王室魔導士の本性、騎士の誇り②
ルカの放った水弾は黒の制服の群れの頭上を抜け、ゲイリーの胸目掛けて風を切って飛んだ――が、しかしそれは脂肪の塊を貫くどころか、汚い悲鳴をあげるゲイリーの手前で弾けるように霧散してしまった。
ルカは低く唸りながら、ゲイリーの横、底冷えのする目で一行を見下ろすジョルジュのその後ろに控える機械兵を睨んだ。
――アレは……沼地でフォンテーヌとアルデジアの攻撃を消した機械兵か……!
よくよく目を凝らせば、水弾としてルカが放った水の魔力は、ゲイリーとジョルジュを包むように存在しているらしい何らかの膜に弾かれている。弾かれて、空気に溶けて薄まっていっている。
ルカは次に備えて振り上げていた腕を、歯噛みしながらゆっくりおろした。
そんなルカたちの前、みっともなく縮こまっていたゲイリーが顔を真っ赤にして「殺せ!」と叫んだ。
だが、誰一人として動かない。魔導士も、機械兵も。
ゲイリーは手摺から身を乗り出さんばかりの勢いで、唾を飛ばしまくった。
「殺せ、殺せ殺せ殺せぇ! さっさと殺せ! アイツら、お、俺を殺そうとしたんだぞ! おい何をしている、俺の命令だぞ! 第二部隊長の、この俺の――」
濁った叫びにも動かなかった魔導士を動かしたのは、静かな静かな声だった。
「各員」
ジョルジュの声に、魔導士たちの様子が変わる。
「わかっているだろうが……君たちに退路は残されていない」
続く言葉がルカたちに向けられたものでないことは、周囲の反応が示していた。
魔導士たちは、真っ青になった顔を引きつらせ、あるいは冷や汗を垂れ流している。
「牢から出で、地下行きを免れ、本国で犯した罪をその身で雪げるんだ――」
ジョルジュがゆっくりとこちらに背中を見せる。ルカは、捕らえられる距離なのに届かないもどかしさに歯を鳴らすと同時に、周囲を包む異様な雰囲気を警戒した。
「――喜ぶといい」
その言葉を残し、ジョルジュは靴音を響かせて歩き去る。その後ろに機械兵が従って、それから、感情がない混ぜになった赤黒い顔のゲイリーがジョルジュの背中とルカたちとを睨むように見比べてからドタドタと追いかけていく。
が、それをのんびり見ている余裕は、ルカたちには無かった。
エントランスが揺れんばかりのこの声は、王室魔導士たちの怒号、悲鳴、やけっぱちの叫喚である。
殺意と恐怖が混ざりあった幾十もの目がルカたちを睨んで、そこらの山賊のほうがマシと言えるくらい安っぽい武器を構えている。王室魔導士が、である。
不揃いな、玩具のような武器だ。でも、武器は武器である。
これだけの人数を相手取らなければいけないとなると、足止めを食うことになるのは考えずともわかる。
――その間に、ゲイリーたちに逃げられたら。それよりなにより……。
ルカは脳裏によぎる『最悪』を振り切るように、姉の横顔を見る。そこには、焦燥が乗っていた。
アルヴァが眉間に深いシワを作りながら剣を構え直し――
「お前らは行け」
――後ろから伸びたケネスの手が、アルヴァを肩を掴んだ。
「ケネス、何を言って――」
アルヴァの言葉を遮った低い声は冷静そのものだった。
「ここで足止めされて、両陛下に何かあったらどうすんだ」
ケネスは赤紫の目で周囲を睨みながら、また小さく口を開いた。
「フィオナ。あんたのフードの中に隠れてる風妖精、全部借りるぞ」
その言葉にフィオナのフードがモソモソと揺れて、小さな頭が三つほど、ひよっこりと顔を出す。
「い、いつの間についてきていたのですか」
フィオナが目を丸くしている。恐らく、先程まで召喚していた精霊の残り香が強すぎて風妖精に気が付けなかったのだろう。
『なんだぁ、そこの兄ちゃん、鼻がいいでねぇか』
『んだなぁ』
『気づかれると思わなかったでよ、驚いたがね〜』
『三つ編みおさげ』と『お団子』と『横縛り』の小さな風妖精三匹は、フードの中から下から飛び出てくると見分するようにケネスの周りを巡り始めた。その間にも魔導士たちは、もはや狂気的といってもいいほどの恐怖と殺気に塗れた顔でジリジリとこちらに近づいてきている。
「見ろよ、あの構え方。まるっきりの素人だろ。あんなのが相手なら、どれだけいようが俺で十分だ。全部引き受ける」
ケネスはルカを――アルヴァすらをも見ないまま言葉を続けた。
「……俺は、風妖精の扱いなら、たぶんお前らより上だ」
