時の止まった花畑③
死を覚悟したルカの前、躍り出たのは、青緑の光球だった。
いつまでたっても、ルカの体は雷に貫かれない。恐る恐ると上を見れば、周囲を青白く染め上げてガチガチと牙を鳴らす雷が、彼の頭上で三メートルほどのところで止まっていた。
どういうことだ、何が起きた。
ルカが唾を飲みこむのと同時に、青緑の光球が大きく輝く。それから、パリンッ、と硝子の割れるような高い音が周囲に響きわたった。雷を見上げていたルカは、大きく大きく目を見開いて、息を呑んだ。
パリンパリンと音が響く空。
そこに雷の姿は、もはや無い。
連鎖したように密度を増していく音とともに、雷は――神竜の魔力を纏ったその一撃は、ルカの目の前で、まるで蛍のように小さく淡い光へと姿を変えて、音もなく消えていく。
頭上に広がる光景に見とれながら、ルカは、ゆっくり立ち上がった。と、そこで声がかかる。
「坊ちゃん、大丈夫かー?」
いつの間にかルカの隣に来ていた青緑の光球が、心配そうに瞬いている。その声にルカは何とか頷いた。光球は、ルカに頷きを返すように上下に揺れて、それから彼の背中へとまわる。超高濃度の魔力の丸い体が、結界の外へと押し出すように、ルカの背をグイグイ押している。それに逆らわず、ルカは歩を進めた。
完全に結界の範囲から抜けたのだろう。光球がルカの背を押すのをやめた。ルカが振り向くと、光球は先ほどルカが倒れていた場所まで戻っていた。途端、再び空に魔力が集中する。
「揺り戻しがくるから、ちょっと離れてた方がいいぞー」
そう言ったのは、エザフォスだった。地神竜はのんびり瞬きながら、ルカたちを誘導するようにフワフワ揺れている。その言葉に従って、彼らはじりじりと退いた。
「大丈夫だって、エザフォス。揺り戻しはデカイけど――」
青緑の光球は、自分の上に再び集まりつつある魔力――先ほどとは比べ物にならない太さの雷に、物おじ一つしていない。結界の外にいるのに怯えてケネスの足にしがみついているイグニアと比べると、立っている場所が逆なのでは、と言いたくなるほどの落ち着きようだ。
一行が見守る目の前で、極太の鉄槌が、バチバチ唸りを上げて天から落ちる。が、しかし――。
「――全部、オレが受け止めるっ」
もともと、オレの魔力だしな!
続いた言葉と同時に天から注いだ雷は、牙を剥く猛獣から懐いた子猫へと変わったかのように青緑の光球にすり寄って、そして、静かに魔力の体に吸収された。
「も、しかして――」
思わず零したのは、ルカの口だ。彼は、一度口を閉じ、そしてチロリと唇を舐める。それから、はく、と口を開けるが、言葉は続かなかった。
まさか。そんなことがあるか? イメージと違いすぎる。でも――エザフォス様と同じ、触れられるほどの、高濃度の魔力の体。
ぐるぐると思考を巡らせるルカに気が付いたらしいエザフォスが、今まで以上に元気に発光する青緑の光球に声をかける。
「レビン、困ってるぞ。自己紹介しろ、自己紹介」
苦笑を含んだ柔らかな声に、青緑が跳ねるようにルカの前へとやってきて、それから一層チカチカと瞬いた。
「オレ、レビン! エザフォスの友達! よろしくな!」
エザフォス様の友達で、神竜様が作り上げた攻性結界の、極太の雷を余さず吸収して、なお元気、と。おまけに、名前が『レビン』ときた。もう確定じゃないか。
そう思いながら、ルカは、このハイテンションな光球――雷神竜レビンに、静かに傅いた。
――互いに自己紹介を終えて、びくびくしていたイグニアが、レビンに触れに行くほど落ち着いた頃だ。
「――で、エザフォスから聞いたけどさ、お前らさ、ここの結界のこととか、封印のこととか知らないんだって?」
目の前でプカプカしているレビンに、ルカとアルヴァが頷いた。その隣、フィオナが真剣な表情を顔に浮かべながら、胸の前で手を組んでいる。カレンはいまだにアルヴァに抱えられるようにしながら、ポカンと呆けた顔をしていた。
レビンは、ウンウン頷くように上下に揺れて、それからチカチカ瞬いた。
「すっごい時間、経ってるもんな。そりゃ知らないよ」
よしわかった、と元気のよすぎる雷神竜は、まったく痺れない雷をパチパチ周囲に飛ばしながら、高らかに宣言する。
「オレが説明してやるなっ!」
その言葉のあとに続いた、あちらへフラフラこちらへフラフラする迷子のような説明を聞き終えて、ルカは静かに目を閉じる。そうしながら、もらった情報を頭の中で整頓した。
