氷の権能 その2
本作はフィクションです。
登場する人物、団体、事件などはすべて架空のものであり、実在のものとは関係ありません。
また、一部に宗教的なモチーフが登場しますが、特定の宗教・信仰を肯定または否定する意図はありません。
物語には一部、暴力的・性的な要素や、精神的に不安を感じる場面が含まれることがあります。ご自身のペースでお楽しみいただければ幸いです。
2000年7月19日。
夏の茹だるような日差しを避け、僕は商店街の軒先の、頼りないアーケードの下を歩いていた。
町役場も近いこの通りには、全員が向日葵の如くテレビを見つめる中華料理屋に、店主と常連が1時間以上立ち話をしているような洋服屋、素人を全く寄せ付けない金物屋が立ち並んでいて……ある意味、活気溢れる商店街だ。
まあ、特に買うものもないし、所持金だって多くない。
一人暮らしの大学生には、冷房をつけるにも電気代が勿体ない。
ふらふらと歩く僕が目にしたのは、古びた書店だった。ふと店名が気になって、軒先の日陰から顔を出して上を見上げると、「いっしき書店」の文字が。
そしてその書店の入り口横には、ひときわ目を引く、奇抜な色遣いのポスター。
「1997年、世界は既に滅亡していたのか? 12人のオカルトライターが語る、ミシェル・ノストラダムスの欺瞞と真実とは!」
……くだらない眉唾だ。こんなものをデカデカと掲載していては、敬遠する客も多少は居るだろう。
今は2000年7月。そういえば、3年前の1997年7月に、かの有名なノストラダムスは世界滅亡の予言を的中させなかった。
あんなものはデタラメだ……今となっては、誰もがそう言うだろう。
当時はそれを真に受けて、仕事を辞める人まで出た始末だったのだが。
しかし、ここ神流町に限っては、そうとも言い切れなかった。
ちょうど3年遅れで、この街の住民たちはその予感を募らせていたからだ。
不自然な隕石の落下。
凍結した蛾の群れ。
通行人が突如透明人間から暴行を受けるといった事件も、今朝ニュースになった。
僕はオカルトは好きじゃないが……ある町民の話で、怪物を見たと小耳に挟んだ。
とにかく。この街では、世界の終わりの予兆ともいえるような、奇妙な出来事が立て続けに起こっている。
僕はオカルトは信じないが……奇妙な出来事の連続が、与太話に真実味を与えていると感じる。
そう。
僕、伊勢 健之助が住む神流町は。
この国で、最も危険な街になった。
それも全て、約1週間前のことが発端だろう。
珍妙な形の塔が、町役場前に突如現れてからだ。
いや、そこに大した証拠はない。単純に悪ふざけなのかもしれない。だが、僕はそう確信している。
……なんだか、そんな気がしてならないのだ。
それに、単なる悪ふざけで、あれほど巨大で立派な銅像は建てられないだろう。
塔が建っているこの辺りは、都会でもない神流町ではそれなりに人も多く、高い建物が多いエリアだ。
それでも、町役場前の広場にそびえるそれは、高さ6、7メートルあって、遠くからでも結構目立つ。
……目立つし、どこからどう見てもアレだ。
そんな猥褻物だが、間抜けな見た目の割に、誰かが寄り付くのを見たことがない。
たまに近隣の苦情を受けて、役場の職員が視察に来るくらいだろう。
いま僕が立っている書店の軒先でも、民家の影から顔を出すその塔から発せられる、異様なオーラを感じてしまう。
それ程までに、この奇怪な塔は人を寄せ付けなかった。
ただの悪ふざけとは思えない……この世のものとは思えない、確かな威圧感。
やはり、あの塔が不吉な何かの源で、本当に世界の滅亡が……?
