97 1994/12/01 Thu 一樹の病室:どうせなら死ねばよかったんだ
まさか、真っ先に聞くのがねぎらいの言葉とは。
なんて意外。
ちらり二葉を見やると、頬の肉と口角が微妙にひきつっていた。
ぽかんと口を開けたいのを、報道陣の前だから押し殺したというところか。
そして二葉の父を見やる目は半開き気味。
明らかに冷ややかな眼差し。
一旦は驚きかけたものの、すぐさま「裏がある」と疑いを抱いたのだろう。
もちろん俺もそう思う。
これから何が始まるのか。
兄妹の父親……いや、俺も「父さん」と呼ばないとだ。
父さんが用意されたマイクを手に取る。
「皆様方、お待たせいたしました。本日はご多忙の中お集まりいただき、誠にありがとうございます──」
まずは通り一遍の挨拶から。
いかにもエリートらしい、静かで落ち着いた語り口。
「──私は渡会と申します。現在、私はK県県警本部長の職にありますが、本日は本来の籍を置く警察庁を代表して会見を行わせていただきます──」
警察庁を代表?
形式面から見れば、警察庁は国民に馴染みの深い警察と組織自体は異なる。
警察庁は国家の、県警本部は地方自治体の管理下にあるから。
ただ警察庁は各県警本部の指導監察権を有し、また本部長をはじめとする県警幹部の多くは警察庁職員で占められる。
実質的には同一組織で、警察庁が県警本部の上に立つと言っていい。
つまり父さんは「全国の警察を代表して」記者会見を行うということになる。
大仰だとは思うが、そうでもなければ父さんがここにいる理由なんてないしな。
父さんが続ける。
「──話を始めさせていただく前に、まずは本日の会見の主役に入室していただきます」
病室の入口から、パジャマ姿の子供が飛び出した。
「クサ兄ちゃん!」
「一郎!」
一郎がこちらに駆け寄り、傾れ込むようにしがみついてきた。
泣きながら謝罪を繰り返す。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
アイから聞いた通り、怪我はないように見受けられる。
それなら何より。
飛び込んだ甲斐もあろうってものだ。
「気にすんな。でももう、道路に飛び出しちゃダメだぞ」
「うん、気をつける……」
一郎が啜り泣きしながら、しおらしげに反省する。
かわいいものだ。
そう思いつつ頭を撫でていると、父さんが俺に手を差し向けた。
「本日の記者会見は、こちらの少年渡会一樹君が行った人命救助についてです──」
はあ?
状況的に、会見の目的はそれしかないけど。
しかし「君」づけ?
公的な場だからだろうけど、俺の「父さん」並に気持ち悪い。
「──具体的には、昨日夕刻、出雲町某所の交差点にて、トラックに轢かれかかった松本一郎君を、渡会君が自らの身を呈して飛び込み、救ったものです」
「おお!」
記者席から歓声が上がる。
なんだかむず痒い。
静寂が再び訪れるのを待って、父さんが続ける。
「トラックは事故を起こした後、そのまま逃亡しました。いわゆる『轢き逃げ』ですが、残念ながら未だに逃亡中です。こちらに控える出雲町警察署署長の指揮により、もっか全力で捜査しております──」
お巡りさんともう一人は署長か。
どうしてわざわざと思うけど、同伴している目的は後でわかるだろう。
「──幸いに被害者松本一郎君の姉である松本麦さんが車両番号を控えていたことから、間もなく逮捕できるものと考えております。──」
ヒロインBの名前は「松本麦」か。
しかし番号なんて見てたのか?
