ボルゾイの昔話
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「お前は……」
集会所に足を踏み入れた俺を見て、ハウンドは驚いたように目を見開いた。
「悪いな。盗み聞きするつもりはなかったんだ」
俺は悪びれた素振りもなく、言葉だけの謝罪を述べる。
「ただ、何を話しているのか気になったから、こっそり聞き耳を立てさせてもらった」
『自白! それじゃ、ただの自白ですよ!』
全然、誤魔化せていない、言い訳が下手くそすぎるだろ、と。
山田は焦っているようだが、俺はまったく気にしていない。
俺に話を聞かれたという事実は、目の前の二人にとって、大して重要ではないからだ。
「隣の部屋まで声が聞こえてきたぞ。仕事熱心なのはいいが、静かにしてくれ。ライカが目を覚ましちまうだろ」
盗人猛々しく開き直った俺の発言に、しかし、ボルゾイとハウンドは揃って顔をしかめた。
娘であるライカの存在は、ボルゾイの判断を鈍らせる。
そして、ボルゾイの決意が鈍れば、困るのはハウンドだ。
(子供に聞かせるような話じゃないからな)
ライカの名前を出したことは、白熱した議論そのものに水を差す効果があったようだ。
ハウンドは舌打ちをして、ボルゾイを睨み付けた。
「とにかく、俺の考えは伝えたからな。そして、この考えは変わらねぇ。ボルゾイ、あんたもいい加減に覚悟を決めてくれよ。できるだけ早めにな」
そんな捨て台詞を残すと、足音も荒く集会所を出て行く。
無礼な振る舞いに、要人たちからは非難の声が上がったが、それはボルゾイが止めさせた。
「皆、遅くまでご苦労だった。続きは明日にしよう」
そして、その日の会議は後味の悪さを残したまま、幕を下ろした。
*
「――――それで、ライカも一緒に聞いていたのかな?」
「なんだ。ばれていたのか」
要人たちのいなくなった集会所で、ボルゾイは答え合わせをするように尋ねてきた。
ばれているなら、誤魔化そうとしても意味が無いので、俺はあっさりと頷いた。
「死んだ女房……って言葉が聞こえたけど。ライカの母親って人間なのか?」
「――――そうだ」
ボルゾイは天井を仰ぎ見て、静かに目を閉じる。昔を思い出しているのだろうか。
「知りたいかね? 話すと長くなってしまうが……」
「あんまり長いのは困る」
「ふっ……はははっ。分かった。ならば、手短に話そう」
ボルゾイは喉の奥で笑いを噛み殺しながら、記憶を掘り起こすように、昔話を始めた。
「昔、私は人間の町で暮らしていたのだ。獣人は差別されているが、物好きな貴族や金持ちの中には、護衛や使用人として雇う者もいる。私は、自分で言うのもなんだが、剣の腕が立ち、毛並みが美しかったのでね。或る貴族令嬢の護衛として、雇われていたのだ」
その貴族令嬢というのが、ライカの母親らしい。
「優しい女性だった。獣人が不当な差別を受けていることに心を痛めてくれた。私はすっかり心酔してしまってね。雇い主は、多分、娘に頭の良いペットを買い与えたくらいに考えていたのだろうが――――口説き落としてやったよ」
「やるじゃん」
『カッコ良すぎる……』
若かりしボルゾイの意外なプレイボーイぶりに、俺は感心し、山田は感嘆の声を上げた。
「護衛をクビにならなかったのか?」
「勿論、周囲には秘密にしていた。身分も違えば種族も違う。祝福などされるはずもなかったからね。だが、いよいよ隠しきれなくなって、二人で逃亡したのだ」
隠しきれないというのは、つまり、お腹が隠しきれないということだろう。
ライカが生まれたのは、その翌年のことらしい。
