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烈子の恋 島守を想う  作者: 尾妻 和宥


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16/17

16.「れっちゃん、耳を貸しちゃダメ!」

「あ痛!」と、烈雄の声がした。


 なにごとかと、烈子は急いで階段をおりきった。

 父が頬を押さえている。そばで、右フックをふりきったみきが見えた。


 間髪入れず、みきはローキックを放った。

 しっかり腰の入った蹴りが烈雄の向うずねにクリーンヒットした。ばしっと肉を叩いた音が響いた。

 巨体が足をあげ、よろめいた。


「よくもやったな!」


 痛みをこらえながら、今度こそ烈雄が手を振りあげた。

 その手のひらはキャッチャーミットそこのけに大きく、しかも市役所勤めにしては惜しいほど腕力があった。あんな平手打ちをうければ、か細いみきの身体など向こうの壁まで吹っ飛ばされかねない。それこそメジャーリーグ級のDVだ。


 思ったとおりだ。

 オーディオコンポのそばのフローリングに、無惨に砕けた食器が散らばっていた。南仏で買った青い大皿の残骸。旅行中あれほど、みきが惚れ込んで買った品だったのに……。きっと母が投げつけたのだ。


 烈子はすばやくしゃがみ込み、鋭く尖った陶器のかけらを手にした。自身の手首に突きつけた。


「やめて! お母さん叩いたら、私、死んでやるから!」


 リビングで修羅場をくり広げていた夫婦が、ハタと動きをとめ、烈子を見た。


「烈子……。信じてくれ。あの紙袋はそうじゃない(、、、、、、)。どうか、おれの話を聞いてくれ」


 と、烈雄は平手をかかげたまま言った。

 すかさずみきが割って入った。


「れっちゃん、耳を貸しちゃダメ! あなたをまるめこもうとしてるのよ!」と、言ってから、「その破片を捨てなさい、れっちゃん!」


「おまえは黙ってろ。……たしかに、あんなとこ(、、、、、)に隠してたこと自体、まぎらわしかった。勘ちがいするのも無理はない。おれが悪かった」


「ウソ。それなら、なんで怒鳴り散らすの! しかもお母さんに手をあげるなんて、ひどい!」


 烈雄が右手をおろし、娘に近づいた。別の手をさし出した。


「聞きわけが悪いからだ。一から説明するから、とにかく二人とも冷静になってくれ。――さ、そのかけらをよこしなさい」


 烈子は泣きながら、うしろへさがった。


「お父さんなんか嫌い! すけべ! 変態! 大っ嫌い!」


 と言い、でたらめに鋭い破片を投げつけた。

 まるで忍者が使う苦無手裏剣くないしゅりけんのような形をした一片は、烈雄の脇腹をかすめ、壁にガツンと突き刺さった。ビール腹に命中していれば、ただごとではすまなかっただろう。


 烈子はきびすを返すと、玄関へ走った。


「おい、どこへ行く、烈子!」


「れっちゃん! 行っちゃダメ!」


 二人の制止をふりきって、烈子は外へ飛び出した。


◆◆◆◆◆


 最初から家を出てやれ、なんて考えがあったわけではない。

 いつもの癖で、スマホと財布、車のキーは肌身離さず持っていたので、成り行きで愛車に乗り込んでしまったのだ。

 エンジンをかけ、怒りにまかせ、アクセルを踏み込んで駐車場から出た。


 ルームミラーごしに見えた。玄関のドアを開け放ち、立ち尽くす両親の姿が。

 エクステリアの白い照明をうけ、二人はシルエットと化している。この部分だけ切り取れば、仲睦なかむつまじい夫婦にしか見えない。いましがたまで言い争いをしていたとは思えないほど、たがいに寄りそっていた。


 みきが戻ってこいとのジェスチャーをしていたが、烈子は聞かず、アクセルをベタ踏みした。

 マシンが一気に加速した。

 全身を使って、みきが半狂乱になって絶叫しているのが見えた。

 が、すぐに遠のいた。


 みきを守ろうとし、みきの言うことならなんでも聞いたのに、私はなぜ家を飛び出していくのだろう?