ルカは、確かにケネスは風の魔力との親和性が高いけど、と思った。
確かにケネスはシレクス村で、時々、風に懐かれている。自由自在に遊ばせる姿は、妖精使いと呼んだって遜色ないだろう。それくらいには、彼は風と相性がいい。
でも、それとこれとは話が別だ。
敵意を持ったこれだけの人の群れの中に、幼馴染を置いていくなんて……――しかし、それが今できる最善手である事も、ルカはわかっている。だから、唇を噛む他なかった。
『うぅ~ん、痺れる~!』
『いけめんってのはこンれだから好きだぁー!』
『いやぁ~ん、もう好きに使ってくんろ~!』
風妖精たちは黄色い声をあげながらケネスにまとわりついている。それを見ながら、アルヴァは苦い顔をして、しかし深く頷いた。
「……無茶だけはしないでくれよ」
ケネスが鼻で笑う。
「お前にだけは言われたくない言葉だな。……さあ、風妖精。頼む」
『はいな〜!』
風妖精たちは元気に返事をすると、ルカたちの上に散らばったようだった。
そら、とケネスが顎で階段の上を指し示す。
「お前ら、舌、噛むなよ」
その言葉の直後、エントランスに強風が吹き抜ける。腰を落として踏ん張る魔導士たちとは対象的に、ルカたちはふわりと空に浮いていた。
「う、わわ……!」
カレンがルカにしがみつく。ルカはバランスを取りながらケネスを見下ろした。ケネスはこちらを見上げもせずに、ただジッと王室魔導士たちを睨んでいる。
三つ編みおさげの風妖精がルカたちの周囲をぐるりと飛んで、その小さな顔いっぱいに笑顔を作った。
『びゅ~んとひとっ飛びするからにィ、口さ閉じててくんろ~!』
そォ~れ! と緊張感のない掛け声とともに、ルカたちは風になって、王室魔導士たちの上を飛んだ。皆一様に、目を見開いてポカンと口を開けている。
三つ編みおさげの風妖精は着地まで面倒見てくれるつもりはないらしい。ルカは自分たちを包む魔力の通った風が徐々に剥がれていくのを感じながら、衝撃に身構えた。
申し訳程度に残った風が床に向かって吹いて、小さな上昇気流を作る。気流は一行を少しだけ持ち上げたが、しかしそれだけだ。あとは、自由落下である。
ルカはカレンを抱えなおし、衝撃を殺すようにして着地したが、殺しきれなかった勢いに背中を押されて盛大に転びそうになって、二人一緒にアルヴァに受け止められた。小柄とはいえ二人の人間を受け止めても、アルヴァが体勢を崩すことはなかった。
エントランスに静寂が満ちたのは一瞬で、階段のそばにいた王室魔導士が声をあげながらルカたちの方へと向かってきた。が、それを風が押しつぶす。
「……行くぞ!」
眉を寄せて階下を見ていたアルヴァが踵を返して駆け出した。ルカは、王室魔導士たちを放っては空で弄ぶ風に背中を押されるようにして、姉の後を追いかけた。
背後から響く風妖精の朗らかな笑い声と剣劇の音を聞きながら、ルカたちは廊下をまっすぐ進んだ。
ゲイリーたちの姿はすでにない。
「姉上、どうするんですか」
ルカは周囲を警戒しつつアルヴァに尋ねた。
「まずは、両陛下の救出だ」
「救出って言っても、あたりをつけて探さなきゃ時間がかかるだけですよ。見当はついてるんですか」
ルカの言葉に、アルヴァが足を止める。
「心当たりはある……恐らく、だが」
珍しく煮え切らない声だった。
そんなアルヴァに、どこですか、と言ったのはカレンだった。
「わ、わたし、少し前に授業の一環で城内をまわったことがあるんです。だから、――多分、案内できると思います!」
役に立ちたい、と顔に書いてあるようだった。カレンは大きな青い目でアルヴァを見つめている。
「……王室魔導士が、両陛下を幽閉するのであれば――やはり、身内しかいない場所にするだろう」
アルヴァは周囲を見回しながら言葉を続けた。
「確か、研究棟、というのがあったはずだ。王室魔導士しか使えない研究棟が。随分前にレベッカが手紙で『何をしているんだかわかったものじゃない』とぼやいていた」
「そこに幽閉……確かにありえる話だ。カレン、きみ、研究棟ってどこにあるかわかりますか」
ルカが低く呟いてから訊ねれば、カレンは地図でも確認するように中空に目を彷徨わせ、大きく頷いた。
「飛行訓練場の反対側だったはずです! 案内します!」
カレンが駆け出して、彼女を挟むようにアルヴァとイグニアが走る。ルカとフィオナは、その背中を追いかけ走った。
