白銀都市ラムロンからシロック村へ③
夕食のシチューがたっぷり入った鍋を持ちながら、アルヴァが器用に扉を開ける。その背中を眺めていたルカは、小さなカゴに入ったパンを落とさないように気を付けながら、部屋に入る姉に続いた。
共有スペース、暖炉の前。
部屋に備え付けてあった正方形のテーブルをアルヴァとケネスが動かす。ルカは抱えていたパンのカゴをテーブルに置き、カレンから食器を受け取ってテキパキと食事の準備を進めている。その横では、フィオナが鍋からシチューをよそっている。
ルカがふと目を上げると、イグニアが暖炉に一番近い一辺に陣取って、興味深そうに目を覗かせながらテーブルの上を見つめているのが目に入った。その様子に少し笑ってしまいながら、ルカは最後に自分の前にスプーンを置いて、それから椅子に腰かける。
「話を聞きまわってわかったことは、食事を摂ってから共有しよう」
それから「いただきます」と続けたアルヴァの声をきっかけに、少し早い夕食が始まった。
ルカは鼻から息を吸いこんで、まずは匂いを楽しんだ。
なんとも食欲をそそる香り。思わずよだれを垂らしそうになる美味しい匂いが鼻腔を満たして、ルカは口の端を舐めてから、シチューにスプーンを埋める。トロリと粘度の高いシチューだ。
スプーンを持ち上げれば顔を覗かせるのは、大きめに切られた人参。ルカは数回息を吹きかけてから、はくっとスプーンを口の中へと迎え入れた。
アツアツで美味しい、と眦を下げながらハフハフと口を動かして熱を逃がす。そんなルカの横――。
「あっつ!」
猫舌だったのか、しっかり冷まさず口に運んだのか。
それはルカにはわからないが、ルカの横に座っているカレンは、あまりの熱さに頬まで赤くして、涙目で口をハクハクさせている。
彼女は手をワキワキさせた後、コップに入っていた水を口に入れた。そうして、ようやく落ち着いたらしい。口の中の物をゴクンと飲み込んで、彼女はホッと息を吐く。
――なんていうか、案の定、って感じだなぁ。
甘い人参をモグモグと咀嚼するルカは、そんな風に思いながら、ついつい鼻で笑ってしまった。と、カレンが真っ赤な顔のままルカの方を見る。
ルカが何でもなさそうに肩眉を上げて見せると、カレンは唇を尖らせてから口を開いた。
「……やっぱりな、って思ってるでしょう!?」
ゆっくり咀嚼して人参を飲み下してから、ルカはニコリと微笑んで見せる。
「――いいえ?」
「ぜーったい嘘です! 嘘ついてる笑顔です、それ!」
仕方ないじゃないですか猫舌なんですっ! とプリプリ怒るカレンに「僕だって猫舌ですよ」と唇の片端だけ上げて笑って見せてから、ルカは食事に戻った。
シチューにスプーンを入れて、今度は野菜をすくい上げずに白だけをチロリと舐める。
――そのまま食べるには少し味が濃いかな。
そう思ったのはルカだけではなかったらしく、テーブルの真ん中のパンのカゴに、次々手が伸びていく。
ルカはパンを小さく千切ってシチューに浸しながら、テーブルを囲む仲間たちに目を向けた。
――みんながみんな、違う食べ方なのが面白いな。
別に行動観察研究なんかに興味があるわけではないんだけど、と思いながら、ルカはテーブルを囲む人をまじまじと見つめる。
ルカの向かい側、アルヴァはの食べ方は、流石家族と言おうか、ルカとよく似ている。
パンの切れ端をシチューに完全に沈めてしまって、それをスプーンですくう。行儀は多少悪いかもしれないが、それでも美味しい食べ方だ。
パンがしんなりするまで待つも良し、カリカリの食感を失う前に引き上げるも良し。ルカは前者で、姉は後者だった。と、そんなところで、イグニアに一口あげていたアルヴァと目が合って、ルカは沈めたパンをすくい上げて口に運びながら目をそらす。
次にルカの視線の先に収まったのは、アルヴァの隣に座る、ケネス。
彼もシチューには直接パンを付ける派ではあるが、エクエス姉弟と違うのは、その豪快さ。
姉弟がパンを千切ってからシチューに浸すのに対し、彼は千切らずそのままのパンですくって齧り付くのだ。
ルカは一度、『その食べ方で垂れないんですか』と聞いてみたことがあるが、その際ケネスは『垂れないぞ。つーか、今まで垂らしたこと無い』と答えてくれた。その自信たっぷりの答えの通り、ルカの視線の先、ケネスはかみ切った部分をまるでスプーンのようにして、シチューを溢すことなく器用に食べている。
すげぇなぁ、と思いながら、ルカはそのまま反時計回りを描くようにフィオナに目を向ける。
