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第三話 非日常化する日常

首を狙った鋭い一撃。彼女の動きに全神経を集中させて、彼女が腰だめにナイフを構えたと同時に横へ飛んだ。白銀のナイフが空を裂く音が鼓膜を震わせる。髪の毛が数本散った。

避けた拍子に抱えていた缶がゴロゴロと転がり落ちてゆく。


「頸動脈狙いかよ…」

「―逃がしません」


立ち上がると同時に怒涛の突きが襲った。フェンシングを思わせる鋭い連続突きも、教官の剣撃に比べれば鈍く遅い。とは言っても、避けるのに精一杯だ。


「…男なら」


大人しくド突かれろとでも言う気か。コンピュータロボットの割には随分人間的な思考の発言をするんだなと勝手に想像し、感心していた矢先――。


「うぎゃぁあああ!!?」


地球が真っ二つにかち割れたと錯覚させるほどの衝撃と痛みが襲う。猫が尻尾を踏まれた時に上げるような悲鳴を上げて路上にのたうちまわった。

男の急所に容赦ない蹴りを入れたカルマは淡々と、しかし何処か勝ち誇った口調で先程の続きを話す。


「局所に一撃お見舞いすれば暫くの間は再起不能であるとデータに記録されています」

「どんなデータだよっ!?ろくでもないな!?」

「思うのですが、痴漢対策として護身術を身につけるより、こちらの方が無難かつ効果的だという結論を出したのですが、如何でしょうか?」

「如何でしょうかって…、確かに効果抜群だけど、その内絶対蹴られるためだけに人を襲い出す変態も出てくるから駄目じゃないの」


半ば呆れながら言うと、カルマは納得したように瞬きをした。


「成程。その発想はありませんでした。データを更新します。局所蹴りはMの開花、または促進の可能性あり」

「んな変態チックなデータばかり増やさんでくれ」

「博士曰く、『美女がエロを極めるとか萌えじゃ〜』の理念に基づいて私は造られたので、私の頭脳の大半はアハンなことが九割を占めています。別名歩くエロ本」

「いっそのこと燃えてしまえばいいのに。そんなあんたをセキュリティーシステムに導入した何処ぞの開発者は僕より馬鹿だな」「いえ、セキュリティーシステムにおいては私を凌ぐものはないかと。人はやましい事があるとそれを隠そうとする傾向があり、男性は最もそれが適合します。エロを異常なまでに崇拝していた博士はそれと同様に異常なまでに事が露見しないように誰にも破られることのない博士独自に開発したオリジナルの人工知能をセキュリティーシステムに組み込みました。…それが私、カルマなのです。

私も後に自分がゲームのセキュリティーシステムに組み込まれるとは思ってもみませんでしたが」


つーか、僕は何呑気に敵との会話に興じているんだ。―そこでふと思う。今なら逃げれるのではないかと。しかし、そんな僕の思惑を察知したのか知らないが、カルマは僕の胸倉を掴むと引き寄せ、首筋にナイフを押し当てた。

吐息がかかりそうなほどに彼女の顔が近くにある。

自動販売機の白い光に照らされてより際立つ白い肌に赤みはなく、確かに人間味がない。たまに機械音もするが、それでも彼女は人間っぽいのだ。


「さて田中優真、略してタマさん。『最後に何か言い残したいことは?』のサービスは現時刻をもって終了しました。続きましてバグ駆除…発生源の削除デリートに移行させていただきます」

「待て待て待て待てっ!いつ!?遺言サービスは嬉しいけど何一つ残せてないぞ!?しかもあんただけには略されて呼ばれたくない!」

「遺言サービスは私との会話内容がそのまま遺言に適応されます。つまり、頸動脈狙いかよの下りから、先程の私の発言…思ってもみませんでしたがまで再生可能となっています。以上の発言を遺族へ伝えるには別料金が発生しますのでご注意下さい。このサービスをご利用の際にはご自分のキャッシュカードと暗証番号、ご遺族の住所、その方々のキャッシュカード並びに暗証番号、ご遺族の留守の時間を登録してください。留守の頃合いに伺いますが、そのまま利用金額だけを請求しますのでご安心を」

「誰得のサービスだよ!?どう考えても金目当てだろ。つーか、安心出来ないし、そもそもそんなサービス利用しないから」


首に宛がわれた鈍く輝くナイフの存在を無視しつつ、重い溜め息を吐く。

それを咎めるかのように自動販売機の稼動音が鳴り出した。

前を直視するのは憚られたので辺りに転がるべこべこに凹んだ缶を見る。時折、人が通らないかと視線をさ迷わせ、耳を澄ませるが足音一つ聞こえない。

三嘉ヶ崎のなかでもこの地区は深刻な過疎地だ。とはいえ、単に別荘として軒を連ねている家が多いのも事実で、大型連休になると数軒家の窓から明かりが漏れている。

それにしても、いくら何でも人が来ない。カイン達がそろそろ来てもいい頃だと思うのだが。

飲み物を買いに来てから今に至るまでゆうに三十分は経過している。辺りはすっかり暗く、連なる家々の影は今にも一体化しそうだ。蛍光灯が仄かに照らす僅かな場所も、そのから一歩足を踏み出せば、その先に広がるのは果てしない暗闇。まさに一寸先は闇である。


