悦の権能 その12
2000年8月6日。
悪魔のような圧を纏う、麻谷 杏子という女と……
最愛の男性、伊勢 健之助くんが、チョコの入ったシートを持って対峙する。
私と、邪神はただ黙って、その様子を見ていた。
状況を確認する。
今は健之助くんの手番で、彼は麻谷の運勢を2択から当てる。
彼の今の手札は、恐らく、最弱の×。
それは演技とは思えないし、この場にいる全員がそれを確信している。
それほどまでに……目が泳いでいた。可愛い。
この勝負、所詮は運。
実力が介在するのは、開けられた穴のうち「何を選択させるか」の駆け引きだけ。
つまり、ブラフや誘導が勝敗に直結するということ。
……精神的に圧された方が敗北する。
私は音の権能で、彼の脳内にメッセージを送った。
『健之助くん、ただの二択よ!この勝負……勝ち目はある!』
勝ち目はある。彼がそれを信じなければ、麻谷にいいように誘導されてしまう。
麻谷は健之助くんを見ると、薄気味悪い笑みを浮かべた。
「……『メルトモ』の方が、いいのではなくって?」
麻谷の運勢は、「おでかけ」「メルトモ」の2択。
提案の意図はわからなかった。
とにかくあの女は、健之助くんを試している。
言葉が、圧が。
どう見ても、彼をじりじりと追いつめていた。
そしてその女は、徐に私の方を見て言った。
「あら三春様……?もしかして伊勢様に、何か入れ知恵をなさっています?」
……なるほど。
入れ知恵って程でもないけど、私の権能を受けた彼は、多少はそう思っている。
そこを突いて圧を掛けようということね。
言葉の端から、漂う違和感。
『入れ知恵?そうね。権能を使うな、なんてルールはないわ。』
「ふふ。それを見越しての、このゲームですわ。構いませんのよ。」
あくまで余裕、ということね。再び麻谷は健之助くんを急かす。
「さあ伊勢様。2択ですわ。どちらに?」
彼の首筋を汗が伝う一瞬、麻谷が畳みかける。
「……『おでかけ』も、良いですわね。」
作られた弛緩に、緊張が走る。
だけど私はこの瞬間、確信した。違和感の正体を。
……麻谷には、×がある。
これはただの脅しではない。自分を守るための誘導だ。
その上で、ただの2択を仕掛けている。
健之助くんの瞬きが増える。
彼は伏目がちに口を開いた。
「それじゃあ、『メ』……」
……まずい!音の権能、届いて!!
『待って!罠よ!!』
彼の脳内にはきっと、私の叫びが聞こえたんだと思う。
耳を塞ぐような動きの後、彼は呼吸を整えて言った。
「……いや、『おでかけ』だ。」
確信に満ちた声に、本来の伊勢 健之助が戻ってくるのを感じた。
「本当に、『おでかけ』を?」
きっと私にしかわからないが、麻谷の声が僅かに、振れる。
「『おでかけ』。あなたが今、勧めてくれたんだ。」
「いいんですの?わたくしの、言いなりですのに?」
「頼む。」
「では。
……×、ですわ。」
……本当に!?
蜘蛛の糸を掴むような淡い確信が、事実になった。
じゃあ、健之助くんの運勢は?
「×だ。……3つ開けてほしい。」
やはり×。先が思いやられるバカ正直。
「……わたくしが、伊勢 健之助に……? いえ、焦るには早いですわ。」
麻谷の表情が、一気に強張る。この敗北が効いている。
寧ろ2分の1で敗北するあの状況で、あれほど平然としていたことに私は驚きを隠せなかった。
「『恋愛』『夢』『デート』を開けますわ。」
3粒のチョコを頬張ると、女の頬は紅潮した。
そして、次は……麻谷が私の運を選ぶ番。
私は○の「メルトモ」と、×の「ごはん」が開いている。
「さて、わたくしは『願い事』を開けますわ。」
そう言って一粒のチョコを食べ、恍惚の表情。そして間髪入れずこう言った。
「ふふ……三春様。どちらにしましょうか。」
『そうね。『メルトモ』にしてもらえると嬉しいわ。』
音の権能で語り掛けた。
「面白いですわね……」
その後訪れた沈黙をすぐ破ったのは、邪神だった。
「風香よ。音の権能はよいが、我々にも聞こえるようにしてくれ。」
言われてみれば、確かにやり取りが聴こえないのは面白くない。
「悪かったわ。
……じゃあ、『ごはん』にしてくれない?」
権能で真実を、肉声で嘘を言ってみる。
麻谷の眉間に皺が寄る。
「三春様。『メルトモ』の方がいいのでは?」
「そんなこと言ったかしら?『ご飯』の方が私は助かるわ。」
口で嘘をつくのは簡単だ。
「では、そうさせていただきましょうか。わたくしが『ご飯』を選んだ方が、あなたにとっては好都合。そうでしょう?」
「ええ。そうね。」
麻谷は私の顔を見つめた。この圧に、正気を保つので精いっぱい。
目が泳ぐ。
本当は「ご飯」を選ばれたら困るけど、そう思わせておきたい。
「……と、言うのも嘘ですわね。本当は、あなたにとってメリットがあるのは『メルトモ』の方ではなくって?」
