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第二話 削除


「田中優真…」


大きな木製の扉には純金の蝶番。大理石の床に、天井にはシャンデリアが吊り下がっている。無駄に広い部屋、その大半が機械やそのコードで埋め尽くされていた。

部屋の中央に置かれた机にはパソコンが一台。その横には優しく微笑む若い女性と、その息子であろうランドセルを背負い、こちらにまばゆい笑顔を向けている少年の写真が大切に飾られている。


男は画面から目を離すと、黒革の椅子にもたれ掛かるようにして背中を預けた。静かに目を閉じ、皺の寄った眉間を指で摘む。

パソコンの無機質な稼動音が朧げに響く。青白く放たれる鈍い光の中には、寝ぼけ眼の学生の証明写真と住所、その他諸々が書かれた資料らしきものが映し出されていた。


削除デリート失敗か」


目を開き、再び画面に向き直ると別の画面を開く。

その画面には黒を背景に半角の英数字の羅列が延々と続いてる。

男は舐める様に画面を下にスクロールしながら文字の羅列を追い、手を止めた。宇宙に散りばめられた無数の星を思わせる程に延々と続いてく文字の羅列。しかし、途中から下全てが文字化けしていたからだ。


「成程、プログラムを書き換えたか。大分損傷が激しい上に、本質が大きく捩曲がり、真逆のものに変化している。…これは、営業妨害に値するな」PC・携帯共に絶えず送られてくる苦情のメールを訝しみ、久々にメンテナンスをしてみればこの様だ。


男の目に獰猛な光が宿り、その口許に歪んだ笑みが浮かぶ。まるで獲物を見付けた時の狩人の様に。


「…面白い」


高速でキーボードを叩き、新たにプログラムを打ち込んでいく。


―類は友を呼ぶ。牛は牛づれ馬は馬づれ。害虫は害虫で群れをなす。

それを駆除するには金が掛かる。労力も必要だ。だが、その二つを満たしたとしても人が人を裁くことをこの世界は認めない。


『お父さん』

『あなた』


慎ましく気立ての良い妻。小学校に通うことを何よりも楽しみにしていた明るく無邪気な息子。そして、もうすぐ生まれるはずだった娘。

私から、いや、我が家族から全てを奪った害虫共に然るべき制裁を。


―害虫は駆除を、ゴミはごみ箱に。

いくら祈ろうと神は聞き入れない。だが、もう祈る必要はないのだ。


「さぁ、駆除を始めよう」


Enterキーを叩く。画面に新たなページが表示された。男は満悦した様子で悠然と腕を組んだ。


「『勇者撲滅』スタートだ」


****


「…そんじゃ、今日は転校生四人を紹介します。入って来ーい」


朝のホームルーム。キー生の緩い声が何とも眠気を誘う。何度も目を擦りながら気晴らしに窓の外を見た。

―因みに、僕の席は教室の最後列の一番左端の窓側だった。僕等が編入するにあたり色々と気遣ってくれている様で、キー先が担当する一クラス総勢三十五人ぴったりの三組にわざわざ追加してくれたのだろう。

四組なら三十人なので最低あと五人、席に空きがあるのに。

しかし、元々の人数がいくら少ないとはいえ、僕等が入った事により教室の体積に対し人口密度が高まってしまった。

昨日までは僕と雪ちゃんの二席しか横列は存在しなかったのだが、いつの間にやら横と後ろに二席ずつ追加されている。

言うまでもなく転校生とやらの席なのだろうが、そうなると総勢四十一人。

ちと多過ぎるのではないだろうか。酸欠になるぞ。


今の僕は窓の外に広がる鈍色の雲の様に重く沈み、大変憂鬱な気分である。

久々の登校、家炎上でそれなりに参っているらしく、体が鉛の様に重く、怠かった。


「…優君、大丈夫?」


隣の席にいる雪ちゃんが心配そうに声を掛ける。


「ちょっと、疲れたのかも…。でも大丈夫。心配してくれてありがと」

「えへへ…。疲れた時には甘い物とか、癒しが効果的だよ」

「癒しかー。何か癒しが欲しいなー」


ぐでーと机に突っ伏し、伸びる。視線は自ずと自分の太股を映す…はずだった。


「ニアッ!」

「ぎゃあああああっ!」


膝に乗った白い生物。その名も猫モドキが僕の膝の上で丸まっていて、視線があった瞬間、誇らしげに一鳴きした。

突然叫び出した僕に、キー先は目を丸くし驚きを露わにしていたが、直ぐさま場を執り成すように咳ばらいをして、再度、転校生四人を招き入れる。

ドアが開き、ぞろぞろと四人の転校生が入って来た。


「ぇぇえええええっ!?」


先程に続き、普段なら煩いと一喝入れられる僕の叫びも、この時ばかりは周りの騒音とも言うべき驚嘆や叫声に混じり、不問となる。

奴らはそんなクラスの反応を気にした風もなく自己紹介を始めた。


「アンナ・ベルディウスだ。短い間だがよろしく頼む」

「ども、カイン・ベリアルです」

「ノワールと申します。皆様、どうぞよろしくお願いしますわ」

「ノーイ・ヌル・フランクリンです。貴方達と馴れ合う気はありませんが、社交辞令として、よろしくくらいは言っておきましょうか」


…これも、校長らの配慮なのだろうか。しかし、昨日の今日だ。正直、嬉しい様なそうでない様な微妙な気持ちだが、せっかくの施しを無下にあしらえるほど、僕は周りの環境に恵まれていない。


