89 1994/11/30 wed 学園食堂:ふふ、ふーふーふーふふーん♪
下に降りると、学食前は昨日と同じ光景。
つまりクリーチャーの回りに人の群れ。
新生「けろさんど」ならぬ「げろさんど」は本日も好調らしい。
横を通り過ぎて学食入口。
開けたままにされているガラス戸脇に立ち、学食内へ向けて右手を差し出す。
芽生に見せつけるように仰々しく、わざとらしく。
「お先にどうぞ」
芽生が首を傾げる。
「何のつもりかしら?」
「芽生は本日の主賓だからさ」
「そうじゃなくて。一樹君に、そんな気の利いたことができるなんて」
むしろ茶化し半分にやってみせたつもりだったのだが。
一樹の行為としては珍しさの方が先に立ったか。
まあ、ちょうどいい。
「ふん、覚えておけ。俺の場合は『できるか、できないか』じゃない、『するか、しないか』だ。やろうと思えば何でもできる」
ダメダメ人間の言い訳全開。
でもこれで、何かポカしてしまったときの予防線になるはず。
俺と一樹の違いは、普通人と変人というだけではない。
年齢からして一回り違う。
写真と英語を除いては、俺の方が一樹よりできることが多いはずだから。
「そうさせていただくわ」
芽生は髪に手櫛を入れ、バサッと流してから学食内へ。
跳ね上がった髪が鼻を掠める。
ふわりと香る、女の子の匂い。
この女はどうしてこう、いちいち男のツボをつくのか。
きっと興味ない人には迷惑極まりないだけなんだけどな。
「美人は正義」。
元の世界で使い古されたフレーズが頭をよぎった。
※※※
「好きなの選んでいいぞ」
芽生の背後から伝える。
学食内に入ってからも、ずっと芽生に先導させる形。
先程あんな仰々しい真似をしてみせたのは、このためだ。
カフェテリアの使い方くらい見ればわかる。
おかずをトレイに載せてレジで会計するだけだ。
しかしこの学食は中等部・高等部兼用。
中等部から五年間籍を置くはずの一樹に、僅かでも戸惑った様子があってはならない。
芽生にそれを見られるわけにはいかないから、後ろに位置どるのだ。
「それって値段を気にしなくてもいいってこと? 随分と豪気ね」
「かわいい新入部員のためだ」
今回はVIPルームでなく、普通のスペース。
よもや秋刀魚定食三〇〇〇円という非常識な額じゃあるまい。
だったらここはケチらず、好きに選ばせてイメージアップを図る。
どうせ奢るなら徹底的に気前よく。
これもまた、他人を篭絡するためのスパイの基本だ。
「ありがとう。でも、もう、わたしの頼む物は決まってるの」
「決まってる?」
芽生は、おかずの並んだ棚には目もくれず、つかつかと先へ進んでいった。
やがて突き当たり、立ち止まる。
そこは「丼&麺類」のコーナーだった。
「わたしはカレーをいただくわ」
カレー? これまた昨日のランチとは差のあるものを。
しかも今日は奢りなのに。
芽生には似つかわしくないメニュー……いや、そこまでは偏見か。
「どうぞ」
しかし芽生は言葉を返してこない。
どことなく顔を赤らめ、変にもじもじしている……ああ。
「芽生、我慢しなくていいんだぞ」
「どうして我慢してるってわかったの?」
そりゃ、その態度は我慢全開じゃないか。
所詮は一樹相手、気なんて使う必要ないのに。
──出口に向かって指を差す。
「トイレならあっち」
「違いますっ!」
芽生は別の意味で顔を真っ赤にしてしまった。
おかしいなあ。
ゲームでヒロインが顔を真っ赤にしてモジモジって、アレしか思い浮かばないんだが。
二葉に至ってはフラグが立つくらいなのに。
「じゃあ何だよ」
芽生が決まり悪そうに上目遣いをしながら、両手の指を絡め始めた。
「あ、あのね? コロッケも追加していいかなって」
……はあ?
