99 1994/12/01 Thu 一樹の病室:いったい、どこで何を間違えたのよ……
二葉が素っ頓狂な声を上げ、すぐさま言葉を繋ぐ。
「どうしてここで芽生の名前が出てくるんですか!」
「田蒔って渡会妹の軍門に下ったんだろ? 昨日のチア部はもっぱらその話でもちきりだったぞ」
「誰が! どういう話を!」
「田蒔本人。外部生達に向けて『一樹君の盗撮写真で脅されて隷従させられたの。みんな悔しいだろうけど、今は耐えがたきを耐え忍びがたきを忍んで』って」
あの鈴木や佐藤への言い訳をチア部でも使ったのか。
さすがと言おうか、なんて見事な意趣返し。
「あ・の・女ぁあああ! よくも恩を仇で返してくれてぇええええええええええええ!」
二葉が眉も目尻も釣り上げる。
顔も真っ赤で、まさに鬼の形相。
しかしお前のやったことは恩どころか、恨まれて当然だぞ?
若杉先生が、さらに燃料を投下する。
「ついでに『一樹君は必至に庇ってくれたんだけど……』って。みんな『へぇ、本当に生まれ変わったんだねえ』って感心してたぞ」
「芽生ぶっ殺す!」
さらに二葉のボルテージが上がった。
しかし若杉先生は、諭すようにけらけらと笑う。
「田蒔の言うことが全部本当とは思ってないよ。でも近いことはあったんだろ?」
若杉先生の態度に、二葉は我に返らされたか決まり悪げ。
「まあ……そうですけど……どうしてそう思うんですか?」
「何もなければ渡会妹はこんなに興奮しないし、利発な田蒔が後で言い訳できなくなる嘘を吐くと思えないから」
さすがの洞察力と言おうか。
素に戻った二葉が怪訝な顔で尋ねる。
「でも、なぜ芽生の名前が? あたしが芽生に屈服させた云々と麦さんの事情はまったく関係ないと思いますが」
「麦は外部生だから」
ああ、と二葉が頷く。
「芽生も外部生に対しては面倒見のいい善人ですからね……だったらどんな事情だとしても役に立つでしょう。二人を引き合わせるくらいは考えてみます」
「さすが渡会妹、快く引き受けてくれると思ってたよ」
快くどころか渋々なのがありありだけど。
台詞に毒ありまくりだし。
ただ若杉先生も教師という立場がある。
さすがに直接引き合わせると過干渉という批判を受けかねない。
二葉としても、その辺りを察しての返事なはず。
もちろん若杉先生のやることに間違いはないという信頼もあってだろうが。
若杉先生がにっこり笑う。
「いい機会だし、本当に田蒔と仲良くしてみたらどうだ?」
「全力で御免被ります!」
若杉先生はあははと笑いながら二葉の返事を流すと、手にしていた紙袋を掲げた。
「これは見舞い。渡会兄の好物と聞いてるぞ」
「好物?」
若杉先生が紙袋から三角形の毒々しい緑色をしたパンを取り出した──って、これ!
「げろさんど?」
だったら嬉しい。
しかし若杉先生はすぐさま否定した。
「ううん、けろさんど。もう発売停止したそうだが、オーマイゴッドに寄って特別に作ってもらってきた」
「どうしてわざわざ!」
「貪るように一気食いするほどの好物って聞いたから」
そんなの言ったのは誰だ!
貪るように食べてたのは本当だが、好物だからじゃない!
しかし「盗撮の時間を作るため」とは口が裂けても言えない。
「アニキ、よかったね。あーあ、羨ましいなあ」
二葉がニヤニヤする。
こいつ、完全に面白がってやがる。
「渡会妹、大丈夫だ。お前の分もちゃんとある」
「はあ!? ど、ど、どうしてあたしの分まで!」
「兄妹だから食べ物の趣味は同じだろうし、渡会兄は独り占めしそうだから二つ買ってきた。これなら喧嘩しなくて済むだろ?」
どうしてあなたの洞察は、こんなときだけ外れる!
先生の勘違いです!
俺も、きっと二葉も叫ぼうとしたその時だった。
「もしかして……私の勘違いだったか?」
若杉先生はしょんぼりした顔。
よかれと思って買ってきた物が好物じゃないとなれば落ち込みもする。
仕方ない、目一杯に笑顔を作ってみせる。
「いいえ、けろさんど大好きですよ。買ってきてくれてありがとうございます!」
二葉もチアリーダースマイル。
「あたしも大好物です。味わって食べますねっ!」
若杉先生が微笑む。
「そうか。なら、よかった。じゃあ私はそろそろ失礼するよ」
「はい」
「お大事に」
──若杉先生が病室から出て行った。
「二葉。これ、どうすんだよ」
「食べるしかないじゃない。とりあえず冷蔵庫入れてくるわ」
二葉が戻ってくる。
「話始める前にお茶でも飲まない? 入れてあげるから」
さっきも聞いた台詞だけどな。
院長の診察に若杉先生の訪問で人疲れしたし、お茶を飲んで仕切り直したいところだ。
「あ、うん。よろし──」
く、と言いかけたところで、病室のドアが開いた。
またか!?
