裏方(アシスト)
まるで吸い寄せられるようにボールはジャンプした崇の額の位置にジャストミートした。
崇が小さく首を振る。
きらきらと飛び散る汗と共に金髪がフレアスカートみたいに広がって、ボールはキーパーの絶対届かない位置へと弾き飛ばされた。
精一杯手を伸ばしたキーパーの体が芝生の上に落ちる前に、ボールがゴールネットを揺らす。
「ゴ————ル! やった! やりました、神戸! ハットトリックだぁ! 日本のU19、この瞬間に世界への切符を手にしました!」
実況のアナウンサーが興奮した声で叫ぶ。
「いや、すごい! すごいですね、神戸崇! まさに神のストライカー! 間違いなく世界で通用するエースストライカーですね!」
「たしかに神戸もすごいですが、私はむしろ坂祝に注目しますね。あのアシストがあってこその3点目ですよ。」
解説の元Jリーグのヒーローが感心したような声で返す。
「たしかに‥‥。あの混戦の中で3人のキツいプレッシャーを抜いて、ゴールラインぎりぎりからの‥‥」
「そう。ふり向きざまのダイレクトシュートでも撃つようなセンタリング。」
「言われてみれば‥‥。」
「普通なら、あんなセンタリング誰も合わせられませんよ。それを合わせた神戸もすごいですが、そこに神戸のヘッドがあると確信したようなセンタリングです。坂祝渉。今後、注目の選手ですよ。」
「やはり、同じ岐東高校のサッカー部ということもあるんでしょうか、息がぴったりなんですね。」
「それだけで通用するほど、この世界は甘くないですよ。」
* * *
「オレは、崇が憎いんです。本当は‥‥。」
背中の筋をほぐしているとき、うつ伏せになったまま渉がぽつりと暗い声で言った。
「まわりは『仲がいい』って思ってるかもしれないけど‥‥。」
首から背中にかけてゴリゴリに凝っている。
「あいつがいなけりゃ、オレは‥‥」
「ストライカーだけがサッカー選手じゃないだろう。」
長良昭彦はそんな渉の硬くなった筋肉に施術を施しながら優しい声で言う。
「そういうメンタルは体を硬くする。硬い体では100%のパフォーマンスはできないし、無理をして怪我でもしたら元も子もないぞ?」
坂祝渉は、サッカーの強豪として知られる岐東高校の2年生だ。
すでに全国的に名の通っている神戸崇と並んで「岐東の二星」と呼ばれる1年生からのレギュラーだが、監督の起用はいつもミッドフィルダーだった。
ワントップのフォワードに配される神戸に比べて、シュートのチャンスは少ない。
渉は小学校の頃から、ここ長良整骨院に来ている。
小学生のサッカークラブで足首を捻挫して治療に来てから、ずっと昭彦のメンテナンスを受けている。
昭彦が学生時代サッカー部だった——というのもここに来る大きな理由になっているようだった。
「ぼくは、日本一のエースストライカーになって‥‥、そいで、そいで‥‥レアルに行って世界一のストライカーになるんだ!」
目をきらきらさせてそんなことを言う渉に、昭彦も他の患者とは違う思い入れをしたようなところもあったかもしれない。
「昭彦先生はポジション、どこだったの?」
「ははは。ピッチに出ればバックスだったが、たいていはベンチだったな。」
「それで平気だったの? だから、サッカーやめちゃったの?」
「違うよ。渉くんほど才能がなかっただけさ。それに、サッカーはストライカー1人でやるもんじゃない。」
「そういうことだからダメなんだよ日本のサッカーは。ストライカーはエゴイストでなくっちゃ。」
「ははは。それは漫画の読み過ぎだな。」
そんな会話をしていた少年は中学の頃には県内でも名が知られるような選手になり、岐東高校にはサッカー推薦で入学した。
そこに‥‥‥
天才、神戸崇がいた。
それゆえに、渉のストライカーへの夢は遠ざかることになってしまったのだ。
表面上、チームのために貢献する——という態度をとっていたが、長良整骨院に身体のメンテナンスに来る時には、昭彦には本音を漏らした。
「監督は渉の先の先を読む戦術眼に期待してるんだと思う。実際、渉は試合を支配するミッドフィルダー向きだと思うよ、私も。」
