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23. 水神竜マイムの祠①

 レインがノエルをその腕の中から逃がしたのは、彼が小さく咳き込んだときだった。彼女はノエルをパっと勢い良く放して、その勢いのままに後ずさる。そして、ノエルから一番遠い壁にピタリと背中をつけて、息を潜めてルカを見る。

 その青い目は、ルカに『ノエルは大丈夫なの』と言っている。


 ――薬がしっかり効いている今なら、そこまで神経質にならなくても平気だけど……。


 まぁ一応、とルカはノエルの体内の魔力濃度を確認する。ノエルの家でそうしたように、フォンテーヌに手伝ってもらいながら、ノエルの胸と頭に触れる。


「お兄さん、僕、大丈夫です……!」


 だからレイン、と健気に手を伸ばすノエルに、しかしレインは固い表情でゆっくり首を横に振る。

 お兄さん、とノエルがルカを見る。その、未だに青い涙(レインの魔力)を産み落としている瞳には、『レインと引き離されたら嫌だ』というのがありありと映っていた。ルカはその目をチラリと見て、それから目を閉じる。


「――うん、そうですね。魔力濃度に問題はありません。だから、レイン様」


 びくっと肩を跳ねさせるレインに、ルカは「大丈夫ですよ」と微笑みかける。そうすると、レインは恐る恐る、といった様子で、ルカの後ろまでやってきた。

 

「ノエル……」


 レインの震える声。何かを察したように、ノエルが不安そうな顔をする。


「あ、あたし……――あたしの魔力があなたを苦しめちゃうなら――」


 ――もう会わないとでも言うのだろうか。薬さえ飲んでいれば、そんな必要ないのに。


 ルカは待ったをかけるために、口を開こうとして……。


「――魔力全部使い切ってくる!」


 ……彼のその口は、特に言葉を発することもできず、ぽっかり開くだけにとどまった。


「だっ、だめだよレイン!」


 一瞬動くことすら忘れたルカに代わり、ノエルが慌ててベッドを飛び出す。彼が向かうのは、今にも病室を飛び出しそうなレインのもとだ。駆け寄る勢いで腰に取り付くノエルに、レインは青髪を振り乱す。


「ええい、止めないでちょうだいノエル! 魔力が何よっ! こんなもん、海に入って大渦を十個も作れば底つくわよ!」

「なんっ、大渦!? 止めるに決まってるよ! そんなことしたら、海の中がぐちゃぐちゃになっちゃう! それに、波もおこって危ないでしょ!」


 ぐぎぎ、と互いに退かない二人の奇妙な力比べは、ノエルの咳によって終わりを告げた。



 ベッドでぐったりしながら水竜の長に説教をするノエルと、ションボリ椅子に座るレイン。その二人を――特に、レインを見つめながら、二人の後ろに立つルカは、ゆっくり瞬きしながらこう思う。


 ――なんだ、思ったより落ち込んでなかったんだな。


 ()()()()()()をどう話そうか、と頭の片隅で考えていたルカは、肩に入っていた力をごっそりと抜く。ちょうど説教も終わったところだったので、ルカは静かに口を開いた。


「レイン様。水神竜様の祠のことで、少しお話があるのですが」


 ルカのその言葉に、子犬のような顔でしょんぼり俯いていたレインが顔を上げる。表情からは子犬が消えていた。

 ルカが、姉上も混じえて話したいので、と言うと、レインはゆっくり頷いて、それから、ノエルの頬にキスを落として立ち上がった。


 処置室の入り口、小さく丸くなって寝ていたイグニアが首をもたげる。廊下のギリギリ端に背中を擦り付けてドアをくぐったカレンの後ろ、ルカも続いて処置室に入る。

 処置室まで戻ったルカたちを迎えたのは、アルヴァとケネスの二人だった。ちょうどいいことに、医師も看護師もいない。


 ルカはここまで来た経緯と、水神竜の祠まで行かなければいけないことをレインに説明する。そうすると、彼女は静かに口を開いて、祠の在り処をこころよく教えてくれた。しかし、彼女のその言葉を聞いたルカとアルヴァは、思わず顔を見合わせて唸ってしまった。