正しい時系列で、適切に並べた説明を要約すると、こうなる。
『遺跡には大変なものが封じ込められている』
遥か昔、竜歴すら始まらず、まだ国が六つにきれいに分かれていたころのことだ。
どうも、文献にすら残らなかった戦争があったらしい。いや、残らなかった、と言うのは語弊がある。神竜たちが、残させなかった、が正しいかもしれない。
その戦争は、竜機大戦なんか遥かににしのぐ苛烈さで、しかし、一年もかかることなく終結したのだとレビンは言っていた。
人対神でも、ましてや人対人でもない。それは、まさしく、神々の戦争だった。
――名前言うと、文献にさせなかったのが無駄になっちゃうから秘密な。あれは、とにかく大変だったよ。
レビンがそう言うのだ。神竜が、そう言うのだ。
ルカになど想像も及ばない戦争だったのだろう。
――相手は一人で、こっちはたくさんいた。オレたちだけじゃなくて、他のところからも手伝いに来てくれたし、敵にまわったのもいた。
たった一柱の神を、抑えるのに何柱も犠牲になったのだそうだ。
――一応な、オレらは勝ったよ。いや、勝ったって言えるのか、ちょっと微妙だけど……。
とにかく、その一柱を封じ込めることには、成功したらしい。
――名前を残さないで、存在を忘れさせようとしたんだ。そのためにな、地下深くに封じた。
――その時な、俺が大地を動かしてな、内部の装飾を整えた。そこに刻んだ呪いでも、ソイツを縛ったんだ。
つまりは、この国は。いま、ルカたちがいるこの国は。
神竜たちの力すら凌駕する神を、その胎に孕んでいるのだ。
情報整理を終えたルカは目を開ける。
「……大変な、こと、じゃないですか……」
「うん」
レビンの軽い返事にめまいを起こしそうになりながら、ルカは『遺跡』のある方へと目を走らせた。
何の変哲もない、空と草地が広がっている景色の向こう側。その先には平原があって、その更に向こう、小さな丘。
その下に、凄まじい力を持った神が、永遠の夜の中、無理やり眠りにつかされているのだ。
「中、どうなってるだろうな」
エザフォスがポツリと溢した言葉に、レビンがチカチカ瞬く。
「なー。アレを絶対出さないために、オレたちですら入れないもんな、中に。生き物も等しく入れないから何ともなってないとは思うけどさ」
そのセリフ、不吉すぎませんか。そう言いたいのを何とか飲み込んで、ルカは神竜たちの方へと目を戻す。と、姉が言葉を発した。
「レビン様の説明からすると、私たちが祠を起動していくと結界が強まるのですよね」
うんうん、と光球二つが上下に動く。アルヴァは力強く一つ頷いて、真剣な顔で言葉を続ける。
「では、さっそく出発しようと思います。私たちの祠巡りで、結果として、ソレを封じる結界が強くなるのでしたら、早いに越したこともないでしょう」
そう言うアルヴァに、エザフォスがゆっくり瞬いた。
「じゃあ、次は海の方を目指すといい。アイツも落ち着いた奴だし、しっかりしてるからもう準備してるだろうしな」
「海、ですか」
そう言いながらアルヴァが見るのは、エザフォスの隣、レビンだ。雷神竜はエザフォスの言葉に「それがいいな」と賛成している。
「――レビン様の祠、ではなく、海ですか?」
「うん。オレの準備はササッと終わるけどさ、オレの祠のあるところって、飛べないやつが登ってくるのにすごく苦労すると思うんだよな」
恐らく雷神竜の祠があるのは、と思い浮かべて、ルカはレビンの言葉に頷いた。
「姉上、神竜様たちの言う通り、海にしましょう。レビン様の祠があるの、多分、雷鳴山ですよ」
ルカの言葉に、アルヴァは納得したように頷いた。それに続くように、レビンが声を出す。
「先に海に行きな。道整えておくからさ」
「わかりました。それでは、お言葉の通り、先に海を目指します」
こうして、一行の次の目的地は決まった。二色の光球に見送られ、禁足地の前、時が止まったように蕾を垂らす花畑を後にした一行は、待っていてくれた風馬の馬車に乗り込んだ。
一行が目指すのは、プラートゥス地方。
そこは、海に囲まれた、大きな島。海竜と共に生きる島だ。
そこまで行くには、船がいる。港町のポートラングまで行ってもらえないか、と言うアルヴァの願いに、馭者は快く頷いてくれた。




