95 1994/12/01 Thu 一樹の病室:姉様……らしいな……
(ワシに答えられるなら)
(まず一つ目。その老婆みたいな喋り方はなんなんだ?)
(「なんなんだ」と聞かれても……)
揉みしだく手の力が緩む。
誤魔化しているのではなく、本当に答えに詰まってしまったらしい。
俺の聞き方が悪かったな、もっと具体的に問い直そう。
(例えば今の台詞。「上級生」のアイなら「そんなの聞かれても、アイわかんないもん!」とか答えるところだ)
(気持ち悪いのう)
(話してたのはお前だ!)
(ワシの舌足らずなところまで真似るなと言っとるんじゃ。誰が聞いても気持ち悪いわ)
具体的にしすぎた。
(順番に聞こう。まず、どうして「じゃ」とか「のう」とか年寄り臭い話し方なんだ?)
答えの見当はついてるけどさ。
実際にアイの答えは予想通りだった。
(ワシが生きてるとすれば六十歳越えとるんじゃし、年寄り臭くて当然じゃろ。生前は違ったが、いつからこうなったかは自分でも覚えてない)
生きていようと死んでいようと、時間は経過する。
当然それだけの経験を積むわけで。
例え肉体はなくとも精神は成長を続けるということだろう。
(じゃあ、舌足らずな気持ち悪い喋り方は?)
(演技じゃ)
演技?
(またどうして?)
(媚び売った方がかわいがってもらえるからに決まっとるじゃろ)
お前も腹黒かよ!
このゲームに、純粋なヒロインはいないのか!
アイが溜息をつく。
(はあ……昨今は幼女趣味な男が多いでの。まったくもって嘆かわしい)
それを逆手にとってるヤツが言う台詞じゃねえよ。
って、あれ?
(一樹がロリなのはいいのか?)
(えっ、えーと……あの……その……まあ、なんじゃ)
急に声が上ずり、歯切れが悪くなった。
明らかな戸惑い。
ロリ自体は否定してないから、知ってはいたんだろうけど。
なんか変なことを聞いた気がしてきた。
ここはフォローを入れよう。
(まあ、アイツは、いかにもな幼女らしい喋り方の方が好きだと思うぞ?)
しかしアイからは、予想しない念が送られてきた。
(一樹の前では、素で喋っとるぞ)
(ええっ!?)
どうして?
その疑問を伝える前に、アイが答えを述べる。
(一樹は言ってくれたんじゃ……「演技は要らない、アイの素を晒せ」と……)
(は?)
(最初は演技しとったんじゃがの……ある日カメラを構えたときに、「ファインダーを通した俺の目を欺けると思うな」って……)
すげえ。
俺も芽生に同じ台詞を言った。
しかし、あれはあくまでハッタリにすぎない。
まさか本当にそうだったとは。
(「素」ってのは、やっぱり被写体の内面まで写し出したいってことだったのかな)
あの金之助の写真を見ると、一樹ならそのレベルで写真を撮ってそうだし。
しかし、これもまた、アイの答えは違った。
(いや……「その方が楽だろ」って。「そんなことしなくても、俺はお前の兄様だから」って……)
(一樹があ?)
なんて男前な台詞。
そんなの俺でも口にできそうにない。
本当に一樹がそれを口にしたのか?
ちょうどいい。
この流れのまま次の疑問に移ろう。
(二つ目の答えを聞きたい。どうしてそこまで一樹が好きなんだ?)
アイの揉みほぐす手が止まる。
そして訥々と念を送ってくる。
(初めて出会った時のことじゃ。ちょっと姉様を思い出して泣いとっての)
そうだろうとも、かわいそうだとも思う。
でも話の腰を折りたくないので、相槌のみ打つ。
(うん)
(そうしたら一樹が声掛けてくれて「どうした?」って。「俺でよければ聞いてやるぞ」って)
(うん)
(それが理由)
はあ?