こちらに駆け寄るや、すぐさま「ふえっふえっ」と泣きじゃくってた気がするけど。
「──ただ、それはそれと致しまして、全速で走り込んでくるトラックに飛び込んで一つの生命を救った渡会君の勇気ある行動は称賛されて然るべきです。警察としてはそのように考え、今回の会見を開いた次第です──」
はあ……一般論的にはそうだろうけど、胡散臭い。
そら寒いというか。
ただ、この会見の目的は見えてきた。
「以上です。何か質問はございますでしょうか?」
記者の一人が立ち上がる。
「週刊SPです。少年と渡会本部長の苗字が同じなのですが、何か関係がおありなのでしょうか?」
SP……「センテンス・スプリング」の略か。
英語偏差値二五の俺でもそのくらいわかる。
もじり方にも色々あるものだ。
週刊SPは元の世界だと保守派で通っている週刊誌。
警察庁御用達と呼んで差し支えない。
父さんが全く表情を変えないまま返答する。
「渡会一樹君は私の息子です」
「おおっ!」
記者席がどよめいた。
父さんはすぐさまそれを制するように咳払いをする。
「誤解なさらぬように申し上げますが、私は警察庁からの指示により、あくまで公人として会見を行っております。只今の私は一樹の父親であって、そうではありません。ここからは内輪の話ですが……その指示も一旦は固辞しました。しかし警察も暇ではないものでして。『どうにせよ病院に見舞いや手続に行くのだから合理的だろう』と言われては従うしかなかった次第です」
週刊SPの記者が質問を加える。
「ただ警察は国民に範を示すべき存在であるものと考えます。その職員の息子がこうした義のある行動をしたのは、父親として誇らしいのではないですか?」
「先程も申しました通り、警察庁職員の私は渡会君の父親ではございません。ただ父親であろうとなかろうと、今回の渡会君の行為は称賛に値するものと考えます」
「私もそう思います。つまり世の若い方には渡会君を見倣って欲しいということでよろしいのでしょうか?」
苦笑いを浮かべる。
「警察に勤務する者の一般論として、そんな無謀な真似は避けていただきたい」
記者席から笑いがどっと巻き起こる。
政府による記者会見だと、これくらいでもジョークになってしまうのが寒い。
父さんが咳払いをする。
「実は警察庁長官から今回の行為を表彰して讃えたいと言われましたが、固辞させていただきました──」
父さんが署長に目を向ける。
「──ただ、出雲町警察署署長からも署長賞を与えたいという意向を受けており、これにつきましてはありがたく受諾させていただきました。今この場にて簡単にではありますが、署長より表彰の儀を執り行わせていただきます」
署長は表彰文を読み上げると、賞状筒を手渡してきた。
「よくやったね」
「ありがとうございます」
続いて記者から質問が飛ぶ。
「渡会君、現在の気持ちは?」
「当然のことをしただけです」
我ながらなんて素っ気ない答え方。
ただ会見の目的はわかったし、好んで茶番に付き合うつもりもない。
この会見は父さんの売名。
「警察庁に命じられて」とか言っているが、恐らく売り込んだのは父さんの側だ。
「警察庁職員、それも幹部の身内が果敢な人命救助を行ったというのは、警察全体のイメージアップにつながる」とか言って丸め込んだのだろう。
国家公務員が世間に名を売る機会など、そうそうあるものではない。
仮に霞ヶ関や永田町で名が売れていたとしても、一般人がその名を知るなんて逮捕されるかアイドルの息子を持つかくらいのものだ。
ここで些少でも名を売っておけば今後の人事で有利に働くと考えたのだろう。
良しにつけ悪しきにつけ目立たないのを是とするタイプが官僚には多いのだが、その点において父さんは策略家なのかもしれない。
昨夜の「よくやった」とは、これを意味していたのだ。
また、それもこの世界ならでは。
二〇年前なら、まだまだマスコミが世論を作り上げる主流。
週刊誌が報じれば、そのまま美談として受け容れられる。
恐らく週刊SPとは予め段取りを打ち合わせ済だ。
ネットの発達した元の世界だと「売名乙」で片付けられてしまうかもしれないけどな。
二葉を見る。
父さんを見る眼差しは、冷ややかどころか死んでしまっていた。
まさに昨夜漏らしたらしい「こういうときだけ」。
「事故を起こしたときだけ」なら、まだマシだった。
「利用できるときだけ」父親面とくればなあ。
会見が終わり、記者が退室した。
一郎も看護師、もとい看護婦が「検査あるので」と連れていった。
部屋に残るのは俺達兄妹と父さん。
そして出雲町警察署の二人。
父さんは入口方向をちらっと見やってから口を開いた。
「お前みたいなクズでも、たまには私の役に立つものだな」
ああ、これぞ想像していた通りの台詞。
親と思えない台詞に、同伴の二人は面食らっている。
しかし二葉は顔色一つ変えてない。
ただ「我慢して」とばかりに、目配せを送ってきた。
我慢して、というか……こんなこと言われて何を返せば。
いや、黙ってて構わないんだっけな。
そう思い口をつぐんでいたら、父さんの口からとんでもない台詞が飛び出した。
「どうせなら死ねばよかったんだ。そうすれば今後の手間が掛からないし、世間の同情だって集まったのに」
おまっ!