「監督とおんなじこと言うんだな、昭彦先生。」
「それが、天から与えられた渉の才能だからだろう。その才能に見合っただけの努力をしないとな。」
そう言って昭彦は座らせた渉の肩をもんだ。
「でないと、ベンチを温めてるだけの才能ナシはやりきれん。」
そう言って笑った昭彦に、渉も笑って応じた。
「はい。ベンチ時々バックスの昭彦先生。」
「こいつ!」
「渉には渉の能力や体に合ったやり方がある。」
昭彦は柔道整復師としてだけではなく、1人のトレーナーとしても、渉に部活とは別の独特の練習メニューを教えた。
体幹をしっかりさせながら、しなやかな筋肉を作る。
パワーの不足を、体全体のバランスのいい使い方で効率よく補う。
脳に回る血液の量を確保し、その戦術眼のパフォーマンスを最大限に引き出す。
やがてJリーグのスカウトの目にとまった渉と崇の2人は、高校卒業後それぞれ別のチームに入団した。
「昭彦先生。Jリーガーになっても、オレのトレーナーでいてくれますか?」
「いいよ。私のほうこそ光栄だよ。Jリーガーのトレーナーだなんて。」
昭彦は出張が多くなった。
渉がアウェイで試合する時はどこへでもついていった。
その分、整骨院のスタッフや妻に負担をかけることになるから、帰りには必ず全員にその地の名産品をお土産に買ってくるのが常になった。
「連日になるから、明日はオレは控えになると思います。昭彦先生。」
そう言って施術台にうつ伏せになっている渉の筋肉は、あれほどの活躍をした後だというのにしなやかさを保っていた。
日頃からの長良流ケアを欠かしていない証拠だ。
今日、最終戦に備えて神戸を休ませた布陣の中、ツートップを任された渉はドリブルで切り込んだ見事なシュートでぎりぎりドローの貴重な得点をあげた。
神戸の存在で霞んでいるが、こいつは絶対にいい選手だ。
努力家だな、渉は——と昭彦は思う。
神戸のような天才よりも、渉のような努力家を支えることができる自分は恵まれているな。
「昭彦先生のおかげですよ。オレがここまで来れたのも。」
渉がそんなことを言う。
大人になったなぁ。
昭彦はふと、あの少年の日の渉のことを思い出して微笑んだ。
「明日も後半だけでもフルで走れるように調整しておくよ。渉にしかできない出番があるかもしれない。」
そして翌日。
「もう1点ほしい。」
監督からそう言われて後半残り15分にピッチに投入された渉は、見事に神戸のハットトリックを演出してみせた。
試合終了後、抱きつくようにベンチに飛び込んできた渉の肩を、昭彦は軽く揉んでやる。
神戸が汗を拭きながら近づいてきた。
「おめぇ、やっぱりスゲーわ。また同じチームでやれてるのが嬉しいぜ。」
「オレもだよ、タケちゃん。あれ合わせられるの、タケちゃんくらいしかいないもんな。」
「世界、取りに行こうぜ。」
「もちろん!」
軽く拳を合わせる2人を、少し離れたところで昭彦がにこにこしながら見ている。
「ただいまぁ。」
玄関を開けた昭彦を妻の香織が出迎えた。
「お土産だよ。こっちはスタッフの分。」
「また大きな荷物。」
そう言って香織が笑う。
「疲れたでしょ。お風呂にする? ご飯先に食べる?」
「いい匂いだ。腹が鳴いてる。」
「味噌汁と焼き魚。しばらく日本を離れるんでしょ?」
「そうなるな。君の味噌汁がしばらく食べられなくなる。」
「テレビ見てたわよ。チラッと映ってたわね。」
昭彦が香織の背後からふわっと両手を回す。
「どうしたの、あんた?」
「ありがとう。これまで君が支えてくれたおかげだよ。整骨院が赤字で苦しかったときも‥‥。」
抱きかかえられたまま、香織が表情だけで笑った。
「何言い出すのかと思ったら、急に‥‥」
昭彦の穏やかな顔が、香織の顔の隣に並ぶ。
「あのハットトリック、君もまた生み出した一人なんだと‥‥おれは思うよ。」
了
ぎっくり腰の治療と予防のために整骨院に通っているAjuは、一度「柔道整復師」を主人公にしたお話を書いてみたかったんです。
(『パラサイトマッスル』途中でエタってるし。。。)(^^;)