(それだけ?)
(それだけ)
……えっと。
(お前はどんなチョロインだ!)
(ちょろいん?)
ああ、二葉と同じ微妙なイントネーション。
そういえば、この時代にはチョロインって言葉はないんだな。
(ちょろっと落ちるヒロインの略。大した理由もないのに主人公に惚れる女性のことで、二次元を愛する者達からは絶大な人気を誇る)
ただし、俺流に言えば精神的ビッチ。
俺のプレイしてきたレトロエロゲーでは、ヒロインが主人公に惚れるだけの納得できる理由が与えられていた。
「上級生」もその一つ。
それが最近のライトノベルと来たら……まったくもって嘆かわしい。
しかしアイは、予想もしない納得できる理由を念にした。
(チョロインとはひどい言いようじゃの。言っておくが、その時のワシは化粧しとらんかったんじゃぞ)
(えっ!)
(お前が朝に見た、全身焼けただれた姿。一樹は、それを前にして声を掛けてくれたんじゃぞ?)
(ええっ!)
(昨朝は「トラウマを植え付ける気か」とか好き放題言ってくれたよの。そんな兄様に一樹と同じ台詞が吐けるか?)
(言えるか!)
それを先に言え!
ああ、納得はしたよ!
そんな姿でも優しくしてくれる男がいれば、好きにもなるだろうよ!
あー、でも、混乱する。
なぜ? どうして?
本気で訳わからん。
(えーっと……一樹には、化粧してないアイが見えたってことだよな? よほど波長が合うか霊能力者じゃないと見えないという話だったが)
(前者じゃろ。少なくとも一樹は霊能力者ではない)
(その台詞で好きになったということは、アイも一樹の言動が当たり前じゃないということはわかってるんだよな?)
アイがこくりと頷く。
(もちろん聞いた。「怖くないの? 気持ち悪くないの?」と。そしたら「ロリとして幼女は慈しむべきもの。お前がどんな姿であれ幼女は幼女、そこは変わるまい」って)
すげえ……一樹、お前すげえよ……。
そこまで言ってのけるロリ、きっと世界のどこにもいないぞ。
アイが続ける。
(そして事情を話すと、「姉は無理だが兄にならなってやろう。兄として妹は守るべきもの、俺がお前を支えてやる」って)
(かっこいい!)
そこに痺れる、憧れる!
俺まで漫画キャラの真似をしたくなってしまうじゃないか!
だって俺には全身焼けただれた幽霊に、そんな台詞絶対言えない。
(じゃろ?)
アイが口に手を当て、顔を真っ赤にする。
元々恋愛経験がないのは本来の年齢からして当たり前。
その上でそこまで言われれば、そりゃ落ちるよな。
チョロイン扱いしてすまなかった。
ただ、引っかかりもする。
「妹は守るべきもの」。
そんなの、妹を盗撮の被写体にしてるヤツの口にする台詞じゃない。
一樹が二葉に抱いてる気持ちからすればありうる台詞とも思うけど。
うーん。
そもそも一樹の行動が一貫せず矛盾している気がする。
アイへの台詞だけなら見栄を張っただけとも解釈しうる。
でも、これまでで思うのは、やっぱり一樹は妹思い。
素直に口にできなかったり、行動できなかったりというだけだ。
その一方で盗撮写真は動かぬ証拠。
あれさえなければ、筋が一本通るのだが……。
やめよう。
今はそれを考えるべき時じゃない。
(アイ、これが最後の質問だ。どうしてお前は記憶を無くした振りをしていた?)
(記憶をなくした振り? なんのことじゃ?)
(正しくは「上級生」での話。お前は、下の名前と死因以外の記憶をなくすか、その振りをしていた)
アイが口を尖らせる。
(ワシに聞かれても。ゲームのワシは本当に記憶をなくしてたんじゃないのか?)
(恐らくそれはない)
(というと?)