彼女は上品に食べていた。シチューを掬って、パンを小さく齧って――と、ちょうどその瞬間にフィオナとルカの視線が交差する。彼女はパンを咥えたままパチパチと瞬きして、それからニッコリ笑んでくれた。
フィオナに微笑みを返して、ルカが最後に見るのは自分の隣。
カレンはパンを千切って左手に持ち、それからスプーンを持ち直し、シチュー小さく掬ってパンの上へ。そして、フーフー、パクリ。
それを何度も繰り返している。
スプーンを持ったり置いたり、面倒じゃないのかな、と思うルカではあるが、人の食べ方に文句をつける気は毛頭ない。
カレンが小動物のように忙しなく動くのをしばらく眺めてから、ルカは次のパンを千切ってシチューに投入した。それからスプーンで、今度は芋をすぐいあげて、そのホクホクを楽しんだ。
暖かい物を暖かい暖炉の前で腹いっぱい食べて、それから一行は今後について話し合いを始めた。
口火を切ったのは、アルヴァだ。
「この吹雪、大体一週間くらい前からこうなんだそうだ」
「一週間、ですか」
うん、と頷いたアルヴァが、水で唇を湿らせてから言葉を続ける。
「この天候になった頃に、何かおかしいことは無かったか、と聞いてみたんだが……」
私の方ではさっぱりだった。
そう言ってアルヴァが見るのは、隣のケネス。ケネスは腕組みをしながら口を開いた。
「俺も似たような情報しか集まらなかった、が――一つだけ、アルヴァとは違う情報を得られた」
「どんな内容なのですか?」
カレンが小首を傾げて尋ねる。と、ケネスは一つ頷いた。
「ちょうど吹雪が始まった頃、一人、見慣れない客がここに泊ったんだと」
――ケネス曰く。
黒髪に白い肌。妖艶、と言っていいような凄絶な雰囲気を纏った、線の細い男だったそうだ。
それから、特に目を引いたのが、男が着こなしていた黒い服。
「この黒い服ってのが、この辺じゃ見ない服だったから、受付のおばさんも覚えてたんだと」
「この辺で見ない服……外国人ですかね?」
ルカの声に、ケネスは「多分な」と言いながら、詳細を語り始める。
「上下一体の黒い服……筒みたいな形で、こう、腹のあたりには帯を巻いていたってさ。アルヴァ、どこの国の奴か解るか?」
「うーん……わからん」
「そうか。――……あと、そうだ。なんか、紙を蛇腹に折ったような変なモン持ってたって」
アルヴァは、うーん……と首をひねっている。
ルカも一緒になって考える――が、頭の中の記憶の本棚には、そう言った服や小物の情報は無かった。と、顔を上げると姉と目が合って、ルカは首を緩く横に振って見せる。
アルヴァが『そうか』とでも言うように頷く。
「ルカがわからないなら、多分遠い国の服装だったりするんだろう。とりあえず、その謎の人のことは置いておこう。他に何か聞いた人はいるか?」
アルヴァの言葉のあと、今度はフィオナが口を開いた。
「では、私とカレンさんで聞いてきたお話を」
フィオナが促すようにカレンを見て、それから微笑んだ。カレンはわざとらしく咳ばらいをして、勢いのまま立ち上がる。
「え、えっと! わたしたちがこれから向かう、シロック村への定期便が、明日のお昼ごろにラムロンを出るそうです!」
「この吹雪の中、定期便が出るんですか!?」
驚きに眉を寄せるルカに、カレンは胸を張って頷いている。そんな彼女の言葉を継いで、今度はフィオナがしゃべり始めた。
「定期便の荷台を牽くのは雪羊だそうです。冬の全盛期の雪原をも進める彼らなら、これくらいの吹雪もものともせずに行けるのだそうですよ」
「ああ、雪羊。確かにそうだ、雪羊なら定期便も出せるな」
ふむ、と顎を撫で擦って、アルヴァは一つ頷いた。
「定期便に便乗させてもらえないか、あとで交渉に行ってくるよ」
――みんなが情報を集めてきてくれた頃に夢の中だったのが申し訳ないな。
いくらアルヴァに『お前は睡眠をとったほうがいい』と言われていたにしたって、少しは貢献したかった。ルカはそう思いながら、小さく小さく眉を下げる。
と、それに目ざとく気が付いたアルヴァが、優しく笑いながら立ち上がる。
「お前は二日寝てないんだ、いいんだよ」
僕何も言ってませんけど、と言いながらルカはテーブルをまわって近寄ってくる姉を見上げる。アルヴァは、ルカの髪をかき混ぜて、それから歩きざまにルカの肩を優しく叩き、部屋を出て行った。恐らく、定期便の件について、宿の女将にでも詳細を聞きに行くのだろう。
髪を整えるルカの横を、アルヴァを追うのだろう、ケネスが大股に通っていく。ルカはそれをぼんやり眺めながら、姉上には敵わないなぁ、という思いをため息にして吐きだした。




