥かに薄く、一瞬にして辺りに溶けて消えてしまう。

顔を上げてカルマの顔をじっと見つめ、もう一度言葉を紡ぐ。


「例外がいるんだね」

「…はい」


気遣うようにゆっくりと。現実を突き付けるようにはっきりと。一字一句を噛み締めるようにカルマは説明する。


「―タマさんもご存じの通り、最初の魔王は人の感情から具現しました。こちらの世界において、そのような形で魔王が生まれる確率は限りなく零に近いと私も主も考えていたのです。

例えこちらの世界に負の感情が蔓延ろうと、向こうのミケガサキとは根底的に違う部分がありますから。

しかし、例の事件により、人々の負の感情…主にストレスや憎悪を苗床に貴方という胎児が生まれてしまった。『リンク』による結び付きがそれ程までに強かったのです。故に状況により抽選で選ばれる魔王と、貴方とでは決定的な本質が違う」

「本質…?」

「はい。抽選で選ばれた魔王は歪みを及ぼしません。しかし、そうでない貴方は違う。本質故に無意識に世界に歪みを生んでしまっている。―つまり、あらゆる争い、その元凶こそが…」


頭の中は真っ白なのに、目の前は真っ暗になりかけている。

分かってる。自分でも感づいていたのだ。だから、その先は……。


「貴方なのです」


―言わないでくれ…。


そんな心の叫びはどう足掻いても白い吐息にしかならなくて。そんな僕の内心を嘲笑うかのように、カルマは相変わらず淡々と最後の追い打ちをかけるのだ。


東裕也などがそのいい例でしょうと。『貴方のせいで死んだ』のですと。


その後のことなどまるで覚えていなくて、とにかく立つことが億劫だった。それでもかじかんだ膝は曲げることを拒み、僕はただ茫然と樹木のように突っ立って途方に暮れていた。


―今更、どうしろと言うのだろうか?もう何もかも手遅れなのだ。何せ、世界を滅ぼす魔王は不老不死になってしまったのだから。


…………………………………………………………。


「…あ〜らら。主様、知っちゃったわよ?どうするの?元は言えば、アンタが撒いた種でしょうよ」


影の世界からヴァルベルはその様子を見て溜め息を吐く。


「あはは、勇者もお手上げですねーとでも励ませと…?良いじゃありませんか、それでこそ撒いた甲斐があるというものです…」

「だ・か・ら、ちゃんと面倒見なさいよ。あのままじゃ、せっかく花開いても枯れるわよ?」


ヴァルベルの指摘に、フレディはゆっくりと身を起こし彼女を見、それから向こうの世界を一瞥した。


「まぁ、一時はこちらの目論みがバレるかと思いましたが、杞憂でしたね…。あの馬鹿に関しては放置で何ら問題ないですよ…。親が居ずとも子は育つです…。さて、たまには働きに行きますか…」

「あら、珍しいわね」

「此処に居ても暇で死にそうですし、ヴァルベル様が煩くて昼寝もままならない…」

「うふふっ。何なら二度と目覚めないようにしてあげましょうかぁ〜?」

「そうなれないから困ってるんでしょうに…」


フレディの言葉にヴァルベルは曖昧な笑みのようなものを浮かべ、そうねと呟く。


「主様によろしくね。どうせ冷やかしに行くんでしょ?」

「勿論、冷やかしにも行きますよ…。でも、まだその時ではないので、しばらくは昼寝三昧ですね…」

「あっそ。…彼、貴方にあったらどんな顔をするかしらね?」


ヴァルベルの問いにさしたる興味も示さずにフレディは鎌を握り、目深にフードを被った。


「さぁ…。笑顔で歓迎してくれるんじゃありませんか…?」


****


「―ただいま戻りました」


ゲーム会社アポクリフォス。その最上階は一室だけ部屋が存在する。そしてその部屋こそが社長室であり、カルマの主である神崎傑の部屋だった。


「おかえり。随分、濡れたね?折角の制服が台なしじゃないか」


床が赤絨毯のため、杖が地面を叩くその振動だけが伝わって来る。

カルマの元に歩み寄ってきたのは、先程田中優真に見せた写真と同じ外見をした紳士風の男だった。哀愁を帯びたその風貌に、黒いスーツはよく似合っている。

「申し訳ありません…」


別に構わないよと神崎は笑う。しかし、本当はけして笑っていないことをカルマは知っていた。恐らく、家族を失ったその日から、神崎は一度として心から笑ったことがないだろう。そしてその憶測は間違っていないことも彼女には分かっていた。


「彼にはちゃんと伝えてくれたかな?」

「はい。しかし、今回の事に何か意義があるのでしょうか。確かにタマ…田中優真は大変ショックを受けていましたが」

「珍しいな。随分と田中優真に肩入れするんだね?合理的に判断する君が私に対して異議を申し立てるなんて」


まるで蛇に射竦められた蛙のように体が硬直するのを感じながらカルマはただ成す術なく目の前で薄気味悪く微笑む男を見つめていた。


「別に構わないさ。…疲れただろう?もう休んでいいよ」


―瞬間、世界が反転した。


「え……?」


神崎の足元が目の前にぼんやりと白く霞んで見える。自分が倒れたのだと理解すると共に、打ち抜かれた脇腹に激痛が走った。生温かい自分の血が手に触れる。


―…あぁ、死ぬんだ。タマさんがもし、私が死んだと知ったらどんな反応をするのだろうと、もうすぐ死ぬというのにそんなことばかり考えていた。あんなことを告げられた後だから、自責の念に駆られる可能性が高いだろう。

優しい、本当に優しい人。敵に情けは無用なのに…、本当に馬鹿な人…。そんな貴方だったから、私は少しの間だけ、本当の人間になれたのかもしれませんね。


銃口が再び突き付けられる。確実に止めを刺すつもりのようで、それは額に当てがわれていた。

目の前には、冷ややかに私を見下ろす主の姿がある。私は口角を上げて笑みらしきものを形作った。


「タマ、さ…ん」


―私は、貴方を…。


引き金がゆっくりと引かれてゆく。


「あい、シ、て…いま、…」


涙が一滴、頬を伝う。短い銃声が室内に響き渡った。

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