考えすぎだろうか? そういう話は冗談として、流しておくに限る。
さて、書店を彷徨くが、興味を引くような本はない。この本屋には、マトモな本はあまり置いていないんだった。
僕が店を出ようとすると、奥にいた店主らしきお婆さんが、何か言っていた。
どうやら「ももちゃん」という人物を探しているらしい。
「あの、心当たりはありませんか? もしよければ探してきましょうか?」
僕が声をかけるとその人は聞き返した。
「え?ポコチン?あたしゃ耳が悪くてね。冷やかしなら帰んな。」
ダメそうだ。面倒そうなので店を出ることにした。
すまない、「ももちゃん」……
ああ、僕は冷たい人間なのだろうか。
そんな僕、伊勢 健之助は、神流大学文学部社会学科に通う2年生だ。去年の春から、地元を離れてこの街に住んでいる。
いまは夏休み期間で、お盆には帰省するつもりだ。
自分がどんな人物か、言葉で表すようなことは上手くできないが、きっと、好奇心が旺盛な方なんだと思う。
最近は、ああいう違法建造物を撤去するのに何か月くらい、幾らくらいかかるんだろうか。
……なんてことを、頭の中でぐるぐると考えて、関連の本を読んだりもしている。
さて、これからコンビニで買い物をするついでに、そのチン……
いや、「珍能像」といったか。を、見てみることにした。
ん?あの塔は、「珍能像」って言うのか??
……せっかくならもう少し、近くに寄ってみよう。
普段なら絶対に近寄らないが、その時だけは、不思議な引力に抗えなかった。
そして、それはあまりにも突然のことだった。
その一瞬、不思議な感覚が僕から発せられるのを感じた。神秘的、とでも言うような感覚。
なんなんだ、これは……?こんなのは初めてだ。
不思議に思いながらも、僕は歩いた。
そして……僕、伊勢 健之助は、道路を挟んではっきりと、珍能像が見えるところに来た。
その珍能像の傍では、奇妙な3人組を見つけた。
まず高校生くらいの、金髪ショートヘアの高慢そうな少女と、角刈りで青いレザージャケットを着た、ガラの悪い男がいる。そしてその男には、赤み掛かった黒髪の、ピンクのTシャツを着た少女が腕を押さえられて、虚ろな目をしてへたり込んでいる。
ただでさえ人が寄り付かないあの塔の下で、何をやっている?
見るからにヤバい状況じゃないか。
それに、周囲の空気が冷やされて霧が見える。今は真夏なのに。
多分、ひときわ濃い霧を纏うあの男が、最近あった凍結現象の犯人だろう。
未知の特殊能力……ああ、「権能」というのか。
……いや、「珍能像」と「権能」、そもそも僕はなぜそんなことを知っている?
それはともかく、正直怖い。だが、恐怖よりも先に体が動いていた。ひたすら走る。
「あの〜、一体どなたですか?私たち、今忙しいのでぇ。」
後方で腕を組んでいた、高慢そうな女の子に見つかった。一目で苦手なタイプだとわかる。
「状況はよくわかりませんが、やめませんか?彼女、危険な状態ですよ」
僕が言ったところ、冷気を発している男が
「それもそうだ。クリームソーダ。」
と同調した。よっぽどクリームソーダが飲みたかったのだろう。こんな時にふざけやがって。
高慢そうな女の子が、その男を一瞥した。
「あっくん、なにそれ寒~い。とにかく、私たちはこいつに理解らせないといけないんですぅ。警察よびますよ。」
呼ばれて困るのは君の方じゃないか、と内心思いつつ、凍えている少女に目をやった。
「お、お心遣い、ありが、と……ござい、ます、でも、ほんと、だいじょぶ……ですから。お引き取り、願います…」
丁寧な口ぶりで目を逸らす。僕は身を屈め、そんな少女の耳元に近づいた。
「あ、おいおい何やってんだお前は」
少女の近くにいる男が僕の肩に触れ、制止しようとする。
その時、僕の口をついて出たのは、自分でも思いもよらない言葉だった。
まるで何かが、僕を導くかのように。
「……今、君の欲しいものはなんだ。
君は一体どんな人なんだ。
つらいだろうが立つんだ、立ってその像に触れるんだ。」
僕は言い終えると、少女の凍える手を取って立ち上がらせるやいなや、少女に襲いかかろうとした男を力いっぱい押さえつけた。
男の大きな体躯に圧倒されながらも、僕は立ち上がった彼女の背中を、ただ眺めていた。
「邪魔なんじゃ!待ってろそこで!」
冷気に耐えきれず、僕はそのまま、男に組み伏せられた。
おぼつかない足取りで、少女は一心不乱にその像へ駆け寄っていく。
新たな奇跡が芽吹き、動き出す予感。
その背中を見届けて、僕は凍りつく瞼を閉じた。
いざ構想段階のお話を書き起こしてみると、話が意外に長くなってしまいます。すみません。
チ…もとい珍能像の下で、無実の罪によって追いつめられる高校生の萌々奈と、そこに居合わせた大学生の健之助。この出会いから、二人は壮大な戦いに巻き込まれていく。




