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  白銀都市ラムロンからシロック村へ⑤

 ルカはカタカタ震えていた。


『おい、なぁルカ。俺、そっち行こうか?』


 脳内に響くエクリクシスの心配そうな声に、ルカはやっと首を横に振る。リングブレスレットのルビーを縋るように撫でながらも、ルカはただただ首を横に振った。


『僕はいい。それより、このままイグニアを温めてあげて。僕なんかよりずっと寒い思いしてるはずだから』

『だけど……』


 いいから、とルカが今度は脳内ではなく口を開いて――がくがく震える声で呟くと、エクリクシスは唸った後に、諦めたようにため息を吐く。それから、彼は本腰入れてイグニアの湯たんぽになることにしたようだった。

 

 一行を運ぶ、雪羊(スノウシープ)の牽く車。

 その周囲を取り巻くのは、白魔である。

 ルカが氷神竜へと祈ったところで、吹雪は『氷神竜など知ったことか!』と唾を吐くが如き勢いでそこかしこを暴れまわっている。

 そんな吹雪の腹の中を突き進む羊車は、時折煽られふらつきながら、それでもしっかり前へと進む。


 ――行く道が正しいのかは、僕にはわからないけど。


 そんな風に考えながら、ルカは寒さで感覚がなくなり始めた手で、積み荷が落ちないよう支える。

 ガタン、ガッタン。

 雪をかき分け悪路を行くから、荷は揺れる。一行は荷を押さえつ身を縮こませつ、寒さに耐える。



 そうやって一行は寒さと揺れに耐えて――何度目の揺れだったろうか。

 

 ルカたちは強い衝撃のあと、スポン、と白の中へと放り出された。


 何が起きた、と。

 雪に溺れそうになりながら、ルカは考える。


 ――さっきの揺れと音の感じから言って、きっと車輪が何かにぶつかったんだ。


 いかに定期便の馭者とはいえ、流石にこの吹雪では、普段通りの道を行けなかったらしい。

 恐らく少しずつ少しずつ道を反れ、整備された道から外れ、車軸に岩でも当たって車が弾けたのだろう。


 ルカは何とか立ち上がって地上に顔を出し、周囲を見回す。と、ルカの真横、何かが飛んできて雪の海に沈んでいった。その跡も、直ぐに吹雪が塗りつぶす。

 ルカは手探りで雪の中を探る。そうしながら、彼は立っている自分の肩まで雪に覆われていることに気がついて、ゾッとした。


 ――遭難。凍死。


 その二つの単語が頭をよぎった時、ルカの手に、冷たい丸が触った。やはり、と言おうか、ルカが引っ張り上げたのは車輪の破片だった。車輪の丸の四分の一ほどがルカの手にある。


 ――これじゃ、きっともう車での移動は無理だ。


 ルカの思考を遮るように、エクリクシスの声が頭の中で響き渡る。


『ルカ、無事かっ! 繋がり切れてないから、無事だよな!?』

『僕は平気! エクリクシスは』


 俺もイグニアも無事だ、というエクリクシスの声にひとまずホッとしたルカが吐き出した息は、安堵の震え以上に寒さで凍えている。ルカはそれを隠すように大きく息を吸って――その空気のあまりの冷たさに、ヒッと喉を鳴らして咳き込む。

 吸い込んだ空気が喉の湿り気を盗んでいったかのように、喉がかさつく。

 数度咳き込んで、ルカは気合を入れてもう一度息を吸いこみ、叫んだ。


 姉上。ケネス。フィオナさん。

 カレン。


 ルカが幾度叫ぼうと、返事はない。彼が呼んだ名を吹雪が攫ってぐしゃぐしゃに砕いてしまう。

 吹き付ける風と雪が更に勢いを増したように思えて、ルカは、もうだめかもしれない、と思った。

 

 ――あと、氷神竜様の祠と、雷神竜様の……レビン様の祠だけだったのに。


 そうやって考え始めたら、もう止まらない。


 ――畜生、僕が氷精霊(ウェンディゴ) や氷妖精(スネグラチカ)を喚べれば。

 ――吹雪を少しでも抑えられれば。

 ――ああ、もう。


 眠い。


 ルカは、ほとんど雪に埋まりながら目を閉じ――『おい、ジェーニャ。いたぞ』――微かな幻聴を聞いて、そこで彼の意識は途切れた。



 ――それから、彼は随分と暖かくフカフカしたベッドで目を覚ました。

 パチパチと火の爆ぜる音。暖かい空気。かすかに香る、甘い甘いココアの匂い。

 それから、誰かの静かな息遣い。


 ――あれ。もしかして、さっきのは夢? 


 そうやって思いながら、ルカは『ベッド』に手をついて、体を起こす。

 随分傾斜のあるベッドだな、なんて思いながら体を起こしたルカは、ゆっくり瞬きをした後、目を見開いた。


 ――ここ、どこだ……!?


