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90 1994/11/30 wed 学園食堂:全部食べなさい

 ちっ。

 心の中でだが舌打ちしたくなる。

 鈴木に佐藤め……。


 芽生がハンカチで口を拭い、二人に会釈した。


「鈴木君に佐藤君、こんにちわ」


「よう、芽生」


 二人は気やすそうに、へらっと挨拶。


「さっき公麿君を一人で見かけたから、もしかしたら会うかもって思ってたわ」


 そうか。

 そこまで気が回ってなかったが、芽生は公麿組。

 鈴木に佐藤は華小路の下僕。

 華小路を軸に、三人がつながっていても全然不思議ではないわけで。


 芽生はいったいどう出るんだ?

 二人に荷担するのか。

 知らぬ振りで流すのか。

 「味方になりたい」の具体的な意味まで聞いてないからな……。


 考えても仕方ない、ひとまずは様子を見よう。

 いざとなれば何かされる前にダッシュするだけだ。


 鈴木がニヤニヤと芽生を見つめる。


「それは俺のことを気に掛けてくれてたってこと?」


「ん……まあね」


 顔はにこやか、台詞もやわらげ。

 一見して、いつもの芽生。


 だが、間があった。

 その理由はすぐに語られた。


「鈴木銀行局長の息子ですもの」


 すましてさらりと述べているが、まさに皮肉そのもの。

 つまり芽生も鈴木を快く思っていない……よかった。


 しかしバカには皮肉が通じないらしい。


「そうだろう、そうだろう。俺を大切に扱わないと、お前の銀行どうなるかわからないものなあ」


「そうね」


「だったら、そろそろデートの一回も付き合ってくれてもいいだろ」


「そうね……」


 芽生が言葉に詰まる。

 それは華小路に悪いからというわけではないだろう。

 なぜなら公麿組の組員には免罪符が与えられているから。


 佐藤が肯定の返答を得るべく、その免罪符を口にする。


「華小路君に悪いってわけじゃないだろ? 本人が望むなら組員を口説いても構わないのは、公麿組の常識なのだから」


 ここはゲームと同じだ。

 華小路がそれだけ自らの魅力を信じているからだが。


「望むなら、でしょ」


「まさか望まないなんて言わないよな。そんなこと言ったら俺を敵に回すものなあ。もちろん俺は芽生に振られたって、すぐさまオヤジに言いつけるしなあ」


 どこまで最低野郎だ。


「だから、もう少し考えさせてって言ったじゃない……」


 しかし芽生も歯切れが悪い。

 芽生なら鈴木くらい簡単にあしらってみせそうだが。

 そうできないのは、やっぱり立場の差か。


 ──お尻に座面から振動が伝わる。


 下を見ると、佐藤が椅子の足を蹴っていた。


「カズキン、早くどけよ。鈴木が座れないだろうが」


 ざけんな。

 この後は二葉と用事がある。

 こいつらに構ってる時間なんてないから事を荒立てたくない。

 だからと言って、へつらいたくもない。

 感情は抑え気味に、意思だけははっきり伝える。


「やだよ。食べてるのが見えないのか」


「ああ、見えないね」


 佐藤の憎まれ口。

 それと同時に、隣からガラっと音がした。


「一樹君、行きましょう──」


 へ?

 なぜ、芽生が立ち上がる?


「──わたしはもう食べちゃったから」


「俺はまだ食べてない!」


 ……って。


 食べちゃった?

 論点はそこじゃない、そう思いつつ芽生の皿を見る。

 見事にすっからかん。


 芽生は腰に手を当て、ふふんと鼻高々。


「早食いはチア部で鍛えられてるから」


 そこ、威張るところじゃねえ!

 早食い属性って二葉だけじゃないのかよ!


 佐藤が芽生を睨む。


「芽生は座れよ」


「二人が座るのなら、二人立たないとじゃない。他に空き席ないんだし」


 ごもっとも。


「座るのは俺だけだ」


「鈴木君だけ?」


 佐藤が続く。


「二人の邪魔するほど野暮じゃねえよ。おら、カズキン立て」


 芽生が立ってるんだから、立ったって構わないんだが……。


「さっきも言っただろ。やだよ」


「そうか。それじゃ立たせてやる」


 立たせてやる?

 疑問に思ったときには既に、佐藤がカレーに水をぶっかけていた。


「食べる物がなくなれば立つしかねえだろ。これぞ北風と太陽ってものよ」


「ざけんな──」


 怒鳴りかける。

 しかし、俺の目には…………信じられない光景が映っていた。


「め……い……?」


 佐藤が言葉に詰まる。

 それもそのはず。

 佐藤は頭から水でびしょ濡れ。

 その上には、コップを逆さにした芽生の手があった。


「ごめんなさい」


 謝罪の言葉。

 しかし顔には薄笑いを浮かべている。


「何のつもりだよ」


「見ての通りよ。一樹君に危害を加える人を排除しただけ」


「は、はいじょぉおおおおおおおお!?」


 佐藤の声がひっくり返った。

 でも、無理もない。

 俺も声に出してないだけで、きっと声帯丸ごと裏返ってる。


「わたし、一樹君の味方だから」


「はあああああああああああ?」


 佐藤と鈴木が絶叫する。

 言った、ついに言いやがった!


