96 1994/12/01 Thu 一樹の病室:父さん!
「終わったぞ」
(ふう……ありがと)
(寝返り打ってみ?)
言われた通りにする……お、おおっ!
(痛くない!)
(さすがは一樹、実にタフな肉体じゃった)
(どのくらい?)
(一回励んでも次から次へ五回まではいけそうなくらい)
(外見幼女に相応しくない発言をするな!)
というか、お前は出雲町初日の俺を見てたのか!
やっぱり、この辺りはエロゲー世界だ。
(聞いたのは兄様じゃろうが。まあ、さっき言った通り、土曜日には退院できるはず)
(それは嬉しいが……医者が診て怪しまないかな?)
(大丈夫じゃろ。これ、ワシの見立てでは重く見て全治一週間。どうも医者が小娘に嘘吐いたようじゃ)
なんだって?
(どういうことだよ)
(入院費稼ぎ。そういう経営者じゃからこそ、こんな大きい病院が建つ)
最悪だ。
(無駄にリアルな理由与えやがって)
アイが呟くような念を送ってくる。
(ワ、ワ、ワシとしては一週間入院してもらえた方が嬉しいんじゃけどの……)
(ん?)
(いや、何でもない。それじゃワシは寝る)
(おやすみ……って、幽霊も眠るのか?)
(霊力かなり使ったからの、おやすみ)
アイの姿が消えていく。
まあ、つぶやきは聞こえたんだけどな。
悪いけど、今の俺は一週間も病院で寝ていられない。
もし万一クリスマスを超えることができたら、そのときは一緒に遊んでやるよ。
さて、マッサージのおかげでゆるふわ気分。
幸い一郎は大丈夫そうだし、これで今日の日課は終わり……。
いや、違う。
俺はとんでもないことしでかしてしまったじゃないか!
ヒロインBを助けるのは、俺じゃ無くて金之助だ。
俺が助けたのは弟の一郎だけど似たようなものだろう。
再びBが交差点で車に轢かれかけるなら構わない。
でもこんな事故の後にそんな事態を迎えるなら、Bはとんでもないバカだ。
まず間違いなく、俺は金之助とBのフラグを潰してしまった。
と言っても、体が動いてしまったものは仕方ない。
もともと俺達が先にBを見つければ、別の方法ででも引き合わせるつもりだったはず。
その意味では完全に想定外だったわけではない。
この件は二葉と改めて策を練ろう。
あとは……珍しく先行き明るくなる結果ばかりだったな。
まずスーパー一樹の発動。
なかなか発動しなかったけど最終的には発動した。
先日みたいな目眩や吐き気もない。
簡単に発動してしてもらっても困るし、このくらいでちょうどいい。
ただ写真を撮るときだけは自在に発揮できるようにならないと。
そして芽生。
真の目的が未だ掴みきれないのは、昼間に二葉と検討した通り。
ただ味方であることは確定したと言っていい。
あの調子なら目論見はいずれ話してくれるだろうし、今はこれで十分だ……。
※※※
「アニキ」
「ん……おはよう、二葉」
目を開けたら、すっかり夜が明けていた。
「おはよう。今朝は随分と目覚めいいじゃない」
「どういう意味だよ」
「これまではなかなか起きなかったし」
今回はきっと、アイのマッサージ効果だろう。
まだ体は痛むが、目覚め自体は晴れやか。
熟睡できたからなあ。
「今何時だ?」
「九時。遅くなっちゃってごめん。朝一で学校行って、プリント出して新しいのもらってきたから」
「十分早いと思うぞ」
しかし二葉は首を振る。
「心配なのもあったけど……急いで打ち合わせないといけないことがあるんだ」
「ヒロインB?」
再び二葉が首を横に振る。
「もちろんそれについても話し合いたい。でも今すぐする必要はない」
「じゃあなんだ?」
何だ?
二葉の肩が震え、拳を握る。
同時にギリっと唇を噛んだ。
その口が歪みながら開かれたとき、二葉の八重歯は剥き出しになっていた。
「これから父さんが来るの」
「父さんがぁ?」
二葉がこくりと頷く。
声をひっくり返ったにもかかわらず、まったく意に介していない様子。
それどころじゃないということか。
「驚くのはわかるけど、話続けていいかな?」
「その『驚くのはわかる』ってのが、とんでもなく異常な台詞って自分でわかってるか?」
「……はは」
二葉が自嘲気味に乾いた笑いを見せる。
でもこれは比喩じゃなく嘲りたくもなるわ。
というのも、父親が来るなんて欠片も想像していなかった。
もちろん普通の親なら、子供が事故に遭えば何があっても駆けつける。
しかし兄妹の父親については、まったくそんな光景が思い浮かばない。
でも俺は一樹の体を間借りしてるだけの他人。
一方の二葉は実の娘。
そんな親を持ってしまった我が身は呪うしかないだろう。
「愚痴は後でいくらでも聞いてやるから続けてくれ」
「むしろ、あたしが愚痴を聞いてあげることになると思うんだけど……まあいいや。不幸は分かち合うってことで続けるね」
「なんて嫌な前置きだ」
二葉が病室の空間に向けて両手を広げる。
「この病室って異常だと思わない?」
「VIPルームだろ。アイから聞いた」
「アイちゃん?」
「先に説明した方がよさそうだな。夜中に起こされてマッサージしてくれた。結論から言うと土曜日には退院できるそうだ」
「ええ!? あたしは全治二週間って、お医者さんから言われたよ?」
二葉は思い切り怪訝な顔。
簡単に説明する。
「よかった。だけどろくな病院じゃないね」
「こんな部屋を用意してる時点で、そう思うけどな」
明るくなって改めて眺め渡すと、この部屋は一体なんなんだ。
病室は病室なんだが、どこまでも広い。
