第五話 戦う理由
―世界は全て鈍色だった。
ミケガサキ第百二十三区。関所のある第百区から少しばかり離れた地区にカーヴァ・ヤーグはいた。否、居ざるおえなかった。
彼は富裕層の出だったが、生粋の貴族という訳ではない。ヤーグ家は代々商人の家系で、祖父が一儲けし、国に貢献したことが認められたため貴族に繰り上がったという。つまりは唯の成り上がりだ。そのため築いた地位は富裕層の中では低く、どちらかと言えば富裕層と貧困層の間の中間層に該当する。
貴族の地位を得てもなお、彼の祖父はその一生を商人として費やした。おかげで当初は貴族さながらに嗜みとして教育を受け、娯楽に興じるという自由気ままな贅沢三昧の日々。
だが、所詮は成り上がりの貴族。ろくに働きもせず遊びにかまけて浪費を続けていれば没落するのは当たり前のこと。日に日に裕福ではなくなり、家計が徐々に逼迫していく一方で、両親の金遣いは益々酷くなっていく。開戦の波風が立つ頃には家の金は既に底をついていた。
富裕層の住民は敵襲を予期して蜘蛛の子を散らす様に各地に散って行った。彼の両親もそれに倣い、買収した小さな別荘に移り住むつもりだったのだろう。化粧品やドレス、金の腕時計などを大慌てで鞄に詰め出した。
―なんて滑稽で醜いのだろう。
ぼんやりと彼はそう思いながら両親に告げる。別荘なんてとっくの昔に金に変えてしまったじゃないかと。
それを聞いた両親は、何故もっと早く言わないのかと彼をなじった。そして親不孝者と蔑み、彼が寝入っている隙に両親は実の息子を何の躊躇いもなく奴隷商人に売り渡したのである。
その時のことをカーヴァ・ヤーグは朧げに記憶していた。猫撫で声で奴隷商人に媚びを売りながら、必死に自分を値踏みしている両親の醜い姿を。それはまるで悪魔に魂を差し出すさながらの光景だった。
奴隷として一度は死を覚悟した彼だったが、運送の途中で敵襲に遭い、九死に一生を得た。命からがらに逃げ出し、戦火から逃れるように行く当てもなく駆けずり回って、彼は百二十三区に辿り着いたのだ。
―この頃になると、長期化すると思われた第一次領土戦争は初代勇者松下明真の死により終戦へと向かい、一時的な平和が訪れつつあったという。
世間がようやく恐慌状態から解放され、国の政治が再び軌道に乗る最中、第百二十三区を含む百区以降の地区の有様は前にも増して酷かった。戦火が去ってまだ日が浅い上に、そもそもが無法地帯である。辺りはところどころ火の手が上がり、その煙に吸い寄せられるかのように、空を埋め尽くさんばかりの蝿が耳障りな羽音を響かせながら忙しなく飛び交う。積み重なる瓦礫の山々の隙間には雨風を凌ぐ為に薄汚れた布切れを纏った子供達が震えながら身を寄せ合っていた。少し離れたところには、黒焦げの塊に寄り添ってわんわん泣いている子供や、空腹で道端に横たわる子供などがそこいらにいる。何処もかしこも生々しく凄惨な戦争の爪痕が刻まれていた。
終戦は風の便りで聞き及んではいた。結局、被害は百区以内に留まったのだ。第一区に戦争の爪痕なるものは一つとして刻まれていないだろう。こんな風に途方に暮れる人も、飢えて道端に座り込む人も、死体もない。終戦を迎えてなお、明日を無事に生きられる保証もなく、逃げ場もなしに居場所を追われる恐怖など、きっと彼等には分からないはずだ。各地に散って行った貴族は何食わぬ顔でまた気ままな暮らしを送り、資源を食い尽くしてゆく。
事の発端…資源不足は、富裕層が原因ではないのか?両親が欲に任せて金を食い尽くしていった様に、貴族達は自らの権力の誇示に限りある資源を無駄に浪費しているのでは?ならば、何故何の落ち度もない人が、無力で最もそれを必要としている孤児達がこんな酷い仕打ちを受けなければならないのか。
今まで貴族として順風満帆な日々を送って来た彼は自分を恥じた。そして決意したのだ。
―この国は根本的なところから変わらなくてはならない。女神の加護無しに自分達で生き抜く自立性社会を築き上げる必要がある。女神が今まで一体何をしてくれたと言うのか。彼女もまた貴族と同じ。神と偽り、私利私欲を満たしているだけなのだ。
―女神よ、年貢の納め時だ。
突き付けた鋼の刃。それでも彼女は臆することなく悠然と微笑むのだ。全てを受け入れるような慈愛に満ちた笑みを湛えて。
―カーヴァ・ヤーグ。貴方の願いを叶えましょう。
だから。一拍置いて、彼女は少し遠くを見た。色素の薄い水晶のような瞳は未来を見通すかの様に虚ろを映す。そしてまた微笑んだ。今度は少し意地の悪い笑みだったが。
―だから、代わりに貴方も私の願いを叶えて下さいね?
