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  水神竜マイムの祠③

 レインの口の前に集まった魔力が、その身を激流に変えて空へと走る。それにすっかり飲み込まれながら、ルカは崖から押し出され、空を舞う。


 きりもみしながら吹き飛ばされるルカには、先程まであたりに満ちていた気持ち悪い音がまだ響いているのかも、地面に膝をついていたレインがどうなったのかもわからない。激流に頭まで飲まれる直前に、かろうじて、ヨセフというらしい王室魔導師が目を見張っていたのが見えただけだった。


 ルカは、レイン様ならきっとなんとかできる、と考えながら、水を飲み込まないように口を一文字に閉じる。そうしながら、彼が頭の中で呼びかけるのはフォンテーヌだ。

 お願い、と。たったの、一言。

 絶対の信頼の前には、それだけで十分なのを、ルカは良く知っている。


 ――たったの、一言だ。

 ルカの()()だけで、猛る水流は――嘘のようにキュウッと小さく丸くなる。

 フォンテーヌが――水精霊が、完璧に操って見せている。急ごしらえとはいえ水竜の長(上位の者)が生み出した水を、だ。見るものが見れば、目を疑う光景だった。


『んもぅ、ルカってば……っ!』


 呆れたような楽しそうなフォンテーヌの声が頭の中で柔らかく響く。と同時に、水球は一層小さくなって――それから、弾けるように大きくなった。ルカは、内部に新鮮な空気を孕んで膨らむ、丈夫な泡に包まれた。


『本当に、無茶するんだから……!』


 そういうトコも好き! と続く言葉と、それから、小さな手が頬を撫でる感覚。

 それを感じつつ、ルカは激流にもまれながら再び自分の口元まで上がってきていたストールを引き剥がす。しているだけで溺れてしまいそうなストールが、水の膜に当たって湿った音を立てる。

 それから、ルカは空気を求めて口を開き、咳き込もうとして――そんな暇すら、彼に与えられることはない。


 彼はその周辺を空気ごと包む泡と共に、凪いだ海面へと叩きつけられ――静かに静かに、海へと沈んでいった。


 ******


 ――と、そんな風に海上であったことを思い出すルカの前、フォンテーヌは下半身を水の結界に沈めて操りながら、ぷりぷりと怒っている。


「見て、あたしの腕! びっくりして、波立っちゃってる!」


 周囲を泳ぐ魚たちが、不思議そうな顔をしてルカたちを包む泡を避けていく。


「ごめん、咄嗟にアレしか思い浮かばなくて」


 ルカが、申し訳なさそうに首の後ろを撫でながら言う。彼の手に触れる茶色の髪は、すっかり乾いている。びしょびしょだったのを、フォンテーヌが水を操って、湿り気を取り払ってくれたのだ。

 

「もー、ルカも無茶が好きねぇ?」

「僕のは無茶じゃないよ。だって、フォンテーヌならあの水も操れるってわかってたから」

「んんぅぅぅぅー! もう、精霊を喜ばせるのが上手いんだからっ」


 やだもー、とフォンテーヌがくねくねするからなのか、水の結界の姿がたわむ。彼女が結界をないがしろにするはずもないのを知っているから、ルカは平然としていた。

 していた、が……。


「――……ちょっと待ってフォンテーヌ、結界の形、変わってない?」


 ……結界がその丸い姿を変え始めたら、流石の彼もフォンテーヌに疑問を投げかけたくなったようだ。


「うん、変えたわよ。こんなに海面に近いと、生身の人間でも追ってこられるでしょう?」


 そうだね、とルカは今やずっと上にある海面を見上げ、ふりそそぐ柔らかな光に目を細める。

 確かにフォンテーヌの言う通りだった。ここくらいまでなら人間でも泳いで潜れる、という深さで、ルカを包んだ泡は揺蕩うように、ゆっくりゆっくり沈んでいる。

  

