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第二十七話


―僕の中で最も古い記憶。


白い天井。視線を少しずらせば、目の前には柔和な顔立ちの可愛らしい女の人の顔がある。

僕はその人の顔をじっと見ていた。時折、頬にかかる滴に目を奪われながらも。


これが、時を重ねるごとに掠れぼやけて風化していく生前の母の姿だった。


『ユウヤを頼みます』。


そして彼女は僕が物心をつく前、たった一言そう書き記した遺書をポストの中に残して。



自宅で首を吊って死んだ。



****


「東裕也が…、優真の弟?それは本当なのか、優真」


落雷に打たれた様に屋根を見上げていた皆の視線が一斉に教官に注がれた。それからまた僕等へと戻る。皆はただ固唾を飲んで僕の回答を待っていた。

一線に注がれる視線に、僕等は一種の見世物か何かと沸き上がってくる苛立ちを拳を握り、頷くことでやり過ごす。

下で大きなどよめきが上がった。その反応を東裕也は冷ややかに一瞥し、嘲笑を浮かべる。


「僕等は見世物か何かかよ」


この時ばかりは、如何に腹違いと言えど、思考回路が全く一寸の狂いもなく同調シンクロしていた事実に拍手と口笛を運命の皮肉というやつに心の底から送っていただろう。


「…アンナさん、でしたっけ?ムカつくくらいに洗脳が解けるの早いですね」

「あぁ、明真に貰った義眼のおかげでな。炎に炎が効かぬように、これのおかげで効果が薄まったようだ。…で、優真よ。貴様、弟とは初対面ではないだろう?最初から分かっていたはずだ。何故、教えなかった?我々が、お前の信頼に足りぬ人物だとでも言いたいのか?」


教官はノワールの支えを受けて何とか立ち上がると、眼帯を軽く摘んでみせる。それから僕の方に鋭い視線を寄越した。ひやりと肌を撫でる殺気に戦慄が走る。


…何故、味方にまで射竦められなければならないのだろうか、僕は。これも『魔王』たる者の運命さがなのか?


