表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/62

屍の権能 その6

本作はフィクションです。

登場する人物、団体、事件などはすべて架空のものであり、実在のものとは関係ありません。

また、一部に宗教的なモチーフが登場しますが、特定の宗教・信仰を肯定または否定する意図はありません。


物語には一部、暴力的・性的な要素や、精神的に不安を感じる場面が含まれることがあります。ご自身のペースでお楽しみいただければ幸いです。

 2000年7月30日。 

 

 僕、伊勢(いせ) 健之助(けんのすけ)は、ベルゼブブを見た。

 あのデッキブラシを置いてきたから、嗅覚で追跡されることはないと思っていた。

 不気味なエンジン音が響き渡る。


 遠くのベルゼブブは身を屈めた。背中のエンジン音はより一層重みを増し、緊張が走る。

 ……来る!

「いい子だ!ベルゼブブ!!この男を殺してしまえ!!」

 鬼怒川(きぬがわ) 真悟(しんご)がそう言うと、巨体が一直線に迫ってきた。


 左足をぐっと踏み込んで、僕に向かって左の腕を振り下ろす。

 素早い動きだが、見える。宮嶋(みやじま)さんをかばって、右後ろに避けた。

「ワン!ワンワン!」

 不釣り合いな鳴き声。


「……ラッセル?やっぱりラッセルなの?」

 突進の構えをしていたその獣は、ぴたりと動きを止めた。


「ねえ、ラッセル……?そこにいるの?私だよ、瑠美(るみ)だよ?」

 3つの猪の頭が、1人の女の子を見つめる。獰猛なエンジンを鳴り止ませて。


「ラッセルだぁ?ふざけるんじゃない!私の最高傑作、ベルゼブブだ!おい!聞いているのかベルゼブブ!!」

 悶える鬼怒川(きぬがわ)をよそに、宮嶋(みやじま)さんはベルゼブブ……いや、ラッセルに涙を流して語り掛ける。


「私ね、ラッセルがもう死んじったんじゃないかって、毎日すごく怖かった。

 それでね、2日ぶりに遭ったら、すごく若返って、しかも、こんなに……逞しく、なったみたいで。

 なんだか、少しだけ……嬉しかったの。」


「そうだろう!これほどまでに逞しい命だ!!素晴らしいだろう!」

「黙れ!」

 僕は口を挟んだ鬼怒川(きぬがわ)を静止し、両手をその額に当てた。

 彼女は嗚咽をこらえて続ける。

「でもね、ラッセル、あなた……苦しかったんじゃない?私……わかるよ。」


 短い沈黙が包むと、声を上げたのはラッセルだった。

「……くぅーん。」

 彼女は肩を震わせ、イノシシの顔に手を当てる。

「こんな、ラッセル……私、つらいよ。ねえ、ラッセルは、どうだった?」

「ワンワン!ワン!」

「そうだよね……そう、だよね。」

 宮島(みやじま)さんは流れる涙を拭って、立ち尽くした。


 その怪物は、その巨体を屈める。

 彼女に寄り添って、両腕で抱きしめた。

「うう、う、ごめんね、ラッセル。私、ダメだね。ごめんね……」

 中央のイノシシが、彼女の顔をペロペロと舐めた。

「ははは、やめて、ラッセル。いまのあなた、臭い……」

 彼女は、力なく笑った。

「ねえ、教えて。何があったの。ごめんね、私、何もわからないの。」

 のっそのっそと向きを変えた怪物は、僕の足元のエリーを見て、しきりに吠えだした。

「その猫に、ついていったの?でも、その子もね、きっと……」

 怪物は少女に撫でられ、また静かになった。

「よーしよし。よーし、よし。偉いね、許してあげるんだね。」


 彼女はまた大粒の涙を流す。


「……じゃあ、ラッセルに。ひどいことしたのは、誰?」

 ……宮嶋(みやじま)さんの声色が、変わった。

 ラッセルは、鬼怒川(きぬがわ) 真悟(しんご)の方を向く。背中のエンジンが駆動した。

「……絶対許しちゃダメだよ、ラッセル。」


 まずい!

「待て!ベルゼ……ラッセル!老いぼれのお前に命を与えたのは私だ!待……ぐあああああ!!!!!」

 巨体から繰り出される頭突きが、生身の男に命中した。

「あなたが!ラッセルを殺したんでしょ!償え!死ね!!」


「いや!私が……手を、下さなくても……死んでいた!生きているのも……辛かったはずだ!

