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第四章 プロローグ


―深夜二時。

流石にこの時間だと、酒くらいしか娯楽の無い三嘉ヶ崎市民は皆、眠りについていた。


「…よっし。帰るまでが戦争だ。敵がまだ潜んでいるかもしれないと思い、ぜってー家に着くまで緊張感を解くなよ。良いか、もう一度確認する。誰か来たら直ちに隠れろよ?」


切羽詰まったように岸辺は言って、己の服装をしげしげと見た。

他者の血をこれでもかと言うほどたっぷり吸った迷彩柄の隊服。血と硝煙の臭いがこびりつき、その臭いが鼻孔を掠める。

アンナやカインが着ている鎧も同様で、唯一無事なのがノワール達の服だろう。しかし、それも土や泥で汚れてしまっている。

彼等の傍らには未だ、ぴくりとも動かない田中優真なる青年が伏しており、はたから見れば、この異彩とも言うべき赤、白、金、黒髪メンバーの襲撃に遭い、この様に成り果てたと十中八九判断されるであろう。そんな事態を回避すべく、優真の自宅を目指し行動を開始した。


「…むっ。岸辺、何か来るようだぞ」


アンナがコンクリートの地べたに耳を付け、岸辺に報告する。


「皆、塀の裏側に身を隠せ!」


岸辺の指示に従い、皆がわらわらと塀をよじ登り、裏側に身を潜める。しかし、好奇心から塀から顔を覗かせて何が通るのかと目を輝かせていた。

そんな彼等の前を一台のトラックが走りすぎて行く。


―瞬間、衝撃がミケガサキメンバーに走った。驚愕の表情を浮かべ、走り去るトラックを凝視する。


「な、何だ、アレは!?もしや、敵の新たな兵器…斬り捨てる!」

「兵器でも何でもないし、銃刀法違反に加えて、これ以上変に罪状を増やすなぁー!!」


新天地へ来たという気の高まりからか、岸辺の言葉に聞く耳も持たず、易々とその制止を振り切ってアンナは軽々と塀を飛び越え、風を切るような走りでトラックに追いついた。


「追いついちゃったー!!」

「…こちらの世界でも魔法陣は有効なんですね」


頭を抱えて絶叫する岸辺に、ノーイが感嘆しながら呟く。


「素直に感心している場合かっ!誰か止めろよ!」

「よし、なら俺が行く」


瞳に闘志を漲らせ、立ち上がったカインは塀を破壊し道に出ると、大剣を構える。

すると、剣の刀身が炎に包まれた。勢いよく爆ぜる火の粉と共に凄まじい熱気が塀越しからでも伝わって来る。


「ふんっ!」


その一振りに、剣が纏っていた炎が竜となってトラックの脇を通過し、数メートル先の地面に激突したかと思うと、天をも焦がさんばかりの火柱が道を塞いだ。トラックは甲高い悲鳴を上げながら急ブレーキを利かせ、火柱すれすれで停止する。


「成程。アンナ教官ではなく、トラックを止めるんですか。―人選、ミスりましたね」

「運転手、逃げろぉぉおおおっ!!」


ノーイは納得したように柏手を打ち、うなだれている岸辺の肩を叩く。けして聞き届けられないであろう悲痛な叫びが夜空に響いた。


「カイン、助かった。…さて、年貢の納め時だ」


アンナの双眸が、すっと細められ、悪役さながらの表情に変わる。いつの間にか両手には曲刀が握られており、パチパチと電気を帯びていた。


「俺、もう知らねぇ…」

「あっ!アンナさん、ちょっと待って!」


岸辺は全てを諦めたように塀に突っ伏しながら呟く。その時、それまで事の成り行きを静かに見守っていた雪が何かに気付いたらしく、突然叫んだと思うと、塀を乗り越え、道路に踊り出た。


「氷雨っ!」


雪は二人とは異なり、突きの構えを取ると、勢いよく刀を前に突き出す。

水を纏った刀身は、突きの勢いと共に水の弾丸となり飛び出した。そのまま一直線に向かうのかと思いきや、散弾銃の様に四方へ広がっていく。

失敗かと疑念が過ぎるが、四方へ飛び散った水は更に細かい水滴となり、狭い通路の塀をスーパーボールのように目にも留まらぬ早さで跳ね飛び、さらに細かく分化ながらその数を倍増させると、たちまち乾いた音をたてて氷のつぶてへと変化し、アンナのもとへと向かう。