たっぷりと怒気の篭った教官の視線から目を逸らし、歯切れ悪く答える。


「非常にナイーブな問題かつ、内情に留めたいことなので岸辺にだって話したことがない。信頼云々とかじゃないよ。…誰にも、知られたくないことの十や二十はあるだろ?」


我ながら月並みの回答だと思う。勿論、教官が求めている回答に一ミリも掠っていないのは分かっている。

何より、言ったところで何も変わらなかったと僕はそう思うのだ。


「僕等は腹違いでね。言うなれば、彼は正室、僕は妾ってところかな。

―その昔。ちょうどこのくらいの時期だったか、女性にとって凄惨な事件が起こった。大体想像つくかと思うから、そこは割愛させていただこう。

僕はその加害者と被害者の息子で、東裕也も加害者の息子。確かに血は繋がっているだろうけど、立場上会いにくいものだよ」


喋りつつも全神経を東裕也の動きに集中させた。互いに剣を構え、一定の距離を保ちつつ、間合いを探る。下手に距離を詰めれば簡単に相手の間合いに踏み込んでしまうからだ。

如何に自分の間合いの範囲内に相手を誘い込むかが鍵となる。つまり、ここからは完全なる心理戦。

出来れば穏便に済ませたいのだが、この雰囲気ではそうもいかないようだ。


「…結局、向こうの三嘉ヶ崎では一度として僕の前に現れませんでしたね。妾とはよく言ったものです。僕のことなんて露知らず、温室でぬくぬく育っていたんでしょう?」

「ぬくぬく育っていたら、僕の身長、あと五センチはプラスされてたね、絶対。でも、認めよう。確かに僕は君の存在を知りつつ、そして頼まれつつも迎えには行かなかっ…」


言い切る寸前。東裕也は一気に僕との距離を縮めた。憎悪に燃える赤い瞳が近距離にあり、そこには僕が映っている。

冷や汗と共にほぼ反射的に『瞬間移動の陣』を形成すると、別塔の屋根上に避難した。心臓がまだ早鐘を打っている。


「…何か勘違いしているようだけどね、僕には君を迎えに行く必要も義務もないんだよ」

「それじゃあ、僕の母さんはどうなるんですか。あんたに遺書書いて、首吊って死んだ僕の母の意思を誰が果たせって言うんですかっ!?」


東裕也は完全に気が動転しているらしく、癇癪を起こしている。


「…落ち着け、裕也くん。何処のご時世に、肉親でもない当時齢十一、二才児に遺書を宛てる人がいるんだ」

「だって、ポストの中ですよ?優真お兄ちゃんは逢い引きさながらに、ポストから鍵を取って家に来てたって目撃証言あるの、僕知ってるんですから。いくらチビなお兄ちゃんもランドセル踏み台にすれば届くでしょ?」


言葉の節々に潜む悪意に腸が煮え繰り返る思いだったが、所詮は子供の戯言。年長者として此処は耐え忍ぶべきだ。心を、心を無にするんだ、田中優真。


「影の王、まさか貴方…」


フレディが目を見開き、驚愕の表情を浮かべる。

その表情を見ただけで大体の内容は予想できた。弄る要素テンコ盛りの内容に、この男が食いつかないわけがない。


熟女マダムが好みだったんですか…。幼少から既にその極みに達するとは恐ろしいですね…」

「断じて違う!つか、何の話だよ!?」


屋根を駆ける音に視線を向けると、東裕也がこちらの屋根に飛び移ってきたところだった。

彼は大粒の涙をぼろぼろと流しながらも、僕への親の仇を見るかのような眼差しは一向に変わっていない。


「君は何か誤解しているようだけど、君の言うポストは郵便受けのことだろう?真相は違うぞ。それは郵便ポストの方だ。君のお母さんは、あいつのいる拘置所に送るつもりだったんだよ。

あぁ、もう。一体、僕が何をしたって言うんだ」

「何もしてないからです…よっ!」


溜め息と共にバックステップを踏む。直後、風切り音と共に一閃。剣が頭部を掠め、逃げ遅れた髪を数本散らした。瓦だか煉瓦だかに似た素材の屋根の斜面を滑るようにして勢いを殺し、静止する。

しかし、そんな不安定の足場かつ体勢の敵を追撃しない訳もなく、高低の立ち場を上手く利用し、東裕也は再び剣を構え直すと一気に躊躇うことなく屋根を駆け降り助走をつけると跳躍。僕の頭をかち割らんばかりに剣を振り下ろす。

咄嗟に剣を上に突き出したものの、加速による跳躍の勢いと重力により倍増された体重の全てを乗せた一撃は重く、双方の優劣を際立たせた。


「…優真の動きや反応がかなり鈍っているな。脳が送り出す指令に体が反応出来ていない」

「確かにそのようですね。症状からして魔力の使いすぎが考えられますが、魔力量だけは常人を遥かに凌ぐ馬鹿には有り得ないことです。この結界が何か関係あるのでしょうか?」


ノーイさんの問い掛けに皆が空を仰ぐ。それを尻目で確認しながらも、踏ん張ろうと足に力を入れる度に少しずつ滑り落ちて行く。体勢を少しでも後ろに傾ければ問答無用でひっくり返りそうだ。


そんな僕に対し彼は何を思ったか、不意に剣に掛かる重みが無くなる。東裕也は軽く地を蹴ると、そのまま後退した。


何をする気なのかと怪訝な表情を浮かべる僕に、東裕也は無表情のままに勇者の剣を放り捨てた。ガシャンッ…と剣が屋根に叩きつけられる。


突然の出来事にただ唖然とするばかりで反応が遅れ、対処が不能となる。…完全に動揺していた。

その隙を突いて東裕也は僕の手から剣を弾き、足を刈る。背中を強かに打った挙げ句、倒れた衝撃でバウンドした頭は二度地面にぶつけた。チカチカと目まぐるしく星が点滅する。