午前の授業が全て終わり、大学受験、または就職活動を控えた高三生徒達は各自帰路に着く。

窓辺からその様を頬杖をつきながら眺め、ちらりと右隣りに目を向ければ、雪ちゃん共々机に倒れ伏していた。

この時期の授業は専ら面接練習や大学受験対策が行われる。就職活動希望者は自習か面接のどちらかで、大学受験生は自分の受ける教科を選択し、毎回テストを行う。帰りのホームルームに担任から今日受けたテストを返却され、返却されなかった者…すなわち点数が悪かった者は居残り補習となる。

僕は論外、雪ちゃんはともかくとして、まぁ予想通りの結果か。


「よ〜し、他は帰ったな。じゃ、今からカンニング疑惑が浮上中のお前等の答案を返却しまーす。まずは田中」

「…どうだった?」

「句読点のミスがなけりゃあ満点だ」


ほれっと答案と解答用紙を返される。傍らに立っていた岸辺が、ギョッとしたように答案を覗き込んだ。


「おいおい…。九十ニ点なんて馬鹿の取る点じゃねぇぞ。どうした、頭打ったのか?」

「いや、前にやったから何となく覚えてた」

「相変わらず、記憶力だけは群を抜いてるよな」

「っていうか、この点なら別に居残らなくても…」

「まぁそう言うな。雪はともかく、お前等の都合でこいつらは入学し、こうして補習に駆り出されてるんだから付き合うくらいしなさい。絶対退屈しないぞ、保証する」


そうして次々に答案は返され、キー先は面倒臭そうにがりがりと頭を掻きながら深い溜め息を吐いた。出席名簿に挟んでいたクリアファイルを取り出し、中から僕等の答案のコピーとおぼしきプリントを岸辺に渡してから、自らも教卓に並べて一瞥する。

それぞれの答案に一通り目を通した岸辺親子の目元はぴくぴくと痙攣を引き起こしていた。

これは岸辺家特有の答案に隠された数多のボケに対してツッコミを入れなくては気が済まないのだが我慢しているがために表れるツッコミ禁断症状の初期症状である。

末期になると遂に抑えが利かなくなり、火山が噴火するような勢いでツッコミが炸裂。抑えの反動として、どうでもいいことまでツッコミだすので時間をかなり浪費する。過去最大五時間ツッコミ通した。対策として、小まめにボケてガス抜きするのが良。


「ツッコミたい点が幾つかあるが、まぁ順を追っていこう。大問一は記号問題か…まぁ、それなりに出来てるな。さて、問題はカンニング疑惑が浮上した大問二からだ。大問二の三番、『程度』を用いた短文を書け!各自、自分の解答を読み上げろ!不正解エントリーナンバー1番田中っ!」


びしっと指差しで指名され自分の答案を読む。


田中ズ・アンサー

『お前の実力はその程度か、勇者カルパッチョ』


雪ズ・アンサー

『その程度だと?これが魔王チクワの力か…』


カインズ・アンサー

『勇者カルパッチョよ、お前の力はその程度ではないわい。今こそ真の力を解放する時じゃ』


アンナズ・アンサー

『チクワは箱根の炭火焼きに限るな』


ノーイズ・アンサー

『―かくして、魔王チクワは昼のお弁当のおかずとして転生を果たしたのだった』


ノーイさんが自分の解答を読み上げ終わると同時にキー先は教卓をぶっ叩く。


「ツッコミどころが多過ぎて何処から手をつけていいか分かんねー程の一体感だな、おい!しかも短文じゃねぇし、何か物語り始まってるし。最後の方、『程度』用いてねぇし。ったく、魔王チクワはどんな経緯を経て弁当のおかずになってんだよ。転生っつーか、ただ調理されただけだろ。勇者カルパッチョってどんな名前だよ。そもそもチクワって炭火焼きか?」