(この世界はゲームと全く同じではない。しかし相違点の多くは「ゲームで知り得なかったこと」か「ゲームとは別の説明がつくこと」だ。つまり違って見えるのは視点の問題であって、事実における本質的な部分ではない)
つまり、「そうだと思った話に裏がある」の連続。
さっきの「媚び売った方がかわいがってもらえるからに決まっとるじゃろ」という台詞にしても、プレイヤーの誰が聞きたいんだ。
もう俺に、ギャルゲーは二度とプレイできない気がする。
(ふむ)
(そうすると、実は記憶があって、その振りをしていたと考えるのが自然なんでな)
アイが間を置く。
抽象的な話だけに噛み砕いているのだろう。
(理屈はわかった。しかし具体的に聞かせてもらわんことには答えようがないぞ)
(もちろん、そのつもりだ)
アイに大まかな流れを説明する。
(さっき「姉様を思い出して泣いていた」と言っていたが……姉様に会いたい。そう思ってるのは間違いないよな?)
(あ……ああ、うん。まあ……)
なんだ、この歯切れの悪さ。
肯定しながらも、明らかな戸惑いを見せている。
まあ、一旦話し終えよう。
(「上級生」のアイもそうだったんだ。そして、お前が成仏できないのは、その未練に引き摺られているから)
(まあ、そうじゃの……)
(そこで金之助がアイを成仏させようと、姉様を探すべく出雲町内を奔走する)
(うん……)
(その過程でお前は段々と記憶を取り戻し、最終的に金之助が姉様を連れてきて、お前はめでたく成仏。それがストーリー)
(ん……)
アイはそのまま黙り込んだ。
揉みほぐすリズムがゆったりとする。
考え込んでいるのだろう。
しばしの間が空いた後、アイが静かな念が送られてきた。
(まず「姉様に会いたい」、これは正しいけど正しくない)
(と言うと?)
(姉様にはもちろん会いたい。でもそれは「会えない」と思っとるからじゃ。もし本当に会えるとなると……会いたくない)
(どうして?)
(ワシは姉様と会うと成仏する。姉様に離れ離れとなる哀しみを、もう一度味わわせろというのか?)
あっ!
あてつけではない、言外にそう滲ませる淡々とした語り口。
しかし、それがゆえ、殊更に本音であることが伝わってくる。
アイは優しい、これはやはり変わらない。
そして現実のアイであれば、そこまで考えるであろうことも理解できる。
(でも会った時、姉様は嬉しそうにしてたぞ。そして金之助にありがとうって)
アイが諭すように、ゆっくりとした口調で伝えてくる。
(もちろん、その場では喜んでくれたんじゃろう)
(そりゃもう)
(でも金之助って高校二年生じゃろ? 一方の姉様は大人。弱い面を子供相手に見せると思うか?)
そう言われてしまうと……。
疑問形ではあるが、実際には「大人の兄様にならわかるだろう」ということ。
反論ができない。
さらにアイが続ける。
(そもそも姉様は、ワシの存在を知ったとき喜んどったか?)
(そこまで細かいところは覚えてないが……)
(姉様ならむしろ、まだ成仏できないワシを哀れんだはずじゃ。そして、これまで会いに行けなかった自分を責めたはず──)
アイが言葉を溜める。
(──それでもやっぱり金之助の前では見せないじゃろうけどの)
ああ、そういえば……。
驚きはしていた。
しかしその後は、金之助が「会いに行ってあげてくれますよね」と問い、すぐに了承して場面転換したような。
(別の意味で知りたくなかったことを知ってしまった気分だ)
(それも経験。人生、長く生きていれば色々あるということじゃ)
「だから気にするな」とばかりにニヤリとする。
フォローのつもりだろうし、気持ちは嬉しい。
でも俺もお前も、既に人生終わってるんだよな。
アイが再び口を開く。
今度はいつもの口調に戻っていた。
(続けるぞ。記憶を無くした振りじゃが、あくまで想像でだが……何となくわかる)
(ほう?)
