98 1994/12/01 Thu 一樹の病室:だったら桜が継げばいいじゃないかあ!
「──これで聴取は終わります。お疲れ様でした」
「ごめんなさい、ほとんど覚えてなくて」
あの時は助けることで頭いっぱいだったから。
父さんがこの場にいれば、きっと俺まで能無し扱いだろう。
しかしお巡りさんはフォローするかのように、にっかり笑った。
「荷台に白い犬のマークがあったのがわかっただけでも収獲ですよ。これなら『シロイヌ通運』を捜査すれば、きっと犯人を捕まえられるでしょう」
二葉がぼそっと呟く。
「シロイヌ通運って二年前のヤミ献金事件で叩かれて以来、荷物運びが乱暴って評判立ってましたからねえ……」
この三つの運送会社を無理矢理合わせた設定はなんなんだ。
まさに「大人の事情」がかいまみえる。
特定しないことで名誉毀損とかそういうのを避けるための。
「では、私はこれで失礼します」
お巡りさんは席を立ち、病室から出て行った。
ふう、長い緊張から解かれて一息。
「二葉、お疲れ様」
「アニキこそお疲れ様。話始める前にお茶でも飲まない? 入れてあげるから」
「あ、うん。よろし──」
く、と言いかけたところで、病室のドアが開いた。
医者の診察時間か……なんだなんだ?
白衣の集団がぞろぞろと。
一人が集団から飛び出し、でっぷり太った初老の医者の横にかしずく。
「野々山院長先生のおなーりぃいいいいいいい」
ぶっ、大名行列かよ。
こういった巡回は漫画で見たことあるけど……まあ、ゲーム世界だしな。
というか、この院長。
「上級生」を作ったゲーム会社の別のエロゲーで、冒頭に殺されてしまう被害者キャラなんだが。
この世界では生きててよかったな。
ふんぞり返った野々山院長が歩み寄ってくる。
「具合はどうかね?」
「痛みが大分とれました。歩くのは無理と思いますけど、上半身は動かせます」
「上半身が? そんなはずはない。カルテには重度の打撲傷と記されているんだが……」
野々山院長が首をかしげる。
無理もない。
カルテが多少盛られていても、重度の打撲傷であること自体は事故の状況から明らか。
この驚異的な回復はアイがマッサージしてくれたおかげだからな。
「ちょっと失礼するよ」
院長が腕をとり、あちこちに動かし始める。
「痛かったら言ってくれ。これは? こちらは?」
「大丈夫です」
「ふむ。じゃあ、脚はどうだ?」
「平気……あいたたたた!」
「脚は痛いか。それでも軽い捻挫程度にしかみえないな。立てるか?」
促しに応じて足をそっと下ろす。
ここまでは大丈夫。
立ち上が──。
「いたたた!」
体重をかけたら激痛、叫んだ勢いでベッドにひっくり返った。
「右足は平気っぽいんですが、左足が痛みます」
院長が後ろに控える医師に声を掛ける。
「車いすってほどじゃないな。君、松葉杖を持ってきてくれ……どうだ?」
松葉杖を使ってベッドから下りる。
「うん、いけそうです」
院長の顔が一瞬曇る──も、すぐさまにっこり笑った。
「やっぱり完治まで二~三週間は掛かりそうだ。まあ、ゆっくりしていきなさい」
やっぱりじゃねえ!