 どう見ても、ラムロンの宿屋ではない。かといって、雪羊の牽く車でもない。木造の壁、木造の床。暖かそうな敷物に、冷気避けが付与されているであろう窓の飾り。


「ここどこだ」


 頭の中で呟いたのと同じ言葉を呟いて、ルカは――自分が手をついている『ベッド』がゆっくり上下に動いていることにやっと気が付いた。

 ふー、と暖かい鼻息がルカの髪を揺らす。恐る恐る、とそちらを見て、ルカは体を硬くした。


「お、起きた。ジェーニャ、起きたぞ」


 ――ルカの目の前にあったのは、大きな大きな顔。

 アングレニス王国からずっと西、森で出会ったコルセスカたちの故郷である獣人の国に生息するという、獅子にも似た顔。猫を厳つくしたような顔だ。

 ルカは現実を噛み砕くように、目の前の生物を観察する。


 獅子に似た顔。

 首元を覆う薄水色の鬣。

 それから、額に乗った控えめな大きさの角と、鬣から覗く、緩くカーブした立派な黄色の角。

 そして、背中を飾る大きな濃い水色の翼。その翼は羽毛に覆われていて、随分暖かそうだ。

 ルカが手を載せている体躯は、鬣と同じ薄水色の、おそらくダブルコートの毛で覆われていて――おおよそ竜には見えないが、この生き物は。


「……氷、竜!?」

「おっ」


 ルカが思わず口にすると、ルカの目の前の顔の持ち主――氷竜(ひょうりゅう)は身構えるように少し顔を引く。濃灰の眼がしばらくルカを警戒するように瞬いて、フッと力を抜いた。


「お前()叫ぶかと思ったけど、大丈夫だったな」

「お前()……」


 氷竜の言葉に、ルカの脳裏に金髪碧眼がよぎって、彼はハッと氷竜に縋りついた。


「姉上たちはっ!?」


 礼よりなにより先に、その言葉が口を吐く。失礼な奴だと憤慨されるかもしれないが、でも、ルカの頭にはこれ以外の言葉が浮かんでこなかった。

 氷竜の艶やかな毛皮をむんずと掴んでしまっている事にも、彼は気が付かない。が、氷竜はそれを咎めることもなく、静かに言葉を紡いだ。


「お前と似た匂いの女も、火竜の仔も、金髪三人も、おじさんも。みんな、この家にいる。今はジェーニャが面倒見てるから、安心するといい」


 とりあえず、それを飲めって言ってた。

 それ、と氷竜が視線で示すのは、トレーに置かれた小瓶だった。中身はどうやら水薬のようだ。

 ルカはそれを手に取って栓を開け、手で仰ぐようにして匂いを確かめる。悲しいかな、薬学の徒の習性だった。

 冷えの緩和用の薬かな、と推測したところで、ルカはハッとする。


 ――僕はなんつー失礼なことを!! 


「ジェーニャのお手製の薬だから、安心していいぞ」


 それすら咎めない氷竜は、随分とおおらかな性格のようだった。

 ルカは恐縮しながら、くっと薬を煽って飲み込む。と、丁度その時だった。ルカの方へと女性が近づいてきたのだ。


「ああ、良かった。ニックス、看ていてくれてありがとうございました」

「ん、気にするな。じゃあ、俺は居間の方に……ああ、駄目か。あの女の子がいるか」


 ジェーニャの部屋にいる、と言い残して、ルカを支えていた氷竜がノソノソ立ち上がって、開け放たれた大きな扉から部屋を出て行く。ルカがその後姿を目で追っていたところで、視界に女性が割り込んだ。


 ネ―ヴェルク地方特有の、ポンチョのような防寒着。

 解けば腰まで有りそうな黒い長髪を、ポニーテールに括った女性の肌は、雪のように白い。

 その白に乗る、自然な色に染まった頬と、灰色――いや、銀色の瞳が美しい。

 切れ長の真面目そうな目は、ルカを検分するように忙しなく動いている。 

 と、女性が桜色の唇を小さく割った。


「――ええと、あなた。自分の名前は言えますか?」

「えっと、はい。ルカ・エクエスと申します」


 助けていただいて、とルカが続けようとするのを遮って、女性が質問を重ねる。


「体に違和感は? 手足の感覚はありますか?」


 その質問に、ルカはコクリと頷きで答える。と、女性はホッと胸を撫でおろした。それから、女性はルカに手を差し出した。立ち上がるように、と促しているのだろう。ルカは素直にその手を取って、立ち上がった。


「居間に、皆さん揃っておられます。暖炉もありますから、詳しい話はそちらでしましょう」


 まずは体を温めないと、と女性が真剣な声で呟きながら前を歩く。その呟きに、ルカの体は寒さを思い出す。ルカは自分を抱きしめながら、静かに女性の背中を追った。


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