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  吹雪と妖精使い③

 手伝わせてください、というルカの申し出を、ジェーニャは必死の形相で断り続けた。

 何度も続いた押し問答も、フィオナが参戦してからは形勢がルカに傾き始め――結果、ルカは、雪の嵐のさなかを進みながら、ココアの温かさを思い出し、防寒具で着ぶくれした自分の体を抱きしめていた。


 彼の横には寄り添うようにフィオナと、それから、氷竜のニックスが歩いている。先頭を行くのはジェーニャで、彼女は、時折心配そうに振り返りながら、寒さをものともせず歩いて行く。

 そんな彼女の周囲だけ、別世界だった。


 吹き付ける雪は蛍のように淡い燐光に輝き、荒々しさをすっかり引っ込めて、彼女を避けるように綺麗に踊る。

 恐らく、彼女の解けない氷のネックレスに宿る氷妖精(スネグラチカ)が、心を通わせた友(ジェーニャ)を守るべくと、そうしているのだろう。


 ――これが、妖精使い。……妖精使いは、生涯を通して友たる妖精の司る属性による不利益を被ることがないって噂は、本当みたいだ。


 吐く息の白すら見えない銀世界の中。ルカは熱いため息を吐きながら、ジェーニャの背中を追って歩く。


 必死に歩いているのに、体が温まる気配すら見えないことに、ルカはいっそ笑いがこみ上げそうだった。『ケネスは絶対歩けない寒さだな、これ』と思いながら、ルカは、ジェーニャの家に置いてきた姉と幼馴染と、おまけにカレンを思い出して、借りたマフラーの下、堪えきれずに笑みを溢す。と、そんな風に考えながら歩いていたら、極端に雪が弱まり、足場がごつごつとした岩に変わる。


 あれ? と顔をあげたルカの前には、洞窟の岩壁を背景に、ジェーニャが立っていた。


「少し、休憩にいたしましょう」


 慣れない雪は辛いでしょう、と彼女はそう言いながら、適当な岩に腰かけて、そして背負ったバッグの中から水筒を取り出した。ルカの横にいた年若い氷竜が、のそのそ動いてジェーニャの後ろに体を横たえる。

 ジェーニャに倣うように腰かけようとしたルカだったが、ふとフィオナへ視線を向けて、それからぎょっと目を見開いた。


「フィオナさん、大丈夫ですか!?」

「だ、大丈夫れす……」


 フィオナは、可哀想に、ガタガタ震えていた。ルカの倍は防寒着を着こんでいるフィオナだが、どうやら寒いのが苦手らしい。彼女は一つ鼻をすすり、それからルカにニコリ……と力なく笑みを見せる。


「ちょ……大丈夫じゃないですよね、どう見たって。――少し待っててくださいね」


 早く温めてあげなければ、とルカはポンチョのような防寒具の下、ショルダーバッグに手を突っ込んで、ナイフを取り出した。彼は火竜牙のナイフをなるべく湿り気のない場所に置き、フードを被った頭の後ろ、うなじあたりを優しく叩く。すると、フードの隙間からエクリクシスがぬるりと出てくる。


「エクリクシス、お願い」

「おうとも! ……と言いたいとこなんだが、火竜牙のナイフだけじゃあ、ちょっと魔力(エーテル)が足りないかもな」


 ここ、氷の魔力濃度が尋常じゃないからさ。


 そう続けたエクリクシスに、ルカは無言で同意する。周囲の空気に満ちる氷の魔力の濃さには、ルカも気が付いていた。だから彼は、エクリクシスがそう言うだろうことも予測していたし、何とかする方法も思いついていたのだが――手が、冷え切った手が躊躇するのだ。

 ルカはフィオナの青い唇をもう一度見つめて、それから、えいっとばかりに防寒着の首元を緩め、自分の手を突っ込んだ。


 己の手の冷たさに、背筋が凍る。と同時に、突っ込んだ右手が焼けるように熱い。

 自分がいかに冷え切っているかを思い知らされながら、ルカは胸元からネックレスを引っ張り出した。


「これがあったら、どうかな」


 ルカは、神竜様の鱗の通ったネックレスをエクリクシスに差し出した。するとエクリクシスは器用に革紐を解いて、赤にも金にも煌く鱗だけを引き抜き、残りをルカへと返して苦笑いする。最初こそ、彼の口からは「むしろ今度は調整が大変そうだ」という言葉が漏れていたが、彼は火神竜イグニスの鱗を大切そうに抱えながら、しゃっきり背筋を伸ばして尻尾も立てた。