城内は不気味なほどに静かで、騎士の姿も王室魔導士の姿も見えない。ルカは、拭いきれない違和感と不安に唇を噛みながら走った。
静寂の満ちた中庭を通り過ぎ、いくつかの扉を抜けて辿り着いたそこには――
「ここが研究棟です!」
カレンがルカたちを振り返る。
その背後にあるのは、金属の太い棒を組み合わせるようにして作られた、小さなやぐらのようなものである。
建物と呼んでいいのかすら怪しいそれは、無機質な触覚を空へと伸ばしているように見えた。時折、天辺に赤がチカチカと灯っている。
「……これが?」
ルカは眉根を寄せた。
やぐらの下には、確かに小屋のような物がある。そこには扉だってついている。しかし、いかんせん小さすぎるのだ。
「こんな中で研究なんて、出来るんでしょうか」
フィオナの言葉にルカは頷いた。
「で、でも、確かにここが……」
カレンの声が小さくなる。
ルカは周囲を警戒しつつ、このやぐらか小屋かよくわからないものへと近づいた。
「罠は……見たところ、なさそうですね」
扉まで近づけば、そこには王室魔導士の紋章が刻印されているのが見えた。
「姉上」
「これは、王室魔導士の……」
アルヴァがそっとノブを握った。油断なく剣を片手で構えたまま、彼女はグッと扉を開く。
扉の向こうには、下へと伸びる階段があった。
「……」
ルカは押し黙る姉を見る。恐らくは、ルカたちを置いていくか連れていくか、迷っているのだろう。だからルカはアルヴァの脇をすり抜けて、扉をくぐった。
「ルカ!」
姉の鋭い声を背中に受けながら、ルカはフォンテーヌに『索敵をお願い』と伝えた。瞬間、小屋の内部に霧が広がった。
『フォンテーヌ、どう?』
『奥までは流石に霧が届かなかったけど……届いた範囲では、人っ子一人居ないわね。動く鉄の塊も無いわ。この建物、殆ど鉄でできてる……いやだわ、不気味』
ルカはアルヴァを振り返る。
「近くには、誰もいないみたいです。だけどフォンテーヌでも奥まではわかりませんでした。もしかしたら、両陛下はそこにいるのかも。早く行きましょう」
アルヴァが怖い顔をしている。その理由もわかっているから、ルカは大人しく彼女の後ろに戻った。
「一人で行かせるわけないでしょう。食らいついてでも着いて行きますからね」
ルカの言葉に、カレンとフィオナも頷いている。
しばらくルカを見下ろしていたアルヴァだったが、やがて諦めたように前を向いて階段を降り始めた。
金属製の階段はカンカンと音を良く響かせる。最初の内はその度にビクビクしていたカレンも、流石にもう音に慣れたようで跳ねることも無かったが、それでもまだルカの白衣を掴んで離さなかった。
「やっと下が見えてきましたね。……ここ、空気が死んでいて居心地が悪いです」
フィオナが珍しく深い皺を眉間に作っている。最後の段を降りながら、ルカは彼女に同意した。
「地下だってことを差し引いたって、淀みすぎですよね。……これ、壁も鉄なのか。だからかな、魔力の流れも気持ちが悪い……」
ルカは冷たい壁面に手を這わせながら、真っ直ぐ向こうを見据える。入り口の狭さからは想像できないほどに長い廊下が続いている……という目の前の光景は禁足地の中を想わせるものだったが、満ちている雰囲気は真逆だった。
無。無である。ただ無表情な床と壁と空気が、無機質な明かりに照らされているだけ。
「……薄気味悪いところだ」
そう呟いたアルヴァがゆっくりと歩き始める。靴音の反響だけが嫌に大きい。
廊下には、扉がいくつかあった。その全ては無人で――物ひとつ、机一つなかった。
あるのは、床についたほんの少しの傷跡とところどころに見える汚れの無い部分だけ。それ以外、何も無い。
「これは、逃げたな」
扉を閉めながらアルヴァが言う。ルカも彼女と同じく思った。
「逃げなきゃいけないほどマズい研究をしていましたって白状してるようなもんですよ。……とりあえず、一番奥の部屋も確認しましょう。ここに両陛下がいらっしゃらなければ……連れ去られた可能性だってある」
ルカが見つめるのは、廊下の最奥。一際重そうな扉である。
アルヴァは躊躇を見せずにその扉の取っ手を掴んで、体重をかけたようだった。扉はゆっくりと引き開らかれて、部屋の中が見え始める。