「構わないけど、そんな恥ずかしがることか?」
「だって女の子が奢ってもらうのにコロッケねだるって……変じゃない?」
どうやら芽生のメインの目当てはコロッケの方だったらしい。
俺としてはカレーもコロッケも大して変わらないんだが。
「そう思うなら頼むなよ」
「意地悪! か、一樹君の前ならいいかなって……」
なんでやねん。
こんな台詞を照れながら言われたら誤解するだろうが。
またしても、どれだけあざとい。
……ということもないな、今回に限っては。
芽生の態度は、恐らく昨日のVIPルームのことを踏まえて。
つまらない見栄張って自爆しそうになったのが、俺のおかげで助かった。
その安堵を俺に見透かされてしまったと思ってるのだ。
芽生の観察眼や洞察力は優れたものがあるし。
言葉の端々から、俺が軽んじられてないこともわかるし。
もっとも、だからといってどうという話でもない。
芽生の好物はコロッケというのがわかっただけだ。
ゲームにはなかった特徴ではあるけど、この口ぶりだと金之助や華小路……下手すると他の生徒全員の前で秘密にしているだろうから。
「ふふ、ふーふーふーふふーん♪」
芽生は小さく鼻歌まじり。
おばさんがコロッケを乗せるのをじっと見つめている。
そんなに浮かれるなんて、どれだけ好きなんだ。
しかもこの歌……コロッケ大好きなロボット武士の出てくる子供向けアニメの主題歌じゃないか。
芽生と子供向けアニメのテーマソング。
ギャップ萌えどころか、似合わなさすぎてホラーだ。
そういえばカレーっていくらするんだろう?
上方にメニューと値段を記した掛札がぶら下がってる。
見てみよう。
出雲学園なら一〇〇〇円くらいしてもおかしくはな──。
【150円】!?
なぜ、こんなに安い!
VIPルームはまだしも、サンドイッチが五〇〇円するような学食で!
俺の通ってた公立高校でも一九〇円だった。
さらにそれよりも安いなんて。
トッピングの種類と値段も横に書いてある。
コロッケは【30円】。
一体何が入ってるのか疑いたくなる値段だ。
さて、俺はどうしよう──と思ったところで、芽生が口を開いた。
「こういうときは女性に合わせるものよ」
合わせるのは男女よりも奢られる側だと思うが……まあ、いいや。
美味しければ会話のネタにもなるだろう。
「おばちゃん、俺も同じので」
※※※
隣に座る芽生は、黙々とコロッケカレーを食べている。
ただ本当に黙々と。
そして俺も同じ。
ひたすらに黙々とコロッケカレーを食べている。
そりゃそうなる。
このカレー、食べられないほどに不味くはないというだけ。
もう典型的な業務用の食堂カレー。
肉はほとんど入ってないし、野菜も申し訳程度。
コロッケの方もそう。
衣がどこかしんなり気味な業務用。
カレーに乗せてるから食べられるものの、そのままだと油っこくてムカムカしそうだ。
「なんだか御不満そうね」
顔にまで出してたか。
「別に? ただ、こんなコロッケでも好きなのかなって」
もっと美味しいコロッケは世の中いくらでもあるだろうに。
しかし芽生は見透かしたように鼻で笑ってみせた。
「ふっ」
「何がおかしい」
「コロッケに貴賎はないわ。どんなコロッケだって食し方次第で美味しく味わえる。例えばこのコロッケだって、そのままでおかずにするには苦しいわよね。だけど、カレーに乗せることによって余分な油分がカレーに加わり、濃厚な味わいに変化する。また、しんなりした衣だからこそルーと溶け合うように絡み合う。かくして単独で食べたらどうしようもない味なはずの業務用のコロッケとカレーは、一緒に食べることによって互いに互いを高め合うウィンウィンの関係になれるってわけ」
「何を言ってるかわからないけど、芽生がコロッケを愛してることだけは理解したよ」
「光栄ね」
全開でイヤミぶつけたのに、めげないヤツだなあ。
しかし、ふと違和感に気づく。
俺達は結構話し込んでしまったから、部室を出るのはかなり遅くなった。
つまり現在はピークど真ん中の時間帯。
それなのに割とすんなり注文できたし、席だって確保できている。
食堂全体を見渡す。
そこそこ混み合ってはいる。
しかし席が空くのを待ってる人はちらほらいるかいないか。
生徒数から考えると、もっと混んでいてもよさそうなのに。
きっと、このメニューのせいだな。
コスパには優れてると思うけど、それだけ。
ブルジョワ学校においては、コスパなぞメリットにはならないのだろう。
平民な俺でも、この程度の社員食堂なら新橋や銀座まで足を伸ばす。
もっとも逆に言うと、そこそこには賑わってる。
それなりの需要はあるってことだな。
そういえば俺が憑依する前の一樹って、お昼はどうしてたんだろう?
イジメられっ子の定番はトイレ飯かな。
それくらいなら部室で食べるだろうけど。
いずれにしたって、こんなところでゆっくり食事なんてするわけない。
だって、それは「イジメてくれ」と言ってるようなものだと思うんだが。
「カズキン、どけよ。そこは俺達の席だ」
……そう、こんな風に。
背中から聞こえたのは、ここ数日で最も聞きたくなくなってしまった声だった。