無理矢理にでも入院費稼ぐつもりかよ。
こいつ、どこまで強欲なんだ。
「もっと早く退院できませんか? 自分の感覚だと、明日明後日にも動けそうな気がするんですけど」
「君は医者の私の言うことを信じられないのかね? そういうのを素人見立てというんだ」
くっ。
正論すぎて何も言えない。
じゃあ違う角度からだ。
「こんな立派な病院、いったいいくら入院代がかかるか……」
「交通事故なんだから、入院代は加害者が全部支払うだろう? 仮に犯人が見つからなくとも、警察庁が全額支払ってくれることになっている」
広報に使ったくらいだものな。
どうして官僚というやつは、こうも金銭感覚がないのか。
無節操にこんなところで税金使うから、積もり積もって救いようのない財政赤字を抱える羽目になるんだ。
「期末試験が近くて、勉強しないといけないんです」
「だったらなおさらのんびりしていけばいい、試験受けなくてすむじゃないか。私なぞ医学部を二回留年して医師国家試験にも一度落ちたが、現在はこうして院長をしているぞ」
このオヤジはニコニコ笑いながら、何を言ってやがる。
「勉強が学生の本分です!」
そう叫んだとき、集団の後ろから聞き覚えのある女性の声があがった。
「ほう。赤点ショールーム状態の渡会兄にしては殊勝な台詞を吐くじゃないか」
「若杉先生!」
若杉先生はトレードマークの白衣を着ていない。
代わりに黒のスーツの上着を着用している。
地味なコーディネイトに対して、髪と顔がとんでもなく派手。
なんというか、ドラマや映画に出てきそうなバリキャリのイメージだ。
若杉先生はいつもながらに姿勢を正して、つかつかと歩いてきた。
「素人見立てじゃなければいいんだな。じゃあ私が見てやろう」
若杉先生が俺の腕をとる。
すると院長にかしづいていた医師が立ち上がり、若杉先生の腕を掴んだ。
「何をしてるんだ!」
「診察。私も医者なものでな、出雲学園の校医をしている」
相変わらずの堂々とした態度。
さすがとしか言いようがない。
「いま、その医者が診察してる最中なんだが?」
「心配するな。私の専門は外科だ」
「そんなことを言ってるんじゃない。君は何の権利があって我々の邪魔をする」
若杉先生が頭を下げる。
「あなた方の領分を荒らす真似をしてるのはわかってる。申し訳ない」
「だったら──」
医師の言葉を遮るように若杉先生は頭を起こし、きっと睨んだ。
「しかし先に『素人見立て』と難癖つけて、患者を黙らせようとしたのもあなた方だろう」
「黙らせようとはなんだ! まるで我々の腕が信用できないみたいじゃないか!」
医師が拳を握りしめて激昂する。
しかし若杉先生は事も無げにさらりと答えた。
「出雲病院の医療レベルは信用している。でも経営方針は信用していない」
「経営方針?」
若杉先生が院長をちらりと見やった。
「ごうつくばりのこの男が院長をしている限りはな」
「君! 院長先生に向かって失礼じゃないか!」
医者が若杉先生に掴みかかろうとする。
しかし院長が腕を伸ばして制した。
そして若杉先生に向け大声を放つ。
「だったら桜が継げばいいじゃないかあ!」
桜?
継げばいい?
「ゲームと漫画しか頭にない私が継いだら、三日も立たずに出雲病院を潰す自信があるぞ?」
院長が若杉先生の腕にすがりつく。
「そんなこと言わずに継いでくれよお」
すぐさま若杉先生が振り払う。
「うざいっ! いつまでも逃げた母さんの娘にすがりついてないで、養子でもとれ!」
「母さんには逃げられても構わないけど、一緒にお風呂入ったお前には逃げられたくないんだよお!」
「人前で気持ち悪いことを言うな!」
つまり、この二人って……父娘!?
幸い誰も俺を見ていない。
ちらっと二葉を見る。
二葉が眉をひそめる。
「知らなかったの?」とでも言った風に。
知るわけがない。
若杉先生が「大病院の跡継ぎ」ということすら、この世界に来て初めて知ったのに。
攻略には全然関係ない情報だからゲームには出てこなかったんだろうけど。
容姿外見は似ても似つかないし苗字だって違うから、想像のしようもない。
というか、若杉先生の名前は「桜」っていうんだ。
ゲームでもこの世界でもずっと「若杉先生」だったから知らなかった。
とある漫画に同じ名前の保健室の先生がいたけど、きっとなぞらえてるんだろうな。
その先生の叔父は、困ったちゃんなトラブルメーカーの坊主だったし。
若杉先生が再び手をとってくる。
「それじゃ、改めて診させてもらうぞ」
──若杉先生の診察が終わる。
「本人の言う通り二、三日で退院できそうだな。今度は『素人見立て』じゃないんだし、文句あるまい?」
院長が満面の笑顔で若杉先生を抱きしめる。
「さすが優秀な我が娘! 桜がそう言うのなら間違いない」
おまっ!
若杉先生が院長を無理矢理引きはがす。
「離れろ! そして、とっとと次の部屋へ回診に行け!」
ハアハアと息を切らす若杉先生に、真顔となった院長が口を開く。
「桜、お前もたまには家に帰ってこい。たまには昔みたいに風呂で背中を流し合おう」
「今すぐ死ねっ!」
あのクールな若杉先生がいいようにやられてる。
院長は溜息をつきつつ、俺達に背を向けた。
「はあ、なんて強情な娘だ……いったい誰に似たんだか」
二葉と目を合わせ、頷き合う。
あなたじゃないことだけは確かだよ。
若杉先生が気まずそうに頭を掻く。
「見苦しいところ見せてすまなかったな。あのオヤジは患者を大事に診すぎる癖があってさ、時々行き過ぎてしまうんだ」
生徒の前だけに言葉を選んでるなあ。
物は言いようだと、つくづく感心。
「いえ、助かりました」
「ただ聞いてた限りだと、それでも一週間はかかると思ったんだが」
「夜中は体中痛かったんですけど、起きたら軽くなってたんです」
あえて嘘を吐かず、そのまま答える。
アイのマッサージのことは伏せて。
外傷がないのだから、あとはどうにでも言い張れる。
しかしそうするまでもなかった。
「そうかそうか。ま、私の見込み違いってだけだ。医者が先入観をもって接してはいけないな、反省しないと」
若杉先生がにっこりと笑う。
この人は本当に患者さえ治ればそれでいいんだろうな。
ちくりと胸が痛むが、そういうことにしておいてもらおう。
二葉が若杉先生に問う。
「ところで先生はどうしたんですか?」
「どうしたって? 見舞いに来た以外の何かに見えるか?」
「先生が? わざわざ?」
俺もそう思う。
生徒が事故に遭ったからって、見舞いに来る先生はあまりいない。
担任ならまだともかく。
ましてひきこもりの若杉先生がわざわざ?