意識して口を閉じていなかったら、叫んでいた。
少なくとも心の中では絶叫した。
だって、これが実の息子に向かって吐く台詞か!
いや、我慢だ。
「何言われても我慢して」と言われたのだから。
これは二葉も念を押しに来るはずだ。
二葉が口を挟んできた。
「同僚の前で『死ね』は止めた方がよくない?」
「あたしは父さんに逆らえない」と言っていたはずだが。
ただこれは、一般人なら誰でも思うはず。
注意に形を借りて反発したというところだろう。
しかし父さんは失笑した。
「はっ。同僚? それは同等の者に対して使う言葉だろう」
「確かに警察庁と県警で組織は違うけど、同じ警察の職員同士じゃない」
父さんが目を細める。
「二葉も『死ね』と言われたいのか?」
「どういう意味よ」
二葉は悪態を吐くが弱々しげ。
しかし父さんの返答で、その理由にも納得した。
「『頭が悪い』という意味だよ。霞ヶ関で『人間』と呼ぶに値するのはキャリアのみだ。彼らノンキャリアは『人間』ではなく、私達が利用する『道具』。いったい何度言えば覚えるんだ?」
二葉が俯く。
まさに言葉通り聞き飽きているのだろう。
それなのに、どうしてわざわざ口を挟んだのか。
体育館の一件を経た今なら答えがわかる。
あの時と同じく、俺の身代わりになってくれたのだ。
二葉の口元は気まずそうに歪んでいる。
体育館の時と違うのは、きっと今回は計算無し。
つい咄嗟に口をついてしまったのだ。
それが思わぬ方向に話が行ってしまい、内心しくったというところだろう。
一般人の二葉にしてみれば、父さんの台詞はノンキャリアの俺や出雲町警察署の二人に聞かせられたものじゃないという感覚のはず。
ヤブヘビになってしまって針のむしろに座る気分といったところか。
俺にしてみれば「死ね」よりマシなんだけどな。
父さんみたいなキャリア様は元の世界でもいっぱいいた。
扱いには慣れてるし、耐性もある。
ともかく、二葉をこのままにはしておけない。
それに、他の二人が同じく慣れているとは限らない。
父さんの注意を俺に戻そう。
一樹は父さんに言い返せないのが基本設定。
だったら言い返すのがありになったとしても……せいぜい片言程度だろう。
「二葉は関係ないじゃないか」
父さんが冷ややかな視線を俺に移した。
「ほう。真人間になるとか聞いたが、随分と殊勝な台詞じゃないか。私はむしろ、お前が二葉に何をするかわからないと思っていたがな」
じゃあ二人暮らしを続けさせている父さんは何なんだよ。
「するわけないだろ。人前で止めろよ」
「ふん。まさか一樹の口から『人前』なんて言葉が出ようとはな」
「当然だろ」
「当然?」
父さんがふふんと鼻で笑った。
「何がおかしい」
「だってそうだろう。お前はカメラ持って何を撮っているかわかりやしない。二葉は二葉で、恥ずかしげも無く公衆の面前で足を広げる。お前達みたいな子供を持って、私は本当に恥ずかしいよ」
足を広げて、って。
「チアは立派なスポーツじゃないか」
「出雲学園でステータスのある部活だから認めているだけだ。もしかしたら私の役に立つこともあるだろう。そうでなければ誰が許すか」
この親、どこまで身勝手なんだ。
メリットを享受しているのをわかった上で叩くなんて。
と言うか、ノンキャリに対してだけじゃない。
子供まで自分の道具扱いしてやがる。
まったく聞き苦しい。
何とか話をそらせないか……あ、そうだ。
「麦さんだっけ? ナンバー見てたんだ?」
「『見た』ことにさせた。そうすれば報道を見た犯人が怖れて自首してくるかもしれないからな。こんな大仰に騒いでみせたのは、そのためもある──」
なるほど、これは納得。
轢き逃げ犯は四人に一人くらいしか捕まらないのが現実だというし。
しかし続く父さんの言葉は、やっぱりろくでもなかった。
「──犯人を捕まえられないとなれば私の、ひいては警察の威信に関わる。事故の現場に居合わせてナンバーを控えないなんて。松本麦は私の家庭に迷惑を掛けるだけじゃなく、どこまで使えないんだ」
まさか他所様の子供まで悪し様に罵るとか。
ヒロインB、もとい松本麦は高校一年生。
幼い弟が事故に巻き込まれたんだから、動転してしまって当たり前だろう。
そもそも冷静だったとしても、ナンバーを控えることが可能な状況だったとは思えない。
こいつ……ダメだ。
これ以上話を続けることは、この場の全員にとって不毛以外の何物でもない。
話を切り上げないと。
この生ゴミを見るような目からすれば、父さんの側だって早く切り上げたいはず。
だったら子供らしく、これでケリだ。
「早く帰れよ」
「帰るともさ。お前の醜い顔なぞ、見ているだけで目が腐る」
父さんが二人に目を向ける。
「署長、引き上げるぞ。君は事情聴取よろしく」
続いて二葉へ。
「一樹が退院しても連絡は要らないからな」
「連絡要らないって……母さんにも? 今回のこと話したら、母さんの方は本心で喜んでくれてたみたいだけど」
そうなのか。
母さんの方は常識人なのかな?
