葉子絶対絶命、絶命
翌朝。清はすっきりと目覚めた。霊力も6割方回復している。これなら問題なく帰れそうだと目論んでいる。昨夜のあの様子なら鬼村はまだ寝ているだろう。そそくさと帰るべきだ。
そうなると葉子を起こさなければならない。昨夜のことがあるため、いまいち行きにくい。だが、行くしかない。さすがに葉子を置いて自分だけ帰るわけにもいかない。意を決して部屋に立ち入る。
寝息が聴こえる。まだ寝ているようだ。布団越し、肩に手を当て揺り起こす清。お約束のようにいつもの寝言を言う葉子。
「あふぅぅん、せんせぇ、そこは違うあ……」
「ぐへへへ……せんせぇもう逃げられませんよぉ……」
「嫌よ嫌よもなんとやらぁぁ……」
寝言は言うものの、全く起きない葉子。さらに強く揺する清。
「おい、起きろ。帰るぞ。」
「うへへへぇ……せんせぇ……てんじょうの……しみっ!」
急にパチリと目を覚めした葉子。
「うおっ!」
「あ、夢と同じ天井……せんせぇ! おはようございます! さあ夢の続きをしましょう! 私が上で! せんせぇが下です! 天井のシミを数えておいてくださいね!」
「帰らないんなら置いていくぞ。今なら鬼村さんが寝てるからな。」
「あぁんせんせぇの意地悪ぅ! 帰りますよぉ! 鬼の居ぬ間に洗濯屋ケンちゃんですよね!」
鬼はすぐそこで寝ているだけだ。居ないわけではないが、清はスルーした。
ちなみに清が急いで帰りたがる理由はまだある。トイレの問題があるのだ。22世紀に生きる清にとってトイレが汚いことは耐えられない。最低でも洋式シャワートイレ、事務所のトイレなど最新式エアロバキュームウォッシャブルハイパワーターボ量子AIシステム搭載のため、事を済ませたなら紙で拭く必要など全くない。とてもクリーンなシステムなのだ。
それなのに、鬼村宅のトイレは和式の汲み取り式。いや、正確には汲み取る必要すらない魑魅魍魎式なのだが……それだけに清は絶対に使うまいと決めている。そして一泊した翌朝……そろそろ限界なのである。清としてはまだ野糞の方がマシなのだが、ここら一帯は鬼村の縄張りである。そんな場所で野糞などできるはずもない。とにかく急いでいるのだ。
むしろトイレの問題は葉子の方が切実であるはずなのに、よくもまあ慌てずにいられるものだ。
そしてついに村を出て、車までの長い道のりを歩く状態にまで持ってこれた。最低1時間は歩く必要があるが、どうにかなりそうだ。清は……
そんな時、前から歩いてくる人影が見えた。こんな山奥を歩く物好きなど清たちぐらいのものだ。つまり、相手は……
「ん? そなたら人間か? かような所で何をしておる?」
「おはようございます。鬼村さんのご盟友のお方とお見受けしました。私はしがない祓い屋、阿倍野 清と申します。こちらはバイトの葛原 葉子。鬼村さんの所から帰っている最中です。」
清は葉子の手を引き、道の端に寄り60度のお辞儀をしつつ挨拶をした。なぜなら、相手はどうみても二本の角を生やした鬼だったからだ。
「鬼村? ああ、ヤッちゃんのことか。そうか、そなたらはヤっちゃんの家に寝泊まりできるほどの仲か。ちょうどよい。案内いたせ。」
「喜んでお引き受けいたします。しかしながらこちらの者、見ての通り童でございます。父母の心配は胸が張り裂けんばかりかと思います。この者は先に帰らせてもよろしいでしょうか?」
「ふむ、この山道を童が一人で歩くのは感心せぬの。仕方あるまい。案内は諦めるとしよう。道々そなたからヤっちゃんの話を聞きたかったのだがな。我は異薔薇城、ヤっちゃんからはイバちゃんと呼ばれておる。阿倍野と申したか、そなたは人間にしてはまあまあの霊力を持っておるな。再会が楽しみじゃて。」
「ご高名はかねがね。それではお名残りおしゅうございますが、これにて失礼いたします。」
「しっ、しつれいいたいますた!」
葉子にしては珍しく混乱しているようだ。
頭を下げたまま動かない清、そんな清に背を向けて奥山へと歩みを進める異薔薇城。
彼女の足音が聴こえなくなり、清はようやく頭を上げた。
「よし、走るぞ!」
「えっ! せんせぇ待ってくださいよぉ! 速いですよぉ!」
「いいから! 早くしろ!」
それから20分、本来なら45分はかかりそうだった道のりをそれしきの時間で走破した2人。わずかの休憩もなく車に乗り込みスタートさせる。
そこまで来てようやく人心地ついたようだ。
「ふぅ。危なかったな。」
「はぁっ、はぁ……あの人、いや鬼さんがですか? えらく細くてかなりの美人、いや美鬼さんでしたね!」
「ああ、そうだな。だが名を聞いて震えあがってしまったよ。酔った鬼村さんから何回も聞いてるよな? イバちゃん、本名は異薔薇城童子、大昔鬼村さん達と狂都で暴れまわった鬼の1人さ。」
「へー、ところでせんせぇ、鬼さんって1人2人って数えるんですか?」
どうでもいい事を質問するのは葉子らしい。きっと葉子らしくない質問をするよりいいのだろう。
「あー、人間側からすると1匹2匹なんだけどさ……」
「けど?」
「昔、鬼村さんに向かって『鬼の1匹や2匹ぐらい俺が退治してやんぜ!』って言った祓い屋がいてな。」
「いて?」
「キレた鬼村さんに足からゆっくり食われた。内臓をかじったぐらいでようやく絶命してたよ。そのまま頭までかじってよく噛んでから吐き出してた。くそまずいって言ってたよ。」
「あはは……」
「だから鬼さんには丁寧に接しような。俺はそんな死に方はしたくないからさ。」
「あは、あは、あの、せんせぇ? あのね?」
「ん? どうし……こ、この匂いは……」
「ふえぇぇぇぇん! だってぇーー! せんせぇが怖がらせるからぁ! もーやだぁーーーー! せんせぇのバカぁ! 鬼ぃ! 鬼畜イケメーーーん!」
葉子は助手席で漏らしたらしい。不幸中の幸いなのは、それが液体のみであったことだ。
「せんせぇ! 何とか言ってくださいよ! バカにしてくださいよ! 花も恥じらう中3にもなって恥ずかしいって詰ってくださいよぉぉぉーー!」
「うん、ドンマイ。」
「せんせぇのバカぁぁぁぁーーー! 慰められたらますます恥ずかしいじゃないですか! もっとイジってくださいよぉ! 小便タレとか小便バリーとか! いやむしろ興奮するとかぁ!」
「歩いて帰るか?」
「そう!それです! いやいや違います! どうにかしてくださいよ! もうお嫁に行けないっ! いやむしろ汚嫁ってやかましいわ! うわーんせんせぇ!」
こんな時どうしたらいいのか。一夜を共にした女性に夜中、枕元で放尿された経験のある清だがさすがに女子中学生に助手席で漏らされた経験はない。頭をかかえることもできず、遠くの山を見て現実から逃げる清だった。




