ホノカの過去
叫び声が聞こえた。
泣き声が聞こえた。
呻き声が聞こえた。
歓声が聞こえた。
斬る音がした。
斬られる音がした。
弾ける音がした。
殴った音がした。
いくつもいくつもの音が聞こえたそこは戦場だった。
ホノカはおかしなことに、それが夢だと最初から分かっていた。
それはまだドレスを普段着にしていなかった頃だったし、周りにはまだ『ショータイム』の仲間たちもいなかった。まずジョブの質も量も全然足りていなかった。言葉使いも普通だった。
そんなニュービーだったころのホノカがいた。
そして周りを敵の男たちに囲まれるようなバカだった。
音が聞こえてきているはずなのに、全く理解できない男たちの言葉。ただその下卑た顔を見れば何を言っているのかなど丸わかりだった。
この時だった。自分の体というものが、自分の容姿というものが男を引き付けるという事に気付いたのは。俺の傍にいれば安心だと言っていたくせにすぐに逃げたあの男も、いつも声をかけてくる男たちもきっとこの体を見ている。
吐き気がした。
ここは不定期に開催される大型イベント『大合戦』。国vs国による領地獲得戦争。完全降伏すれば、ゲームの中で国が一つ消えることさえあるイベントだ。
ホノカは初めての参戦だった。
ゲームだと思って甘く見ていた。
真正面からの戦いだけではない。智謀や策略、果てには裏切り。本当の戦場と変わりなかった。
そしてホノカは裏切られ、敵国の男たちに囲まれているのだ。
この場で強制ログアウトしてしまえば、一定時間残り続けるアバターで何をされるか分からなかった。
ただ何も言えず蹲る事しかできない。
男が一人ゆっくりと笑いながら近づいてきた。体をぎゅっと抱きしめる。
しかしいつまでたっても手が触れてくることはなかった。
大丈夫か、助けに来たぞ。
そう聞こえた。
ホノカが顔を上げると、赤いマントを羽織り、金髪を靡かせる男が立っていた。
その男は強かった。十人はいた男たちをあっという間に倒してしまった。
よかったな、無事みたいで。
笑顔と共に手を差し出してきたのは王子だった。AIを与えられ、まるでプレイヤーと同じ様に動くNPC。
しかしこの瞬間ホノカにとって彼の方が確かに人間であった。
ホノカを安全地帯に送り届け、彼は戦場に戻っていった。
次の日からホノカは白いドレスを身に纏い、男勝りな口調で話すようになった。
「はっ」
ぱっと目を覚ましたホノカは勢いよく上体を起こした。
ごちんっ!
そして見事ユラウスのおでこに頭突きをクリーンヒットさせた。
「痛ぇな、おい。何しやがる」
「それは俺の言い分だと思うんだが。お前は悪夢にうなされているのを心配した者に頭突きをくらわすのか」
赤くなったおでこをさすりながら、ユラウスはベッドの隣に置かれた椅子に座り直した。
気を失う前のことを思いだしたのか、ホノカはキョロキョロと周りを確認する。
そこはもうホノカにとってもう慣れ親しんだ部屋。白薔薇の間だった。
「……チッ。スタートに戻ったか。別に助けてくれなくても、俺一人でどうにかでき――」
「それをそこにいる者たちの顔を見てからそんなことを君は言えるのか」
ユラウスが指さした方をホノカは見た。
そこには侍女三人組がいた。いつもパワフルで疲れを見せない姿とは裏腹に、目の下にはクマがあり、泣いたのか目を赤くしている。
よく見ればユラウスの目の下にもクマが出来ていた。
「俺は何日寝ていたんだ」
「三日だ。息をしていないんじゃないかというほど深い眠りだった。……目を覚まさないかと思ったぞ。彼女たちはその間ずっと君についていた」
感極まったという形でユラウスがホノカを抱きしめようとしたが、するりと避けられる。避けたホノカは侍女三人組の元に駆け寄り、その小さな体で三人をぎゅっと抱きしめた。
「心配かけたな、お前たち」
その言葉で三人はまた泣きだす。
「おい、泣くなよ。カナタ、バニラ、ルブラン。本当に悪かったな」
「本当……ですよ。ホノカ様、が三日も目を覚まさなくて……私達、心配で、心配で」
「ホノカ様が強いのは知ってるけどよ。それでももし起きなかったらと思ったら、怖くて」
「ホノカ様。もうこのような心配はさせないでくださいまし」
カトルナータもヴァラニディアもアルブラースも泣きながら、ホノカに抱き着く。しばしの間、四人で抱きしめあっていた。
一度手を離すと、ホノカは三人に向かって言った。
「今日はもう部屋に戻ってくれ。俺はもう起きたし、心配しなくていい。今は王子もいるしな」
「ですが私たちはホノカ様付きの侍女で――」
カトルナータの責任感に満ちた言葉を、ヴァラニディアが止めた。
「ホノカ様のご配慮です。受けましょう。大丈夫、いくらホノカ様が考え知らずの猪突猛進な性格だとしても、昨日の今日でまた逃げ出したりしないから。ですよね、ホノカ様」
ヴァラニディアの痛い皮肉に反論も出来ず、ホノカはああと頷くことしかできなかった。
まだカトルナータは不満げだったようだが、アルブラースにも説得されて、おとなしく折れた。
