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  水神竜マイムの祠②

 ルカは、足早に大通りを歩いている。

 彼は、昨日姉が顔をおおっていた派手なストールを顔に巻き、念を入れるように俯きがちになりながら、ただひたすらに足を進めている。そんな彼の隣を行くのは、姉でも、ケネスでも、ましてやカレンやフィオナでもなく、水竜の長だ。

 目的地は、海。

 町のほぼ中心に位置する病院から、ルカとレインは海を目指して街を往く。


 二人は目立たないように気を付けながら、しかしサカサカと足を動かす。と、ルカのマントと白衣の下、肌着の上で何かがシャリシャリと小さな音を立てる。ルカは、雑踏の中では響くはずもないのに、その音を気にして無意識に胸を押さえた。彼の手に服越しに当たるのは、神竜の鱗が()()通ったネックレスである。


 そう、三枚。

 赤と、茶と、それから、海の青。


 この海の青の鱗がこの革紐に通されたのは、病院でのやり取りのすぐあと、ルカが海に向かう、というときだった。

 お守り代わりに、とレインが差し出したのは、彼女がブレスレットとして腕に巻いていた革紐にくくられていた、青い鱗――水神竜マインの鱗である。

 こっちのブレスレットはノエルが編んでくれた宝物だから貸せないし、とレインがそこから青い鱗だけを外し、ネックレスの革紐をほどいて通すまでが早かった。何しろ、ルカもアルヴァも口を挟む隙が無かったのだから。


 そういう経緯で、ネックレスには神竜の鱗が増えている。そのネックレスを、ルカは今、服の上から握り締めている。

 そうして音を押さえて、うつむきがちに歩きながら伺えば、街のいたるところに見える黒い制服。

 ルカはストールの下で唇を噛みながら、どうか気づくなよ、と前を睨んで歩き続ける。時折、レインが「こっち」と囁きながら曲がるのについて歩いて、ルカはようやく、もう崖の下は海、と言うところまでやってくることができた。

 あとは、この長い階段を降りれば海岸に着ける。


 ――まさに、その時だった。

 

「やあお嬢ちゃん方、そんなに急いでどこ行くの?」


 軽薄そうな声が、横からかかる。無視して歩き去ればよかったのに、ルカはその声に聞き覚えがあって、思わずそちらを見てしまった。

 薄茶の瞳が下卑た色を隠しもせずに、ルカを射抜いている。

 ルカは、自分の軽率さに心の中で舌打ちをする。

 

