宗盛記0077 永暦元年七月
永暦元年七月文月
十二日
朝、顔を洗っていると知盛がこっち見てる。
「どうした?」
「兄上は属星の名を唱えないのですか?」
しまった。
「あ、いや、これからだ。伊豆の方ではちょっと順序が違うんだ」
「ふぅん…」
怪しんどる。
「文曲文曲文曲文曲文曲文曲」
ふぅ。
「六回ですよ?」
「文曲!あと南無文殊菩薩!」
思いっきり怪しんどる。
休みの間は気をつけないと。
朝、出仕がないので梁夫(とその弟子たち)に来てもらって、揚水した後の貯水槽から東泉殿に樋を渡してもらう。元々準備はしていたから、短い接続部分だけ。後は窓際から水を落として扇風機を回す。室内の熱気が抜けていって気持ちいい。羽根車に当たる時の水滴の飛散ミストで冷風機兼ねてるしな。
父上に早速見つかって予備を取り上げられたのは仕方ないとして、兄上達の分まではないよ?
今日は姫詣で。昼過ぎから向かう。半年分だ。話すことはいっぱいあるなぁ。もう白粉も殿上眉も無しだ。
この時期は花に種類が少ない。桔梗も何回か持っていったしなぁ。庭を探していたらササユリとギボウシが咲いている。庭担当の者に聞いたら持っていっていいというので、桔梗と凌霄花も併せて花束にまとめる。あと土産の花瓶と水滴。
五条の橋を渡る。ここで初めて人を殺した。あの時は身を守る為必死だった。伊豆に行ってからは、命じて殺したものも含めると、もはや数十人に届くか。前に渡った時とは、もう同じではいられない。
++
三郎…宗盛殿が庇に入ってきたとき、誰も声が出なかった。たった半年見なかっただけなのに、前にはなかった厳しさが言葉を押し止めたのだ。
「や、久しぶり。信子姫、清子姫、七の君。会いたかったよ」
笑うと急に辺りが柔らかくなる。ああ、帰ってきたんだ。私の背の君。
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久しぶりだからか、庇に入っても誰も何も言ってくれないのでちょっと焦った。御簾越しに声を掛ける。
「や、久しぶり。信子姫、清子姫、七の君。会いたかったよ」
「……五日に出るって言ってたのに早かったのね」
清子姫がちょっとかすれた声で答えてくれる。
「清子姫に会いたくて急いで来たんだ」
「「…ふっ」」
副音声相変わらず。
「よく焼けたわね。都の貴族で見たことないわよ?」
「結構外回りしてたしなぁ。烏帽子脱ぐとそこだけ白いんだ。すごくカッコ悪い」
「そういえば、七の君が裳着を終えたわよ。名前は季子。季節の季、で「すえ」よ」
「え!それは見たいな」
「殿方には見せられません」
と信子姫。
「七の君ならさぞ可愛かったろうね。なんなら今ちょっとだけ、だめ?」
「清子姉様と一緒に貰ってくれるなら」
季子姫が答える。
そう来るか。俺的にはオッケーですよ?信子姫も滋子姫も。
チラッと清子姫の方を見る。
「二人共何言ってるの!」
二人って、俺も? おかんむり。
「そう言えば、裳着してわかったんだけど、お歯黒って凄くまずいのね。臭いもきついし」
流す季子姫。鉄錆とアレと酢だからな。
「……」
「「「ん?」」」
「ソウデスネ」
しまった、咄嗟に詰まった。
「「…」」
「ね、三郎殿…吐きなさい」
信子姫、時々迫力あるよね。
仕方がない。後を向いて着けお歯黒を外す。
「ほぉら元服前、なんちゃって」
「「「あ゛〜!!」」」
「内緒にしてね」
「作って!」「私にも」「私にも」
「清子姫以外は結婚したらバレるって」
「私はいいの?」
と清子姫。
「俺はお歯黒しないほうが可愛いとおもってるからね。源氏はしないみたいだし、ウチもしないでいいかなぁって」
「好き♡」
