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  〝鱗吐き〟と迷いの山⑦

 ルカたちが洞窟から出て、一時間もしない頃だろうか。彼らが探していた『おばけ草』は、あっけなく見つかった。

 洞窟から出て少し山を登った先、山の中腹あたりにあった泉のそばに、その茎以外透明な薬草は、ひっそりと群生していたのだ。

 もしかしたら、夜は見逃してしまっていただけでルカたちが昨晩探していたあたりにもあったかもしれない。そんな風に話しながら、精霊薬学を学んでいるルカとフィオナがおばけ草を正しく摘んで、必要量を採集して。それから、一行は下山を始めたのだった。


 ――それが、大体三十分ほど前のことである。


 ルカは大きな木の後ろにもたれ、霧の中に響く銃声と剣劇の音に鼓膜を揺さぶられながら、摘み集めた薬草が入ったショルダーバッグを抱きしめていた。その傍には叫び声を上げないようにと口を押えるカレンがいる。


 ――せっかくおばけ草が見つかったのに、僕らも王室魔導士(あいつら)にあっけなく見つかるんだから、世話ないよな。


 ルカは苦みを混ぜ込んだ顔で、木の陰からそっと霧の中を覗きこむ。ちかっちかっと剣劇の音とともに瞬くのは、剣と剣のぶつかり合いが生む火花だろう。

 と、ルカの耳を飾るイヤーカフから、とす、と何かにもたれたような音が響く。


『――ルカ、捲いたか』

「一応は」


 イヤーカフの水晶による魔力通信で聞こえてくる姉の声は、真剣そのもの。ルカも短い言葉を潜めた声で返す。


「姉上、一人ですか」

『フィオナとケネスが一緒だ。お前は?』

「カレンが」

『――そうか』


 零れる安堵の吐息と、それを搔き消すような『発見』と言う声とアラート音。続くのは、金属の軋む音と、銃声。


「姉上」


 ルカはたまらず声をかける。しばらくは風切り音と銃声が響いていたが、やがて姉の声が返ってきた。


『ルカ、フォンテーヌに頼んでイグニアを探してもらってくれ』


 続く言葉が想像できて、ルカは否を唱えるために、と口を開きかける――が、それよりアルヴァが言葉を発するほうが早かった。


『お前とカレンくらいなら、イグニアでも二人乗せて飛べる。あの子を竜の姿に戻して、先にノエルのもとへ』

「でもっ」


 ルカの言葉を無視して、アルヴァは話を進めていく。その間も、銃声と、彼女たちを捜し歩く足音が通信越しにルカの鼓膜を揺らしている。


『フィオナ、風の精霊と契約している精霊魔術師は空を飛べると聞いたことがあるのだが』

『……ええ、飛べます。しかし――』

『ルカとカレンについて行ってやってはくれないか』


 視界も悪い中、アルヴァは、ケネスと二人で応戦するつもりでいる。その事実がルカの心配をあおり――その心配は苛立ちに変わる。


 ふざけんな! と状況も忘れて怒鳴りそうになったルカの口を、カタカタ震える小さな手が塞ぐ。言葉を飲み込んだルカが濃琥珀に自分の前に立つ人間を映す。

 彼を、全体重でもって大きな木に押し付けるようにしているのは、カレンだった。

 彼女は左手で自分の口を押えながら、ルカの口を右手で塞いでいる。

 至近距離で、濃琥珀と青玉が交差する。

 それと同時に、彼らの周囲を、山を満たすよりも格段に濃い霧が囲んだ。


 フォンテーヌが霧を濃くしたのか、とルカは自分の肩のあたりに浮かんでいた水精霊に目を向ける。彼女は唇の前に人差し指を立ててから、その深い霧に溶け込むように姿を消した。

 と、その瞬間だった――。


「アニエスと連絡は」


 ――かすれた低い声が聞こえてきたのは。


 ルカは身を固くする。


「つかねぇよ。あの女、任務放って男遊びしてんじゃねぇの?」


 けたけた笑う男の声。それを諫めるかすれた声。

 視界を霧で遮られている分、敏感な聴覚が、ルカの記憶を引っ張り出す。


 ――片方、軽薄な感じの方は、イグナール城に最初に向かった時、森の中で聞いた声と同じ。もう片方は……そうだ、イグナール城に入る直前だ。受付にいた、王室魔導士の声だ。


 と、ルカは自分の唇に触れている手の震えが大きくなっていることに気が付いた。

 目の前のカレンに目を戻せば、彼女は近づいてくる王室魔導士の声に身を震わせている。ルカはほんの少し迷ってから、彼女の肩を擦った。そうしながら、王室魔導士が何事もなく去るよう祈る。


「ジョルジュ、あのクソ坊ちゃんのお守りはもういいのか?」

「良いわけないだろう。城から出るのも面倒だった」


 かすれた声が徐々に遠のいていく。ルカは、二人の王室魔導士の会話に耳をそばだてる。


「ウィル隊長が本部からせっつかれてるんだ。そのしわ寄せは、誰に行くと思う」

「お前だろ?」

「そうとも。全く勘弁してくれ、つぎ込めるだけハウンドをやったのに、どうして捕まえられないんだ……」

「やっぱアレだろ、アニエスじゃねぇが、無理言ってでもアルモニューを引っ張ってくるべきだったんだよ。性能()()()だろ」

「だからそれはウィル隊長か、もしくは、中将に直接……」


 二人の男の声が完全に消えて、それから、霧が凝縮してフォンテーヌが姿を現すまで、ルカとカレンはじっとしていた。


『――……カ、ルカ。通信が』


 ルカは深く息を吐いてから、そっとカレンの右手を自分の口元からはがす。いつの間にか一切の通信が切れていた魔力通信は、本来の能力を取り戻し、再びルカの耳に銃声を届け始めた。