 黒髪で薄茶の瞳のその男は、銀の糸で『機械の翼と王冠』――王室魔導士団章が縫い付けられた黒い制服で街路樹にもたれている。

 その後ろには、最悪極まりないことに、機械兵が二体。ルカたちを何度も襲撃してきたのとまったく同じ顔が二つ、そのガラスの瞳をルカに向け、静かに静かに立っている。


「海で泳ぐには、まだ寒いんでなぁい?」


 ん? と首を傾げながら、男はその場から動くことなく、ルカに話しかけてきている。

 どうする、とルカは唾を一つ飲む。


 ――後ろにいるのが機械兵。奴ら、一番初めに襲ってきたとき、『情報を送信』とか言ってたよな。その時は、位置情報を送信って言ってた。


 指を弾くよりも短い間、ルカは頭をフル回転させる。


 ――位置情報を送信できるなら、そのほかの要素だってできる可能性が高い。例えば……姿かたちを、そのまま切り取って、送信するとか。


 と考えて、ルカはストールを少しずり上げて瞳を伏せ、そばにいるレインの背中に隠れる。

 その行動で、レインはしっかりと察してくれたようだ。彼女は、ルカを守るように立ちはだかっている。


「別にいいでしょ」

「あー、ごめんねー? 青い髪のお姉さんには話しかけてないんだわ。俺、そっちの()に興味あんの」


 そう言いながら、男が動く。

 最初は上半身を横にずらしてルカの姿を覗き込んで、それがレインに阻まれる。と、男はニコニコしながらポケットに手を突っ込み、街路樹から背中を離した。


 つかつか、と男が歩いてくる。その後ろに、二つの足音が続く。


「ねーえ、君、お名前は?」


 男は嫌にゆっくりと、ルカに問いかけてくる。目を合わせようと、下からのぞき込んでくる。

 ルカがその視線から逃げて目を動かせば、その先にいるのは、機械兵の片割れだ。視線がばっちり交差する。そこからも逃げて、ルカは地面を見る。


「俺ぇ、ヨセフ。君は、お名前、なんてーのぉ?」

「この子に寄らないで。あっち行って」

「だっからあんたに用はないって言ってんだろが、ねぇ、君?」


 一瞬荒げた声を気持ちの悪い猫なで声に変えた男が自分の耳を片方ずつ弄りながら、またルカの視線の先に割り込んでくる。また逃げる、機械兵と目が合う、ともう一度繰り返したところで、温かみのない声が残酷に響く。


「照合終了、角膜パターンから、ルカ・エクエスと断定」


 その声と同時に、周囲に嫌な音が響き渡った。


 金属を震わせたあとのような嫌な音だ。脳をかき混ぜられるような感覚に、平衡感覚が大きく崩されたのだろう、レインが膝をつく。ルカも、それを追うように膝をおる。 

 まるで地面を踏み抜いたように体が落ちる。何が起こった、と目を見張りながら顔をあげるルカの前に、男の手が迫っている。


「断定までがおっせーんだよ、ポンコツが」


 冷えた声。

 軽薄さは鳴りを潜め、目の前の男は、粛々とそう言う。言いながら、ルカに伸びる手は止まらない。


 ――この場合は、どうするのが最善だ。


 ルカは脳を揺さぶられる感覚に耐えながら、考える。途端、周囲の動きがスローモーションになったように速度を落とす。ルカの脳の回転に、動きが周囲の動きが追いついていないのだ。

 音も、光すらも置いていく速度で、ルカの頭は思考と試行を繰り返す。


 ――相手はどう考えても、荒事に慣れている。姉上やケネスと似たような筋肉の付き方だ。確実に腕が立つ。僕なんぞが素手で勝てる相手じゃない。


 自分だけで戦闘、却下。


 ――レイン様に手を貸していただければ、勝率はあるだろうけど……彼女は今、戦える状態じゃない。この、気持ち悪い音のせいだ。僕ですら、立てない。人より聴覚の優れた竜には、この音はもっときついはずだ。


 レインとの共闘、不可能。


 だったら、とルカは何とか腕を動かし、ストールを引き下げる。


 ――だったら、これが最善だ……!


 ストールの下、ルカの首に寄り添うようにそこにいたフォンテーヌが、ぱっと空に躍り出る。それと同時に、ルカの右手のアクアマリンが輝く。

 ルカは露わになった口を大きく開き、叫ぶ。


「レイン様っ! 僕を、あなたの水で、思いっきり吹っ飛ばしてください!」


 目の前の男は「は?」と呆けた声を出す。


 ルカが『そうしてくれ』と頼んだ理由に思い至ったのかそうではないのか定かではない。――定かではないが、しかし、レインは吐き気を耐えているような顔をしながらルカを振り返ってくれた。


 周囲に薄っすら漂っていた水の魔力がレインの薄く開かれた口の前に集まる。

 機械兵が、警告音を発する。

 男の眉間に眉が寄る。伸びてくる手が早くなる。

 その手が、ルカの白衣を掴む、その刹那。


 スッと息を吸いこむ音が、激流音に変わる。


「あなた、可愛い顔の割に無茶するじゃない……っ!」


 その轟く水音に混じってレインの声が聞こえたのは一瞬で。


 ルカは激流に身を飲まれながら、崖の上から空へと踊りだした。

  

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