(簡単に言えば「構ってもらいたかった」からじゃ)
昨朝の別れ際のアイの態度を思い出す。
(寂しくて?)
アイが頷く。
(ワシに友達はおらん。たまに患者と友達になれても、退院したらそれっきり。そういう事情なら、嘘をついてでも引き延ばした方が何回も会えるじゃろ──)
なんて自虐的な台詞、そしてなんて傍迷惑。
だけどアイは幽霊、そうなって当たり前だ。
(──加えて、姉様とは会いたいけど会いたくない。だったら真実を伝える理由が無い)
(なるほど)
納得した。
そして、ここまで聞いて、一樹と波長が合った理由もわかった。
二人とも寂しがり屋の構ってちゃん。
この点で共通するのだ。
(兄様、今度はワシの側から聞きたい)
(いいぞ──どうした? いきなり顔を隠して)
隠しきれなくて露わになった部分は真っ赤になってるし。
(隠さないと聞けないような質問だからじゃ)
(うん?)
(そ、その……「上級生」でワシと金之助はどうなるんじゃ? 「上級生」って一八歳未満禁止なんじゃろ? ま、ま、まさか……子作りしてしまうのか?)
ああ、そんなことか。
(安心しろ。キス──口づけだけだ)
アイのエンドでエッチシーンはない。
それどころか、こんなきわどい格好にもかかわらず、パンツすら描かれない。
ファンブックには、メーカーが社会情勢を鑑みて配慮したものと書かれていた。
これで安心するだろう。
そう思いきや、アイが叫んだ。
(接吻するのか! これまでしたことないのに!)
これでもショックなのか。
フォローを……する前に、アイが咳払いをした。
(兄様、さっきの話に付け加えよう。「上級生」で、ワシと一樹は会っていない)
なんだって?
(どうしてそう言い切れる)
(もし会っていたら金之助に接吻なんてありえん。初めての相手は一樹と決めているのに)
(ああ、確かに)
これだけべた惚れしてれば、それが自然か。
(まあ……一樹おらんかったら……金之助にそこまで甘えるかもしれんの)
(つまり記憶無い振りしたのは、さっきの推測で間違いないということか)
アイが頷くと、憂いを帯びた眼差しを向けてきた。
(あと、わかっとると思うが、姉様を──)
(大丈夫。無理に連れてくることはしないよ)
アイの目が緩む。
(ありがとう。その上で聞かせてくれ。姉様は元気なのか?)
月曜日に見た姉様の姿を思い出す。
念にイメージを纏わせる。
例え画像そのものは伝わらなくとも、雰囲気だけでも伝えてやりたい。
(アイの苗字は「桜木」、間違いないな)
(うむ)
姉様、つまりゲームセンターのおばあちゃんの下の名前はヒトミ。
そして桜木の由来となったAV女優の名前はルイ。
ルイ、ヒトミときてアイ。
怪盗三姉妹の漫画になぞらえたとファンブックに書いてあった。
両方知っていればニヤリとできるだろうと。
(元気してるよ──)
うまうま棒を食べたことを思い出す。
(──子供達を相手に駄菓子屋やってる。さっき「お菓子すら食べたことない」って言ってたよな。アイの代わりに子供達へ、いつでも安いお菓子を食べさせてあげたいんだと──)
金之助や一郎との対戦を思い出す。
(──ゲームセンターもあわせてやってる。自分達が小さい頃ほとんど遊べなかった分を、子供達に遊んでもらいたいからって)
ゲーム無料のサービスしていたのも、きっとそれが大きな理由だろう。
客寄せの目的もあると思う。
だけど動かすには電気代がかかる。
あの規模の店にとっては、結構な負担のはずだから。
(姉様……らしいな……)
アイが呟く。
その頬には、薄暗がりに射し込む灯りによって、一筋のつたう涙が照らし出されていた。