倒れた拍子にポケットから携帯が滑り落ちた。咄嗟に手を伸ばすが、寸前のところで届かない。そのまま屋根をスライドしながら下へ落ちた。


「くそっ…!」

「あーあ、この高さじゃ壊れちゃいますよ。残念でしたね」


そう毒づく僕に東裕也は抑揚のない声色でそう言って右腕を軽く上下に振る。すると袖口からナイフが滑り落ちて手元に収まった。そのまま僕に呻く間さえ与えず徐々に下にずり落ちていく僕の体に杭を打つかのように心臓目掛けて容赦なくナイフを振り下ろす。刃が肉に突き刺さる生々しい感触と熱が同時に感覚を刺激する。


―ただ、それだけだった。


え…?と予想外の事態に目を見開きながら東裕也は動揺を露わにした。よろよろと二、三歩後退。。

それは僕が死なないことに対する怯えというより、送還されるはず自身が未だにこの地に留まっているという不安。

もし、彼の筋書き通りに事が運んでいたならば、悪の親玉・魔王ユウマを倒した勇者ユウヤは三嘉ヶ崎に送還されるはずなのだから。


「成程、妙だと思ったんですよ…。しかし、考えましたね…」

「まっ、不死じゃなきゃこんな真似出来ないわ。こりゃ、主様に一杯食わされたわね〜」


納得したように言うフレディとヴァルベルについて行けず、岸辺達はキョトンとしながら二人を見た。


「…どういう事だよ?」

「つまり、誰も死んでないってこと」

「は?」


何言ってんだ、こいつと言わんばかりの岸辺の視線にヴァルベルは悪びれもせず、むしろ堂々としている。


「あら、良いことじゃない。もっと喜びなさいよ。これで悪夢にうなされる必要は無くなったんだから。

どうやら、国を丸々覆うこの結界が一つの魔法陣の役割を果たしているのね。死者と生者をひっくり返す陣なんてよく考えついたものだわ。理も真っ青ね」

「しかし、一人の生者により全ての死者が息を吹き返し、尚且つその死者までもが生き返るなら、最初から死者はいなかったということになります…。暴論ですが、一応筋は通るでしょう…。後は、アリスの治癒が間に合うかどうか…。

―それにしても、国を丸々覆う程の莫大な規模の陣とは影の王の魔力ならではの御業ですね…。構築と形成は別の者が行ったようですが…」


二人の説明を受けても岸辺はまだ全てを理解するに至らなかったようだが、どうやらやってはいけないことをやっているというのは理解したらしい。目頭を押さえながら重々しい溜め息を吐いた。


「…お前等、天地無用って言葉知ってるか?」

「一人の一時的な犠牲で万人が助かるなら良いじゃない。犠牲は最小限に留める。主様の願いはちゃんと叶っているわ。それに、元々私達の仕事は理を捩曲げ、混沌を生み出すことだし。

まぁ、結界が壊されない限りは主様は死なないけど、主様の魔力にも限度があるからケリをつけるならそろそろかしら?」


諭すようなヴァルベルの口調を耳に留めながら、僕は胸に突き立てられたナイフを勢いよく引っこ抜く。勢いよく血が吹き出たが気にしない。そのまま立ち上がり、東裕也に向き直った。

今の説明は彼の耳にも届いているはずだが、中々そのダメージから抜けきれない様だ。


「残念だったね、死ななくて。僕だって、やられっぱなしじゃ格好がつかない。魔王のくせに世界を救う手助けばかりで、唯一の汚点が自己決定による意思でないばかりか他人に濡れ衣を着せられたとあっては、魔王も死に切れないよ。