……………………………………………………………。
自身の腕から滴る血をしばらく眺め、カーヴァ・ヤーグは視線を戻す。目の前にはつい先程加勢に喚ばれた黒髪の少女が一人、田中優真とその仲間である金髪の美女を守るように立ちはだかっていた。少女はくるくるとナイフを弄びながら唇を動かす。
「嫁入り前のうら若き乙女に変態の相手をしろと?鬼畜ですね、タマさんは。まぁ、何はともあれ削除対象を横取りされる訳にはいきません。今回は特別に協力しましょう」
「…カルマ、と言ったかな?事情は知らないが君の手柄を横取りするつもりは毛頭ないんだ。手を組んだ方が得だろう」
「戯れ事は服を着てからにしてください。例え標的は同じでも全裸男とつるむつもりはありません」
「同族嫌悪ってやつ?」
少女は弧を描きながら落ちて来るナイフの柄を掴み、素早く後ろに投げ放つ。
「いっ…」
ナイフは田中優真の頬を掠め、その髪を数本散らして深々と木に突き刺さった。田中優真は小さな悲鳴を上げ、降参と言わんばかりに両手を上げる。
「…何か言いましたか?」
冷やかな少女の眼差しに、田中優真は勢いよく首を横に振った。金髪の美女は小さく溜め息を吐いてから彼の頭に一発げんこつを食らわす。
「調子に乗りすぎだ」
「反省します…」
しゅんと叱られた犬のように田中優真はあからさまにしょげた。少しあどけなさを残した外見に伴わず、内面はまだまだ子供だ。カーヴァ・ヤーグは人知れず唸った。
魔王とは、害を成す者だ。話によれば法を犯した者や心理的にその傾向にある者が篩にかけられ選別されるらしい。魔王に選ばれる定義の全てを知り及んだ訳ではないが、ここまで周りから信頼を寄せられる者が世界を崩壊させる程の異分子に成り得るのだろうか。
彼、田中優真は最初勇者として召喚されている。後に魔王に転じたということは善も悪も兼ね揃えた、いわゆるトリックスターということに他ならない。中立だからこそ、万が一に備えて処分する気か。
「弱ったな…」
「それは良かった」
淡々とした口調が鼓膜を震わせ、視界に艶やかな黒髪が映っては消えた。淡い金木犀の香りが鼻孔をくすぐる。香りの余韻に浸る間もなくナイフの鈍い銀色の光が視界をちらついた。遅れて鋭い突きの一撃が心臓を狙うが、それより先に回し蹴りを少女の腹にめり込ませる。
少女は数メートル吹っ飛んだが空中でくるりと一回転し、木をバネに衝撃を吸収させ着地した。
「それなりにやる様ですね…。タマさん、援護して下さい。断れば彼に殺され、受ければ後ほど私に殺されますが」
「どっちにしろ死ぬじゃないか。しかし、あんなに強いなら勇者なんてわざわざ喚ばなくても良いだろうに」
「原則、魔王は勇者しか倒せませんよ、タマさん。タマさんはそもそもイレギュラーですし、加えて不死ですから誰にも倒せるようですけど。
良いですか、ビジネスというものは一方的では何の利益も生まず損失だけです。需要がないのに供給だけしても仕方ないでしょう?相手あっての商売です」
「だったら僕を倒して何の利益が生まれると言うんだ?」
半ば投げやりに田中優真は尋ね、少女は数回目をしばたいたあと、事もなげに答える。
「少なく見積もっても、まず人々が幸せになるくらいには」
「少なく見積もってそのレベル!?」
「アレですよ。魔王倒した後の特典の豪華さを考えれば、ね」
「ねじゃねーよ!」
「何れは通る道です」
「只今通行止めだ。迂回してくれ」
「…仲良いな、お前等」
半ば呆れと感心の混じった声色で金髪の美女は二人を交互に見やる。
「えーと、隙だらけだが大丈夫か?」
空を切る短い音。やや困惑気味のカーヴァ・ヤーグが拳を振り下ろす。脳天を狙った重い打撃を寸でのところでかわすが、拳が右肩にめり込んだ。鈍い音ともに田中優真の肩が外れる。
転がり込むようにしてカーヴァ・ヤーグから距離を取ると外れた右肩を見て目を見開いた。
「あっ、人生初脱臼」
「感心してる場合か!来るぞ!」
金髪の美女の激が飛び、再びカーヴァ・ヤーグが拳を振り下ろす。田中優真は外れた肩のまま、だらしなく垂れ下がる右腕を庇うように押さえ、俊敏な動きでその一撃を何とか避けた。空を切った拳はそのまま大地を穿つ。
カーヴァ・ヤーグは直ぐさま地を蹴り天高く跳躍すると、逃げる田中優真の進路へ先回りした。
「甘いッ!」
地を蹴る。今度は速さを重視した跳躍だ。田中優真は一瞬怯んだ素振りを見せたが、突進してくるカーヴァ・ヤーグを迎え撃つべく走りつづける。
―さぁ、どの魔術を以って迎え撃つ?