私は、息を呑んだ。瞳孔が開く。決してバレてはいけない。
感情を押し殺して言う。
「さあ、なんのこと? 私が嘘をついているとして。あなたはどうするの?」
「決めましたわ……あなたの言葉なんて、どうせ嘘ばかり。
ですが……私がそう考えていることも、あなた、読んでいますわね。
その上であなたは、真実を嘘であるように語る。本当に、癪に障りますのよ。
……『メルトモ』を選びますわ。あまり他人を愚弄しないことね。」
私は、浅く呼吸をして言う。
「愚弄? まあいいわ。……私の『メルトモ』は、○よ。あなたは?」
「……△ですわ。」
「つまり、私の勝ち。もう1つ開けてもらうわね、麻谷さん。」
どうなることかと思った。考えすぎてくれてよかったけど……きっと次からは通用しない。
「……この女狐が。」
「女狐はあなたでしょう。さあ、召し上がれ。」
「……『旅行』を開けますわ。」
悪態をついていた麻谷の目が吊り上がり、醜悪な本性が垣間見えるようだった。
そしてチョコレートを口に入れては、ハリボテみたいな上品さを再び纏う。
私はただ、ゲームを進める。
「私の番。邪神から選ぶわね。まず、私の『カラオケ』を開けるわ。」
結果は○だった。
「……ええと、開いているのは?」
だいたい把握はしているけれど、一応確認した。声色の中に、何かヒントがあると思ったから。
「我は『恋愛』『運動』『旅行』が開いている。」
「そう。『運動』でいいかしら。交渉は?」
「我には必要ない。」
そして邪神がアルミ箔を摘まんで伸ばす。
「△だ。お前は。」
「○。」
「よかろう。杏子もそうだが、我も運がない。『遊び』『デート』を開けよう。」
呑気に2つのチョコを食べるコイツが、何を考えているのか本当にわからない。
麻谷 杏子と違って悪意や欲では動かないだろう。あるのは圧倒的な、邪悪な何か。
「さて健之助。お前の『出会い』を見せるのだ。」
「まずは自分のを開けてくれ。」
「そうであったな。『願い事』を開けよう。」
邪神はチョコを食べる。
彼の「出会い」は、何……?
「僕の『出会い』は、○だ。」
「奇遇だな、健之助よ。我の『願い事』も、○だ。」
「○……だと!?」
しまった!健之助くんが、3つも!!私がいながら、こんなことに……!
「たまたま被るなど、別に珍しくもあるまい。3つ開けよ。」
「……わかった。『お出かけ』『買い物』『贈り物』を。」
健之助くんは3つ、口に入れる。雷に打たれたように硬直した彼は、テーブルに突っ伏した。
「健之助。お前ほどの者が、倒れるには早かろう。」
『健之助くん!しっかり!』
「続けますわよ。……彼を叩き起こしてくださいまし。」
部屋の隅に居た男が、健之助くんの襟首をつかんで揺すった。
『大丈夫!?』
私が権能で語り掛けると、応えてくれた。
「大丈夫、まだ、やれる。」
「そうですか。では、1つ食べてくださいませ。」
麻谷が促すと、彼は1つ穴を開け、チョコを食べる。
「『運動』を開けた。」
「そうですか。わたくしは、『メルトモ』『恋愛』『夢』『旅行』『デート』が開いていますわ。」
健之助くんの表情から……△のような気がする。
『普通?』
彼は小さく頷く。
そして彼は言った。
「『旅行』を見せてくれ。」
……なんだか、嫌な予感がする。
「それで、良いんですの?」
「……構わない。」
「ええ、◎ですわ。」
嘘……私の健之助くんが、こんなにも、追い込まれているなんて。
私は、目の前の状況を否定したかった。
私がいるって、そう言ったのに!!
「僕の『運動』は、△。もう一つ食べるのは、『休憩』だ。」
私、どうすればいいの……!?
「ではわたくしの番。三春様。お願いしますね?」
麻谷の声で、引き戻される。
このゲームには、逆転も、やり直しもない。ただじわじわと、速度を変えて消耗戦が続く。
それでも、誰かが負けるまで続けなきゃいけない。
そうして不毛な削り合い、騙し合いを経て。
……私たちは、「悦」の権能の泥沼に嵌っていく。
あらすじ:
三春 風香は、自らの権能と観察眼と嘘を活かし、麻谷 杏子に大きな打撃を与える。その一方で、相変わらず運がない上に馬鹿正直な健之助もまた、窮地に追い込まれていくのだった。
残りの占いチョコは、
伊勢 健之助 8粒
麻谷 杏子 9粒
三春 風香 13粒
邪神 10粒
地獄のドラッグ・パーティーはまだまだ始まったばかり。
Tips:
ただでさえ引き延ばしてて申し訳ないのに、流石にこのペースでやってたらあまりにもお話が進まないので……次回はゲームをスキップします。
そういえば、このゲームの名前を決めてなかった。やばいやばい。
補足:
健之助には奇跡の権能があるんだから負けるわけなくね?という方はすごく鋭いですね。戦闘とは違うので予知能力は働きませんし、行動を縛る能力については後でちゃんと触れます。