「…そうですか。ならばタマさんの苗字、田中に因んでプランT。博士曰くパンティーにしましょう」

「ほんと、そういうのいらないから解放してほしいんだけど」

「そういう訳にはいきません。必ず何らかのサービスをご利用戴く決まりなのです。じゃないとタダ働きになるじゃありませんか」

「やはり金目当てか…。じゃあ五万あげるから解放して」

「それはアレですか?金をやるから己の中の野獣を解放させろという意味で?意外に大胆ですね。…確かに街中での露出、いわゆる羞恥プレイには絶好のシミュレーション。成程、タマさんも私と同じ趣向の持ち主でしたか」

「シチュエーションね」

「…名残惜しいですが、この茶番も終いにしましょう」

「あれ!?何か怒らせた?そんな言葉の間違い指摘されるの嫌だったの!?」

「タマさん。冥土の土産にエロ知識を一つ伝授しましょう」

「聞いちゃいねぇ」


カルマは目を閉じてこほんと咳ばらいを一つ。


「…フラミンゴの母乳はピンク色なんですよ」


…………………………。


「知ってるし、だから何っ!?」


思わずナイフを奪って自ら命を絶ちたくなるくらいの苛々が襲う。このまま会話を続けるなら間違いなく僕は発狂するだろう。

塩撒いたらいなくなるか?…無理だろうな。


「標的ロックオン。ブラックリスト登録No.4田中優真と認定。現在、472384684ビット。以上を以って一時終了とします」


カルマの言葉に疑問を覚えたが、それがどの部分に引っ掛かったのかまるで分からない。

無機質な声が何処か遠くに聞こえる。こういうのが現実逃避の最たるものなのだろう。何もかもどうでもいい気になってきた。

そんな僕をよそに、カルマはナイフを後ろに放り捨てる。


「タマさん。貴方は先程、蹴られるためだけに人を襲い出す変態も出てくるから駄目じゃないの、とおっしゃいましたよね?」


…何だか、雲行きが怪しいぞ。


「そして私はMの開花、または促進の可能性ありとのデータを加えましたが、曖昧なデータを残すことは博士の意に背くことになると思うのです」


カルマの目がきらりと光った。あれは猫が獲物を見るときの目だ。悪寒が走る。


「何回連続で蹴ったら快感と感じるようになるのか、貴方を今から褒め殺しの刑に処します」

「ただの拷問だっ!」


「―こんな街中で…」


突如聞こえた声に、彼女の動きがぴたりと止んだ。僕は肩越しから目を凝らして声の主を探す。

暗闇から浮かび上がるシルエットは尋常じゃない速さで、ぐんぐん迫って来る。そして現れたオズさんは、そのままスピードを緩めることなく声を張り上げた。


「イチャイチャしないっ!」


瞬間、凄まじい衝撃が僕を襲う。視界が夜空を映したかと思うと、一転して地面に転がる凹んだ缶が目の前にあった。恐らく僕も、この缶と同じ様な状態になっているだろうと徐々に狭まる視界の隅で思う。

全く、カイン達が来てからというもの、つくづくろくなことがない。家は焼けるし、変態に命を狙われるし、車椅子に轢かれるし…。


溜め息を吐くと共に、僕の意識は飛んだ。


****


「相変わらず馬鹿ですね、貴方は…。帰還して一日で死にますか…?」


一面黒い空間。影の世界と彼等は呼ぶ。

フレディは頬にかかる自らの髪を後ろに払いながら嘲笑を浮かべた。

配慮とか謙遜とかと言った言葉につくづく無縁な死霊だ。


「えっ、死んだの?」

「はい、頭部強打で…。豆腐の角にぶつかってという方が蔑みがいがあったのに、落とした缶に頭強打して死ぬというのはアレですね…、街中歩いていたら上から植木鉢が降ってきて即死並にコメントに困りますよ…。まぁ、心配せずとも例の如く直に復活しますけど…」


残念そうに溜め息を吐くフレディに苦笑しながら辺りを見回す。


「―ところで、皆は?」

「あぁ…。どうやら残ったのは私だけのようですね…」


フレディは特に気にする様子なく、ちらりと辺りを一瞥しただけで視線を元に戻した。

不審に思った僕が眉をひそめると、フレディは淡々と説明を始める。


「先の戦いで、ミケガサキは崩壊の一途を辿っています…。元女神様がそれを止めてはいますが、時間の問題でしょうね…。

―当初の目的として、我々もそちらの三嘉ヶ崎に行く予定だったんですけど、邪魔が入りましてこの様です…。あぁ、他の同胞の事をお尋ねでしたら、死にましたよ…。ですが、貴方と同じく一時的な死です…」

