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88 1994/11/30 wed 写真部部室:……失敬

 ──一時間が経過した。


 とっくに二時間目は終わり、三時間目へ突入。

 その三時間目も、もうすぐ終わろうとしている。


 そして目の前に立つヒロインは、その間ずっと同じ動作を繰り返していた。


「Piiiiiiiiiii」


「はい!」


 芽生がスカートをたくし上げる。

 そして俺の頭の中で「ちゃあ~んす!」という声が……が?


 響いてない!


 腕も上がってない!

 当然シャッターも切ってない!

 ついに俺は自らの意思で一樹の体を制御したのだ!


「アニキ、やったね!」

 

「ありがとう」


 と返すべきところなのか?


「一樹君、おめでとう」


「芽生。お祝いはいいから、そのスカートを摘まんだ指を放せ」


「……失敬」


 芽生が指を開くとともに、重力に引かれたスカートがパンツを隠した。

 特訓開始の頃と違い、もはや芽生は顔色一つ変えていない。


 一方の俺も……正直言って見飽きた。

 いかな芽生のパンツと言えども、一時間も見続けてれば当然だ。


 芽生が二葉に目を向ける。


「あなたから仰せつかった役目は果たしたわ。次はわたしの頼みを聞いてもらうわよ」


「仕方ないなあ。芽生には『渡会一樹部長に絶対隷従する義務』を差し上げよう」


 随分と偉そうな物言いだけど、誰がそんなものを欲しがる。

 しかも「権利」じゃなくて「義務」ってかい。


「ありがたくいただくわ」


 ああ、そういえば芽生は「わたしの頼み」と言ったっけ。

 だったらいいのか。

 そのために一時間スカートをまくり上げ続けたくらいだし……って?


 ちょっと待て。

 話が噛み合ってるようで全く噛み合ってない。


「二葉、どういうこと?」


 問うてみる。

 しかし二葉は首を振るばかり。


「あたしは芽生に頼まれた通りにしただけ。『渡会二葉副部長に絶対隷従する義務』なら一時間もパンツ丸見えにしなくてもプレゼントしたのに」


「もう十分すぎる程に押しつけられてしまってるのは気のせいかしら」


 芽生がぼやく。

 しかしここは口喧嘩もどきな漫談で終わらせていい場面じゃない。

 今度は芽生に問い質す。


「どういうこと?」


「今説明しなくても、すぐにわかるわ──」


 芽生が手首を返し突きつけてきた。

 腕時計?