しかも今度の訪問客は、さっき話題になったばかりの女生徒。
「一樹君、ごきげんよう」
芽生だった。
芽生は右腕を上げて髪をつまむと、その方向に首を傾けながらゆっくりと払った。
長い髪が肩に舞い降りると背筋を正し、すらり伸びた細い足をこちらに向けて真っ直ぐ踏み出す。
ああ、これぞ王道ヒロイン。
なんて優雅な。
そしてなんてあざとい。
芽生はベッドの傍に立ち止まると、憂いをおびた瞳を伏し目がちに向けてきた。
「お加減はいかが?」
「怪我人なのは見ればわかるでしょ」
俺が答える前に二葉が吐き捨てるように答えた。
「見舞いには形というものがあるでしょう」
「誰も芽生の見舞いなんて望んでませんけど?」
「来客にそんな応対してると品格を疑われるわよ。仮にもK県警本部長の娘でしょう」
「……大きなお世話よ」
毒づくかと思いきや、無駄に散っていた火花が止んだ。
本当は「父さんなんて知ったこっちゃない!」とでも叫びたいのを飲み込んだのだろう。
芽生は全く関係ない第三者だから、あたるのは筋違いだし。
こういう判断ができるところは、やはり高校生離れしている。
しかし続く芽生の台詞は、二葉を、ついでに俺を、別の意味で燃え上がらせた。
「ま、テレビカメラの前では、上手く取り繕ってたみたいですけど?」
「はああああああああああ!」
俺達兄妹は絶叫してしまう。
その勢いに芽生が体をのけぞらせた。
「そ、そんな大声あげなくていいじゃない」
「あげるわよ! なんで? 見てたの? あ……芽生だと仕事で外出したついでに見ることもあるか」
二葉が取り乱しながら問う。
しかし途中で落ち着いたらしく、自ら妥当な結論を導き出した。
だが、芽生は首を振る。
「授業を中断して全校放送したの。教室にいたみんなは全員見てるわよ」
「はああああああああああ!」
再び俺達兄妹は叫んでしまった。
すぐさま二葉が問う。
「な、な、なんで! どうして!」
「私に聞かれても……出雲学園のことだし『美談だから宣伝に』とでも考えたんじゃないかしら──」
二葉の狼狽に引き摺られたか、芽生が困惑の表情を見せながら付け加える。
「──授業中に突然『今からみんなでテレビを見ます』と告げられたの。私もびっくりしたのが隠さない本音よ」
二葉がうんうんと頷く。
芽生もそれにあわせてうんうん頷く。
この仲悪い二人が頷きあうくらい、出雲学園においては異常な話ということか。
「職員会議の議題」とやらはこれだったのかな?
公平な若杉先生なら、特別扱いをするという点で不快に感じそうだし。
でもそうだとして、学園中に俺の宣伝してどうするんだ?
二葉が、何か気づいたように口を開く。
「そういえば芽生! チア部のみんなに何を言いふらしてくれたの!」
「何のこと?」
「とぼけないで! 誰が盗撮写真で脅迫して隷従させたって!?」
芽生がふんと鼻を鳴らして、顔を背ける。
「人の弱みにつけこんで隷従させたのは事実じゃない」
「あたしは芽生の弱みとやらを慮って協力してあげたつもりですけど?」
「恩に着せないで。弱みが何だか勘づいてるくせに『副部長さま』呼ばわりさせるわ、スカート捲らせるわ。タチの悪さ全開じゃない」
「芽生がアニキにパンツ撮ってほしいって頼んだから、願いを叶えてあげたんじゃない。文句あるなら、今すぐ写真部から追放してあげてもいいんだよ?」
「あなたのそういうところがタチ悪いって言ってるのよ!」
「アニキを引き合いに出してまで貶めることないじゃん!」
「そこは本気で協力したつもりですけど! 一樹君の評判上がるのは、監視役のあなたにとっても望むところでしょう!」
あー、もう!
「お前らやめろ!」
こんな醜いヒロインの争いなんて見たくない!
「アニキ、ごめん」
「一樹君、ごめんなさい」
二人がしおらしく頭を下げる。
まったく……。
念のために二葉の顔を伺う。
とてもそうは見えないが、例によって若杉先生に頼まれた麦ちゃんと引き合わせる布石である可能性は否定できないから。
二葉は口を歪め、とても気まずそう。
今回は見たまんま、本当にムカついただけっぽい。
頭を上げた芽生が視線を向けてくる。
「具合を尋ねる前に、まずこれを言うべきだったわ」
「ん?」
「一樹君、大変だったわね」
「ああ、ありがとう」
「二葉さんの言葉にも一理あるかもね、反省します」
芽生が再び頭を軽く下げる。
「こそばゆいから頭を上げてくれ。でも、わざわざ見舞いに?」
「わざわざ……というほどじゃないんだけど、わたしも診察受ける用事あったから」
「診察?」
「うん、ちょっとね」
詳しく答えたくないというニュアンスが感じられたので、軽く受け流す。
「なるほど」
「でも、どっちにしても見舞いには来るつもりだった。トラックに跳ねられたって聞いたときは心臓止まるかと思っちゃったもの」
「そういう誤解してしまうような台詞はやめてくれ」
「誤解ではなく本音よ、一樹君の顔を見るまでずっと心配してたんだから」
台詞回しは相変わらずあざとい。
しかし言葉に込められた心自体は自然と受け容れられる。
昨日のランチタイムで心から打ち解けたと思えたのは、錯覚じゃなかったようだ。
何より……芽生の言葉が本音だろうことは、二葉が歯ぎしりしている様からもわかる。
邪心ないのがわかるから悪態のつきようがないのだ。
芽生が会話を続ける。
「一樹君、退院まではどのくらい掛かりそう?」
「二、三日だって」
「よかった……そうそう、一樹君にお見舞い持ってきたんだ」
芽生の手が小さめの紙袋を差し出してきたので受け取る。
「開けてみて」