「何でそんなことに…。大総統は?彼なら何とか出来る…可能性はないのか?」

「まぁ、大総統がいれば何とか持ちこたえることが出来るでしょうが、生憎、いませんよ…。ですから影の王、さっさと貴方には還ってきてもらわなければ手の施しようがありません…。どうやら、向こうは我々と相対する同等の力を取り入れたようですし…。簡単に言えば、貴方の義父が敵の手に落ちたと言えば分かりやすいですか…」

「陽一郎さんが?」

「ファウスト様の力は人を操ること…。恐らく、彼の意識は只今低迷中でしょうね…」


黒い世界に波紋が広がる。揺れては静まりを幾度も繰り返す様は花火を連想させた。


「―影の王…。これから先は何が起こっても不思議じゃありません…。核の役割が一時的と言えど、逆転してしまった。それは天と地がひっくり返るくらい有り得ないことなのです。

今は核も元に戻った様ですが、無理矢理プログラムを書き換えたことにより損傷が見られ、僅かですが、そちらの世界に魔力が随時漏れている…。このままだと生態にありとあらゆる変化が起こるでしょう…。

つまり、三嘉ヶ崎は我等のいる世界と同じになるということです。最悪の事態はこちら側から干渉することも可能になるかもしれません…。

どの国も資源の枯渇を恐れ、ありとあらゆる手を尽くして今日という日まで生活してきました」

「つまり、もし、その最悪の事態が起これば、そちら側の世界の住民達が此処を…三嘉ヶ崎を襲うと?」


フレディは皮肉げに笑って、崩壊の輪はミケガサキだけでなく他の国にも広がっていますから、あちらの世界を襲う前に滅ぶ可能性もありますね…と答えた。


「ちょっと待ってくれ。カイン達は成り行きとはいえこちらにいる。まぁ、核が作動した時に巻き添えを食らったから仕方ないんだけど…」

「還れませんよ。少なくとも今は…。もしかしたら、これからも…。地上は今ちょっとした地獄絵図ですね…。阿鼻叫喚の嵐です…。パニックを起こした人間達による無意味な殺戮が今も繰り広げられ中ですね…。

『リンク』システムはまだ完全には断ち切れていないからそちらへの影響が遅れているのかも知れませんが、ゆくゆくは同じ末路を辿るでしょう…。そうならないためには、貴方がそちらの世界にあるシステム本体を停止させる必要があります…」


いつになくフレディは真面目な顔でそう告げる。

僕が頷くとフレディは踵を返し、一歩離れた。それからくるりと振り向く。


「―そうそう…。影の王、物事にも人にも期限と意味があるのです…」

「?」

「英雄は、国を救いますよね…?それが英雄の意味です…。国を救った英雄は、英雄として期限切れになりますよね…。期限切れのものはいりません…。だから役目を終えた英雄は死にます…」

「いきなり何だよ…。遠からずお前は死ぬって言いたいのか?」

「ははははっ。まさか、我々は不死ですし…。死ねたらどんなに楽か…」


そこでフレディは口角を吊り上げ、意地悪く微笑んだ。


「精々、つかの間の日常生活を楽しんで下さい…。

ただし、貴方は影の王であり、魔王でもある…。そのことを努々お忘れなきようお願いしますよ…」

「それはつまり…、歩を弁えろってこと?」

「一応、早く還って来いって意も含まれてるんですけど…。馬鹿でも言わんとすることは理解出来るんですね…。些か、見くびり過ぎました…」

「見くびるの域越えてるだろ」


フレディの爽やかな小憎らしい笑みが…いや、周りの景色の輪郭全てがぐにゃりと歪んでいく。


「多少、邪魔は入りますが、意識間なら会話も可能のようですね…。まぁ、気が向いたら死んで下さい…。じゃないとこちらが退屈死してしまいます…」

「何にせよ、末恐ろしいこと言うなよ…」

「では、恐ろしついでにもう一つ忠告を…。燃え盛る全裸の男には注意して下さい…」

「言われなくも見掛けた誰もがそうすると思う」


フレディはその時のことを思い出したのか、ややげっそりとした様子だ。


「奴は変態です…」

「フレディ、そんなのは1たす1は2並に分かりきった答えじゃないか?」

「仲間の大半は彼に滅せられたと言ってもいいですね…。どうやら陽一郎やゼリアの手先ではないようなのですが、ただの人間でもないようで…。我々を大方始末した後、いきなり天高く飛翔しました…。恐らく、そちらの世界に向かったのではないかと思うのですが…」

「バッドニュースをどうもありがとう。出くわさないことを願ってみるよ」


多分、叶わないだろうけど。

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