 イヤーカフの位置を調節して、それから彼は潜めた声で姉に応える。


「――すみません、王室魔導士が近くにいて……。フォンテーヌが通信遮断を」

『ああ、良かった』


 良くないだろ、そっちじゃ銃声がしてる。その言葉を飲み込んで、ルカは深くため息を吐き――ぎゅっと目を閉じる。 

 それから、彼は姉が何か言う前に、と口を開いた。


「姉上の言うこと、聞きます」

『――そうか、ありがとう』

「できるだけ早くノエルの薬を作って、それから二人を迎えに来ます。何なら、レイン様にも力を借ります。水竜の長にとってはこの山なんて庭と変わらないでしょうから。すぐに二人を見つけられるはず」


 分かった、と姉の声がする。そのすぐ後ろで、金属がぶつかり合う音が。耳元、魔力通信から聞こえるケネスの呻きに、ルカは気合を入れなおすように頬を叩いて目を開く。


「姉上、気を付けてくださいね。絶対に、ぜったいに、無茶だけはしないように」

『ああ、わかった。お前も気を付けろよ、ルカ』


 姉がフィオナに指示を出すのを聞きながら、ルカの脳内には、フォンテーヌからの情報が入ってくる。イグニアは、どうやらかなり近くにいるようだった。そして、ルカたちの近くには王室魔導士も機械兵もいない。


 ルカは指笛を吹いてイグニアを呼ぶ。

 しばらく待てば、茂みが割れて真っ赤な髪が飛び出してくる。手早くイグニアを竜の姿へと戻したルカは彼女の背に乗り――有無を言わさず、カレンを引っ張り上げる。


 そして二人を乗せたイグニアは、力強く地面を蹴って、霧の空へと舞いあがった。



 ――空の上でフィオナと合流して、ルカたち三人は、無事にノエルの家へとたどり着いた。それからルカは時間が惜しいとばかりにノエルを病院まで運び、すぐに薬の調合に取り掛かった。


 薬草を刻み、必要があれば火を通し、成分を抽出、合成して――と、淀みなく動くルカを補佐するのは、フィオナと、それから病院の医師たちだった。

 手伝いに入った医師の中には、ルカの見た目から彼が調合するのに否を唱えるものも多かったが、的確な指示を飛ばし無駄なく動く彼を見て、直ぐに態度を改めていた。


 そうして、抗凝固薬と魔力排出促進剤は問題なく完成した。フォンテーヌに効能や副作用の確認もしてもらってから、薬たちはノエルに投与されて――彼が二時間かからず作り上げた二つの薬は、問題なく効力を発揮したようだった。


 ルカは、気持ち良さそうに眠るノエルの胸の上と額に置いていた手を下ろし、深く深く息を吐いた。


「――とりあえずは、大丈夫でしょう。順調に体内から魔力が出て行ってます」


 ルカのその言葉に、レインが目を潤ませ口を押えながら、震えた吐息を漏らす。


「ああ、――ああ……ありがとう、本当に……ありがとう……!」


 感極まった様子でフラリフラリとノエルに近付くレインを止めたのは、ノエルの家からここまで、ノエルを運んでくれた風の上位精霊、薫風の主ティミアンである。彼女は人の子供と同じくらいのサイズで、現世(こちら)へと顕現していた。


「お待ちください、水竜様。あなた様がかの人間の子に近寄ると、よろしくありません」

「……え?」


 レインが目に溜めた涙をポロリと溢しながら、ティミアンを振り返る。ルカは、苦い顔でそれを見つめながら、やっぱりそうか、と思った。自分の思い違いかも、と思っていたから口を噤んでいたことだったが、自分以外――自分よりも魔力に関しては敏感な精霊が感じるのだから、やはりそうなのだろう、とルカは溜め息をつく。

 そんなルカの前、どういうことよ、とティミアンに詰め寄るレインに、彼は腕組みをしながら、小さく口を開いた。


「――ノエルくんは……あなたの魔力を体にため込んでしまっていたんですよ」


 小さい声だが、処置室には大きく響く。

 そうですよねティミアン様。ルカがそう確認すれば、薫風の主はゆっくりと、しかし大きく頷いた。レインが呆然とした表情でルカを見る。その説明を求める視線に、ルカは言いづらさをおして言葉を続けるほかなかった。


「魔力の排出機能に影響が出るほど、色濃い水の魔力と――レイン様の魔力と、相性が良かったんだと思います。それが原因で、彼は――体に、魔力を」


 正直、そんな症例があるとは思いもしなかった。だがしかし、ノエルの体を蝕んでいた魔力はレインの物だった、という事実は覆らない。

 目の前で「嘘」とひとこと呟いたレインの魔力が、知らない間に、彼女が大切に大切にしているであろうノエルの体を、蝕んでいたのだ。


 レインが絶望に満ちた顔で膝をつく。

 この状況で迷いの山まで引っ張って行っても大丈夫だろうか、と思案するルカの視線の先。そこにある扉が勢いよく開いて――。


「もー! 長! ここにいた! また山で迷い人がでたよ、しかも……ってアレ? ノエルくんどうしたの?」


 駆け込んできた青い髪の少女が引き連れているのは、ルカが今まさに、どうやって迎えに行くか考えていた人物で――。


「――姉上っ! ケネスっ!」

「やぁ、自力で戻ったぞ。あはは……っあいててて……」

「……おいルカ、マジでお前の姉上、しつけ直せ……」


 互いに庇いあうように肩を組んで歩いてくる二人は、致命傷こそ負ってはいないが、ズタボロだ。

 だからルカは、「無茶すんなって言ったろうがこのバカ!」と怒鳴って二人に駆け寄った。 

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