 烈子は泣きながら、ハンドルをあやつった。どうにも、わけがわからない。

 ひとつだけわかることがある――私がいなくなることで両親がけんかをやめてくれるなら、そうするよりほかない。それしかない。


 無我夢中で、山陽本線に並行して走る国道二号線までおりた。

 尾道の方角に車首を向け、加速させた。車内のデジタル時計を見る。二十一時前。

 この時間だと、フェリーはすでに運航を終えているかもしれない。


 いったい、どこへ向かうつもりなのだろうと、ぼんやり考えていた。

 行く当てがあったわけではない。ただ、誰かに助けてほしくて車を走らせていた。


◆◆◆◆◆


 尾道港に着いた。コンパクトカーを駐車場に停め、車外におりた。

 まっすぐ渡船フェリー乗り場に向かった。

 暗い波止場はとばに足を向けながら、烈子は必死に思い出そうとしていた。


 是孝は舞島と本土を行き来するのに、どういった航路を選んでいたのか?

 ――たしか、客船シトラス号で向島の南南西にある因島いんのしま重井港しげいこうへいったん渡り、舞島まで戻る形になってしまうが、地元漁師の船で送迎してもらっていると言っていたはずだ。


 しまなみ海道エリアを行き来している高速船は複数あるが、直接舞島の岸につける便はない。

 そもそも舞島には、漁船サイズ以下のものしか入ることのできない構造になっていた。荒磯に囲まれ、おまけにところどころ岩礁が突き出しているので、客船が寄るのは厳禁としていた。それゆえ、小型船舶でしか岸に横付けできないのだ。


 烈子もそのルートで舞島に送ってもらえないか考えた。

 波止場には誰もいなかった。やはり最終便には間に合わなかったようだ。

 となると、ここからどうすべきか。


 尾道大橋を通って、西瀬戸にしせと自動車道をひた走るべきではないか。

 まずは向島に渡り、因島大橋から因島へ行く。それとも向島からお隣り、岩子島に向かうのも手かもしれない。岩子島の突端から、舞島はほんの目と鼻の先だ。

 島の人たちは純朴でいい人ばかりだ。悪い人なんて、めったにいない。頭をさげて頼み込めば、この時間帯でも船を出してくれる人がいるかもしれない。もちろん希望的観測にすぎないが。


 このしまなみ海道は、向島から因島、生口島いくちじま、それから大山祇神社おおやまづみじんじゃでの一人角力ひとりずもうの神事で知られる大三島おおみしまへ渡り、伯方島はかたじま大島おおしまを経由して、四国、愛媛県の今治市いまばりしまでつながっているのだ。


 と、そのときだった。

 背後に人の気配。


「なに、ボケッと突っ立っとるんだね、お嬢ちゃん。今日のフェリーはぜんぶ店じまいしたってんのに」


 ふり返ると、作業着姿の六十前後の男が立っていた。茶髪に染め、日焼けサロンで焼いたかのように顔面は真っ黒。首に『YAZAWA』と書かれたタオルをさげている。どこかで見たことのあるちょいワル(、、、、、)親父だった。


 烈子は眼をまるくした。


「もしかして、このあいだ、ここで会ったおじさん?」


「お――誰かと思いきや、たしかに会ったな、前髪パッツンのお嬢ちゃん。これは運命かも、だな」タオル男はニカッと笑みを浮かべた。顔じゅう、しわだらけになり、ホワイトニングしたらしい真っ白な前歯がのぞいた。「こんな時間にどした? なんでまたお嬢ちゃんはフェリー乗り場で待ちぼうけしてる? 待ち人来たらずってやつか?」


「ちょっと込み入った事情がありまして」


「まるでこの世の終わりが来ましたみたいな、しけた(、、、)ツラじゃねえか。まさか職場が火事で焼けちまい、行き場を失ったってか?」


「この世の終わりは極端だけど、それぐらいショックをうけてます」


「それともアレか。ひょっとして、舞島の島守……誰だったか……そう、是孝。是孝の奴にフラれたのか? どうだ、図星だろ」


「ちょっとちがうけど、この際、どちらでもいいです」と、烈子は言うと、男の腕にすがった。「その舞島に、いまからどうしても行きたいんです。私、是孝さんに会いに行きたいんです!」


「あれま。そりゃ、熱烈なこって。……あそう。フラれたんじゃなくて、これから押しかけるの」と、あきれ顔の男。


「助けて欲しいんです。私、是孝さんしか頼れる人がいなくて――」


「それと、おれもな」


「うん、おじさんも」


 タオル男は頭をかいた。


「……せっかくだ。ひと肌脱いでやるか。お嬢ちゃんのためだ。おれのダチが釣り客相手の渡船の商売をやってる。電話ひとつで呼んでみせよう。いいとも、直接舞島まで送ってやるよ。そこでアイツに抱かれてこい」


「ちがいます! 勘ちがいしないでください!」

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