…まぁ、早い話。いつぞやの仕返しってことで」

「随分、根に持つんですね。酷いことするじゃないですか。僕はただ…」


東裕也は自嘲気味に笑った。彼が言い切る前に僕はそれを一蹴する。


「こっちの台詞だよ。君の我が儘で何人死んだと思ってるんだ。救世主気取りも大概にしろ。君が世界を滅ぼしたところで」


態と一拍おいて答える。


「僕は還れないんだ」


その言葉に東裕也の顔色が蒼白になる。嘘だと口が動くが言葉になっていない。

僕は首を振ってそれを否定した。


「―此処を滅ぼせば、僕等を散々蔑んだ向こうの三嘉ヶ崎の住人の大半が『リンク』により死ぬだろう。そうすれば僕等の復讐は果たされるし、尚且つ僕等も還れる。だが、それを僕は望んでいないから君が憎まれ役となる。それでも良いのなら。…そう吹き込まれでもしたか?」


東裕也は何も言わず、ただ悔しげに唇を噛んでいた。その沈黙が事実を雄弁に物語っている。

溜め息を一つ。それで肩の力を抜くと彼に近寄った。誰にも聞こえないように小声で話す。


「…ありがとう。迎えに行かなくて悪かった」


君は両者の愛の証で、僕は単なる気まぐれ。偶然の采配だったから。

それだけで天と地ほどの差があるように感じたんだ。所謂、劣等感というものを君に対して感じていたわけだよ。

君の言う通り、僕用の手紙…遺書は郵便受けに入ってた。同じ内容のが。

何れにせよ、同じ目遭うって分かってるのに、だから頼まれたのに、何か絶対、頼まれたって面倒なんか見てやるかって意地になってた気がする。


「今更だけど……迎えに来たよ、裕也」


はい、と手を差し延べる。裕也は泣きながら何度も頷き、迷子が母親に保護された時の、安心した笑顔でその手を取った。


「…何か、このままじゃ気持ちに区切りが着かないんで、決着、つけませんか?」


賛成、とだけ返して、剣を拾いに戻る。裕也もそれに倣った。

彼の言う通り、このまま終わるんじゃ終わるに終われない。これじゃ唯の壮大な兄弟喧嘩だ。はた迷惑にもほどがある。

しかも、『リンク』という弊害が伴い、発端と被害が反比例するという最悪の結果を生まんとしていたのだから、最初からそれが分かっていただけに、何としても食い止めねばと思うのは当然じゃないか。


剣を拾い上げ、向き直る。裕也の方も準備は整った様で、既に構えていた。「出し惜しみ無しですよ」

「…合点」


本当に分かってるんですか?と裕也は不満げに口を尖らせ、中腰で突きの構えを取り、僕は直立不動のまま片手で剣を握り、胸の前で縦に構えた。言い換えるなら、僕は防の型、裕也は攻の型である。

互いに初撃で決着をつけるつもりなのは勿論分かっている。だからこそ、慎重に行かなければならない。


互いに、眼前に映る相手を見据え――。


刃の裏を返す。同時に裕也が凄まじい踏み込みで距離を詰めた。相変わらず、神速と言っても過言ではないスピードだ。よくもまあ、こんな足場の悪い場所でそんな速度が出せるものだと素直に感心する。

―恐らくは心臓を狙ったであろう裕也の剣は、僕の剣の構えにより一瞬だけ迷いが生じた。…とは言え、刃先を右にずらすといった唯の軌道修正だが。

予想通りの行動、そしてその先に待っている結果が用意に想像出来、思わずほくそ笑む。迫り来る刃を空いている方の手で掴んだ。

黒い鮮血と共に、勇者の剣は黒い粒子と化して風にさらわれて行く。

突然の出来事に呆然とする裕也の首に魔剣を当てると、彼は困った様に笑って両手を上げた。


「降参です」

「…出し惜しみ無しだっただろう?」

「僕も使えば良かったな。そしたら勝てたのに」


そいつは残念だねと返しながら、頂上に浮かぶ乳白色の光の球体『コア』を見据える。

やっと『リンク』を断ち切れるという安堵感が広がった。

そしてポケットを探り…。


―携帯が無いことに思い当たった。

ちょっと先走り過ぎたところが多いので後で加筆修正を予定。

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