 だが!こんなにも強い!喜ばしいじゃないか!」

 苦し紛れに、男は笑う。


「違う。違う!!こんなの!ラッセルは、もう……!」

 怪物は男にとどめを刺そうとしたが、宮嶋(みやじま)さんの方を向いて止まった。


 我に返ったのか、宮嶋(みやじま)さんが笑う。

「もういいの。ラッセル。ありがとう。私、ラッセルのこと、大好きだよ。

 最後まで、ダメな飼い主、だったよね……でももう、いいの。ごめんね。」

 彼女はラッセルに駆け寄ると、再び目には大粒の涙。

 

 最強の怪物……そう呼ぶには程遠い、老犬の魂が、そこにはあった。

 

 その涙に触れると、ベルゼブブの肉体が、温かい光とともに、少しずつ朽ちていくのを見た。

「馬鹿な!私の権能(けんのう)を解けるのは私だけだ!なぜ!」


 僕にはわかった。

「……意思だ。」

 ラッセルが殺されてベルゼブブに取り込まれた日。

 彼は既に……腐臭の記憶とともに、自分の命が終わっていたことを知っていたのだろう。

 怪物に取り込まれても、自分がラッセルであることを、決して忘れなかった。


 だから、宮島(みやじま)さんと再び出会えた今、現実を受け入れて自壊することを選んだ。

「うわあ、わ、わあああ、ラッセル…………!ひぐっ、うぐっ、うああああああ!!!!!!!わあああああああん!!!!」


「ベルゼブブは……終わったのか。……さあエリー、おいで。」

「終わりだ。()()()()権能(けんのう)だな。だが……」

 僕はそう言って、天を仰ぐ男の額に、両手を当てた。


 エリーは、鬼怒川(きぬがわ)の近くへと歩み寄っては、その手に頬ずりした。

「エリー、やっと、来てくれたね。こうするのも、あの日以来か……」

 そして、涙を流す男に寄り添って……


 エリーは、静かに眠った。


「本当に、すまなかった……私のせいで!君は……!」

 エリーの体からは、もう血液が流れ出していなかった。



 2000年7月30日。


 私、鬼怒川(きぬがわ) 真悟(しんご)は、エリーに出会った日のことを思い出していた。


 動物愛護センター「かんながわんにゃんライフセンター」と保健所の職員が、異臭がすると通報のあった家に向かった。

 そこには5匹の親猫と、8匹の子猫。そして、5匹の子猫の亡骸があった。そこが最も過酷な環境だったことは、想像に難くない。

 私は愛護センターに送られてきた猫たちの、メディカルチェックと去勢手術を担当した。

 幸い、栄養失調を除いて問題は見られなかったが、エリーと名付けられた一匹の子猫だけは、生まれつき足が悪かった。

 それでも、その子は私の顔を見ては、嬉しそうに這い寄って、手に頬ずりするほど、何故か私にも懐いてくれた。

 

 それから1年が過ぎ、保健所からの通達があった。

 殺処分。

 獣医である私の仕事だ。


 対象は、あの日届けられた2匹の親猫と、1匹の子猫。

 3匹の親猫は既に他界し、他の7匹の子猫には引き取り手が見つかっていた。


 リン、ダイ、そしてエリーはここに来てから、元気に暮らしていた。リンとダイは人間を憎んでいたが、愛護センターで育ったエリーは、私にもよく懐いた。


 エリーは自分の最期であるとは知らず、まともに動かない脚で這っては、いつものように私の手に頬ずりした。


 それでも躊躇いは、なかった。

 私はその手を引っ込めた。


 ただ猫たちを……

 私が、やるしかなかったんだ。



 ……その日の夜も、私は眠れなかった。

 足の悪いエリーだったが、懸命に這っては、ご飯を欲しがって元気に鳴いていた。

 飛び跳ねることはできなくても、楽しそうにオモチャで遊んでいた。


 そんなことを思いながら外に出ると、吸い寄せられるように()()()の前にいた。



 なぜ彼らは、生きられないのに生まれたんだ……?

 なぜ私は、救いたかったのに、殺したんだ……?