 鈴木が顔を真っ赤にしながら怒鳴る。


「芽生、どういうつもりだよ! それは俺にたてつくってことか?」


 芽生がしなっと弱々しげに答える。


「わたしが鈴木君を敵に回せるわけないじゃない」


「現に今、歯向かってるじゃないか!」


「仕方ないの。二葉さんに脅されてて……」


「二葉ぁ?」


「わたしのパンツ写真を山のように差し出されて……写真部入れって……そして『渡会一樹部長に絶対隷従する義務』を遵守しろって……そうしないと、これを学園中の男子にばらまくって……」


 ぶっ! なんという嘘を!


 ああ、でもこれか……フィルムを残した理由。

 嘘を吐くときは全くのゼロからではなく、ある程度真実をベースにする。

 これはスパイでも基本中の基本。

 その方が自分でも本当だと思い込めるから。

 つまり芽生はフィルムを嘘のタネにしたのだ。


「じゃあ二葉から取り返せよ」


「あの女がどれだけタチ悪いかは二人だって知ってるでしょ。下手に手を出したら、どんな目に遭わされるか。だからこそ、わたしだって慎重に事を構えてるのに」


 二葉もえらい言われようだ。

 まあ……恐らく三人の想像以上にタチ悪いと思うが。


「そんなの知るかよ」


 鈴木が毒づく。

 開き直ったというか、ふてくされたというか。


 そんな鈴木の手を、芽生はテーブルにコップを置いてから優しく包むように握った。


「ねっ。だから仕方ないの」


「何が仕方ないんだよ」


 芽生が俯き、切なそうな上目遣いで鈴木を見つめる。


「わたしは嫌々ながらも一樹君の護衛役をやってる。『何があっても部長を守る』べく。だからもしかすると、時々その関係で鈴木君の敵に回ったように見えちゃうかも──」


 肩がピクッと動き、瞳がきらりと潤んだ。


「──でも、わたしそんなつもりないから! 本当だから!」


 よく言うわ。


 俺の味方になりたい、その目的がわかった。

 つまり当たり障りなく、鈴木の敵に回る口実が欲しかったんだ。

 芽生は銀行頭取の娘という立場上、大蔵省銀行局長を父親に持つ鈴木を正面切って敵には回せない。

 その上で、俺は間違いなく鈴木の敵だから。


 というか、この芽生の台詞。

 二葉は芽生の意図を全て読んでいたのがわかる。

 恐らくどころか本当にタチ悪いじゃないか。


 佐藤が鈴木を押しのけ、芽生の前に出た。

 そして自らを指さす。


「じゃあ俺のこれはどういうことなんだよ」


 芽生がくすっと笑う。


「あら、失礼。佐藤君に対してはハッキリと敵に回らせていただくわ。正確には、あなたがわたしを敵に回した」


「俺が何をした!」


「一樹君のカレーにお水流し込んで食べられなくしたじゃない」


「それくらい、何だってんだよ」


 芽生がふう、と嘆息をつく。


「それくらい、じゃないわ。あのコロッケは、H道に本社がある『クラーク社』で作ったものなの。ついでに言うと、お米もカレーもクラーク社が卸したもの」


「で?」

 

「我が『たまき銀行』はH道とともに育った金融機関。クラーク社は当銀行の融資先なの」


「だから?」


 芽生がキッと佐藤を睨みこむ。


「まだわからない? H道と来れば拓殖、拓殖とくれば農業。だからこそわたしは『田に種を蒔いたら芽が生える』という農業への愛を込めて『芽生』と名付けられた。そんなわたしの前で食材を、ましてや融資先のを粗末に扱われて怒らないとでも思ってるの?」