「私はこんな外見だし、彼女は世間知らずのお嬢様だ。町でも、農村でも、人里に紛れて暮らすことは難しかった。雇い主が差し向けたかもしれない追手の影に怯えながら、森人や獣人の里を転々としたよ。たった一度だけ、彼女の人生から多くのものを奪ってしまったと後悔したことがあったが――――そのことを伝えたら、思い切り引っ叩かれた。私が一対一で手も足も出ずに負けたのは、後にも先にもこの時だけだ」
『うぉぉぉ……泣ける……うぅ……おぉぉん……』
(……キモい泣き方だな)
良い話だとは思うが、山田が感動して嗚咽を漏らしているので、俺としては気が散って仕方がない。
「その後、自分たちが暮らす集落を、新しく作ろうという話になってね。仲間を募ったんだ。ハウンドとは、その頃からの付き合いだ。だから、あいつの気持ちもよく分かる。痛いほどにね」
ただ、それでも魔王軍に迎合することはできない、と。
ボルゾイは眉間にシワを寄せて、ため息をついた。
「この集落を作る際に、彼女と一つだけ約束をした。それは、この集落を、森人や、獣人や、人間が、手を取り合って暮らせる場所にすることだ。残念ながら、彼女はその夢が叶う前に、病が原因で旅立ってしまったが……」
今、この集落には、獣人だけでなく、少数だが、森人も、人間も、共に暮らしている。
共に手を取り合っている。
そのきっかけが魔王軍の侵攻というのは、なんとも皮肉な話だが――――
「彼女との約束を破ることが、私にはどうしてもできないのだ」
「それで、ハウンドと口論になっていたのか」
俺はようやく二人の確執の正体を理解した。
現実路線のハウンドと、理想を捨てきれないボルゾイ。
ボルゾイが裏切れないのは、森人でも、人間でもない。――――奥さんとの約束だ。
一度でも現実路線に舵を切ってしまえば、もう二度と、奥さんが夢見たものと同じ未来を、目標に掲げることができなくなると、気づいているのだろう。
馬鹿が付くほど律儀で真面目な性格――――ライカとそっくりだ。
「板挟みになって、身動きが取れなくなっているのか。里長のくせに」
「手厳しいな。だが、そのとおりだよ」
ハウンドの方がずっと里長に相応しい、と。
ボルゾイは自嘲したが、俺はそうは思わなかった。
「俺は助けてもらった立場だから、ああしろ、こうしろとは言えないけどさ。偉い奴ばかりで集まってないで、一度、皆の意見を聞いてみたらどうだ?」
「皆の……意見を?」
「手を取り合うって、そういうことだろ。――――悩んでいるなら、皆に相談しろよ」
小さなことでウジウジと思い悩むのは、組織のトップがすることではないが、今回は集落の存亡に関わることだ。皆に意見を求めるのは、悪いことではないと思う。
少なくとも、集落の皆はボルゾイにすべての責任を押し付けて、導いてもらうためだけに、手を取り合っているわけではないはずだ。
「そうか。――――そうだな」
ボルゾイはどこかぼんやりとしながら、何度も噛み締めるように頷いた。
「ありがとう。……少しだけ気が楽になった」
「そうか。それじゃ、俺はもう寝るから」
話が終わったので、俺はボルゾイに背を向けて、隣室に戻ろうとする。
だが、扉に手を触れた時、背中越しに声を掛けられた。
「ついでで恐縮なのだが、娘にも声をかけてやってはくれないだろうか?」
「えぇ……?」
『やれよ』
嫌だよ面倒くさいと、口を開きかけた瞬間、山田が超反応で遮った。
『この流れで断るとか、ありえねぇだろ。ふざけてると、ぶち殺すぞ』
――――こいつ、本当に守護天使なのだろうか?
最近、本当に疑わしいと感じるようになってきた。
「……声をかけたところで、元気になるかどうか分からないからな」
「そこは心配していない。娘を宜しく頼むよ」
ボルゾイの声は、少しだけ嬉しそうだった。
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