「でもま、俺に任せとけ!」


 みんな温かくしてやるからなぁ、と言いながら、エクリクシスがルカの肩から飛び降りて、ナイフの上に胡坐をかいた。

 と、その直後だ。


 ポっ。

 ポポっ。


 種火も無ければ、燃料もない。あるのはナイフと岩だけなのに、小さな炎が次々生まれて、身を寄せ合って炎を作る。

 ごおお、と燃え盛る炎は、確実に洞窟内を暖め始めている。


「フィオナさん、火の近くに」


 ほら、と彼女の背中を押してルカが言う。すると、フィオナは震える足で炎の方へと歩き、そして、へたり、と岩に尻をついた。


「……あったかぁい……」


 蕩ける声で言いながら、フィオナは炎に手をかざしている。その姿を見て安堵の息を吐きながら、ルカもいそいそと炎に暖を求める。

 炎のちらつきに手をかざして、はぁぁぁぁ、と温泉に浸かった時のような声をあげるルカを、目を瞠ったジェーニャが見ている。その手は湯気の立つ水筒を傾けた格好で止まっていて、ルカは慌てて彼女に声をかけた。


「ジェーニャさん、水筒!」

「はゎっ……」


 ジェーニャが目を瞬かせながら慌てて水筒を起こす。幸い、中身が零れるようなことは無かった。一拍おいてから、ジェーニャが小さいコップに液体を注ぐ。暖かい茶色は、甘い匂いを漂わせている。


「またココアで申し訳ないんですが、どうぞ」


 ありがたく両手で受け取って、ルカはちびちびココアを舐める。フィオナも、ありがたそうに目を細めている。しばらくは、吹雪の音と炎の燃える音が洞窟に響いていたが、それを遮るようにフィオナが口を開いた。


「この吹雪、ただの風では打ち消すのは難しいですよね」


 その言葉は、ジェーニャに向いている。ジェーニャはゆっくりと頷いた。そうですよね、と呟きながら思案顔を見せるフィオナを、ルカは静かに見つめていた。と、彼の前でフィオナが小さく唇を開く。


「……冬の香りのするここで北風(あなぜ)では追い風に……――夏の風なら、あるいは……」


 小さく呟かれる言葉からわかるのは、彼女が風の話をしているということ。

 不思議そうにするジェーニャの前、ルカは『まさか』と目を張る。そして――彼の『まさか』に答えるように、小さな枝を手に持ったフィオナの纏う香りが変わる。


 軽やかな薫風から、夏の湿り気と緩やかな熱を呼ぶ東風(こち)の香りへ。


 ――おい。おいおいおい。


 ルカは「まじかよ」と囁いて、それっきり口を噤む。

 そんなルカの前で、フィオナの唇は、風精霊へ捧げる歌をつつがなく歌い上げて――。


「――この歌が、あなた様に届きますよう。この声が、隔てる壁を越えますよう」


 砂漠でそうしたように、彼女は歌うように続ける。


「どうか私の声を、聞き届けてくれますよう――」


 彼女の声に答えるように、洞窟を風が吹き抜けた。


『ああ、愛し子。可愛いお前の願いを、この俺が、無下にしたことがあろうか?』


 ぐるりぐるりと、洞窟内を風が巡る。その中心には、フィオナ。彼女は、風を追うように目を動かしている。


『ティミアンの自慢に辟易していたところだ。春近いこの季節に、俺を呼んでくれてありがとう』

「ああ、セリノン様。お応えくださり、ありがとうございます」


 姿の見えない風を追いながら、フィオナが言葉を紡ぐ。それを、ルカは呆然と眺めるしかなかった。


 ――上級精霊と、本契約してるだけでも珍しいってのに……二人目が出てくるとは。


 そんな風に考えながら、ルカは生唾を飲む。もう言葉が出なかった。


『ああ、ああ。実に胸がすく。ティミアンの季節に俺が呼ばれた。ふふ、向こうに戻ったら、アイツに思うさま自慢してくれよう。……ああ、すまないね、フィオナ(俺の風)


 さあ、願いたまえ。東風の精霊――セリノンは、楽しそうにそう言って、それから言葉を続けた。


『俺は何になればいい。俺は東風(エウロス)様の子、自由な風。お前のためなら熱を運び、花を運び、雪すら呼んで見せてやろう』 

「セリノン様。私たちは吹雪の中を進まねばなりません。どうか私たちに、夏の風の加護を」


 心得た、と声が響く。同時に、エクリクシスが制御する炎の上、風が集まり半透明の男を形成した。


 風に揺れるは、鞭のように長い三つ編み。

 垂れた眉に、自信に満ちた釣り目。

 完成された肉体美を隠すのは、あわせのはだけたローブのみ。


 何物にも縛られず、なんにでもなれる自由な風は、大きく手を開き、息を吸いこみ――そして、ルカに、ジェーニャに、フィオナに息を吹きかけ大きく笑った。


『俺の可愛い風よ、俺に香芹(こうきん)の名を与えた友よ。困りごとがあるときは、俺に……俺に! 声をかけるのだよ。俺は他と違って、どの季節でも同じだけの力を発揮して見せよう』


 じゃあね、と長い三つ編みのおさげが揺れて、洞窟をもう一度風が吹き抜けた時には、その姿はすっかり消えていた。

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