71 震えるのは風のせいではなく
「なんか近くねぇか?」
「……気のせい」
「いや、だっておまえ」
「……気のせい」
夏休み中は基本的に夕月は楓の家にいる。時間があるのなら色々とやる事があるだろうとは思うのだが、それを夕月に伝えてみたら「これがやりたい事」と返されてしまった。
楓の隣にただ座っているだけで幸せそうにニコニコしている。ただ、明の墓参りから帰ってきたあたりから距離が近い。文字通り物理的な距離である。
楓がテーブルの前で座ると、当然のように隣に座ってくる。腕が触れるか触れないかの絶妙な距離は、意識などしなくても夕月の体温を鮮明に伝えてくる。楓が少しだけ横にズレると、それに合わせて夕月も移動する。
「文句を言ってやろうか」と思い、とりあえずその大きな瞳を見つめていると、徐々に顔は桃色に染まっていく。終いには「見ないで」とそっぽ向いてしまった。視線は交差しないものの離れようとはしない。
「なぁ夕月」
「……なに?」
「俺の部屋は狭い」
「……そう?」
「あぁ、狭い。だがこんなに近くに座らなくてもいいぐらいの広さはある」
「……な……何が……言いたい?」
「離れろ。暑い。それもクソ暑い」
これは夕月と離れたいという口実ではなく、実際に楓は額に汗を浮かべている。夕月もよく見ると額に汗が滲んでいた。
朝から窓は全開なのだが、残念な事に本日は無風。しかも太陽様は空気を読まずに燦々と輝き、イライラするぐらいの熱視線を向けてくる。
その楓の様子を見た夕月は小さく笑った。そしてしたり顔でスッと立ち上がると、玄関のほうから何やら大きめの箱を持ってきた。テーブルの上にそれを置くと再び隣に腰を下ろす。
ビニール袋に入った段ボール箱。試しに片手で持ってみたらそれほど重くはない。どうやら夕月が家から持ってきたらしい。
「これなんだ?」
「……むふふ」
「開けて」と催促されながら段ボール箱を開けると……。
「…………」
「……暑いとは……もう……言わせない!」
「……おまえなぁ」
中に入っていたのは扇風機だった。
大きくも小さくもない絶妙な大きさのそれは、テーブルの上にも置けるように配慮しているのだろうか。「暑い」と言っては離れていく楓をどうにかしたかった夕月は、合法的に楓にくっつくために扇風機を持参した。
ドヤ顔の夕月。
そして引き攣り顔の楓。
微妙な空気が流れる室内には、うるさいぐらいの蝉の声だけが響く。
楽しそうに箱の中身を取り出した夕月は、説明書を読みながら扇風機を組み立てていく。楓はテーブルに肘をつきながらそれを見守っていた。その視線は若干冷ややかなものだが、夕月は夢中で気が付くはずもない。
十五分ほどかけてそれは完成した。
「……はい!」
「おう」
「……スイッチ……押して」
「おう」
強・中・弱。そしてタイマーが付いており、大きさの割には多機能なのかもしれない。思った以上にしっかりと扇風機をしていた。
とりあえず「強」を押してみる。
「おっ!」
「……おぉ!」
思ったよりもずっと風量があり、汗に風が当たると冷んやりとして心地いい。「これはアリだな」と楓は夕月の頭を撫でた。
「……むふふ……これで……暑くない……よ?」
「まぁかなりマシにはなったな。さんきゅ」
「……うむ……では」
夕月はいきなり楓の腕を取ると、自身の胸に抱えるようにして離さない。そして体重を預けるように肩に頭を乗せてきた。
「おい! 普通に暑いだろうがこれは! 扇風機の意味ねぇだろ!」
振り解こうとしても「離すものか」という夕月の執念を感じる。どうあっても離れそうにないので、結局は諦めて好きにさせる事にした。というより振り解こうと頑張る事自体が暑苦しい。
「…………好き」
「クソ……そうかよ!!」
どうやらお姫様はお気に召したようだ。上機嫌に笑みを浮かべている。
甘ったるい空気に耐えられなくなった楓は、テレビのリモコンに手を伸ばす。電源を入れると、いきなり画面に映し出されたのは男女のキスシーンである。夏休み特集だろうか、恋愛ものの邦画であった。
慌ててチャンネルを変えようとしたが、それも隣の少女に阻止される。強引にリモコンを奪われてしまった。
「なんだよ。こんなもん面白くねぇだろうが。ニュースでいいだろ」
「……これ……見たかった……映画」
行動の全てが裏目に出た楓は、今度こそ諦めると夕月の好きにさせた。
◇ ◇ ◇
恋愛映画とは何が面白いのだろうか――。
なかなか交際に発展しないじれったさ、かと思えばいきなりキスしたりもする。もはや楓には理解不能である。
心の中で突っ込んでしまうのだ。
(いや、おかしいだろうが。なんでそうなる)
此度の映画は男女の三角関係を描いたものであり、未知の世界の光景に楓は更に混乱する。
好きな人には好きな人がいて、だがその相手は親友で……。
王道の展開も楓にとっては意味不明だった。恋愛の経験値が楓には圧倒的に足りていない。
(で、終わったと。何したかったんだよ……くだらねぇ)
溜息をつきながら夕月のほうを見ると、更に大きな溜息が出た。
「妙に静かだと思ったら……こいつは。ったく!」
スヤスヤと気持ちよさそうに寝息を立てている。無防備なその姿には小動物のような愛らしさが見え、さすがに起こすのも躊躇ってしまう。
じっと夕月の寝顔を見つめる。
シミひとつない滑らかな白い肌に、長い睫毛、整った鼻梁にピンクっぽい柔らかそうな唇。なにより安心しきったように蕩けた寝顔は、じっと眺めていると変な気分になってくる。可愛らしさと美しさを兼ね備えた少女から目が離せない。
美人は三日で飽きると言ったりもするが「それは嘘だな」と楓は小さく呟く。
「あまり無防備だと襲うぞ」
「………………いい……よ」
「…………寝言だよな。チッ、面倒な奴だよ本当に」
起こさないように丁寧に抱き上げると、ベッドに寝かせてタオルケットを掛けた。寝ているのを確認すると、背を向けてテーブルの前に戻ろうとした……。だがぴたりと足を止める。
再び夕月の前に立つと腰をかがめて自身の顔を近付けていった。
軽く触れるだけの行為。
熱も伝わらないほど一瞬の事だったが、触れる瞬間に夕月がびくっと動いた気がした。
「罰ゲームだったからな。これでいいだろうが」
再び夕月に背を向けるとテーブルの前に座る。
火が出るように真っ赤な顔をした夕月は、目を見開いて自身の口元に指を当てている。身体は勝手に震え、泣きそうなぐらいの嬉しさを噛み締めていた。
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