若杉先生が憮然とする。
「お前らは人を何だと思ってる」
「ごめんなさい」
しかし険しくしてみせたのは一瞬だけ。
若杉先生はすぐに緩めてみせた。
「ま、兄妹の思った通りさ。仕事で病院に来たついでだよ」
「そうですか」
「渡会兄の今回の行動には心底感心したけど、だからと言って個人的に見舞いに来てたら依怙贔屓と変わりないんでな」
みんなに公平な若杉先生らしい答えだ。
学校の外では一線置くのが若杉先生なりの距離のとり方なのだろう。
それでも心配してくれていた節は言外から読み取れる。
「ありがとうございます」
しかし若杉先生は首を振る。
「礼を言われるのは本意じゃない。実は数尾先生に頼まれたという事情もあってな……」
二葉の声がひっくり返った。
「数尾先生がぁ?」
俺も喉がひっくり返って、声すら出ない。
何より、とうの若杉先生すら、いつもの歯切れの良さがない。
「朝の職員会議で渡会兄のことが議題に上ってさ。終わった後に『今日病院行くなら様子見てきて下さい』って言われたんだ」
今度は俺が問う。
「議題っていったい何ですか?」
「渡会兄にとっては悪い話じゃない。治って学校に来たらわかるさ」
若杉先生がぶっきらぼうに吐き捨てる。
その様子はいかにも不機嫌そう。
「今教えてくれてもいいじゃないですか」とは、さすがに問いづらい。
職員会議の内容を話すのは憚られるから、曖昧にしてるというのもあるだろうし。
恐らく察したであろう二葉が話題を変える。
「松本さんの弟さんのところにも行くんですか?」
「この後な。麦が来てるかはわからないけど」
「麦」という呼び名から、若杉先生は松本麦と付き合いのあることが窺われる。
二葉も当然察しただろう。
若杉先生の呼び名「麦」に合わせつつ、情報を仕入れにかかる。
「麦さんって、一年生の首席なんですね」
そうなの?
というか、お前はなぜわかる?
「襟元に『ゴールドリボン』を着けている通りだな」
あーっ!
思い出した、松本麦は見た目通りの真面目っ子属性。
メガネ三つ編みと、ヒロインの中で唯一光る胸元のゴールドリボンがトレードマーク。
そして、それも俺が興味を持てなかった原因でもある。
だって勉強ができる女子なんて憧れもしないし、リアルでも縁遠い存在だったから。
リボン以外の見た目は地味そのものだし。
ただ、まだ何か、他の属性があった気がするけど……。
二葉がうんうんと頷きながら、問いを重ねる。
「どんな子なんです?」
答えやすい質問から入って踏み込んでいくのは誘導の基本。
しかし若杉先生の答えは、それこそ「教師として基本」なものだった。
「ぺらぺらと本人のいないところで話せないよ。芽生みたいに互いが知ってるならともかくさ」
「そうですね、ごめんなさい」
二葉があっさり引き下がると、若杉先生がニッとしてみせる。
「ただ、『事情を抱えた子』とだけは教えておく」
「事情?」
「渡会妹なら力になってやれるんじゃないかと思ってさ。もし機会があったら助けてやってくれると、私としては嬉しい」
なんて気に掛かる台詞を。
金之助は松本麦を「麦ちゃん」と呼んでいたっけか。
俺もそれに倣おう。
この世界において一樹と麦ちゃんは初対面。
だったらどんな呼び名でもいいはずだし。
麦ちゃんの事情といえば、一樹が撮った万引き写真。
これに続くラブドールとしての調教。
しかし、現時点で一樹と麦ちゃんの面識はない。
だとすれば、まだ他に何か問題があるということか。
「もちろん、あたしにできることでしたら」
二葉は当然といった風に、さらりと答える。
しかしその泰然とした態度は、若杉先生の続く言葉で突き崩された。
「是非是非、田蒔と協力してな」
「はああああああああああああ!」