「──タイムアップ」


 言葉と同時、三時間目終業を報せるチャイムが鳴った。


「少しくらい昼休憩にずれこんだっていいだろ」


「混み合う前に学食行きたいの」


 なんという世俗的な理由。

 芽生にしては普通すぎるくらいに普通の答えが返ってきた。


「そうだな、じゃあ俺は売店──」


「一樹君もわたしと一緒に学食で食べるのよ」


「なぜ!」


「わたしはあなたの護衛役なんだから当然でしょ。もしかしたら、その道中で説明が不要になるかもだしね」


 また妙にはぐらかされてるような。


 ──二葉が立ち上がった。


「用事あるから先行くわ。それと芽生?」


「何かしら?」


「さっきの義務からすれば『何があっても部長を守る』というのも導かれるのかな」


 芽生がニヤリとしてみせる。


「さすが二葉さんね。説明するまでもなく読んでみせたのかしら」


「なんとなく。じゃあアニキ、また後でね」


「二葉、おい!」


 答えわかったのなら教えろよ。

 しかし二葉は返事もせず駆け出していった。


 芽生もドアへ体を向ける。


「わたし達も出ましょう。ここからならすぐ学食へ行けるわ」


 ちきしょう。

 二人とも、もったいぶりやがって。


 あっ、出る前に。


「芽生」


 芽生は既にドアのレバーへ手をかけていた。

 怪訝そうに振り向いてくる。


「何かしら?」


 ハンパな振り向き角度に合わせた流し目加減。

 ああ、これまた実にあざとい。


「食堂へ行く前に渡すものがある」


 机の上に置いてあったブツを手に取り、芽生へ手渡す。


「カメラ?」


「なぜ疑問系?」


「いえ……わたしにどうしてカメラを、と……」


「むしろ、どうしてそんな台詞が出てくるのか聞きたいよ。ここは写真部の部室、お前はその新入部員だ」


 しかし芽生はついっと胸を張る。


「写真部入部なんて形だけに決まってるじゃない」


 なんて失礼極まりない台詞。

 もちろん芽生の真意はわかってる。

 先方も、それを前提にして発言してるわけで。

 だから「ふん」の一言で終わらせてもいいのだが……。


「部長としては、そんな台詞を聞きたくない」


 俺に写真部部長としての矜恃なんてあるわけない。

 だけどこのくらいに青い返答の方が、きっと一樹らしい。

 カメラにだけは真摯に打ち込んでるヤツだから。


「あら意外。写真への愛はともかく、部活運営に興味のあるタイプとは思えないけど?」


「尊敬してくれるヤツは一人でも多い方がいいだろう」


「自慢する相手、もしくは話しかけてくれる相手の間違いじゃなくて?」


 わかってるならツッコむなよ。


 傍目にはともかく、実際は寂しがりの構ってちゃん。

 これもまた一樹だ。


 ただ現在は真人間になるのを許された身。

 ここは少々素直になってもいいだろう。


「自慢はともかく、話しかけてくれる相手は欲しいな。それが学年一番人気の芽生とくるのだから、言うことないさ」


 芽生が目を丸くした。


「あなた、本当に一樹君? まるで金之助君みたい──」


 まずい、調子に乗りすぎたか!?


 しかし芽生は自分の中で疑問を消化してしまったらしい。

 すぐさま、くすりと笑ってみせた。


「──でも、そう言ってもらえると嬉しいわね」


 よかった。

 もう、とっとと話題を変えてしまおう。


「で、そのカメラなんだけど」


 芽生の目が、自らの手にするカメラに向いた。


「シャッターを押すだけで写真が撮れるってやつね」


「とにかく興味が向いたものを片っ端から撮ってみるといい」


 それが第一歩だし。


「ふーん──」


 芽生がカメラを掲げた。


「──じゃあ一樹君を」


「やめろ!」


 なんてあざとい台詞を、さらりと言ってのけるんだ。

 その主がくすくす笑いながらカメラを下ろす。


「あら残念。本当に興味あるのに」


「続く言葉は『珍獣として』辺りか?」


「そんな卑屈な台詞、一樹君らしくないわよ」


 肯定に次ぐ肯定の嵐。

 このままじゃ芽生の言葉に酔っ払ってしまいそうだ。

 目先を変えよう。


「芽生の興味はともかく、写真撮られるのは苦手なんでな」


 これは俺自身の特性。

 スパイは痕跡を残さないのが基本。

 目立たないように努めていたら自然とそうなる。


 一樹がどうかは知らない。

 ただ、ここは嘘を吐いても大丈夫な部分だ。

 なぜなら一樹にカメラを向ける人間なんていないから。

 一樹が撮られるのが苦手かそうでないかなんて誰も判断できない。


「わかったわ。撮るのが好きな人は撮られるのが苦手って聞くけど、一樹君もそうみたいね」


「俺は俺、そこらの凡夫と一緒にしないでもらおう」


「はいはい。じゃあ例えば何を撮ればいいかしら」


「今から食べるランチの写真なんてのはどうだ?」 


 答えた瞬間、芽生の目が細くなった。


「真人間になりたいなら、そういうマナーに外れた台詞は慎んだ方がいいわよ」


 いかにも呆れた目に呆れた口調。

 元の世界だと当たり前の光景なのに。


 でも無理はないか。

 考えてみたら、この時代の写真は元の世界ほど手軽ではない。

 アップするSNSだって普及してない。

 そういうのを抜きにすると、食事中にカメラを出すなんて単なるマナー違反。

 元の世界だって時と所と場合によっては後ろ指さされることだってあるし。

 思わぬところでジェネレーションギャップを感じてしまった。


「そうだな、ありがとう」


「どう致しまして。では、部長さん」


「何を改まって」


「その今から食べるランチは当然、部長さんのおごりよね?」


「なぜ、俺が!」


 芽生が両手を腰に手をあて、顔を突き出してくる。


「わたしは『尊敬してくれて』『話しかけてくれる』『一番人気な女の子の新入部員』なのでしょう? だったらランチくらい御馳走してくれて当然じゃない?」


 ああ、もう!

 ポーズはあざといわ、そのくせ台詞はイヤらしいわ……。

 いや、台詞もあざといか。

 いかにもアニメでヒロインが言いそうな台詞だよな!

 そして主人公は「仕方ないなあ」と思いつつ、「やれやれ」と言いながら奢るんだよな!