「じゃあ母さんには報せればいい。どうでもいい話で私の時間を使わせるな」
それだけ言い捨てて、父さんはすたすたと出口に向かう。
その後を署長が慌てた様子で後を追いかけていった。
二葉と顔を見合わし、ともに苦笑いを浮かべる。
やれやれ……。
二葉が嫌うのも一樹がスポイルされるのも、心の底から理解した。
ただ一方で、思い浮かんだことも疑問に思ったこともある。
後で二葉に話そう。
お巡りさんが、カバンから書類やボードを取り出す。
「さてと、渡会坊ちゃま。事情聴取を始めましょうか」
あれ?
これまでと扱いが変わらない。
初めて出会った時のように、すぐさま態度を翻すと思ったのだが。
「今の様子見ていたでしょう。僕は父さんからクズ扱いされてますから」
言外に、初めて会った時の態度に戻して構いませんと念を押す。
すると、お巡りさんは顔を険しくし、もっときつく、それでいて当然の台詞を述べた。
「いえ、先程のやりとりを見る前からです。お坊ちゃまの行状や噂を聞くに及んで、実のところ内心では『盗撮魔のクズ』と軽蔑してました。父親の威光をカサにきやがって、と」
一般人にしてみれば、ましてや取り締まる側にしてみればそうだよな。
一樹が意識して父親の存在をカサにきたとは思えないが、実際のところは変わらない。
宮仕えって、お互い大変だよな。
そう心の中で同意しかけたとき、お巡りさんが言葉をつないだ。
「でも、坊ちゃまが今回子供を助けたのは事実でしょう。それもトラックに飛び込んで」
「まあ……そうですね」
「本部長や記者はリップサービスでしょうが、実際に誰にでもできることじゃありません。やってのけた坊ちゃまはすごいです」
「はあ……」
「今回の一件で、私は人として坊ちゃまを尊敬しました。本部長の息子としてではなくね──」
お巡りさんが顔を緩めた。
「──だからこれからも坊ちゃまへの扱いを変えるつもりはありませんよ」
そう思ってくれる人もいるんだ。
誰かに良く思われたいと考えてやったことじゃないけど、あの父親の後だけに染み入るものがある。
でも、どっちにしても気恥ずかしいから、坊ちゃまは止めてほしい……。
二葉が微笑を浮かべながら目配せしてきた。
きっとその意は和み半分、呆れ半分。
「そうしてもらっとけば?」と言ったところだろう。
俺としても、こう言うしかない。
お巡りさんに頭を下げながら口を開く。
「ありがとうございます」
お巡りさんがコホンと咳払いする。
「まあ、盗撮については……被害届が出ているわけでもないですし、現場を抑えたわけでもない。坊ちゃまが反省して二度としないというのなら、過去については見過ごすのもやぶさかではありません」
これは立件云々の問題ではなく、警官としての正義感の問題だろうな。
いずれにしても俺の答えは一つだ。
「もちろんです」
即答すると、お巡りさんは再びにこりと笑った。
「みんな平穏無事に暮らせるなら、それが一番。聴取を始めましょうか」