「えへへ」
「「それずるい!」」
「それにお歯黒ってヌルデのむし…」
「「「ん?」」」
「あ、いや、それはいいんだ」
とりあえず、この休みに型とって正月までに何とかすると約束させられた。
久しぶりに色々話した。院の近臣が盛り返して圧力かけて来るので帝がいらだっているとか。先の乱で最後に父上に付いた、源光保、光宗殿親子が薩摩に流刑になった上にその地で誅殺されたとか。なにそれひどすぎ。味方についたのに帝親政派だからと理由をつけて殺された訳だ。帝の妃の土佐局は光保殿の娘だというから、つまり妻の父を実の父が殺した訳か。
もう自分が政治を握るためにはなりふり構わずって感じで、気持ち悪い。
ただまぁ、俺の中の冷めた部分が囁く。これでまとまった戦力を揃えた高位の武家貴族は平家だけになった。次いで摂津源氏の頼政殿だろうが、昨年昇位して従五位上。二十数年ぶりだと言う。兵庫頭、今年から淡路守。五十六歳でようやく受領級。となると、棟梁としてさほど頼られることはない。つまり家人は集まらない。
頼光から六代目の、同じ摂津源氏宗家の多田頼盛なんかは当然独立しているし、保元の乱で兄弟で争ったため弱体化し、さらに小勢力だ。
少なくとも源平藤の有力な武家貴族はウチ以外ほぼ消えた。
これで皇家も摂関家もウチに頼るしかなくなった…と。
時忠殿は優勢な院よりに走ったとか。滋子姫通して上西門院様繋がりもあるしね。
父上を引き込みたくて院と帝と両方から誘われてるとか…。母上の乳母就任の件とかもそれかな。
まつりごとの話以外も、風呂ができて快適だとか、客からの問い合わせがすごいらしいとか。こちらからも、東海道の話とか、伊豆の魚の話とか、温泉の話とか、土産の花瓶や水滴の話とか。どれもうれしそうに聞いてくれる。この娘達は聞き上手でもある。そういう家、と言ってもいいが才もあるんだろう。
義平や為朝の話はしなかった。ここではしたくなかった。
時間があっという間に流れていく。
帰り際に、相談することがあるからと頼み込んで清子姫と二人にしてもらう。
ブーイング✕2。渋々部屋を離れてくれた。
「で、なに?」
「俺は清子姫が、清子が一番好きだ」
「ふにゅ…」
「だから結婚前に一度だけ聞いておくね」
「何を?」
途端に不安そうな声になる。
「俺は伊豆で、何人もの命を奪った。公家ではなく、武家の生き方を選んだ。これからもそんな生き方をすることになるだろう」
「…だから?」
「清子には俺と一緒にいて欲しい。でも、そんな暮らしが嫌だと言うなら、婚約を解消してほしい。いや、俺の方から断りの手配をする」
すすり泣く声がする。俺が泣かしたのは初めてだな。
「ごめんね」
「…ばか」
御簾から清子が飛び出てきて俺に抱きついた。俺の方がすっかり高くなってる。清子の目が涙に濡れて俺を見つめている。
「…ばか」
俺達は初めて唇を合わせた。
十三日
上西門院に行く。もう出仕じゃないんだ。
「夏休みに帰ってまいりました」
「夏休み?」
「長めの盆休みのようなものです」
「盆休み?」
しまった。盆休み自体一般的じゃない。
「焼けましたね。元気そうで何よりです」
流してくれる。こういうところがありがたい。
「ホントに真っ黒ね。いろいろやらかしたって聞いたけど」
と滋子姫。
「なんか二回も襲われちゃって。そんなに美味しそうなのかな。兎年だから?」
「なんでそう気楽なのよ」
「伊豆、いいとこですよ。いつかお二人にも見てほしいな」
「遠いわよ」
滋子姫のつっこみ。
ダイジェストで伊豆を説明する。気候とか温泉とか食べ物。後、富士、東海道。
「あ、そういえば、頼朝をかばったんですって?酷いなぁ」
「よくなかったでしたか?」