二人の間に割って入るように陣が形成された。描かれた式を見るに攻撃系ではなく補助や防御といったところか。肉体強化、それとも防壁?
陣がまばゆく光始める。発動時の何倍もある凄まじい光が容赦なく目を焼く。
「うおぉぉおっ…!」
無我夢中でがむしゃらに拳を振るう。鈍い音と感触。くぐもった声が耳に届いた。
―やった?やったか…?
立ち止まる。耳鳴りが。これも光の作用か。感覚が麻痺している。
「甘いのはアンタの方だよ、カーヴァ・ヤーグ」
光の中でそんな声が聞こえた気がした。足元の土が不意に盛り上がる。何かが下から飛び出て来た。
「なっ…」
「―必殺…『玉砕』」
淡々とした口調。視界が白から黒へと塗り潰される。
「ひぎゃあああぁぁぁ!!」
森の静寂を破る悲痛な悲鳴が木霊した。
「…なんつー技名だよ。とても女子とは思えない」
白目を剥いて気絶しているカーヴァ・ヤーグを三人はまじまじと見る。
「別に良いじゃないですか。これで半永久的に再起不能になったと思いますよ。…色々な意味で」
「止めれ。変な意味合いを付与するんじゃない。まぁ、とにかく助かったよ。ありがと」
赤く腫れ上がった右の頬に片手を添えて冷やしながら田中優真は礼を述べる。
「何だ、打たれたのか」
「脱臼はするし、顔は打たれるしで散々な目にしか遭ってないよ」
疲れたように重い溜め息を吐く。黒髪の少女は少し不思議そうな顔をした。
「タマさんが普通に魔術を使っていれば私がいなくとも勝てたと思いますが」
「確かに固有結界張って多少は魔力分子を確保したけど、カーヴァ・ヤーグ相手じゃこの量では足りない。それにしても、結局、この人は何がしたかったんだか…。陽一朗さん達の回し者って可能性も捨て切れないけど、違う気がするし」
「だが、それ以外他にいないだろう。カーヴァ・ヤーグは故人だ。それを一時的とはいえ生き返らせるなんてことが出来るのは並のレベルじゃない。ましてやらお前を殺すなんてことを目論む奴らなど限られて来る」
金髪美女の力説を受けても田中優真は納得いかない表情でカーヴァ・ヤーグに近付くと、その額に触れた。
「……………………。」
「何か分かったか?」
田中優真はゆっくりと顔を上げ、無言で首を横に振る。心なしか顔色が悪い。蒼白で腫れ上がった右の方が浮き彫りになり、とても痛々しく感じられた。
「そうか…。今日のところはもう引き上げよう。一応、変態を退散させるという目的は達成したからな」
「それならばカーヴァ・ヤーグについて私も少し調べておきましょう。では、また何処かでお会いしまょうね、タマさん」
黒髪を風になびかせて少女は還っていく。田中優真は溜め息を吐いてそれを見送る。そして、僕等も帰ろうと金髪の美女を促した。その際、ちらりとカーヴァ・ヤーグを一瞥して呟く。
「一目惚れねぇ…」
―カーヴァ・ヤーグ。貴方の願いを叶えましょう。
「ん?何か言ったか?」
―だから、代わりに貴方も私の願いを叶えて下さいね?
「いいや、何も」
―この世界を救って下さい、カーヴァ・ヤーグ。本当は誰でも良いのです。ただ、あれは延命のために必要な取引でした。でも、それは間違いだったのかもしれません。いえ、何が間違いだったのか、そもそも何処で歯車が狂ってしまったのか分からないけれど。
「帰ろう」
「あぁ」
―私はこの世界を救いたい。ただそれだけなのです。
遅れてすみません、次回はなるべく早めに更新したいと思います。