「そんなの知るか! そしてわかるか!」


「じゃあ今覚えて……でも、あなたはわたしの大事な鈴木君の親友であり、公麿君の下僕。チャンスをあげてもいいわ」


「チャンス?」


 芽生が、水浸しになったカレー皿を指さす。


「全部食べなさい」


「食えるか!」


 佐藤が怒鳴る。


 もっとも芽生は、その答えを読んでいたのだろう。

 既に佐藤へ背を向け、俺の肩を叩いていた。


「じゃあ仕方ないわね。一樹君、行きましょう」


「待て、芽生! 俺にこんなことして、ただで済むと思うのか!」


 芽生が佐藤に背を向けたまま答える。


「鈴木君のお父様は怖いけど、あなたのお父様はどうでもいい」


「な、なんだと……」


「わたしが仮にでっちあげ逮捕されると言うなら、警察庁幹部の二葉さんのお父様にもできること。わたしにとっては、どっちを敵に回しても同じだわ」


 確かに。

 二葉がそんなことをするわけはないのだが、ここは方便だろう。

 芽生クラスの令嬢なら逮捕されただけで報道されかねない。

 そうなればスキャンダル、どっちを敵に回しても同じことだ。

 実質的には「やれるものならやってみろ」という恫喝。

 何のかんのと芽生の胆力も大したものだ。


 佐藤は歯を食い縛り、震えている。

 代わりに鈴木が叫んだ。


「じゃあ今度は俺が言おう。こんなことをして、ただで済むと思うのか!」


 芽生はちらり鈴木に首を振り、明らかに冷ややかな目線を向けた。

 そこにはもう、先程までの胡散臭いあざとさはなかった。


「さあ? わたしはあなたを振ったわけじゃない。一樹君の味方をしただけ。それで何をお父様に言いつけるというの?」


「くっ……公麿組だからって大きな顔しやがって……」


「勘違いしないで。わたしがここまで公麿君の名前出したかしら?」


「今日までのらりくらり俺から逃げてきたのは、公麿組なのを利用してだろうが!」


「そうね、今日まではそうだった」


 鈴木がへらっと嘲笑う。


「ほら見ろ」


 芽生が鈴木に正面を向く。


「でもこれからは堂々と逃げさせてもらうわ──」


 そして全開のチアリーダースマイルを浮かべた。


「──わたしは部長に絶対隷従の写真部員。一樹君はきっと、あなた達の顔なんて見たくないでしょうから」


「なっ!」


 芽生が再び二人から、ひらりと身を翻す。


「ごきげんよう。二人仲良く、愉しきランチタイムを」


                   ※※※


 食堂から出る。

 芽生はずっと無言。

 

 校舎を出て、バイク置場へ。

 芽生がきょろきょろ辺りを見渡す。

 そして腹を抱え、笑い始めた。


「あー、スカッとした! ホントいい気味!」


「おまっ……」


「だってもう、ずっとウザかったんだもん。いつか絶対やりこめてやるぞって。やっと願い叶っちゃった」


 芽生が芽生と思えない台詞を吐きながら、げらげら笑い続けている。

 大笑いながらも品を保っているのは、さすが芽生。

 しかしこれだけ感情を露わにハッキリ示すのも、やっぱり芽生らしくはない。


「何よ、一樹君。言いたいことあるなら言ったら?」


「いや、芽生らしくないなって……」


「わたしの素はこんなもの。どうせ気づいてるんでしょ?」


「まあ、そら……」


 とぼけても仕方ないしな。

 だからこそ、さっきはコロッケ頼んだんだろうし。


「だったらわたしも力抜かせてもらうわ。コロッケ食べたいときに食べさせてもらうくらいには」


 はあ。


「しかしコロッケ好きな理由が案外まともでびっくりしたよ」


「案外って、どういう意味?」


「融資先を大切にしてるんだなって」


 農業を、と言うべきか?

 しかし芽生はどこか白けた顔。


「別に、だから好きってわけじゃないわ。奢ってもらった理由ではあるけど」


 あれ?


「じゃあ、どうして好きなんだよ」


 芽生が口の片端を歪める。

 どこか恥ずかしそうな、気まずそうな。


「わたしって小さい頃のしつけが厳しかったのね。お茶とかお花とか」


「まあ、わかる」


 その手の全てが完壁なことも。

 そういう設定だから。


「でも、やっぱりきつくてね……時々逃げ出してたわけ」


「ふんふん」


「で、近くにお肉屋さんあってね。いつも、おばさんが匿ってくれてたんだ」


「ふんふん」


「その時いつも、揚げたてのコロッケを『芽生ちゃん、どうぞ』って。それがもう美味しくって」


 あの……。


「そんな単純な話なんかい!」


 もうベタベタじゃないか!


「単純で悪かったわね。それで何かあるとつい、コロッケ頼む癖がついちゃって……」


 芽生が頬を膨らます。

 まあ、なんというか……。


「芽生、かわいいな」


「な、な、な、何言ってるの!」


 芽生が目を見開く。

 虚を突かれたのか。

 このタイミングで言われるとは思わなかったのだろう。

 俺もつい口をついただけだし。


 でも、この慌てふためきぶり。

 本当にかわいいじゃないか。

 普段のあざとさはどこいったって感じだが。

 まるで素顔を見せてもらった気分。

 こうなると、ちょっと冗談言ってみせる余裕も出てくる。


「んじゃ、言わなかったことにしとくよ」


「一樹君の意地悪」


「はは、じゃあな」


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