「…そりゃあ、そのうち我が家を滅ぼしに来る相手だろうから」
「え?」
「あぁ、多分です」
「…ごめんなさい」
御簾の向こうの統子様の声がしょんぼりしてる。可愛い。もういいやって気になる。美人のしょんぼりってすごいな。
「仕方ない。俺がなんとかします」
「でも…」
「あとこれ、お土産です。伊豆で焼きました」
上西門院の紋入りの金彩の花瓶と猫の水滴を箱から取り出す。
「まぁ、これは初めて見るわね」
滋子様が空気を変えるように言う。
「私もよ。唐物でも見たことがないわ。宗盛殿が作ったの?」
統子様も合わせてくれる。
「ウチの職人ががんばってくれました。俺は一緒に考えただけです」
お二人にはとても好評でした。これはいけるかな。
++
「…そりゃあ、そのうち我が家を滅ぼしに来る相手だろうから」
そういったときの宗盛殿は、今まで見たことがないほど静かな表情だった。まるでそうなることを知っているかのように。
多分宗盛殿は怒ってはいない。ただ悲しんでいる。統子様もそれに気づいたのだろう。さっと顔色が変わったのが見えた。
「ごめんなさい」
統子様がそう言ったとき、宗盛殿はとても優しい顔をした。
あれは、そう、望んでいたなにかを諦めた様な…。
++
盆の迎え火を炊く。
盆の法事は十五日だけ。
この時代、盆は主に寺でやる行事だ。踊りはない。前世ほど大したものにはなっていないが、明後日は法要。
十四日
重盛兄上の所に遊びに行く。
兄上はでかけているようだ。
重太郎も二つか。もしかして維盛になるのかな?名前からしてやはりそうか。
平家物語で出てくるみたいな無能な武将にならないでほしいなぁ。
維子義姉上と話す。勿論御簾越し。
荘園の話をしていたら、
「それで信西殿は邪魔になったのかもしれないわね」
うわ、それを思いつくんだ。
「だよね」
「もしかして信頼殿って、単なる…」
「掃除役かな」
「帝のときは公領の主だけど、院になると最大の荘園主だから?」
政治の視点。この時代の公家の娘の感覚じゃないよ?それ。
「院になってしまうと荘園整理令は煩わしいよね。それに、信西は院を立てつつ帝中心の政治を考えてた。信西にとっては、まつりごとは本来中継ぎだった院よりも、出来のいい帝に任せたかったんだろうね。でも今度の乱の後、いつの間にか院が治天の君になりつつある。二人の寵臣の犠牲の代わりにね」
「十四よね?あなた」
「義姉上こそ。女性でそこまで思いつくのはすごい。でもあんまり言わないほうがいいよ?」
「そうね。そうみたい」
あれ?
「なんかあった?」
「ううん。なかなか話せないことも増えていくなって」
「俺には話してほしいけど」
「口説いてる?」
「義姉上でなければ間違いなく」
「ふふふ」
笑いに力がないよ…。
花瓶と猫の水滴は、好評でした。
十五日。
寺で法要。と言っても隣の六波羅蜜寺でだ。
貫主様とは久しぶりにお会いする。土産の金彩宝相華の花瓶を二組ほど贈る。こんなものは見たことがないと驚いている。昨年はお世話になりました。
さすがに今日は出歩けないからゆっくり休み、だと思っていたのに、法要の後の宴の料理をリクエストされてこき使われる。
伊豆の練辛子をお披露目。冷奴と、コンニャクの田楽に併せる。試しに舐めてみた挑戦者が悶絶している。父上とか兄上とか。芥子菜感覚で口に入れてたからな。
今年の生産分は自分用の取り置きを除いて予約で完売した。帰ったら発送しないと。
夜、送り火を焚く。
俺が手にかけた義平や為朝、工藤、加藤…、来ていたんだろうか。どこかでこの火を見て帰っていくんだろうか。
いつか俺も逝く。
家の皆に火を焚いて送って欲しい。
なら、やることは決まっている。




