奇跡の権能 その1
本作はフィクションです。
登場する人物、団体、事件などはすべて架空のものであり、実在のものとは関係ありません。
また、一部に宗教的なモチーフが登場しますが、特定の宗教・信仰を肯定または否定する意図はありません。
物語には一部、暴力的・性的な要素や、精神的に不安を感じる場面が含まれることがあります。ご自身のペースでお楽しみいただければ幸いです。
2000年7月22日。
僕、伊勢 健之助は肩のあたりを火傷して、県立神流町中央病院に入院していた。
3日前の爆発事故は、この地域のニュースでも報道された。重症1人、軽傷3人。
重症だったのが、熱風をもろに浴びた冷田 篤志だ。
そこから離れていた僕と猫崎 唯はかなり軽傷で済んだようだ。
僕の症状は最も軽く、早速病室を出る許可も下りた。
彼女…… 日下 萌々奈というらしい。
その病室に見舞いに行くことにした。
凍傷による出血がひどかったため、彼女が退院するのにはまだ時間が掛かると聞いた。
看護婦さんに案内されて入った病室には、見覚えのある顔が二人いた。
日下 萌々奈と猫崎 唯だ。病床を隔てるカーテンは何故か開けられている。
睨み合うでも、目を逸らすでもない。
ただ2人の間に、深い見えない溝が病室の中央に横たわっているようだった。
仮にも、爆発事件の加害者と被害者なんだから。同じ部屋じゃなくたっていいじゃないか。
まったく、これほどまでに嫌な雰囲気の病室があっただろうか。
病室には4つのベッドが並んでいて、日下は窓際右手、猫崎 は対角の廊下側左手にいる。
そして廊下側右手には60代の女性……佐藤さんという方がいる。
だが、この病室に漂う何かに精神がやられたようで、齢80歳くらいに見えてしまう。可哀想に。
「……」
「……んん……えと、ケホ、ケホ」
沈黙か支配する病室には日下のわざとらしい咳払いが響いた。この重苦しい空間に、乾いた咳がイガイガと突き刺さる。
対角からは静かに、それでいて激しい舌打ちが聞こえた。
まずい。
日下 萌々奈は、なぜか咳払いのあとに僕の方をチラチラと見てくる。やめてくれ。
その視線がなんだかものすごく痛かった。
目が合う。
その時ある考えが、ふと頭を過ぎった。
日下 萌々奈はこの絶望的状況で間違いなく何かをやらかす。
理屈では説明できない。が、確信に似た予感があった。
一方で、僕は猫崎の顔色を見ようとした。やめた。
単純に怖かったからだ。
目線を横に逸らすと、猫崎の物であろうぬいぐるみが目に入った。
最近放送が始まった某ハムスターアニメの……あのモハモハ喋る灰色の変な奴。名前は忘れたが、そいつの小さなぬいぐるみだ。
なんとか打開策がないものか。
しかし思いつかない。
……僕は無意識のうちに、顎を手で触る癖があるようだ。
同様に無意識のうちに、病室の外に出ていた。
ヘタレと言われようが構わない。
死臭がしない外の空気を吸った瞬間、僕は思考能力を取り戻した気がした。
……さて、お見舞いの品といえばプリンだよな。贈答用のやつを買っていこう。
あまりにも突飛だが、我ながらいい考え。
……というわけで近くのケーキ屋へと小走りして、プリンを2つ買いにいくことにした。
外は相変わらず暑い。ほんの3分の外出が、これほど苦痛だとは。
病院の2件隣に、その洋菓子店はある。今日が平日というのもあり、幸い並んでいなかった。
「いらっしゃいませ〜」
「カスタードプリンを2つ。」
ドアを開けると、カランコロンと鈴が鳴る。店舗に入るやいなや、僕は冷蔵ショーケースの下段を指差して注文した。
「2点で720円です。保冷剤お付けしますか?」
「お願いします。」
多少手痛い出費だが、あの地獄を救えるなら安すぎる買い物だ。
なぜ僕がここまでしてやるんだろうか……いや、考えるのは辞めておこう。
帰り道で、某ハムスターアニメの根付が入ったカプセルトイを見つけた。
そういえば、猫崎もぬいぐるみを持っていた。
しかし、まあ、こういうのは目当てのものなど出ず、そのまま有り金を叩き続けるのがオチだ。
やるだけ無駄……
そう思ったその一瞬、不思議な感覚が僕から発せられるのを感じた。神秘的、とでも言うような感覚。
あの時と同じだ。
これが、僕の「権能」……?
そしてどういうわけか、僕はこのカプセルトイを2回、回した。合わせて400円。
別に、2人の仲を取り持とうとか、何か起こしてやろうとか、そんなことは微塵も考えていなかった。が、なんとなく回してみた。
さて、結果は。
2つとも……例のモハモハ喋る、灰色の変な奴が出た。
よくわからないが、プリンと、このカプセルを持って、あの魔窟に戻ることにした。
例の病室に着いた。
病床を隔てるカーテンは、まだ開けられている。
閉めればいいのに、どうしてずっと開いているんだろうか。
いろいろと事情があるのだろう。換気?そうじゃないはずだ。
さて、二人は相変わらず喋らないが、一触即発ともいえる雰囲気を醸し出している。
佐藤さんはまた老けた。
入り口で、僕は勇気を振り絞った。
「こ、ここ、こんにちはー。あの、もも、もしよかったらぁ、差し入れに……プリン買ってきたんで、ど、どうでしょうか……」
ダメだ、緊張で声がまっすぐ出てこない。
誰も返事をしなかったが、2人の視線は僕に集まった。
2人のちょうど中間に、視線を遮るように立つ。
「あ、ありがとうございます。伊勢さん。」
「ありがと。いただくわ。」
2人の視線の間を遮り、プリンとスプーンを病床の横に置いた。
……猫崎ってお礼ができるタイプの子だったんだ。それについては意外だった。
巷では、「美味しいもの、特に甘いものを一緒に食べると、親密さが増す」という説がある。
2人にいまプリンを食べるように促すと、僕は佐藤さんの隣の椅子に腰掛けた。
突如隣に腰掛けた知らない男に佐藤さんは困惑したが、どちらかの隣に座るなど、僕にはできなかった。
僕は内心、すごく安堵していた。まだまだそれを顔に出せるような雰囲気ではなかったが。
しかし、老け込んでいた佐藤さんも、心なしか喜んでくれている気がした。
「……このプリン、すっごくおいしいです!ありがとうございます!」
「……これ、あたしずっと食べたかったのよね。」
お、いい感触だ。よくやった健之助。
「こんな気分じゃなければ……」
二人は同じタイミングで、同じ言葉を言いかけてやめた。
また空気が凍る。
佐藤さんがめちゃくちゃ固まっている。
まずい。ここをどう切り抜けようか。
へけっ!こうしくんは悪くないのだ!てちてち。
次回、凍り付く病室をハムちゃんずはどう乗り切るのだ…?
病室編、後編に続く!