それに気付いた二人は直ぐに己の剣を振り回し、怒涛のように降り注ぐ氷のつぶてを防ぐ。

その勢いは凄まじく、広範囲に渡った氷のつぶては塀や道路を容赦なく穿った。

雪の妨害により、敵の駆逐を邪魔されたアンナさんは少し不愉快そうに片眉を跳ね上げて問う。


「どうしたと言うのだ、雪」

「あのっ、ちょっと、待って下さい…!そのトラック、多分…」


雪は息を切らせながらトラックに近寄り、ナンバープレートを確認する。

やがて息を整えながら、アンナの質問に答えようとしたその時、運転席のドアが開き、乗っていた運転手が外に出て来た。


「雪…。驚いたな、還って来ていたのか…」

「お父さんっ!」


まるで幻を見るかの様な呆気に取られた表情で、吉田さんは愛娘を凝視する。

雪は涙ぐみながら吉田さんの懐へと駆け寄り、再会の抱擁を交わした。


「怪物め、人を丸呑みにしていたとは…。危うく斬り捨ててしまうところだったぞ」

「だ・か・ら、違うっつってんだろーが!」


溜め息混じりに剣を収めるアンナに、岸辺は猫の様に毛を逆立てながら怒った。吉田さんは、やれやれと言わんばかりにそんな岸辺の頭を軽く叩く。


「こらこら、騒ぐな。時間をもう少し考慮しなさい。―…とにかく、その格好でうろつかれたらどんな誤解を招くか分からない。皆、荷台で良ければ遠慮なく乗ってくれ。我が娘共々世話になったお礼と言ってはなんだが、一先ず家に招待させてほしい。

部屋は狭いが、この人数を泊められるくらいの余裕はある…といいな」

「助かったぜ、吉田さん。部屋が無いなら田中の家に邪魔するから安心してくれ」

「ははは、そうだな。いざとなったらそうしよう。太郎、お前はどうする?良ければ送っていくが」

「いや、絶賛絶交中だからそれはカンベン」

「まだ喧嘩中なのか?それでも、ちゃんと連絡くらい入れなさい。お前しかいないんだから」

「はいはい、わーってるよ」


携帯を取り出し、ボタンを操作し始める岸辺を苦笑混じりに吉田さんは見ながら荷台の鍵を開け、再度、一同を見回した。

二度、その視線がオズと優真に向けられる。


「…よく来てくれた」


たった一言そう呟いて、吉田さんは運転席に戻って行く。雪もその後を追って助手席に乗り込んだ。皆もそれに従い、順番に荷台に乗り込む。オズは車椅子だったので、カインとノーイが持ち上げて中へと運ぶと、ノワールがサイドブレーキでしっかり固定し、万が一の事があってひっくり返らないようにと傍らに寄り添う。

