39. 黒の騎士
兜から鉄靴まで漆黒に染まった騎士を睨みながら、アルヴァは奥歯を噛み締めた。
――何でもないように立っているが、隙がない……!
アルヴァはどうやって陛下を救い出すかを考えながら、剣をゆっくりゆっくりとおろしていく。
「そうだ、そのまま武器を捨てて跪け。従わなければ、どうなるかわかっているな」
ウィルの声に余裕は一つもない。
アルヴァはウィルではなく黒騎士を睨みながら、静かに床に片膝をつく。
「姉上……!」
弟の焦燥しきった声を聞きながら、アルヴァは剣を静かに床に置いた。
「そのまま、両手を出せ」
ウィルの手には、鈍く光る手枷がある。アルヴァは活路を探しながら、それでもゆっくりと両腕を差し出すしかなかった。冷たい枷が彼女の肌に徐々に近づいてくる。
まさに枷が嵌められる、その時である。
響きわたった耳障りな警告音に、ウィルの動きが止まった。
音はどんどん近づいて来ている。何事だ、と周囲を警戒するアルヴァの前で、ウィルの顔が真っ青になった。
「ああ、なんで。なんでなんでなんで……っ!」
ウィルはうわ言のように呟きながら手枷を取り落とし、後ずさったかと思えば踵を返して礼拝堂の奥へと駆け出してしまった。途中、奥に隠れていたらしいゲイリーを「どけぇ!」と投げ倒したウィルは、地下へと続く階段へと消えて――その直後、轟音とともに礼拝堂の床に穴が空いた。
穴から飛び出してきたのは、鉄で出来た竜のような鳥のような奇妙な機械だった。
そこから、ウィルの声がひび割れながら響いてくる。
『人質なんてもう捨て置け! 何がなんでもそこの赤髪を確保しろ! 本国の第三研究所につれてこいっ!』
礼拝堂の壁をぶち破って機械が飛び去ると、それについて行くように警告音が遠ざかる。
――一体、どういうことだ。なぜ、奴は逃げた?
壁に空いた穴からヒビが天井の方まで広がっていくの見ながらアルヴァは眉を寄せる。一瞬満ちた静寂を切ったのは、カラカラン、と硬質な物が床へと落ちる音だった。
ウィルへと向いていたアルヴァの意識が黒の騎士へと戻る。
先ほどの音は、黒鎧の騎士がナイフを落とした音だった。騎士はルウェイン国王の体を静かに長椅子へと横たわらせると、兜に隠れて見えない目でアルヴァを射抜いたようだった。殺気でも怒気でもない、全くの『無』の気配に背中を逆なでされながら、アルヴァは剣を拾い上げ素早く体勢を整える。
黒の騎士は佩いていた剣を抜き放つ。刀身も柄も、全てが黒い。異様だった。
「みんな、離れていろ」
それだけをやっと告げて、アルヴァは黒い騎士と対峙する。
油断なく切っ先を相手へと向けるアルヴァとは真逆に、黒い騎士はまるで棒でも拾った子供のようにだらんと切っ先を下げている。
でも、アルヴァにはわかった。
この得体のしれない騎士は、強い。アルヴァの本能が叫んでいる。
――恐らく普段扱う得物は剣じゃないな。
立ち方、構え方を観ながら間合いを図るが、掴めない。アルヴァの頬を汗が伝う。
周囲から音が消えていく。世界に己と相手しかいない感覚。
天井から、小さな小さな瓦礫の欠片が落ちてきて――先に仕掛けたのはアルヴァだった。
堪えかねるという初めての経験に、しかしアルヴァは心を落ち着けたまま床を蹴って、黒い騎士目掛けて剣を振るう。が、当たらない。騎士は軽い身のこなしで躱して、ぶらぶらと揺らしていた剣でアルヴァへと突きを放った。引き戻した剣の腹でそれを弾いて、がら空きの胸目掛けて突きを返す。当たらない。一歩一歩と押し込んでいるのに、剣はかすりもしない。鎧に傷をつけることもできない。
剣と剣がぶつかる音と、床を蹴る音だけが礼拝堂に響いている。
黒い騎士の実力は、アルヴァよりもずっと上だった。実戦経験が段違いなのだろう、アルヴァが競り合いの中で虚を衝いて前蹴りを放っても、黒い騎士は難なく避けた。
じりじりと神経を焼かれるような戦いだった。
何度目の鍔迫り合いの時だっただろうか。
それまで剣しか使わなかった騎士が、唐突にアルヴァの腹を蹴り飛ばした。咄嗟に腹筋に力を入れるも、鉄靴がアルヴァの腹へとめり込んだ。よろめくどころではない衝撃にアルヴァの体は吹き飛んで、礼拝堂の壁へと激突する。
微かに弟の声が聞こえた気がして、アルヴァは心配をかけまいと黒い騎士のもとへと駆けだそうとして目を見開いた。
それと同時に、消えていた音が戻ってくる。
礼拝堂の天井が崩れる轟音。
先ほどまでアルヴァと黒い騎士がいた場所にある、大きな瓦礫。
立ち昇る埃の向こうで、小首を傾げるようにしながら立っている黒い騎士。
「……助け、られた……?」
一体どういうつもりで、と続くはずだった言葉は、濁った汚い声に遮られる。
「殺してやるからなぁ、アルヴァ・エクエスぅぅぅ!」
声の主は、地下への階段の側に立っているゲイリーだった。彼は距離があるにも関わらずアルヴァたちにも聞こえるほどの荒さで、ぶふぅぶふぅ、と鼻息を溢している。機械兵をたった一体だけ携えた彼は、大きく大きく口を開けた。