 語るレイン曰く。

 ――水神竜の祠は、海の底にあるのだそうだ。


 と、レインは言葉を続ける。


「っていっても、人間が行けないわけじゃないのよ。そりゃ確かに、生身だと行けないでしょうけど――」


 わかるでしょ、と海の青がルカを見る。

 その視線がなぜ自分に向いたのか一瞬考えて、それからルカは、ああ、と手を打った。


 ――海底にあるって音の響きに尻込みしちゃったけど、確かにそうだ。


 同じく精霊魔術師のフィオナも、どうやって海底までいくのか見当がついたらしい。彼女は「あっ!」という顔をして、両手で口を抑えている。


水精霊(フォンテーヌ)の力を借りれば、行けますね」


 ルカが右手のリングブレスレットに嵌め込まれたアクアマリンを撫でながら言う。と、アルヴァが目をぱちくりさせた。


「どういうことだ?」

「くるっと泡で包んでもらうんです」


 騎士見習い二人は、流石に察しが良かった。そこまで言ってやれば、二人ともわかったようだ。

 これで、この場に『この後、誰が、何をする』がわかっていないのは、たった一人になった。


「……ほほう……くるっと、泡で包んでもらう……」


 真剣な顔で、さも『わかってますよ』という顔で、カレンはアルヴァを、ケネスを、フィオナを見て、それからルカのことを見る。

 そんな彼女のために、ルカは、頭の上にフォンテーヌが腰掛けたのを感じながら口を開く。

 

「つまりですね――」


 この後やろうとしているのは、水の結界の応用だった。

 

 海に入る前に、フォンテーヌに水の結界を張ってもらう。

 このときに気をつけなければいけないのは張り方だ。場所指定ではなく、人間を指定して張ってもらうことで、結界ごと動いて海に沈んでいくことができる。

 そうすると、水圧や空気の問題が解決するのだ。


「――という感じで、海の奥底までたどり着けるというわけです」


 ほへぇ、とカレンは理解したのかしてないのか曖昧な声を漏らす。


「問題点があるとすれば、今のあたしの魔力じゃ、一人しか包めないってところよねぇ」


 水圧を結界の中に伝えないためには、どうしたって結界の強度を確保しなければならない。それに魔力を回すには、結界の規模を小さくするのが手っ取り早い。


 祠まで行くのにフォンテーヌの力が必要。

 フォンテーヌは、一人分の結界しか作れない。


 そうなれば――。


「じゃあ、僕が行きます。祠まで」


 ルカがそう言うと、アルヴァは苦味の走った顔を見せてから、ぐっと息を詰め……それから、大きく溜息をついた。


「そうしてもらう他ないな……」


 心配そうに自分を見る黄色味を帯びた琥珀に、ルカは姉の心配を拭ってやるためにも、といたずらっぽく微笑んで見せる。


「それでなくとも、姉上は泳げませんしね。僕、泳ぐの得意ですから。何かあっても、どうにかしますよ」

「んん……んー、やっぱり私も行きたいんだが」


 軽口は逆効果だったか、と首の後ろを掻くルカの前、アルヴァは何か思いついた顔をして、レインに向き直った。


「そうだ、レイン様。少し手を貸してはいただけませんか」


 真剣な顔と声に圧されたような顔を一瞬見せてから、レインは申し訳なさそうに首を振る。


「ごめんね、貸したいのは山々なんだけど、慣れないことすると絶対失敗するから。ほら、海流を一時的に変えろ、とかそう言う大きいことならやれるし、海を渡るために背中に乗せろ、とかならできるんだけどさ……」


 水圧をなんとかしながら、海の底まで小さな結界を保ち続けるっていうのは、やったことなくて不安だから。


 そういう旨を話し、レインはもう一度「ごめんね」と言った。

 その言葉に「そうですか……」と力なく呟いて床を見つめて小さく唸っていたアルヴァが、やおら顔をあげる。彼女はルカたちの前で、シャツの一番上のボタンを外し、胸元から何かを引っ張り出した。


 ちゃり、と音を立てたのは、火神竜と地神竜の鱗が通されたネックレス。


 ルカの前でそのネックレスを頭から抜いたアルヴァが、ルカの濃琥珀を射抜く。それから、彼女はこつこつとルカに歩み寄る。

 なにを、と姉の動きを見守っていたルカは、軽く目を見張った。


 近づいてきた姉の顔。

 頭に座っていたフォンテーヌがふわりと浮かぶ感覚。


 それから、すっと、頭に革紐を通されて――。


「だったら、これはお前が身につけておいたほうがいい」


 ――ルカの胸元には、赤にも金にも煌めく鱗と大地を削り取ったような大振りな鱗が、静かに厳かに、坐していた。

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