そしてベッドは中央にあるわけでなく、かなり窓寄り。
入口までスペースがぽっかりと空いている。
天井も高い。
これで壁際に大量の折りたたみ椅子でも置いてあったら、まるで会議室だ。
ただ広い割に寒々とした感じはない。
壁やカーテンがベージュ色のためだろう。
一方の壁面には、はめ込み式でテレビだの冷蔵庫だのロッカーだの。
そこだけとれば、ちょっとしたホテルに見える。
いや、大量の本が並んでるからホテル以上だ。
きっと退屈しのぎ用だろう。
辛うじて病院っぽいのはベッドのみ。
大雑把な印象としては、元の世界の小綺麗な病室をパワーアップさせた感じ。
フィクションでありそうなわざとらしい調度品がなく、全体にシンプル。
そこがかえって、VIPルームの名に恥じない雰囲気を醸し出している。
「本当だよねえ……」
二葉もしげしげと眺めながら呆れたように呟く。
恐らく同じ感想なのだろう。
「で、どうしてVIPルームに移動させられたんだ? 元は大部屋だったんだろ?」
「父さんの指示。『出雲病院にはVIPルームがあるから移せ』って」
「その理由は?」
「あたしも聞いてないし、わかんない。ただ父さんは何の考えもなしに、こんなことしない。絶対に何か裏がある」
「実は一樹のことをそれだけ愛してるとか?」
二葉が釣った目を更に釣り上げる。
「冗談聞いてる暇はないんですけど?」
言ってみただけなのに。
ここまで全力で否定されるなんて、一樹も不憫すぎる。
「電話で何か変わった様子は?」
「んー、あんまり声とかに感情出るタイプじゃないんだよね……ああ、少しだけ浮かれた気配感じたかな」
「浮かれた? わからなくもないが」
普通の親なら、息子が人助けをしたと聞けば誇らしく思うだろう。
盗撮ばかりのろくでなしとくればなおさらだ。
ただ全治二週間ともなれば素直に喜ぶわけにもいかない。
それで「少しだけ」ということになるかも。
しかし二葉は婉曲に否定する。
「アニキの想像通りだといいんだけどねえ……」
どうして普通の親なら全て辻褄が合うことを、こうも片っ端から否定しなくてはならないのか。
ただ二葉の観察眼が確かなのは実証済。
多少主観が入ったとしても大幅には狂うまい。
だったら言葉をそのまま受け容れるしかない。
「どうせ何かを企んでいるなら後でわかる。ここは具体的な対処法を考えよう」
「うん」
「まず呼び名は?」
体育館のときは「オヤジ」と「オフクロ」と呼んだが、あれは明らかなネタだし。
「あたしと同じで『父さん』と『母さん』」
「話し方は?」
「あたしに対するのと同じで大丈夫。ただ一樹は基本父さんと口を利かない。話しかけられてすら黙り込む」
「ふん?」
「おどおどしてるってのが正しいのかな。口を開けば叱られる、殴られるの繰り返しだったから。黙ってればその機会も多少は減るって感じ」
最悪だ。
「じゃあ俺も極力黙ってた方がいいわけね」
「その方が無難だと思う。一応『更生を約束させた』とは伝えておいたから多少なら大丈夫だと思う──」
二葉が決まり悪そうに目を伏せる。
「──ただ、父さんにはあたしも口出しできない。つまりフォローできないから、くれぐれも気をつけて」
「わかった。他には?」
「何があっても堪えて。これだけは絶対に前もって伝えておきたかった」
随分仰々しい。
まあ、この世界に来て、いったいどれだけの理不尽に耐え抜いてきたか。
もはや俺の打たれ強さはダイアモンドにすら優ると思う。
「わかった」
「こんなところかな。出たとこ勝負で悪いけど」
──コンコンとノック音。
「失礼します。もう起きてますか?」
看護師さんだった。
パンツではなくスカートなところに時代を感じさせる。
ということは、この時代はまだ「看護婦」さんなのかな?
「はい、おはようございます」
朝の検診?
そう思ったら、何だか妙な台詞が返ってきた。
「じゃあ、準備しますね。みんな、いいわよ!」
看護婦さんの呼び声とともに、わらわらとナースが入ってきた。
看護婦さん達は全員が両手にパイプの折りたたみ椅子。
めいめいに開いてはスペースへ並べ始める。
全ての椅子の向きはこちら側。
いったい何事?
それを問う間もなく、看護婦さん達は部屋から出て行った。
入れ替わりに次々と人が入ってきた。
カメラ持った人に腕章に。
明らかに報道関係者。
なんだ、なんだ?
これじゃまるで俺が主役の記者会見じゃないか。
二葉を見る。
きょとんとしながら首を横に振る。
俺と同じく、状況がまるで把握できないらしい。
報道陣の準備が終わり、部屋が静まりかえる。
それを見計らったかのように、警察の制服を着た一人の男が入ってきた。
二葉が叫ぶ。
「父さん!」
入ってきた男──俺達の父親は、二葉の呼びかけに答えず無言のまま歩み寄ってくる。
その後ろには警官が二人。
一人は交番のお巡りさんだ。
父親が俺の前に立つ。
二葉とは違う顔立ち。
釣り目は共通しているが、父親は一重まぶたで白目が勝って冷たそう。
見ただけで切れ者なのがわかる。
ただ顔立ちそのものは整っており、良く言えばクールな美形。
いかにも世間のイメージしそうなキャリア様だ。
実際の警察庁のキャリア様は、見かけだけは和らげな腹黒ダヌキが多いんだけどな。
この辺り、フィクションなギャルゲー世界ならではか。
そう思ったところに、父親は、その風貌に見合わない優しげな笑みを浮かべた。
「一樹、よくやったな」
えっ!?