「あの手の男は、しつこいわ。だからね、もっと速く、人間が追ってこられない深さまで潜っちゃおうと思って――」


 言いながら、フォンテーヌが水の膜に溶け込んでいく。それを静かに見守りながら、ルカは水の結界の向こうに目をやった。彼の目の前で、水の結界は四肢とも言えそうなものを伸ばし始めている。


 ――結界強度は……うん、流石フォンテーヌ、まったく揺らいでない。


 宝石(アクアマリン)を通して感覚も考えていることも共有されている今、ルカが考えたことは直でフォンテーヌに繋がる。


『やだ、そんなに褒めたって水しか出せないわよぅ』

『いや、本当に流石だよフォンテーヌ。それで、これは今何を?』


 ルカがそう尋ねると、彼の脳内にはフォンテーヌのやりたいことが映像として流れ込む。それを確認したルカは、うん、とひとつ大きく頷いた。


『いいね』

『でしょう? 本当は、レイン様に許可を頂いた方が精度はいいんだけど』


 フォンテーヌの言葉と共に、水の結界は大きく形を変えた。

 ルカのいる空間は少し小さくなったが、それでも、彼が立っていても頭が結界の――いや、()()()()の天井にぶつかることはない。


 周囲を取り囲む海よりも濃い水は、水精霊由来(フォンテーヌ)の青に染まって、海と自身とを分けている。

 その青が形作るは、長い首と長い手足、それから――翼と尻尾。


 しなやかな尻尾の先、大きな尾びれが海をかき分けて、グンと深みへと漕ぎ出す。

 スラリとした手足には、指の間の水かきと、それからこれまた水を漕ぎやすいヒレが付く。

 肩甲骨から伸びるは、空を飛ぶように水を泳ぐための、一対の大きな水翼。魚のヒレのように、しかし、それよりずっと強靭で美しいヒレが、尾びれと一緒に水をかき分ける。


 水の結界は、今や、一匹の水竜に姿を変えて、ルカを海の深きへと運んでいた。


「うわぁ……速いな」

『うふふ。そりゃそうよ、この姿に加えて、海流にも乗ってるもの』

「どうりで」 

 

 ははぁ、とルカは水竜の腹の内側から、徐々に暗くなり始める外を眺める。それから彼は、長い首のその先、水竜の頭を模った結界の中にいるフォンテーヌを見上げた。フォンテーヌは今そこで、彼女の緻密な魔力操作によって姿を変えた結界のかじ取りを行っているのだ。

 その楽しそうな顔を見上げてから、ルカは再び深まる海へと目を向ける。


 色とりどりだった魚たちから鮮やかさが徐々に消えている。周囲の岩場に生える海藻やサンゴが、深い海独特の物に変わっていくのが、ルカの目を捉えて離さない。『ああ、プライベートで採集に来たいもんだ』とルカが考えれば、フォンテーヌのクスクス笑いと『今度、また潜りましょ』と言う優しい声が彼の頭に柔らかに響いた。


 ――そうして深く速く潜ったルカたちは、ルカが想定していたよりずっと早く、海の底へとたどり着いた。。

 水竜を模った結界が、淡く輝きながら柔らかな砂に着地する。そのまま、まるで一匹の水竜です、と言うようにふるまいながらフォンテーヌが結界を動かしていく。

 祠の大まかな位置は、レインから聞いていた。それに従って、フォンテーヌが舵を取る。


 しばらくそうして海底を歩いていた時だ。

 ルカは自分たちが向かう先を見つめて、ほう、と感嘆の息を吐いた。 


 静かな黒が満ちる深海。その黒を、青い燐光がポツポツと彩っているのだ。


 海藻が光っているわけではない。

 海獣の瞳が光っているわけでもない。


 それは、魔力の輝きだ。

 今、ルカたちを包む結界が淡く輝いているのと同じ理由で、ルカたちの向かう先は柔らかく、青に輝いている。


 水精霊の魔力の光を凌駕する、その光。灯火の様に海底を彩る、青い光の群れ。その真ん中に、ひときわ輝く光が、微睡むように明滅を繰り返す。


 ――確実に、水神竜様だ。


 そう考えながら、ルカは胸元のネックレスをぎゅっと握り締めた。

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