「お、お、俺を、俺をこんなにコケにして……あの忌々しい騎士訓練の時からそうだ、ずっとずっと……! ず、ずっと俺を馬鹿にして、俺の方が、俺は、子爵家の跡取りだぞ! お前らのように騎士のついでに小男爵位を与えられた似非貴族よりもずっと、ずっとすごいのに……! お、お前は――!」
泣きべそをかきながら叫んだゲイリーはまともとは思えな笑い声をあげて、それからアルヴァを指さした。
「アレを殺せぇぇぇぇぇ!」
直後、機械兵がアルヴァの方へと飛んで来た。
機械兵は、見るも無残なありさまだった。内臓でもはみ出しているかのように様々な管を腹に着けていて、そのどれも、無理やり断ち切られた様子だった。
動きも鈍い。軋んでいる。可哀想だった。
やたらめったらに振り回される鉄の腕を避けるのは簡単だった。よろけた機械兵は、中途半端に腰を折った格好のまま動きを止めた。丁度、アルヴァと黒い騎士を分かつように立っている。
黒い騎士は動かない――が、機械兵から警告音が発せられた瞬間、大きく跳び退いた。
――何か来る。
「ルカ、フィオナとカレンを連れて出来るだけ逃げて、結界を。水と風で二重に張れば、何が起きても大丈夫だろう」
「でも」
「私には、イグニアがいる」
ルカは苦い顔で頷いて、フィオナとカレンの腕をとって駆け出した。あの速さなら中庭の扉近くまで退けるだろう、と考えながら、アルヴァは短くイグニアを呼んで、さっとその背に跨った。
彼女は、陛下を助けてここを出ねばと黒い騎士の方へと目を向けて、再び目を見開いた。
黒い騎士はルウェイン国王をまるで荷物でも持つように抱えて礼拝堂を飛び出したのだ。壁に空いた巨大な穴から見える向こう側で、黒い騎士はどうやら国王を礼拝堂から随分と離れた場所の物陰に置いたようだった。
――あいつは、何がしたいんだ?
王の安全が確保されたことに安堵しつつ、アルヴァは『最高の人質』を放って物陰から出てきた黒い騎士に疑問を覚えた。が、その答えを探るより先にすべきことを思い出す。
アルヴァはイグニアと共に飛び上がった。徐々に崩壊を続けている礼拝堂から空高く。ぐんぐん昇りながら弟たちを探せば、彼らは中庭の入り口の扉を立てにしつつ結界を展開していた。アルヴァはひとまずホッと息を吐き、それから礼拝堂を見る。頭に穴をあけた礼拝堂は、静かにそこに佇んでいた。
そう、佇んでいた。
アルヴァが最初に感じたのは光と衝撃だった。
それから、音だった。
聴覚を根こそぎ奪われるような爆発音。そして、体勢の崩れたアルヴァとイグニアに向かって飛び来る、礼拝堂の屋根だったもの。飛来するそれを見て初めて、アルヴァは機械兵が爆ぜたのだと思い至った。慌てて体勢を整え、イグニアと一体になって瓦礫を避ける。避けつつ礼拝堂へと近付いて、黒い騎士の姿を探す。
――どこだ、どこに……いた!
黒い騎士は、いつの間にかアルヴァの真下に立っていた。ぼんやりとアルヴァを見上げる黒い騎士は、しばらくそうしていた後で、小さく膝を折ったようだった。
何をするつもりだ、と剣を握り直すアルヴァの下で――黒い騎士を包んでいた鎧が、ぐにゃり、とたわんだ。
アルヴァは、自分の目がおかしくなったんだと思った。だって、あり得ないことだ。鎧と言う物は金属や木や革の硬さによって身に着けた者を守る。だから、柔らかい素材では作れない。ましてや、あんなふうに粘性生物のように歪み、うねり、形を変えるなど。
「あり得ない…‥」
しかし、あり得てしまった。今やアルヴァの前で羽ばたいている黒い騎士が証明している。
黒い騎士は、体に沿う黒い革服のような物に包まれた腹と下半身を晒している。腹と下半身を守っていた鎧は全て形を変え、今や竜のような翼となって、騎士の背中に最初から生えていたという顔で羽ばたいている。鎧はもはや顔と胸と腕を守るのみ。剣すらない、いや、剣もまた鎧の一部だったのかもしれない、とアルヴァは思った。
一言で言い表すならば、異形。
その異形が、アルヴァの方へと飛び来る。
攻撃手段は、と見れば、爪だった。鋭い爪が、アルヴァを掴もうと手を伸ばしている。
アルヴァは冷や汗を飛ばしながらイグニアを繰った。
黒い騎士は急降下したアルヴァたちを追ってきた。
身を翻し、急上昇し、逃げる赤に黒が食らいついてはなさない。時には、アルヴァの赤い一括りの髪を鋭い爪が掴みかけることもあった。
――逃げているだけではだめだ。
アルヴァはイグニアの首筋を軽く叩いて合図する。三、二、一、と合図通りにイグニアは急旋回して追っ手に向き直った。
アルヴァは奥歯を鳴らして剣を振りぬき――しかし、避けられる。吹き抜けた突風に髪を持っていかれながらも、二撃目を、と抜けた剣を無理やり振り上げたアルヴァの目に映ったのは、動きを止め、呆然と己の二の腕を見つめる黒い騎士。
彼の二の腕を包む鎧に、小さく、本当に小さく傷がついていて、そこから黒が滴っている。
――私の剣は空ぶった。じゃあ、誰が……もしかして、さっきの風は精霊魔術か? だとすれば、フィオナが?
アルヴァは刹那の間にそこまで思考して、それから、身を焼くような殺気に肌を震わせた。
その、直後。
周囲に激高した竜の咆哮が響き渡った。