扉がスライドするにつれて大きくなる隙間にプラチナブロンドが見えた時、一番に動いたのはフィオナだった。
「リアダン様っ!」
フィオナは、部屋の隅に置かれた貧相なベッドに駆け寄って、縋るようにして膝をついている。
一足遅れたルカたちもベッドへと走り寄る。
寝台に横たわっていたのは、手枷と鎖で戒められながらぐったりと意識を失っているリアダン女王だった。
無事を確認せねば、ともっとベッドへ近付こうとしたルカがするより先に、フィオナが動いた。彼女は顔こそ真っ青だが、的確に呼吸と心音を確認して、そして大きく息を吐いた。
「ご、ご無事です……」
フィオナは倒れそうな顔色で自分の心臓を押さえている。ルカはそんな彼女をいたわりながら、フォンテーヌを見た。頷いたフォンテーヌが女王陛下の腹の上にそっと腰を掛ける。察したらしいフィオナが身を引いた。ルカは女王の側に立って腰を屈め、左手を彼女の額に、右手を心臓の上に置いて目を閉じた。
フォンテーヌを通して伝わってくるのはリアダン女王の体の中の動きである。どれも正常に働いているようだった。
――薬でも盛られたんだろうか。でも、ともかく、これなら動かしても問題ないだろう。
ルカはアルヴァを見た。
「姉上、女王陛下をここから連れ出さないと。この鎖、切れますか?」
「フォンテーヌの力を借りられれば切れる」
ルカが指示するまでもなく、フォンテーヌはアルヴァの剣に口づけて属性付与を行った。すぐさま、淡く輝く切っ先が鎖を断ち切った。彼女は手早く剣を納めると、軽々と女王を横抱きに抱き上げる。
元来た道を戻った一行は、ナナカマドの庭を目指した。
フィオナの案内で結界に守られた扉を抜けて、階段を降りる。広がる柔らかな森の奥、ナナカマドの巨木の根元にカレンとフィオナがマントを敷いて、そこにアルヴァが女王を横たわらせる。
「リアダン様にとっては、ここが一番安全です」
フィオナの言葉にアルヴァが頷いた。
「……あとは、ルウェイン陛下か……」
「――へ、いか……」
掠れた声に、全員が反応した。
「リアダン女王陛下!」
マントの上、必死に体を起こそうとする女王の側にアルヴァが跪いて、その細い背中を支えている。
「女王陛下、どうか体を起こさずに……」
「いいえ、いいえ! ……ああ、私は自分が情けない……! 早く陛下を、陛下のもとへ……!」
「私が――私たちが必ずやルウェイン陛下をお助けいたします。騎士の誇りに誓います。ですから、どうか……!」
もがいていた女王が動きを止めた。
アルヴァの腕の中で、リアダン女王陛下は泣いているようだった。
「……お願いします、ああ、お願いです。陛下は、魔導士長ウィル・バークレーに攫われました。きっと、謁見の間の向こうに連れていかれました。どうか、どうか陛下を……! ルウェイン様を……!」
リアダン女王が震える手をあげ、ブレスレットを外してアルヴァに押し付けた。
「これを扉に……そうすれば、開きます。お願いします、お願いします……!」
震える声に、アルヴァが大きく頷いた。彼女は女王陛下を再びそっと横たわらせて、振り返った。
金の目は燃えるような怒りを灯している。
「……行こう」
声と動きこそ冷静だが、その端々から漏れ出る怒気にルカですら後ずさりそうになった。
でも、それも一瞬だ。ルカは女王陛下に一礼して、直ぐに姉を追いかけた。
一行はナナカマドの庭を出て、人影一つない通路を通り、謁見の間の突き進む。普段であれば両陛下が腰かけて穏やかに笑っている椅子は、いない主を探すような顔で立っていた。そこを通り過ぎて、赤くて重い幕の奥、本来であれば王族と一握りの人間しか入ることを許されない場所に、ルカたちは侵入する。
「扉……向こうか」
アルヴァを先頭に通路を進む。その先には、美しい彫刻の施された扉がある。
神竜と聖女が、剣を抱いて向かい合う紋章。アングレニス王国を表す、王家の紋。
扉に近付いたアルヴァが、女王から預かったブレスレットをそっと扉にあてる。
唾を飲み込むルカの前で、扉は静かに道を開けてくれる。
その向こうに広がるのは、美しく整えられた広い庭園と、その奥、恐らく両陛下の部屋があるであろう建物と、そして、礼拝堂だけだった。
一行は、そっと庭園へと足を踏み入れ――
「う、う、動くなァっ!」
――濁った汚い声と向けられるたった一つの銃口に、動きを止めた。




