悦の権能 その10
淡い暖色の照明を浴びて、その拳銃が存在感を放つ。
「貰い物ですわ。悦の権能を込めましたから……確実に、気持ちよく逝けますわ。」
この映画館の総支配人、麻谷 杏子は、三春 風香の頭に本物の拳銃を突きつける。
いったい、僕はどうすれば……
僕、伊勢 健之助は、自身の権能を使おうとした。
しかし、それよりも早く口を開いたのは邪神だった。
「杏子よ。その引鉄に何を込める。 」
麻谷は視線を逸らさずに、冷たく言う。
「この小娘が、わたくしの理想を侮辱しましたのよ? この、わたくしに!十分ではなくって?」
邪神は納得した表情を見せた。
「いかにも。大いなる理想の前に、人の命など塵も同然。
お前の引鉄は正しい。
しかしだ。我々は処刑を見に来たのではない、ゲームとやらをしに来たのだろう?
まさか死んでから興じろと?」
邪神のほうを見た麻谷は、ひとつ深い溜息をつく。
「全ての裏社会が、その利権のために、わたくしに跪き。
全ての悪人が、その快楽のために、わたくしを守りますわ。
ここはわたくしの街。お忘れなきよう。」
そう言って、銃を納めた。
「我が与えた力は、至高であろう。」
邪神は笑って言った。
それを聞き流した麻谷が言う。
「さて。わたくしとしたことが、取り乱しましたわ。どうかご無礼をお許し願いませんこと? 三春様。」
「……どの面さげて。」
三春の声は、呼吸が浅いように聞こえた。
そして麻谷は小さな鍵を取り出し、僕と三春と、邪神の拘束を解いた。
「わたくし、こう見えて各所から狙われていますの。手荒なことをして、申し訳ありませんわ。
……さあ皆様。わたくしに続いて、こちらに。」
階段の上に案内された。映画館の2階席入り口を通り過ぎ、鍵の掛かった「関係者以外立入禁止」の部屋に通された。
館内で唯一タバコの臭いがしない、赤い壁紙の小さな部屋だ。
4つの1人用ソファが、アンティーク調の丸いテーブルを囲んでいた。
殺風景な部屋だが、天井に吊るされたペンダントライトが柔らかく光る。
「遣いの者が来るまで、掛けて待ちましょう。」
部屋の最奥から時計回りに、麻谷、三春、邪神、僕の順番に座った。
そしてすぐに3回ノックが聞こえた。ドアを開けて入ってきたのは、1人の黒い服の男だ。
先ほどとは別の男が、何やら籠を持ってきた。
その籠には、錠剤の入ったPTPシートが無造作に入っていた。
中身は妙にカラフルだ。錠剤じゃない。
あれは……マーブルチョコ?
「皆様、『プチプチ占いチョコ』は、食べたことありまして?」
前に食べたのはだいぶ昔だ。1枚のシートに計18個の占い項目があって、1粒ずつカラフルなチョコが入っている。
「ああ。」
「あるわ。」
「あら。邪神様は?」
「ない。実に鮮やかなチョコレートだ。美しい。」
「ええ、そうでしょう? わたくし、これが大好きですのよ。」
「へえ」
「へえ」
「へえ」
「……まあいいですわ。
今回のゲームで使うのはいちごミルク味のほうにしますわ。
普通の味はシートごとに中身が違いまして、扱いが難しいんですの。」
普通の占いチョコでは、実はシートごとに内容が異なる。「お稽古」と書いてあった場所が、別のシートでは「大掃除」になっているなんてこともザラだ。
だが、いちごミルク味やチョコバナナ味なら、どのシートでも書かれている項目は同じだ。
「説明いたしますわね。
1枚のシートにチョコは18粒。それぞれの穴に、『おでかけ』『ご飯』『願い事』などの占い項目がありますわ。
そこからチョコを取り出してシートをみると、『◎良い』「○やや良い」「△普通」「✕よくない」の運勢が占えますのよ。」
「ほう、それは呪術の類か。」
「いいえ、ただの子供のお遊びですわ。
でも、わたくし達がやるのは……究極のドラッグパーティー。」
「……え?それは一体……? 」
僕が尋ねると、麻谷が恍惚とした表情で言う。
「全てのチョコに……わたくしの権能が仕込んでありますのよ!
ひとつひとつに込められた権能は微弱。10粒食べた程度では何も変わりませんわ。でも……」
麻谷は脚を組み替えた。
「……食べ尽くしたら、その時はお仕舞い。
快楽の向こう側に行ったまま……戻ってはこれませんわ。絶対に。」
「……とことん趣味悪いわね。吐き気がする。」
三春は右隣にいる麻谷を軽蔑の視線で見た。
「そこに例外はありませんわ。権能者であるわたくしも、耐性をお持ちの邪神様も。
18粒食べれば、誰だってお仕舞い。
それにこれは、ただの当てっこ。配られるシートは完全ランダム。
趣味が悪いどころか、大変フェアなゲームだと思いませんこと?」
それを聞いた邪神は嬉しそうに言った。
「つまるところ。我々は対戦相手のチョコに隠された運勢を当てる。
相手の運勢を当てることで、その相手にチョコを食わせる。そして最も早く18粒食わされた者が、悦に囚われし敗者となる……というゲームだな?」
「ご明察。自らが堕ちる前に、他人を堕としてしまえばいい。そんなゲームですわ。
……2名ですわ。4名中2名の脱落で、ゲーム終了!