 これは私の罪だ。人の傲慢によって生まれた命を、人が奪う。

 その逃れられない罪を、私が背負ってきた。

 せめて、蘇らせる力があれば……いや、そんなのは、ただの気の迷いだ。


「気の迷いではない。可能だ。」

 その像から、不思議な恰好をした人物が現れた。

 長い金髪。男とも、女ともつかない声。


「我こそは、邪神。触れるがよい。お前の望みが、そこにある。」

 

 言われるがまま、私は像に触れてみた。


「お前は人間の罪を背負ってきたのだ。我が()()()()で、(あがな)うがよい。


 そして。

 「願いは聞かれた。邪神(じゃしん)権能(けんのう)を、神に代わって授けん。」


 その時、ヒトの()()を象ったその像には、交差する二重螺旋と、彼岸花のシンボルが浮かび上がった。その印を見て、私の権能(けんのう)とやらが、死者の合成だということを理解した。


 すぐに車で愛護センターに向かい、猫たちの死体を運び出した。

 ただ権能(けんのう)を使うだけでなく、何かと合成する必要がある。

 私は建物の外で、ゴミを漁るハクビシンをよそに、鶏頭と魚の背びれを拾っていた。


 それらをエリーにつけると、エリーは再び動き出した。息はしていなかったが。

 嬉しかった。また私の顔を見て、可愛く鳴く様子が、愛おしかった。


 ……なんとなく、違和感を感じていたが。


 脚が悪くて動けないのは相変わらずだった。

 そこで私は再び外に出ると、少しの躊躇いは合ったものの……さっきのハクビシンを棒で打って殺し、その脚をエリーに接合した。


 肉体の接合は不慣れだった。どうにもうまくできず、血が無尽蔵にあふれ出してくる。それでも、慣れない足取りでゆっくりと歩き出すエリーを見て、私は命の素晴らしさを感じた。

 これが……「屍」、いや、命の権能(けんのう)だと。

 エリーはいつでも、その接合面が痒いらしく、しきりに掻こうとしていた。



 しかし、エリーは最後まで、私を避けた。私に近寄らなくなったのだ。


 ……今思えば、歩けるようになったからでも、コインランドリーと、古いデッキブラシがお気に入りだからでもない。

 私から、()()がしたからだ。


 私ははじめから、命を操ってなどいなかった。

 命を弄んでいた。

 ただ屍をこねくり回しては、悦に浸っていただけに過ぎない。

 ……エリーはそんな私に、怒っていたんだ。

 

 すまない、エリー。すまない、みんな……

 気づくのが遅すぎたんだ……




 2000年7月30日。


 僕、伊勢(いせ) 健之助(けんのすけ)の目覚めた権能は、相手の権能(けんのう)を一定時間停止させる力だ。もって30分か。


「あの、伊勢(いせ)さん!本当に、ありがとう、ございました……うちのラッセルも、ようやく逝けました……」

「いえ、僕の方こそ。ありがとうございます、宮嶋(みやじま)さん。」


 すぐに警察が来て、鬼怒川(きぬがわ) 真悟(しんご)は任意同行を受けることになった。


 パトカーに向かうその時。泣き腫らした鬼怒川(きぬがわ)は、僕に言った。


「片隅で、()()に選ばれなかった命を……忘れないでは、くれないか。」


 誰にも知られず、ただ黙々と命に向き合ってきた男の背中。

 ……権能(けんのう)さえ、なければ。


 命あるものは、必ず消える。

 遠くの国で。この町の片隅で。目の前で。

 ならば、せめて全ての命が、尊厳をもって終われるように。

 僕たちは、目を逸らさずに生きていこう。


 そういえば、あの綿のドームはなくなっていた。

瑠美は怪物・ベルゼブブの中に捕らわれた愛犬ラッセルと再会を果たすものの、永遠の別れを告げる。屍の権能者、鬼怒川 真悟を打ち破った健之助は、鬼怒川や瑠美が向き合ってきた命というものに、思いを馳せるのであった。


屍の権能編、これにて終幕です。基本的に1話3000文字を目安にしていますが、最終話だけ文字数が増えたのは許してくださいね。この重さで次の話にはいかないのでご安心を。



26/02/11 改稿。

・成猫がミルク欲しがるって……ねえ。訂正です。

・鬼怒川は権能を授かるとき、珍能像だけでなく、邪神に直接会っています。地味ですが辻褄合わせに重要なので訂正します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
今回の鬼怒川のエピソードも悲しく苦しかったです…涙が止まらなかったです。でも一番苦しかったのは鬼怒川ですね…。 瞬の権能の速水もですが、願いがいつも人の一番弱くて悲しいところに触れてきますね…。伏線と…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