程なくしてエンジンの掛かる音と振動が小刻みに響き、トラックは発進した。


「そう言えばノーイ。先程からお父様の姿が見当たりませんが?」

「そう言えばそうですね。我々と一緒でないということは、あの時既にいなかったのかもしれません。だとするなら、まだ向こうのミケガサキにいらっしゃるのかも」

「―向こうのミケガサキは…いや、世界は果たして無事なのだろうか?」


アンナの独白に、ノーイが彼女を睨む。


「無事に決まってるでしょうがっ!それとも何か!?貴女はっ…!」

「ノーイっ、お止めなさい!」


アンナに掴み掛かるノーイを見兼ねてノワールが止めに入ると、彼は舌打ちしながらアンナから離れた。


「…いや、今のは私が不謹慎な事を言った。すまない」


訪れた沈黙。空気が鉛の様に重たくのしかかった。まさに気まずいの一言に尽きる。


―これからのこと。

先に待ち受ける未来など、誰にも予想できはしない。それでも、どうなってほしいか祈る事は出来る。


「…よし、今から各自、抱負を語れ。俺は貯金を百万貯める。次、ノワール」

「え、えぇ!?そ、そうですわね、うーん…。こちらの世界の可愛いお洋服を沢山手に入れたい…とか?」


あたふたしながらノワールは考え、首を傾げながら抱負を語る。


「よし、次、ノーイさん」

「一日で良いから完全な暇が欲しいです」

「た、多分、此処なら一日と言わず一年でも暇が得られますよ。じゃあ、カインさん」

「抱負か…。い、いや、あるが、あるんだが此処では公に出来ないからっ、アンナ、パスっ!」

「カインの嫁になるっ!」

「って、おいっ!少しは自重しろよ!言わない俺がヘタレみたいじゃないか!…っ必ず嫁にする!」


十分にヘタレだと皆心のうちで思いながらも口には出さなかった。


「よりにもよって、そんなプロポーズ紛いの台詞を此処で吐きますか」


ノーイの最もなツッコミにカインは羞恥からか何も答えない。代わりにアンナが平然と答えた。


「私は別に構わないが。プロは場所を選ばず、だ」

「何のプロっすか、それ…。いや、これに関しては流石に選んだ方が良いと思いますよ。じゃあ、次はオズさん」

「…私ですか?私は…、そうですね。今に思えば、もう叶ってしまいました。それに見合うだけの代償を背負うことにはなりましたが」


それ以上の言及を拒む有無を言わさぬ笑みで膝を摩りながらオズは昔を懐かしむように遠くを見た。

事情を知らない岸辺は不思議そうに首を傾げるが、他は違った。薄暗闇の中、何とも言えない表情で、それぞれ顔を伏せたりしながら明ら様にオズから視線を逸らす。


「―では、最後は彼ですね」


オズはそんな彼等の反応を気にする風もなく、視線を優真に向ける。


「抱負、何かあります?」


オズの問いに応じる様に、先程まで微動だにしなかった死体が息を吹き返す。

体は貪欲に酸素を求め、ひーと掠れた音を上げながらありったけの酸素を吸収すると今度は盛大に噎せた。


「おいおい、大丈夫かよ…?」


岸辺が心配そうにバシバシと背中を叩く。同時に車内の揺れが収まる。程なくして光が差し込んだ。

荷台の扉が開き、目の前に赤い屋根の二階建ての家が待ち構える。

皆、修学旅行中の学生の様に、迷惑にならない程度にはしゃぎながら、わらわらと荷台から降りて行く。

雪も嬉しそうに隠し鍵置き場である植木鉢を持ち上げ鍵を取り出すと、ドアを開け、皆を招き入れる。

そんな光景を遠巻きにながめながら、岸辺は苦笑混じりの溜め息を吐き荷台から下りる。優真もその後に続いた。


「優真…」


吉田さんが驚愕に目を見開きながら、元死体の名を呟く。

優真は暫く無表情だったが、ようやく現実を実感し始めたらしい。顔半分を覆う黒髪の間から謎めいた笑みを浮かべた。


「ただいま。…還ってきたよ」


この時、得体の知れない緊張感のようなものが、二人の間に漂っていた。


「お、おい…、どうかしたのぐぁあああっ!!?」


チリリリンッ…と、けたたましく自転車のベルが鳴ったかと思うと、程なくしてライトが二人を照らす。

相手はブレーキを掛けることもなく、全速力で二人を跳ね飛ばした。


「「いってーー!!」」


数メートル吹っ飛ばされ、地面を転がり擦りながら何とか停止した二人は声をハモらせて喚く。


「時期尚早のサンタさんが無断欠席約三年皆勤賞馬鹿と愚息スーパークレイ人をわざわざ迎えに来てやったぞ、感謝しろ」


紀井野義鷹ことキー先は自転車から降りると、わしゃわしゃと乱暴に二人の頭を撫でた。


「久しぶり、キー先。時期尚早のサンタというより悪魔サタンだよ。マジでお迎えに来られるところだった」

「見ない内に、すっかり成長したな。そんなお前にプレゼントをやろう。何、この前の借りをチャラにするんだと思えば軽いもんだ」


にっこりと微笑みながらキー先は優真の前に一枚の髪を突き出す。うっ…と優真がたじろぐ。


「どうしよ、今年卒業出来なきゃ退学だって」

「…というか、今まで何故その措置が取られなかったのか俺は不思議でならねぇよ。まっ、何はともあれ、抱負が決まって何よりじゃねぇか」

「ははは…。抱負は今度こそ卒業に決定っと」


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