「何かありましたらすぐにお呼びくださいね」
そう一言残して、侍女三人組は出て行った。
足音が遠ざかるのを聞いてから、ホノカは振り向いて視線を王子へと向けた。
「お前にも迷惑をかけたな、王子。あり――」
「また助けられたとはどう意味だ」
礼を言おうとしたホノカにユラウスはそう尋ねた。
ホノカは硬直する。
それで何かあるという事に確信を持ったユラウスは再度尋ねた。
「すまないな。寝ているお前が呟いていたのが聞こえてしまって。その中で確かに、王子にまた助けられたと言っていた。どういうことだ」
ホノカは何も答えない。
ただユラウスの元に近づいた。
これは何事かあると思い、ユラウスも動かずに待つ。
そしてホノカはユラウスの周りを回り、顔や体にペタペタと触る。まるで何かを確かめるように。
最初は動かずにいたユラウスだったが、くすぐったさを覚えて体を震わせた。
「ホ、ホノカ。何をする」
その問いにホノカは答えない。
ただ一言やっぱり別人だ、と一言誰にも聞こえない小さな声で言った。
ホノカは手の動きを止めて、ユラウスを見つめた。
「聞きたいか。お前はきっと知らないし、聞いても意味がないかもしれないが」
「聞きたい。お前の事なら何でも知りたい」
真面目な顔でユラウスは答えた。
ふうとホノカはため息を一つつく。
「誰にも話したことはなかったんだけどな」
そう言ってホノカは夢で見た情景を語り始めた。
「それから俺はドレスを着て、この口調で話すようになったんだ。俺の見た目で近寄ってきた奴は、この口調で一瞬顔を歪めるからな。そんな奴とは関わり合いにはなる気がなかったから、それから一年ぐらいは一人だったな」
まあ、修行に打ち込むという意味ではちょうど良かったけどな。
ホノカはそう笑ってみせた。
どこにも辛そうな雰囲気を見せていないのは救いなのか、そうではないのか、ユラウスには判断が出来なかった。
「すまない。俺はそのことを覚えていない。お前を忘れることなどありえないと思うのだがな。しかし、『ショータイム』と言ったか。良い仲間と出会ったのは僥倖だった。できれば俺の方からもお礼を言わせてもらいたいのだが……」
今は会えないという事を思い出して、ユラウスは口を濁した。
ホノカはその心遣いに感謝しながら、そんなこと全然気にしてないと伝わるように大きな声を出した。頭の後ろで手を組んで、赤くなった顔を見られない様に窓の側にって外を眺めた。
「お前には話してたっけな、あいつらのこと。あー、あんときは恥ずかしい事ばかり言った気がすんぜ。って言うか、何でお前が俺のことであいつらに礼を言う事になるんだよ」
「ホノカは俺の后だ。后の恩人に礼を言わぬのでは、これから王になるというのに民にも臣にも顔向けできないだろう」
王子も窓の側によって、ホノカの隣に立った。
本当なら後ろから抱きしめてやりたいところだったが、やったが最後どうなるかは目に見えているのでやらずにおいた。ただその代り突如吹いた風にホノカの美しい黒髪が綺麗に靡き、その合間から小さく呟いた声が聞こえた。
「誰が后だ、馬鹿」
茶化すような大きな声ではなく、照れの混じったその一言にユラウスは至極の幸せを感じるのだった。
「私はお前に一目ぼれだった。だから后候補などという役目を押し付けた。お前に離れて欲しくはなかった」
唐突にユラウスは言った。
驚くように横を向いたホノカの視線と、ユラウスのまっすぐな視線が絡む。
ホノカがその熱に負けたように顔を外へと向ける。そして
「王子も見た目で判断するのか」
拗ねた口調でホノカは言った。いつもの男勝りな雰囲気ではなく、可愛らしさを含んでいる。
言い方を間違えたかと、ユラウスは言い直した。
「正確に言えば、一耳惚れだな。俺は扉越しにお前の声を聞いて、仲間のことについてこれほど熱くなれる女性はいないと思った。そんな女をただ泣かせておきたくはないと思った。あの時、俺はお前に惚れたんだ」
「……」
ホノカは何も言えず、ユラウスのいない方に顔を向けた。
緩みそうになる顔を見せたくはなかった。
しかし、何を勘違いしたのかユラウスは少し慌てだした。
「ホノカと戦場で逢っていたことを覚えていなかったのは悪かった。しかし、お前への気持ちは軽いものでは決してない」
「馬鹿」
ホノカの言葉にユラウスは過去の自分を呪っていた。しかし、覚えていないものを覚えているという不実は出来なかった。
ホノカは自分が憧れた王子がこの世界にいないと知っていた。あれはゲームでここは現実。決してユラウスはあの王子ではない。それでも彼の横に立てるようになりたいと着込んだドレスの意味はあったのかもしれない。そう感慨深く思っていた。
「覚えているとか嘘をついたら殴り飛ばせてやれたのにな」
「……ホノカ! もしかしてあの戦争の話は嘘か!」
驚くユラウスに、ホノカは一言だけ言った。
「嘘であり本当さ」
それ以上は彼女は何も言わなかった。
ユラウスは真偽を確かめようと何度も聞いたが、ホノカがこのことについて詳しく語ることはなかった。