降りても構いませんわ。その場合は、適当な代役を呼びますわ。」
2人蹴落とせば、このゲームは終わる。
権能では勝ち目が薄い以上、強敵を2人まとめて倒せるまたとないチャンスだ。
尤も、麻谷が何かイカサマをする可能性もあるし、邪神も一筋縄ではいかないだろう。
三春は……今は味方だ。彼女が倒れるリスクはある。
だがそれ以上に、仮に僕や三春が倒れても、「悦」の解除方法がないと決まったわけじゃない。
しかし三春にとってはメリットが薄いだろう。前提として、三春は僕のことが好きだ。
僕が敗北することを誰より恐れるに違いな……
「やるわ。」
ん?
『健之助くん。
私なら負けない。この権能で、どんなイカサマだってできる。それに……』
三春は向かいの僕に向かって、ウインクした。
『あなたがおかしくなったら……私が一生、面倒を見る。
食事から下の世話まで。安心していいわ。
あっ、もちろん、邪神と麻谷を倒すのが1番よ!
それに私がおかしくなったら健之助君の家の玄関マットにでも』
……想定以上にイカれていた。放っておこう。
そして邪神はというと、
「無論やろう。」
とのことだった。
「役者は揃いましたわね。ではルール説明を。」
「ほう、よろしく頼もう。」
円いテーブルの中央、僕たちの前には8枚の、赤やピンクのチョコが入ったシートが置かれた。
「まず、この中から一枚選んでくださいまし。それが皆さまの手札ですわ。わたくしはこれを。」
麻谷が1枚取ろうとすると、三春が制止した。
「待って。そのシートに細工してないわよね?」
「勿論ですわ。ご覧に? 」
「……ええ。変わった点はない。念のため交換してもらうわ。」
「構いませんわ。」
続けて、他の参加者もシートを取る。余った4枚を、男が回収した。
三春の声だ。
『気を付けて。間違いなくイカサマしてる。』
「さて。このゲームでは時計回りに、左隣の方と占い結果を比べていきますわ。
わたくしは三春様、三春様は邪神様、邪神様は伊勢様……といった順番ですわね。
番が回ってきたら、コストとして1粒チョコを食べる。パスはできませんわ。
そうしたら、ご自身が今開けた占い結果と、左隣の人の既に出ている占い結果とを比較しますの。
比べる項目は違くてもいいですわ。例えばご自身の『お出かけ』運を開けて、お相手の『カラオケ』運と比べるように。」
「なんだ、運任せか。」
邪神が口を挟むと、麻谷は続けた。
「ええ。ですが、完全にそうとも言い切れませんわ。
もしもお相手のシートに3つの穴がありましたら……
ご自身がその時開けた1つの占い結果と、お相手の3つの占い結果のうちの1つとを、比べるということですのよ。
つまり、ゲームが進むにつれて、比べられる側に選択肢が増える……ということですわね。
まあ、一度比較に使用した占い結果は、もう使えませんが。」
穴が多いほど、占い結果も増えることになる。
比べられる側で言えば……有利な占い項目を選ばせるように、交渉次第で比べる側を誘導する余地が生まれるということか。
「あ、そうそう。大事なことを忘れていましたわ。穴の開け方ですわね。
比較してご自分の運が良ければ、お相手が2つ。
お相手の方がよければ、お相手は開けず、ご自分がペナルティとして1つ。
運勢が同じでしたら…… 比べられたお相手が、3つですわ。」
占い結果は良いほうがいい。
だが4分の1で運勢が同じ時、ゲームが大きく動く。
「説明は以上ですわ。気になったら遠慮なく聞いてくださいまし。」
『いよいよ始まるわね。あなたを守る。どんな手を使っても。』
……ああ。
「今宵は愉しみましょう。愉悦に溺れる、甘い饗宴を。
……さあ皆様。始めに1つ、チョコを食べましょうか。」
あらすじ:
激昂した麻谷 杏子に銃を突き付けられた三春 風香に、邪神が助け船を出す。そこで拘束を解かれた3人は、ゲーム会場である奥の小さな部屋に通された。
そのゲームとは、「ぷちぷち占いチョコ いちごミルクあじ」を用いた運勢の当てっこだった。
18個のチョコに仕組まれた、「悦」の権能。4人中2人が堕ちるまで終われない、狂気のドラッグ・パーティーが幕を開ける。
Tips:
邪神が小さい星を連発して自力で手錠を破壊するシーンも書いていましたが、要素が増えると面倒なので削りました。
補足:
ぷちぷち占いチョコの販売開始は1985年。いちごミルク味の発売時期は……わかりませんでした。有識者の方、ご意見お願いします。2000年8月時点でまだない場合は、内容の変更もあり得ます。
ノーマルなぷちぷち占いチョコは、占い項目がランダムなのでとても扱いずらいです。(本来の用途と違うのにdisっていくスタイル)
さて、いちごミルク味の占い項目は18個。混川が10枚買って調べたところ、全部同じでした。
おでかけ カラオケ あそび
イメチェン かいもの りょこう
れんあい メルトモ ぼうけん
であい ごはん こくはく
うんどう ゆめ きゅうけい
ねがいごと デート おくりもの
です。ツッコミはさておき。
悦の権能がなくとも、遊んでみると楽しいんじゃないでしょうか。