 でも、仕方ないか。

 昨日は逆に芽生から奢ってもらってる。

 それも三〇〇〇円の秋刀魚定食を。

 本来ならお返しが必要なレベルの値段だ。


 そして……芽生はどうやら本気で俺の味方をしたいらしい。

 二葉からあれだけ尊厳を踏みにじられても意思を曲げなかったのだから。

 しかもそのおかげでリハビリを克服できたことだしな。


「やれやれ、奢ってやるよ」


 ああ、何てムダな主人公気分。

 実際には脇役どころか、最強の悪役とすら呼んでいい身なのに。


「じゃあ早く食堂に行きましょう。すっかり話し込んじゃったじゃない」


 悪態というか、反省というか。

 しかし言葉とは裏腹に、口調は明らかに浮かれていた。

 そんなに奢ってもらうのが嬉しいのか。

 決してあざといわけじゃない。

 でも、いや、だからこそかな。

 今の芽生には親しみが持てた。

 これは奢り甲斐もあろうってものだ。


 ──と思ったところで、芽生が立ち止まる。


「そういえば、このカメラに入ってるフィルムって……アレよね?」


 アレという言い方もアレだが。

 つまり、芽生のパンツだ……ああ、そうか。


「カメラ使うなら入れ替えないとな。あとフィルムを感光させてしまおう」


 しかし芽生は首を振る。


「このままでいいわ」


 このままでいい、って?


「まさか、現像するつもり?」


「そんなわけないでしょう。感光はあとで自分でする」


 わけわからん。


「だったら今ここでやった方がいいだろう」


「もしかしたら必要になるかもしれないの」


 もっとわけわからん。


「感光させたとか言って、こっそりパンツ写真を売る気じゃあるまいな」


「誰がそんなことしますか」


「じゃあ説明しろよ」


「ゼロよりは種があった方がいい、それだけよ」


 ──部室を出て階段へ。


 芽生が隣に並び、話しかけてくる。


「部室棟って静かね。いかにも文化部って感じ」


 声のトーンが、部室にいた時よりも明らかに抑え気味。

 別に普通に話したって構わないのだが、気持ちはわかる。

 この静謐は図書館と似たものがあるから。

 俺もボソボソ気味に返答する。


「まるで初めて見るかの感想を語られても」


「ほとんど初めてよ、来る用事なんてないもの」


「そういうもの?」


「そういうもの。わたし達が文化部の応援する姿は想像つかないでしょう?」


 そらそうだな。


 ──って。


 もっと想像のつかないヤツが前方から歩いてきた。

 銀髪に、特注の白い学生服。


「やあ、芽生さん」


 華小路!

 なぜ文化部の部室棟なんかに!


 というか、芽生は華小路の彼女。

 写真部に入ることで俺の味方になるという用を遂げたということは、きっと華小路と別れてないはず。

 つまり芽生は華小路の彼女のまま。

 でもって、俺は他人様の彼女と二人きりで歩いてるわけで。

 これ、まずくないか?


「公麿君、ごきげんよう」


 芽生が華小路に挨拶を返す。

 まったく動じた様子はない。

 俺は口の出しようがない、なりゆきを見守ろう。


 芽生が俺に手の平を差し向ける。


「わたし、今日から写真部に入ったの」


「写真部に?」


 華小路の口調は落ち着いたまま。

 内心では驚いているのだろうが。

 ちょっとやそっとじゃ、この取り澄ました顔は崩れなさそうだ。

 ゲームでもそうだったけどな。


「ええ。カッコいい公麿君の姿を写真に収めて、お部屋に飾っちゃいたいなって」


 なんてしれっと嘘をつく。

 この女、まったく信用できない。


「ふっ。いつでも歓迎するよ」


 華小路が顔を斜めに傾けながら髪をかき上げる。

 こんなのリアルでやるヤツいるのかと思う程キザったらしい。

 その一方で芽生の台詞を微塵も疑っていないところに、ほんのり哀愁を感じてしまう。


「公麿君は、今日もどこかのクラブの特別指導?」


 クラブ? 特別指導?


「社交ダンス部さ。この昼休憩しか時間が空けられなくてね」


「『それでも』って頼まれたんでしょ? 公麿君は最高の見本ですものね」


 まさに似合いの美男美女ゆえ、殊更にすましたスノッビーぶりが鼻につく。

 「リア充氏ね」とは、こういうペアにこそ贈られるべきだろう。


「では二人とも。約束から既に少々遅れているので、名残惜しいがこれにて」


 華小路は軽く手を振り、去って行った。

 芽生はちらりとだけ見送る視線をやってから、独り言を呟く。


「公麿君がここにいるということは……これから本当にありうるわね」


「何が?」


 独り言に問うのも野暮というものだが。


「……わたし、何か言った?」


 間こそ空いたが、なんて白々しい。


「ううん、別に」


「ふふ、一樹君って変な人ね」


 しかも俺のせいにまでされてしまった。

 この女と行動をともにしてたら、いつか本当に犯罪者にされてしまうのではないか?

 そんな思いが頭をよぎった。


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