「…つーか、カンニングしただろ、お前等」


岸辺は溜め息を吐きながら雪ちゃん達を一瞥した。


「ちょっと待って下さい。横はともかく、私は後ろの席ですよ?前の座席にいる馬鹿は勇者カルパッチョの存在は書きましたが、魔王チクワの存在までは明かしていません」

「変な憶測は止めてほしいな。そんな行為をしなくとも此処にいる者は皆、共に戦い、同じ釜の飯を食べた仲だ。…ただ、その時の具がチクワだっただけのこと」

「知るか!んなんで此処までシンクロ出来るんだったら皆そうしてるわっ!」


まだ当分は続くであろう岸辺親子のツッコミの嵐を尻目に、僕は斜め後ろに座っているノワールに話し掛ける。


「ノワールは不正解じゃなかったんだろう?何て答えた?」

「私ですか?えーと…」


僕の問いにノワールはキョトンとしながらも自分の解答に目を通す。


「『程度の低い争いほど、見るに耐えないものはない』…ですわ」

「流石は姫様。まさに、今の状況ですね」

「いや、その状況を作り出したのは僕等なんだから何とも言えないんじゃないか?」


そうこうしている内に日は暮れ、夕闇が空を覆う。

キー先が外の様子に気付き今日で五度目となる溜め息吐いて場をお開きにした。


「私、今日はお父さんと待ち合わせしてるんだ、ごめんね」

「一緒に帰りたいのは山々だけどよ、このあと打ち合わせとかがあるから今日はパスな」


などと、各々用事があるらしいので仕方なく一人で帰ることを決意する。教官達は既に知っていたらしく、親子水入らずのところに邪魔するのは野暮だろうと今日は僕のところで一泊することになった。そんな彼等だが、今は買い物に行かせたため既にいない。


これから帰る家は因縁の旧田中、あるいは松下家だ。

カイン達にはあらかじめ地図を持たせてあるので多分問題ないだろう。

あの家に帰るのは何年ぶりだろうかと思いを馳せる。ともかく僕は先に行って鍵を開け、掃除とか掃除とか掃除とかをしなければならない。

何かあった時にと売らないでおいたが、よもや此処で役に立つとは何たる皮肉。


坂道を下り、大通りへと出た。いつもは真っ直ぐ横断歩道を渡るが、今度の家は渡らずにそのまま右折したところにある。

人気のない路地を歩き続けること十分。邸宅と言っても過言じゃない家ばかりが建ち並ぶ閑散とした住宅街が見えてきた。どの家も明かりがない。まるで誰もいない世界に放り込まれた様な疎外感と孤独を味わいながら黙々と歩みを進め、ようやく目的地に到着した。他の家と比べればこじんまりした方だ。二階建てで、雨風に晒され続けたクリーム色の塗装は酷くくすんでいる。

携帯のディスプレイに目をやれば、時刻は既に七時。学校を出たのが六時半だから片道三十分を要するらしい。

玄関の鍵を開けて中に入ればやはり埃っぽかった。

一階のありとあらゆる窓を開けて換気し、ドアを全開にする。髪を結び、袖を捲ると、机などに積もった埃を濡らした雑巾で丁寧に拭い、バケツに入れて濯ぐといった作業を延々と繰り返して早一時間が経過。


「何か喉渇いたなぁ…。カイン達、お茶とか買って来ないよね」


渋々立ち上がり、ポケットに財布があることを確認すると外に出る。

辺りを見渡せば蛍光灯が一定間隔でバチバチと点滅を繰り返していた。

それに添うようにして歩き、一分ほどで自動販売機の発見に成功する。

いらっしゃいませと温かみある機械音声の挨拶に律儀に挨拶仕返す。

ポケットから財布を取り出し、千円を入札口に吸い込ませた。おぇっと吐き出される。無理矢理突っ込んだら今度は消化してくれた。


「お茶を買うのはアレだし…。おしるこで良いか」


かじかんだ手で悪戦苦闘しながら缶を取り出し、熱いので両腕に抱え込む。


「あの」


いつの間に居たのか、黒髪の女子高生が後ろに立っていた。

第一印象としては美人の一言に尽きる。だが、何処か機械的というか冷たい印象だ。口調が淡々としているせいかもしれない。


「貴方が田中優真で間違いありませんか」


まともに答えて良かった試しがないので思い付いたことを口走る。


「…人に名を尋ねる時は、まず自分からって教わってない?」


少女は僕の顔をじっと見つめ黙った。しかしそれも数秒のことだった。


「失礼しました。私、セキュリティーシステム・コード0724カルマと申します。

システム上に異常が発生したため、修正プログラムが作動。現在、バグ発生源の駆除とプログラムの修正を行っています」


よく分からないが、とんだ電波女に掴まったなと昔の僕ならボケていただろうが、今回ばかりはそうもいかない。


「つまり、バグの発生源の駆除が君の仕事な訳ね?そして、田中優真って人がバグ発生源の張本人だと?君はサイボーグってことになるけど」

「はい。こうして実体を持てていることも本来は有り得ないのです。それだけあちらの干渉を受けている。―貴方が田中優真ですか?」

「僕は…」


カルマの瞳孔が無機質な機械音と共に少し縮まった。まるでカメラのピントを合わせるかの様な機械的な動き。

僕の答えを待たずして、カルマは喋り出す。


「…声紋照合結果九十二パーセント一致。よって、対象者を田中優真と断定し、削除デリートします」

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