砂漠に咲いた黄薔薇を手折れ④
イグニアの背に跨り、大空を自由に駆けるアルヴァへと、大きな鉄の手が伸び迫る。
それを、腕に纏わりつくようにしてバレルロールしながらイグニアが避ける。そのスピードは、鞍と手綱をきちんと装備した竜に乗った騎手でも振り落とされるだろうものだった。しかし、鞍も手綱もないアルヴァがイグニアの背から落ちることは無い。
アルヴァは、騎竜に関してはちょっと自信があった。
なんせ、初めて竜と空を駆けたのが、物心つく前だ。それからずっと、アルヴァは空を飛びたくなったら、その身一つで火竜のすみかであるマグニフィカト山へ赴いて、日ごと、年齢も体格も違う火竜に乗せてもらっていた。
そこには、鞍も手綱もない。ただ、互いへの信頼だけを持って、アルヴァと竜は空を飛んでいたのだ。
そうするうちに、体は学ぶ。
どこに腰を落ち着けて、どのようにしていれば落ちないのか。どうすれば空を駆ける邪魔にならないのか。その感覚は、アルヴァの体が一番知っている。
そんな彼女が、竜の背から落ちるわけがない。
加えて、アルヴァが六歳の頃にイグニアが生まれてからは、一人と一匹はどこへ行くにも一緒だった。アルヴァとイグニアは、互いのことを自分の半身と言ってもいいくらいずっと、陸でも空でも一緒に過ごしている。だから、相手の考えなど手に取るようにわかる。
そんな彼女が、竜の――こと、イグニアの背から落ちることなど、起こりえない。もしそんなことが起きるなら、それは世界が終わる時だ。
巨大な腕を絡めるように飛んだイグニアは、機械兵の上空を取った。その背の上から、アルヴァは相手を静かに見下ろす。
彼女は、まず、手にしている長剣で叩き切れそうな部分を探した。そんな彼女の頭に思い浮かぶのは、吹き飛ばされる前、ケネスが狙った部位だった。
それは、関節。
他より動く分、装甲は薄い。確かに、狙うべきはそこだろう。だけど――と、アルヴァは自分を見上げてくる機械兵の頭の、その下へと視線を向けた。他に気にかかるところがあるのだ。
機械兵の、人間でいうところの左胸――心臓のある位置。先ほどから、定期的に淡く灯る光がある。
――ほら、また光った。
アルヴァはそう思いながら、次にその光が灯るまでどれくらい空くのか、静かに数える。
いち、にい、と数を積むうちに、機械兵の頭部の横から何かが出てきて、きゅおお、と高い音を発し始めた。と、同時に、魔力感知に関しては鈍いほうのアルヴァでもわかるくらい、濃密な魔力が機械兵の頭部に集中する。
「イグニア」
静かなアルヴァの声に、イグニアはすぐにその考えを察して翼で空を叩く。ちゅいっ……と小鳥のさえずりのような音とともに、先ほどまで一人と一頭がいた場所を、赤い光が通り過ぎていった。その数秒後、空に爆発音が響いた。
背後で響く音にもアルヴァのカウントは止まらない。彼女はじっと機械兵の胸部を睨みながら、数を数え続ける。その間にも、赤い光はアルヴァたちを追うように放たれる。時には先回りしてイグニアの鼻先めがけて赤い光が飛んでくるが、イグニアは上に乗るアルヴァと同様冷静に、急降下してそれを避ける。
高度を下げれば伸びてくる機械兵の腕と、変わらず撃たれる赤い光を、イグニアは砂漠の砂を舞い上げながら低空飛行して難なく避ける。そして、機械兵の股を通ると再び上空へと君臨した。
攻撃を避け続けながら機械兵の上をしばらく旋回しているが、イグニアは疲れた様子一つ見せずに、華麗に空を舞う。
不意に、赤い閃光の追撃が止んだ。同時に、機械兵の胸部に淡い光が灯る。
機械兵は数秒、確実に一切の攻撃を止めていた。
「ちょうど一分で、五秒間攻撃が止まる……」
アルヴァは、そこに勝機を見出した。
イグニア、とアルヴァが声をかけると、彼女は、任せて、と言うように吠えて空を駆けるスピードを上げた。
一分など、すぐだった。
アルヴァは正確に時間を数え、残りが数秒になったところでイグニアの首を軽く叩いて合図する。彼女はすぐに旋回して、機械兵の胸へとまっすぐ飛び込んだ。
迫る拳をひらりと避けて、飛び交う赤い線をバレルロールで躱す。そんなイグニアを駆るアルヴァは、真剣な表情を端正な顔に乗せている。
――一撃だ。一撃で終わらせる。そう強く静かに思いながら、アルヴァは剣を握り直した。
どうやら火の妖精たちはこの状況を――己を燃え上がらせるこの状況を、楽しんでいるようだった。くすくす笑いが、高らかな大笑いに姿を変えて、アルヴァの周囲を満たしている。
未だ長剣は赤く熱い。その上、アルヴァの真剣さを薪にしたように、剣は更に刀身を熱く滾らせる。
機械兵の胸部が迫ってきた。繰り出される腕と光を避けて、イグニアが、ぐん、と飛び上がる。
アルヴァとイグニアは、太陽を背に空高く舞い上がる。ほぼ同時に機械兵の胸に淡い光が灯った。それを金の目で捉えたアルヴァは、イグニアの背を蹴って、機械兵の右肩目掛けて空へと躍り出た。
風が耳元を切る音がする。自分の中から聞こえる鼓動は、平常通りの速さで脈打っている。
アルヴァには、一切の動揺も恐怖もない。なぜならこれは、一か八かの賭けではない。確実に相手を壊す、会心の一撃だ。
呆然としているように見える機械兵の右肩、ちょうど淡い光の直線状に、アルヴァは燃え盛る剣を斜めに突き刺した。
「――ぅぐぅぅっ!」
彼女は唸りながら、落下の勢いと自分の体重で、鋼鉄を、ぐねりと曲がりながら伸びる管を、下へ下へと引き裂いていく。
右肩から、右胸の上、そして、淡い光の灯っている場所を通り、剣はギャリギャリ、ジュワジュワ、と機械兵の装甲に深い深い傷をつけている。
剣と鉄が擦れる振動が、アルヴァの両手を襲う。今にも手が捥げてしまいそうな振動だった。それでも、剣は離さない。彼女の耳に、噛み締めた自分の奥歯がギチリと鳴る音が聞こえる。
それかは、機械兵を人間になぞらえるなら、腹部のあたり。へそがあるあたりで、アルヴァの落下は止まった。
自分が付けた傷を辿りながら目をあげる。
機械兵の装甲についた傷は、赤く熱を持ち、ふつふつ、と煮えたぎるマグマに似た音と、鍜治場に満ちる空気に似た匂いを発していた。
傷跡の道の上、機械兵の、人間の物とはかけ離れた頭部に灯っていた無機質な赤は、今や何を灯すこともない、ただの硝子へと成り下がっていた。




