〝鱗吐き〟と迷いの山⑥
どんなに霧が濃くとも、朝がくればわかるものだ。
夜の黒を色濃くしていた霧は、今はとろりとミルクのような色合いで、ルカの目の前に広がっている。
「大きめの獣がちらほらしてるけど、人間はいないわよ」
洞窟の入り口で、外の様子をうかがっているルカの隣。ふわりふわりと浮かぶフォンテーヌが「ルカも視る?」と問いかけてくるのに、彼は小さく頷いた。
途端、頭に流れ込んでくるのは、細かい粒子がものに当たって形を明らかにする感覚。
ルカはできるだけ心を落ち着かせて、その脳みそを直接触られているかのような感覚の奥、洞窟の周囲に張り巡らされた濃霧が触れた物へと意識を集中させた。
フォンテーヌの支配下にある霧。その水滴の一つ一つに触れる中で一番大きい生き物は、恐らく熊だ。時々四つん這いから立ち上がり、周囲を警戒している。それ以外に、人、または人より大きいサイズの形は、霧の中には見当たらない。
ルカが深く息を吐くと、フォンテーヌは言われる前に二人の感覚の共有を切る。ルカへの負担が大きいことを知っているからだ。彼女は、ルカがこめかみを撫でているのをじいっと見つめている。
その視線に気づいているから、ルカは、優しいフォンテーヌを心配させないように、静かに笑って見せながら口を開いた。
「――今なら、外に出ても大丈夫そうだね」
そうね、とフォンテーヌが肯定する。ルカは気合を入れるように鼻から息を吐きだして、それから洞窟の中へと戻った。
おばけ草探しを再開する前に、とルカは洞窟を奥へと進む。
――まずは二人を起こさないとな。
ルカはそんな風に考えながら、焚き火の中で小鍋を抱えているエクリクシスの横を通り過ぎる。
火の傍ではフィオナが朝食代わりのスープを作ってくれていて、真剣な顔のカレンが、それを手伝っている。カレンの危なっかしい手元を横目に見ながら、ルカは静かに歩き続く。そして彼は、洞窟の奥、ぐっすり眠っている騎士見習い二人の前で足を止めた。
岩壁に持たれている二人は、まぶたが震えることすらないくらい深く眠りに落ちている。
ルカは興味深そうに顎を擦って二人をじいっと見つめながら、へぇ、と思った。
訓練をしているから、二人は気配に敏感なのだ。こと、野営中は野生動物並みに気配に敏感な二人が、ルカが目の前にいても起きない。二人の前にルカがしゃがみ込んでも、身じろぎ一つしない。
それがルカにはとても珍しく映って、彼は状況も忘れ、二人の寝顔に見入ってしまう。
ルカは、安らかに寝息を立てる二人をジィっと見つめながら、『二人とも、じっくり見ても美形ってどうなってんだ……』と小さく唸りを上げた。
ケネスはケネスで、綺麗な輪郭の中、精悍さにほんの少しだけ幼い甘さを混ぜ込んだパーツを、それぞれバランスの良いところに納めていて。まあ、一般的な環境なら女性が放っておかない顔だ。一般的な環境ならば。
彼を「まあイケてるよね」で留めているのは、彼の隣で目を閉じている、ルカの姉の存在だった。
つい、手を伸ばしてしまいたくなるような健康的な色の肌は、特別な手入れなどしていないはずなのにきめ細かい。
極上の輪郭に縁どられた顔に、これまた、どれをとっても美しい形のパーツを、最高の位置に乗せて。
柳眉の下、今は閉じられているその瞳。そこに収まる金琥珀に真剣に見つめられて、腰が砕けなかった女性――男性もだが――がいただろうか。
ルカは難しい顔で小首を傾げながら姉を見つめ、それから、ムニュと自分の頬を揉む。輪郭を確かめるようにそうしている彼の脳に浮かぶのは、鏡に映る自分の顔だ。
――コレと同じ血が流れてるなんて未だに信じらんないんだよな。僕、モテないし。
色恋よりは研究を取るし別にモテなくてもいいけど、なんていう、口にすれば言い訳がましくなる言葉は腹の中へ。
それからルカは『まじまじ観察してる場合じゃないな』と別の言葉を用意して口を開いた。
「姉上、姉上。起きてください」
声をかければ、流石に起きるらしい。アルヴァの長いまつ毛が震えて、黄色味がかった琥珀が覗く。
「――ん、む……」
一瞬、ぽわん、とした顔を見せてから、アルヴァはビクンと体を跳ねさせた。彼女が寝る前にルカが膝にかけてやったストールがぺろりと剥げて、地面に落ちる。それとほぼ同時に、アルヴァの口から長い息が漏れ出る。
「もう朝か」
ぽつ、と呟きながら、姉は眠りの余韻にでも浸るような柔らかな顔を見せて、それから小さく微笑んだ。そんな彼女に、ルカは、良かった、と思いながら微笑みを返す。
――熟睡したみたいだ、良かった。
ルカは今思ったことをそのまま告げて、おまけのように「霧の制御で忙しいフォンテーヌに、睡眠導入用の霧まで用意してもらう必要が無くて本当に良かった」と溢す。と、ケネスも起きたようなので彼にも声をかけて、それからルカは本題に入った。
王室魔導士もいるから、とこの後の『おばけ草探し』は全員で固まって行おうと提案しながら、ルカはふと下を見た。それから彼の顔に浮かぶのは、にんまり三日月のような笑み。にまにましながら目を上げると、そこにあるのは姉の不思議そうな顔で。
「……手なんか繋いじゃって、随分いい夢見たようですねぇ?」
甘い声でねっとりと揶揄ってやれば、姉は自分の右手の先を見て一瞬体を固くして、それから、『あれまぁ』とでも言いそうに、困ったような微笑みを浮かべている。
――ほんとに動じないなぁ、この人は。
この反応がなんとなくつまらないのはルカだ。しかし彼は、でも――と視線を姉の横に映す。そこにいる幼馴染は、わかりやすく動揺してくれていた。こっちはまずまずの反応、とルカがにまにましている前、アルヴァがニカリと笑みを見せながら口を開く。
面白い夢だったぞー、と夢の中身をルカに教えてくれる姉に、ルカは微笑みにほんの少し真剣さを挿して立ち上がる。
「面白そうだけど、続きはおばけ草が見つかってからで。さっさと朝飯にしますよ」
ルカに続いて立ち上がったらしい姉の、静かな声が洞窟に小さく反響する。
「それもそうだな」
ノエルが薬を待ってる。
そう続いた姉の言葉に、深く頷いて、それからルカは焚き火の方へと歩き出した。
アルヴァが見た夢のお話が気になる方はこちら→ https://book1.adouzi.eu.org/n7059fe/
プロローグとエピローグも入れて10話の短いお話ですので、読んでみていただけると嬉しいです。
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